今回は、中条彩乃さん(ロック所属)について、H30年11月中の京都DX東寺での公演模様を、もうひとつの一周年作「中条サンバ」を題材に、「中条彩乃を骨まで愛したい」という題名で語りたい。

 

 

 

 さて前置きが長くなったが、さっそく周年作「中条サンバ」の内容をご紹介する。

最初に、おどろおどろしいイントロ曲に合わせ、黒いマントに頭から身を包んだ姿で現れる。手には中条彩乃の大きな写真を遺影のように慎ましく持っている。そう、これは葬式のシーンである。中条新聞№3に次のように解説されてあった。「冒頭の雰囲気で『えっ?』って思う人、多いだろうな・・(笑) この作品のモチーフは、メキシコのお祭り『死者の日』。本名が死んだ日って意味で、最初にお葬式をしてるんです。」

そして、すぐにマントを脱ぐ。下には、オレンジと黄色を交互に重ねたハイカラな衣装を着ている。肩出しで、胸から下を、きんきらと目に眩しい鮮やかな色彩のロングドレス。腰には金のベルト。首には銀のネックレス。頭は左右に編み込み。

金のハイヒールを履いて、ノリノリの音楽に合わせサンバを踊る。

音楽は「Brazil」という曲。 オリジナルは1939年、ブラジル出身のAry Barroso。

音楽がBeth Carvalho の曲「Firme e Forte」に変わる。

ここで袖に入り衣装を着替える。なんとリオのカーニバル風に、頭にオレンジ・青・赤・黄色の大きな羽根を立てて現れる。上下セパレートの衣装。濃紺の羽根状の、ブラとミニスカート。中条さん自慢のヒップラインと脚線美が艶めかしい。最高にセクシー♡ 私はお尻好きなので、思わずこのお尻をお土産に持って帰りたいと思ったよ♡

お客はこの姿で完全に悩殺されている。恥ずかしさをかなぐり捨てて、大声で「中条コール」を始める。「中条コールは計12回。(笑) 喉つぶれない程度に叫んでください。」 私も最初観たときは唖然としたが、二回目からは我を忘れて中条コールしていたよ(笑)。

音楽がランバダに変わる。ランバダ(ランバーダ, Lambada)とは、南米から発祥し、1980年代後半に世界的に有名になったダンス及び音楽である。最高にノリノリになる♪

ここで頭の羽根を外して、軽快なリズムにのってサンバを踊る。

舞台の袖のところで、衣装を脱ぐ。黒いパンティのみとなって、大きなオレンジのマラボーを身体に巻き付ける。そのまま盆に移動しベッドショーへ。

ベッド曲は映画「リメンバー・ミー」の主題歌である。日本語で女性ボーカルが歌う。いい曲だし、日本語なので感情移入しやすい。

最後の立上り曲は「サンバ・デ・ジャネイロ(Samba de Janeiro)」で、ノリノリの音楽の中、次々とポーズを決めていく。

 

いや~選曲がいいですねぇ~。聞き覚えのあるリズムなので大いに盛り上がるね。

まさしく中条新聞№3に記載されている通りの内容です。「マントを脱いでからのステージはもう見ての通り。私らしさ全開。本名としての私が死んで、中条彩乃としての私が生きて、一年が経った今、最高にハッピーだよって事をとにかく伝えたかった。楽しくて楽しくて仕方ないっていう気持ちを共有してもらえたら幸いです。構成、振付は、みおり舞姐さん。デビューのきっかけや今の気持ちを話したうえで、せっかく10結だし、ハロウィンっぽいこともしたいなとか、中条のいろんな要素を丸っと解決してくれました。周年作に相応しい演目です。」

私からのいろんな質問にも丁寧に答えてくれた。「サンバも、サンバの衣装絶対似合うから!ってゆってくれたり、中条コールも、全部舞姐さんのアイデアです。私のキャラを理解している。」中条ファンの私からも、みおり舞さんに感謝・感謝です。

 

