今回は、京都DX東寺所属の踊り子・葵マコさんについて、H29年7月結の渋谷道劇の周年週模様を、9周年作「アルプスの少女ハイジ」を題材に話します。

 

 

 

さっそく9周年作『アルプスの少女ハイジ』の内容をご紹介する。

最初に、あの有名なアニメのオープニング曲「おしえて」に乗って、しかもアニメのオープニング場面と合わせてブランコに乗って現れる。この登場の仕方に驚く。

衣装もアニメに合わせている。赤いリボンを巻き付けた麦わら帽子。黄色い袖の、赤いワンピースを着る。胸元にはクロス紐。銀のベルトを腰に巻く。裸足で踊る。

定番のコスプレ衣装から着替える。今度は白いワンピース。丈が短く白いズロースが見える。相変わらず裸足。ちなみに、ハイジのアルプスでの生活はいつも裸足。靴は履きません。山靴が一足あるのですが、それは冬しか使いません。岩場のある山の上の牧場(まきば)に行くときでも裸足。

二曲目が面白い。neco眠るというバンドの曲「猫がニャ~て、犬がワンッ!」。neco眠るは、元々は歌のないインストバンドだが、そのバンドに二階堂和美が参加してボーカルを務めたのがこの「猫がニャ~て、犬がワンッ!」。二階堂和美が歌うと変に説得力がある。(ちなみに彼女はジブリに見いだされ、映画「かぐや姫の物語」の主題歌「いのちの記憶」を歌っている。)

猫みたいな顔をした犬が吠える

愛の歌は歌わない 歌わなくても届くから

猫がニャ~て鳴くように 犬がワンッて吠えるように

わたしはわたしの鳴き声を持って 会いに行こう

この歌詞は、私にはひとつの哲学のように響く。まるでハイジの生き方だね。都会の生活に馴染めず、アルプスの大自然を生きる場とするハイジらしい生き方と思える。

また、その後のインスト選曲が渋いね。二曲とも京都の音楽グループで、京都に詳しいマコさんらしい選曲だね。ひとつはA-uxというグループのアルバム「Sound of KYOTO~すきま~」の中から曲「テクノ・ヨーデル」。もうひとつは未だ多くの謎に包まれる京都発のドローン・サイケデリア・ユニットSupersize me(スーパーサイズミー)というバンドの曲「Ophelia」。

ベッドへ移行。雄ヤギの模型を連れてくる。首に赤い鈴が付いている。アニメ「アルプスの少女ハイジ」に登場する「ユキちゃん」か。

マコさんがヤギの頭や身体を優しく撫で、両手で耳を掴み水平にパタパタさせ、そしてピンと上向きの尻尾をむんずと掴んでしこしこする。興奮してきたマコさんがヤギにキスをする。そして盆の上で裸になり、自分のおっぱいをヤギに舐めさせる。マコさんは気持ちのいい顔をします。次に、お尻を舐めさせます。マコさんはうっとりした顔をします。次に、あそこを舐めさせます。マコさんは悶えます。このシーンが強く印象に残る。創作童話に使っちゃえっ!

最後に、ブランコを使って空中芸を披露。このエアリアル、なかなかの腕前である。ふつうの人だと一旦くるくる回ったら止められないもんね。相当練習したんだろうな。逆さまになって開脚ポーズを決める。すごく様になっている。ちなみに、このブランコも吊り金具がハンガー状になっており苦労して手に入れたものらしい。

ラストの曲は、ハイジサントラからと、交響詩アルプスとハイジ(編集した)の二つ。選曲にもマコさんの汗の結晶を感じる。

この作品、マコさんの可愛さが前面に出ているが、相当苦労した産物であると感ずる。

 

 

私はこのレポートを執筆するにあたり、ネット検索でアニメ全52話のあらすじを斜め読みした。改めて本作は名作中の名作アニメだと感じた。極めて児童文学的な要素が強く、子供向けの教訓が散りばめられている。自然の厳しさと美しさ、人や動植物への思いやり、本当の優しさ、失敗と成功、努力することの大切さ、など生きる上で大切なことを分かりやすく教えてくれる。大人も観るに値するアニメである。

1974年(1月6日〜12月29日)に放送されており、私は中高生だったのでリアルタイムには観ていないが、これをリアルタイムで見ていた女の子は成長過程で大きな影響を受けたに違いないなと思うし、このアニメに出会えて本当に幸せだと羨ましく思える。