私は教えてもらった選曲をひとつひとつネットで調べていく中で、この演目は映画「リメンバー・ミー」を観ないといけないな!と感じた。冒頭の部分に出てくる葬式の場面からも、メキシコのお祭り『死者の日』がモチーフであるとの解説を受けていたので、ネットで映画「リメンバー・ミー」の触りを知った瞬間に、映画に対する関心が強まった。そこで、観劇レポートを「トレジャーアイランド」のついでのように簡単に済ませる気にならなくなり「レポートは少し待ってほしい。次の栗橋のときに渡すね。」と話した。「リメンバー・ミー、観てからの方がいいかもです!! 栗橋楽しみにしてます。」との返事をもらう。

 

翌週すぐにTSUTAYAでレンタルして観てみた。

<『リメンバー・ミー』(原題:Coco)は、ピクサー・アニメーション・スタジオ製作によるアメリカ合衆国のコンピュータアニメーション・ファンタジー・アドベンチャー映画。全米で2017年11月22日、日本で2018年3月16日公開。キャッチコピーは「それは、時を超えて―家族をつなぐ、奇跡の歌。」。>

最後に涙が止まらなくなるほど感動した。感じることが多々あったが、それを前回の「トレジャーアイランド」観劇レポートのようにひとつひとつ解説するより、演目「中条サンバ」と絡めて童話(小説?)にしてみたいと感じた。長くなりそうだが取り組むことにした。

 

 

平成30年11月                             DX東寺にて

 

 

 

 

 

ストリップ小説『骨まで愛して -ディズニー映画「リメンバー・ミー」を観て- 』  

~中条彩乃さん(ロック所属)の一周年作「中条サンバ」を記念して~

 

 

この話は、ストリップを通じたある父と娘の物語です。中条彩乃さんの一周年作品「中条サンバ」のモチーフである「死者の日」を反映し、かつ周年作のベッド曲で使用された映画「リメンバー・ミー」の主題歌を踏まえ、実際に映画を観てのインスピレーションに基づいてフィクション化している。そもそも映画「リメンバー・ミー」が「死者の日」の物語である。主人公の名前を彩乃をもじりアヤカにし、中条彩乃として踊り子デビューしたという設定になっている。

ちなみに、いつもはストリップ童話と銘打っているが、文量がけっこう多く、内容も短編小説のようになっているので、今回はあえて‘ストリップ小説’とした。

 

 

Ⅰ. 主人公はアヤカという少女

 

アヤカは、晴れて今年の四月から東京の大学に入る。

アヤカは関西出身で、母子家庭だった。小さい頃に父はいたが、あることが原因で母と喧嘩して父は家を出ていってしまった。母は看護婦をしていたので生活力はあり、幼いアヤカのことを一生懸命に育ててくれた。アヤカが何不自由なく明るく元気に育ったのは母のお陰だ。母には心から感謝している。今でも母は関西で、大きな病院の現役バリバリの婦長として働いている。

父はアヤカがものごころ付く前に家を出ていったので、父のことはもうほとんど忘れてしまった。家には父の写真もないから顔も分からない。ただ小さい時に、いつも抱きしめてくれていた父の温もりだけは記憶に残っていた。

 

 

Ⅱ. アヤカの父

 

 アヤカの父は作家であった。

 大学時代から童話や小説を懸賞に投稿していて何度か表彰されたことがあった。これでやっていけると思ったのか、そのまま作家になった。しかし、その手応えも彼の思い込みであったのか、作品は全く売れず、生活は苦しかった。ずっと貧乏だったので、とても嫁さんなんてもらえないと鼻から結婚を諦めていた。

 でも成人男性として普通に性欲はあったので、お金のかからないストリップにたまに通うといった程度だった。

 ある日、彼は喫茶店で小説の原稿を書いていた。そこに若い女性が入ってきて、彼の物書きしている姿に目をとめた。彼はふつうに男前だった。髪は少しぼさぼさだったが、眼鏡もしていないし、少し痩せ型のすらりとした長身。優しい顔つきだったが、原稿用紙に向かっている目つきは精悍な印象を与えた。

 彼女はビビッと来た。彼はけっこう年上だったが、母子家庭に育った彼女は父親の雰囲気を醸している彼の容貌に強く惹かれた。そして彼女の方から彼に声をかけた。彼の方はというと「こんな若くてキレイな女の子から声を掛けられるなんて夢のようだ」と彼女に一目惚れする有様。

 それから二人の交際が始まり、めでたく結婚する。若い二人にはお金がなかったので結婚式は挙げず、六畳と四畳半という質素なアパートで新婚生活を始めた。彼女の方は大きな病院に勤めていたので生活はなんとかやりくりできた。売れない作家である父はまるで彼女のヒモみたいな感じであった。母は夜勤もやっていて家を留守にしている時間が長かったので、父が家にいて執筆活動をしていた。父は気晴らしに外に出かけたが、若い頃からのストリップ通いがやめられず、たびたび劇場に出入りしていた。母は父の趣味であるストリップ通いを知っていたが、惚れた弱みもあってか見て見ぬふりをしていた。

 結婚して一年もしないうちにアヤカが妊娠した。父は子供ができたことをたいそう喜んで、大きなお腹の妻の面倒をみて、また産後も赤ん坊のアヤカの世話を自分から積極的に行った。今でいうイクメンかな。とてもいい父親であった。

 ところが、アヤカが三歳になって公立の保育園に預けられるようになってから、またストリップの虫が疼きだした。母が病院で働いていて、アヤカを預けると、時間を縫うように劇場に通い出した。

 父はストリップに通うために小さな嘘をついた。「今日は雑誌の編集長と付き合いがあるから遅くなる」等々。小さな嘘でも繰り返しているうちに、嘘はやっぱりバレちゃう。些細な嘘とはいえ、次第に母は父の嘘が許せなくなった。

「ストリップは浮気じゃないよー。単なる遊びだよ。気休めに過ぎないから~」と何度も父は母に説明した。しかし、母は既に堪忍袋の緒が切れていた。「もう二度とストリップに行かないと誓いなさい!そうしたら許してあげる!」

 しかし、その約束もすぐに破られた。「黙って出ていって!」母にそう言われて、父は泣く泣く家を出ていくことになる。

 その後、母によって、家の中にあったストリップに関わるものは一切燃やされ、父に関する写真や思い出の品までも全て捨てられることになる。そして父の記憶はぷっつりと途切れた。母の顔色を見ればとても父のことを聞ける感じでなかったし、母の前でストリップなんて言葉は絶対に禁句だった。

 

 

Ⅲ. アヤカ、スト女になる

 

 アヤカは大学生活を謳歌していた。

 ある日、コンパで飲みに行ったとき、男女数人でストリップ劇場に流れた。面白半分、酔った勢いで男性陣の後に付いて入っていった。

 まぶしいスポットライトがステージを照らし、大きな音楽が鳴り響いていた。まさに光と音の世界に、煌びやかな衣装を着た綺麗な女性が登場して音楽に合わせ舞い踊った。アヤカは本当にキレイだと思った。「なんてステキな世界なの・・・」

 ショーアップされたステージはアヤカの心を捉えた。そして踊り子が衣装を脱ぐ。男性たちの視線が刺すように鋭い。スポットライトとは別の視線シャワーを浴びながら、女性の裸体がまるで若鮎がはじけるようにうごめいた。男性客はじーっと視線を集中している。踊り子は感極まる。踊り子が決めるポーズに合わせて、大きな拍手が鳴り響く。場内は興奮のるつぼと化していた。

「お父さんが憧れていた世界とは、こんなステキなところだったのね・・・」

 

 アヤカの他にも一緒についてきた女性たちが同じ感想を抱いた。それ以来、その女性グループは今でいう‘スト女’になっていった。

 今や、ストリップは男性だけのものではない。今どきの女の子は、飲み屋、パチンコ、競馬場など、今まではおじさんの聖域であった場所に次々と進出していた。ついにストリップもそうなったわけだ。