この作品を監督として制作した高畑勲は高い評価を受け、その後、児童文学を原作とする「名作アニメ」をシリーズで制作し「フランダースの犬」「母をたずねて三千里」「赤毛のアン」「あらいぐまラスカル」も手掛けることになる。

 

アニメ「アルプスの少女ハイジ」について色々調べたので紹介しておく。

このアニメは、スイスの作家ヨハンナ・スピリの小説『ハイジ』を原作としている。1880年にまず1~14章が出版されて話題となり、翌年にその続編として現在の15~23章が出版され、現在は二つを合わせて『ハイジ』として全世界で愛読されている。

製作は瑞鷹エンタープライズ(当時)の子会社、「ズイヨー映像」。社長の高橋茂人は本作を創るためにこの会社を興している。

この作品を制作するに当たり、スタッフは海外現地調査(ロケーション・ハンティング)を約1年間行った。制作のための現地調査で1年もいるなんて、当時では考えられないことだった。調査には、高畑勲、宮崎駿、小田部羊一らが参加しており、彼らは原作に描かれた現地の風景や生活をせっせとスケッチして歩いた。その成果が作品作りに生かされる。本作の熱狂的ファンを自称する池田香代子が、知り合いのドイツ人のおじさんに「これが日本で製作された作品だとは思わなかった」と言われたと後に語っている。欧州の人が驚くほどの写実力だったわけだ。本作以降、世界名作劇場では制作前の海外現地調査が踏襲されることになる。

それにしても、今やジブリの二大巨頭になった、高畑勲氏と宮崎駿氏の二人がこの作品に参加しているのが凄い。高畑勲氏が総監督で演出を担当、宮崎駿氏が画面構成を担当。

後に、宮崎駿は対談の中で高畑作品の中で最高傑作はアニメ「アルプスの少女ハイジ」であり、この作品はもっと高く評価されるべきだと語っている。私もその通りだと思う。

 

葵マコさんのお陰で、アニメ「アルプスの少女ハイジ」に関心を覚え、とうとうストリップ童話まで創ってしまったよー。このレポートと童話を感謝の気持ちを込めて9周年記念としてプレゼントさせて頂きます。

 

平成29年7月31日                         渋谷道劇にて

 

【参考】Wikipediaより

 

■アニメ「アルプスの少女ハイジ」のあらすじ

 

幼い頃に両親を亡くし、5歳になるまで母方の叔母のデーテに育てられたハイジは、デーテの仕事の都合で、アルムの山小屋にひとりで住んでいる、父方の実の祖父であるおじいさん(アルムおんじ)に預けられることになる。ヤギ飼いの少年ペーター、ペーターのおばあさんなどの人々。子ヤギのユキちゃん、おじいさんが飼っている犬のヨーゼフやヤギのシロ・クマ、樅の木を初めとした、大自然に生きる動植物達。厳しくも優しく、懐の深さを感じさせるアルプスの大自然。何より、共に暮らすおじいさんを通じ、ハイジは様々なことを知り、学び、健やかに育っていく。

 

だが、ハイジが8歳になったある春の日、デーテが再び山を訪れ、ハイジをフランクフルトの貿易商・ゼーゼマン家に連れていくと言う。デーテに騙されフランクフルトへ向かってしまったハイジ。ペーターやペーターのおばあさんは悲痛な声をあげるが、おじいさんにはどうすることも出来なかった。

フランクフルトでハイジを待っていたのは、足が不自由で体の弱い少女・クララとゼーゼマン家の人々であった。執事のロッテンマイヤーはハイジを愛称でなく本名のアーデルハイドと呼び、厳しい躾や勉強を強制、アルムの話題を禁止する。クララやゼーゼマン(クララの父)、おばあさま(クララの祖母)、クララの主治医、使用人のセバスチャンなど、心の支えはあったものの、ハイジはなかなかフランクフルトでの生活に馴染むことができないが、あまりアルムのことを口にするとクララが心配するため、アルムへの切ない思いを無理に押し殺すようになる。

やがてハイジは、アルムの故郷を思うあまりにホームシック(強い帰宅願望)にかかり、それによる夢遊病の状態となってしまう。ハイジを診断したクララの主治医は、ただちにハイジをアルムへ帰す様に指示する。こうして、ハイジは夢にまで見たアルムの山へ帰れることになった。