ストリップは女の子が好きになる要素に満ち溢れていたと云えそう。楽しい音楽やダンスや衣装がある。踊り子は宝塚のスターみたいに憧れの対象になる。彼女たちには踊り子が追いかけたいカリスマ的存在になる。このようにストリップには、かわいいもの、美しいもの、光るもの、楽しいこと、そうした女性が本能的に好きなものが詰め込まれているのだ。ただエロスだけが抵抗がある。しかし、男性と同じく女性だって本質的にエロスが好きなはず。恥ずかしさや抵抗感を取っ払ってしまえば、そこは天国と化した。アヤカはその世界に強く興味を惹かれ憧れた。そしてスト女として通い始めたのだった。女性グループで行くことも多かったが、一人で行くことも増えていった。

 劇場はほとんどが男性客。しかし男性の中に入っていく抵抗感は殆どなかった。というのは、ストリップに嵌る男性というのは、中身はスケベであるものの、結局は女性に相手をされない気弱で可哀そうな男性ばかり。そう、牙のない狼たち。場内を見渡しても、最近はギラギラした若者は少なく、ほとんどが高齢者の集いのような感じであった。場内で他の男性客と接すると、みなさん紳士で女性客にとても優しかった。ある意味、こんな居心地のいい場所もそうそうない。

 

 いつしか、アヤカは卒業を考える時期に来ていた。卒業後の就職をどうするか?

 アヤカはスト女常連として通っていた劇場の扉をノックした。劇場経営者は諸手を挙げてアヤカのストリップ・デビューを歓迎した。

 ダンス経験は全くなかったが、若い頃に陸上で鍛えた肢体が自慢であった。案の定、アヤカのヌードはビーナスのような輝きを放った。元踊り子の先生にダンス指導してもらう。そしてデビュー作を作ってもらい、面接から二週間後に早くもデビューを迎えた。

 劇場側は、若いアヤカを華々しく売り出した。最初は、小鹿のように足を震わしていたが、次第に持って生まれたダンスセンスと舞台度胸の良さ、そして可愛い笑顔でお客の心を掴むようになっていく。なによりも彼女の強みは、気さくで明るい性格にあった。周りのお姐さんにも好かれ、当然のように固定客がどんどん増えていった。

 

 

Ⅳ. 父との運命的な再会

 

 アヤカは関東でデビューした。芸名を中条彩乃とした。

 関東の劇場をひととおり回った後、地方の劇場にも出演することになる。関西出身だったので、関西の劇場からオファーがあったとき最初は親バレとかマズイかなと思った。しかし、ストリップに無縁な母にばれることもないと思い、出演を承諾した。

 

 その関西の劇場でアヤカはある男性と運命的な出会いをする。

 彼はその劇場の常連客でリボンを投げていた。白髪で初老の男性だった。しかし長身で清潔感あふれるロマンスグレイなタイプ。年齢は60歳前後かな。第一印象としては、すてきなおじさまだと思った。

 彼はリボンさんなのでいつも劇場の壁際に立っていた。場内の後方か横の壁際でタンバリンを叩いているか、舞台前方からリボンを投げるか、どちらかだ。だから席に座って観劇する人ではなかった。朝早くからかぶり席でギラギラした目つきで眺めている客とは全く違う。なんか遠くから優しい眼差しで見守ってくれているような印象を受けた。

 彼もアヤカのことを気に入ったみたいで、ポラを撮ってくれて、すぐに「よかったら君のリボンになっていいかな?」と声を掛けてきた。アヤカは「こちらこそ、よろしくお願いします」と丁寧に頭を下げた。

 二人はすぐに意気投合する。

 彼はアヤカが関西の劇場に来るときは毎日のようにやってきてリボンを投げてくれた。広島や小倉にも遠征してくれた。

 彼はストリップ歴が長いこともあり、ストリップのことをよく知っていて、いつも適切なアドバイスをくれた。またストリップのマナーもよく、踊り子とファンの間の適切な距離感というものをしっかり身につけていた。客の中にはよく連絡先を教えろ!と迫ってくる人もいるが、彼は一切そんなことはしなかった。

 

 ちなみに彼はいつも手紙を書いてくれた。ストリップというのは意外にも踊り子とは会話がほとんど出来ない。基本はステージを観るだけなのだ。今はポラがあるのでポラタイムで挨拶程度に話すことはできる。しかし長い会話は無理。そのため彼は手紙で踊り子とコミュニケーションを図った。彼は、どの踊り子を応援するかを手紙の反応を見てから自分との相性を判断していた。まあ彼はもともと作家なので筆まめは当然であったわけだ。

  アヤカは彼の手紙が大好きだった。自分の演目を適切に文章で表現し、時にアドバイスをくれる。それ以外にも沢山のストリップの知識を教えてくれる。アヤカは彼の文書構成力、そしてワードチョイスが素晴らしいと思った。いつもその中に‘踊り子を元気にさせる魔法の言葉’がある。彼が創作した沢山のストリップ童話も読み、どれも面白くて感動した。そこには‘ストリップを愛する心’があった。

 

 そうそう、彼のことをみんながサワティと呼んでいた。なんでそう呼ばれているのかは知らなかった。このストリップの世界ではみんなが本名を名乗らないのが常識。お互いの素性を知らない。ある意味、ストリップはカオナシの世界であった。

 アヤカは彼との片言の会話の中で、彼が作家であり、またバツイチであることを知った。「いつも私のところに通ってくれてありがとう。お仕事やプライベートでも忙しいでしょうに。奥さんに恨まれないかしら・・・」と話したときに「ボクには家族がないんだ。昔はあったんだけどね。娘も一人いた。」とこぼしたことがある。

 そのときから、アヤカの身体の中で血が騒いだ。

「もしかして、この人は私のお父さんじゃないかしら!? ・・・」

 

 

Ⅴ. ストリップは見守る愛

 

 初めて広島の劇場に出演することになったある日のこと。

 遠征してリボンを投げてくれたサワティが、「広島は広島焼きというお好み焼きが美味しいので、よかったら近くのお店でご馳走しようか?」と誘ってくれた。彼と食事するのは初めてだった。私はふたつ返事でOKした。

 焼きそばの入ったお好み焼きである広島焼きは有名だが、他の焼き物も全て美味しかった。お魚入りのガンスというのが特にビールに適っていた。お酒が進んだ。

 アヤカは頃合いをみて尋ねた。「サワティは昔家族がいたって言っていたよね。今でも会いたいとは思わないの?」

「ボクはストリップが好きで家族を捨てたんだ。今更のこのこ戻れないし、ストリップ通いをやめれない。」

「どうしてストリップがそんなに好きになったの?」とアヤカは聞いた。

「ボクの性格に適っているのかな。一般の恋愛というのは相手を独占しようとする。しかしストリップは全く違う。相手を独占しようとして、おれが!おれが!というリボンや客もいるけど、そういうのは自然と淘汰される。ストリップは好きな踊り子をみんなで見守る愛なんだ。ふつうの愛とは全く違うけど、それもひとつの愛の形なんだ。

 ふつうの恋愛はSEXを伴うよね。妻を愛し、子供を産む。それも立派な愛の表現だ。

 しかし、ボクはもっとプラトニックな恋愛が好きなんだ。昔の文豪の中には、遠くに離れている恋人との文通の中に真の愛があったと述べている。相手に触れない愛もある。ストリップにはそういう愛があるんだな。

 ストリップは触れられない愛だと言ったけど、ボクはこんな風に感ずることがある。大好きな踊り子さんがベッドショーを演じている。するとボクの魂は‘見えない手’となって大好きな踊り子さんを優しく抱きしめるんだ。そんなとき、ボクの魂と踊り子さんの魂は一体になれるんだ。心のSEXとでもいえるかな。」