アルムの生活ですっかり元気になったハイジのもとへ、クララからの手紙が届く。ハイジが是非来てほしいと願っていたアルムへ、クララが行きたいと言う内容であった。クララは静養を目的として滞在することになったが、おじいさんとハイジに促され歩く練習を始める。

 

■原作とアニメの違いについて

 

 原作とアニメの違いについて面白い考察がある。

スイスでは原作に忠実に合わせた白黒TV映画が製作されて放映されているが、日本のアニメは放映されていないし、今後も放送予定はない。というのは、日本のアニメは原作とかなり違っているために現地の文化人を中心とした原作ファンが納得しないため。

原作は極めてキリスト教的な色彩が強く描かれ「信仰の大切さ」がテーマとなっている。これに対して、日本のアニメは宗教的な色彩を極力排除している。むしろ、自然礼賛など日本の神道思想が反映されているともいえる。

原作との違いとして、アニメではセントバーナード犬が登場する。アルプスには犬が似合うという日本流の勝手な解釈だが、ヨーゼフという神の名前を犬に付けてキリスト教を冒涜しているとスイス人は怒っている。

いつも目を大きく見開いているハイジの描写など、アニメには日本流アニメの「かわいい」という価値観が取り込まれていることを毛嫌いする向きもある。

しかし、アニメ版でのクライマックスシーンのクララが立てるようになるまでのエピソードは原作にはない。他にもたくさんの原作にないエピソードが挿入されている。そう考えれば、アニメは原作とは全く別物と捉えることもできる。

いずれにせよ、日本のアニメは全世界で受け入れられた。この事実は否定できない。従って、原作のハイジとアニメのハイジと二つが存在すると考えた方がいいと思う。

 

■オープニング曲「おしえて」秘話

 

作詞 - 岸田衿子 / 作曲 - 渡辺岳夫 / 編曲 - 松山祐士 / 歌 - 伊集加代子&ネリー・シュワルツ(ヨーデル)

曲の始めに流れるホルンとハープの音色に続き、ヨーデルのコーラスに導かれて始まる。ハイジが大きなブランコで雄大なアルプスの山々を背景に漕いでいるシーンが出てくる。歌詞の中では、ハイジの日常生活での「なぜ、どうして」といった好奇心を、アルムの山で共に暮らすおじいさんに問いかける形で歌となっている。

録音は日本での録音にスイスで現地録音したヨーデルとアルペン・ホルンをミックス・ダウンするというものになっている。当時の常識では、アニメ音楽のために多額の費用をかけて海外録音をするというのは前代未聞だったと、本作の担当音楽ディレクターだった木村英俊は後に語っている。当時、主題歌を制作したコロムビア社の経理部長は、木村に対して「スイスに遊びにいくんだろう」と毒づき、海外録音の経費を出すことを拒否した。そのため木村は、自腹を切ってミキシング・エンジニアを連れてスイスに行かねばならなかった。こうして完成したこの曲は大ヒットした。くだんの経理部長は、その後、木村と「なんでも相談を聞いてもらえる関係」になったという。

主題歌のシングルは日本で120万枚を売り上げた。ヨーロッパでもミリオンセラーになったという。1974年の第2回FNS歌謡祭の特別賞を受賞した。伊集加代子によるセルフカヴァー版(ヨーデル - トミー藤山 / 編曲 - 佐藤亘弘)も存在する。2008年には大橋のぞみがアルバム『ノンちゃん雲に乗る』でカバーした。

 

                              H29.7渋谷道劇にて

 

 

 

『ストリップの少女ハイジ』 

~葵マコさん(DX東寺所属)の9周年作「アルプスの少女ハイジ」を記念して~

 

 

アルプスの少女ハイジもお年頃になりました。

あらためて登場人物たちの年齢をおさらいしましょう。ハイジが初めてアルムの山にやってきたのは5歳のとき。そのときヤギ飼いの少年ペーターは11歳。だからペーターはハイジの6歳上。ちなみにアルムおんじは当時70歳でした。クララはハイジが8歳のときに初めて出会い、そのとき12歳でした。だからハイジより4歳上で、ペーターより2歳年下ということになります。だから、ハイジが年頃になれば、ペーターもクララも、もっと早くから年頃になっている計算になりますね。