「作家らしいサワティの答えね。とてもステキだと思うわ。」とアヤカは頷いた。

「でもね、家族を捨ててしまって、家族には本当に申し訳ないことをしたと思っているんだ。もう後悔してもどうしようもないけどね。ボクはこの業を一生背負って生きていかなければならないと思っている。

 ボクはストリップが単に好きだという他に、ストリップを通じて書きたいことがたくさんあったんだ。ボクは文章を通じた表現者だった。だから、それを檻の中に閉じ込めることはできなかった。自分の想像の翼を伸ばすためには自由が必要だった。かっこよく言えば、世界中の読者にボクが書いた話を届けるために家族の元から羽ばたいたんだ。まぁ・・・今のところ全く売れないけどね。(笑)」彼は苦笑いをした。

「私もダンスを通しての表現者だから、サワティの気持ちはなんとなく分かる気がする。」とアヤカは共感した表情(かお)をした。

「これからもリボンとして応援させてほしい。」とサワティはアヤカに向って言った。アヤカは黙って頷いた。

 アヤカは確信した。(この人は間違いなく私のお父さんだわ。)

 

 

Ⅵ, 一周年を迎えて

 

 時が経つのは早いものである。デビューからもうすぐ一年が経とうとしていた。

 アヤカは一周年作の準備に取り掛かっていた。踊りの先生と相談して今回はサンバに挑戦することにした。先生には、自分が踊り子になった経緯、いま踊り子になって思っている心境を丁寧に話した。その上で、先生は今のアヤカによく似合う演目を準備してくれた。

 演目名は「中条サンバ」とし、サンバを中心とした選曲で、盛り上がりにはリオのカーニバルの衣装で踊り、観客から「中条コール」の掛け声を出してもらうようにアドバイスした。また「絶対にサンバの衣装が似合うからね」という先生の言葉通り、自慢のプロポーションが映えた。最高のヒップラインと脚線美に客は萌え萌え。お陰でステージは異様に盛り上がることになった。

 

 この演目の中には隠し味があった。それは映画「リメンバー・ミー」。ベッド曲では映画の主題歌を使った。感情移入しやすいように日本語の歌詞にした。そして、一番のポイントは冒頭の部分にあった。

 最初に、おどろおどろしい音楽の中で、黒いマント姿で登場。しかも中条彩乃の遺影を手に持って掲げている。これはメキシコのお祭り「死者の日」であった。

 アヤカは、この一年間の踊り子経験の中で、過去の自分を捨て去り、今の‘中条彩乃’こそが‘ほんとうの自分’であることを表現したかった。ストリップで家族を捨てたお父さんと同じ気持ちであることを暗に示していた。

 

 アヤカはリボンさんであるサワティに、事前勉強として周年作「中条サンバ」の内容を話す。この作品はメキシコの祭り「死者の日」をモチーフにしていること、そしてベッド曲に映画「リメンバー・ミー」の主題歌を使用していることを説明し、是非とも映画「リメンバー・ミー」を事前に観てほしいとお願いした。

 サワティはすぐにビデオをレンタルして映画を観た。

 そして、翌日早めに劇場に行って、アヤカと周年作におけるリボンのタイミングについて打ち合わせた。リボンさんと言えども、なかなか踊り子と話す機会はなく、今回は特別に時間を割いてもらった。リボンの話になる前に、サワティは昨日観た映画について感想を話し始めた。

「映画『リメンバー・ミー』を昨日レンタルして観たよ。すごく面白かったし、最後は恥ずかしながら涙が止まらなかったよ。いっぱい感動したので、話したいこともいっぱいあるんだ。

 音楽をやりたくて家族を捨てた、主人公のひいひいおじいさんにあたるヘクターに自分を重ねてしまい、完全に感情移入しちゃった。作中で、主人公ミゲルが『なぜ家族を捨てたの?』と尋ねる。その質問に対して、ヘクターと一緒に音楽をやっていたデラクルスの言葉にじーんときたよ。『おれは生まれながらの芸術家だから、運命に逆らうことなんてできない。家族には収まらなかったんだ。いわば世界がおれの家族なんだよ。』世界中のみんなに自分の音楽を届けたいという使命感が伝わってくる。これが表現者(アーティスト)の心意気なんだな。ひいひいおじいさんと同じく音楽の血を引いているミゲルは、その気持ちがよく分かったと思う。」

 ここまで聞いていたアヤカは心の中で思った。「お父さんの気持ちは今になって私もよく分かるわ。ストリップ好きになって、お父さんの遺伝子が私の中にあるのを感じるもの。」

 

 

Ⅶ. 骨まで愛して

 

 サワティは話を続けた。

「彩乃さんが話していた『死者の日』のことがよく分かったよ。死者の魂を慰めるという点では日本のお盆によく通じるけど、さすがメキシコは雰囲気が全く違う。すごくカラフルでポップな感じ。派手な飾り付けに、陽気な音楽。とにかく明るい。中南米は気候的な面もあるだろうし、抑圧された長い歴史も影響していると感じたね。

 しかも、さすがディズニーだね。その死者の日をこれだけファンタジックに描けるのだからね。

 なにより、ガイコツの表情が豊かでビックリしたよ。一見ガイコツなんてみんな同じ顔に見えるようなもんだけど、一人一人の表情が違うように描かれている。生前が美人なら美人に見えちゃう。人間が人前で表す表情(かお)や外見は、かなりの部分を骨が担っていることを改めて感じたよ。映画では、ガイコツの中にある目玉のコミカルな動きがまた良かったねー。最高の演出だよ。」

 話がガイコツに言及して、サワティは最近観たというNHKスペシャル番組「人体」について話し出した。数話にわたる人体の特集であるが、その中で骨に関する話がある。骨といえば、単に体を支える棒っきれだと思いがち。ところが、骨の中にはたくさんの細胞がうごめき、なんと体全体の“臓器を若くする”ための「特別な物質」を出していることが、最新の研究でわかってきた。骨は単なる棒っきれではなく、活動的に動く体を、メッセージ物質によって応援してくれている、そんな仕組みを備えた立派な臓器だと言う。そのメッセージ物質を「スクレロスチン」と呼ぶようだけど、医学専門的な話はこれ以上は言及しないね。

よく、老人が年老いて骨折すると途端に動けなくなり死期が近づく。まさしく、若さを保つコツにある。

サワティがいつも若々しくいるのはストリップのお陰だと言う。若い女性の裸体を見て興奮することほど男性にとっての老化防止はないだろう。ストリップによって骨からたくさんの若さを保つメッセージ物質が出ているんだ。きっと魂というのは骨のメッセージ物質に通じている。

思うに、人は死んだら魂になって死後の世界に行くという思想は世界共通だけど、日本と中南米では、その魂の表現方法が違う感じ。日本では一般的には人は死んだら身体を失って人魂になる。時に生きた人間の恰好で幽霊になることもある。ところが中南米ではそれがガイコツで表現される。つまり、魂とガイコツは同義なんだね。サワティがいつも「ストリップで魂を重ねたい」と言っているのは骨に通じているんだ。

サワティは最後に、アヤカに「君のことを‘骨まで愛したい’」と言った。アヤカはその言葉に骨までしびれた。

 

アヤカは改めて自分にはステキなお父さんがいると思った。いつの日か、ストリップ嫌いの母にストリップの魅力を理解してもらい、お父さんのことを許してもらいたい。そのために私が力を尽くす。踊り子を経験した私なら必ずできるはず。私がもう一度すてきな家族の絆を取り戻すんだ。

その日がいつになるか分からない。私が踊り子を引退する日かもしれない。

それまではお父さんがリボンさんとして私の側にいてくれる。・・・

 

いつもサワティが言っている「大好きな踊り子に魂を重ねたい」という気持ちを受け止めつつ、中条彩乃は今日もステージに立っている。

 

                                   おしまい