あれから12年が経ちました。ハイジは17歳になりました。ということは、ペーターは23歳、クララは21歳になっていました。

 

ご存知のように、脚の不自由なクララはアルムにやってきて歩けるようになりました。そのとき、ハイジは9歳ですからクララは13歳でした。

歩けるようになったクララは一旦フランクフルトに帰ります。クララはアルムの山の冬の寒さに耐えられないので、フランクフルトで歩く練習をしなければならないのでした。でも来年の春には必ず戻ってきて自分の足で歩いて山の牧場まで登れるようになっていると二人に約束するのでした。

クララは来年の春には、きっとアルムの山に行き、ハイジやペーターと一緒に自分の足で歩いて山の牧場まで行こうと希望に燃え、家の階段を上り下りする訓練をやりました。そして、とうとうその夢を叶えられるほどに脚は回復しました。

それからは、毎年、クララは夏休みにはアルムの山に行き、ハイジとペーターと一緒に夏を過ごしました。

 

いつしか、ペーターはクララに恋心を抱き始めます。

誰が見てもペーターにはハイジがお似合いでした。同じアルプスの山々で育った環境、そしてアルムおんじもペーターのおばあさんも二人が結ばれることを願っていました。

しかし、月日は人の心を変えていきます。以前は、大好きなハイジをクララにとられたと嫉妬して、クララの車椅子を壊してしまったこともあるペーターでした。ところが一緒に遊ぶうちに、ペーターは都会育ちのお嬢さんであるクララに強い憧れを持ちました。三人でハイキングに行き、脚の不自由なクララをずっと背負って山を登りました。男というのは弱い女性に自然に惹かれていくものです。「おれが彼女を支えてあげたい」と。クララとしてもそのときのペーターの背中を忘れられなかったのでしょう。お互いが惹かれ合うのも自然な流れですね。

ハイジは内心ではペーターを強く意識していましたが、ペーターのクララを想う恋心を応援しようと考えました。大好きな親友クララの相手ですからハイジに迷いはありませんでした。

 

アルムおじいさんは昨年老衰で亡くなりました。ハイジが16歳で、アルムおんじは既に81歳の高齢になっていました。

ペーターの方も、すでにおばあさんは亡くなって、一人暮らしをしていました。

お互いアルムの山の中で独りぼっちの生活をしているハイジとペーターは、次の人生の選択が待っていました。二人が夫婦になってアルムで生活するか、あるいはアルムを捨てて山を下りるか。

ペーターは山を下り、クララと結婚することを決めました。ぺーターは田舎育ちでしたが、クララのお父さんを始めゼーゼマン家の人々はぺーターの人柄を知っていたので二人の結婚に大賛成でした。盛大にお祝いが行われました。もちろんハイジも結婚式のお祝いに招待されましたがハイジの心の内を知る人は誰もいませんでした。

 

ハイジも山を下りる決心をしました。あれだけ大好きだったアルプスの山々。たくさんの思い出のつまったアルムの山。だからこそ逆にペーターのことが思い出されて辛くなるハイジでした。

ハイジは教養もなかったので、健康な身体を使った仕事として、ストリップを選びました。年頃で綺麗になったハイジですから結婚相手に不自由はなったはずです。しかしぺーターに失恋したこともあり、もう他の人と結婚する気はなく、多くの男性たちに喜んでもらえる職業としてストリップを選んだのでした。

アルプスの山々を動物たちと過ごしたハイジは、まるでカモシカの足のようにすらりとした脚線美をしていました。足だけではなく、全てが健康そのものの輝く肉体美をしていました。容姿もきれいなったハイジは劇場経営者から一目で気に入られ、すぐにデビューすることになりました。

ところがハイジは踊りが全くできません。いずれ習って踊るにしても、すぐにステージで観客を満足させることはできません。そこで劇場経営者と相談して「獣姦ショー」の企画を考えました。相手はヤギです。ハイジはペット代わりに山から一匹の子ヤギを連れてきていました。名前は「ユキちゃん」。雄のヤギです。

そう、このヤギはハイジが初めてアルムに行ったときに仲良しになった子ヤギのユキちゃんの子孫なんです。乳の出が悪くて殺されそうになったユキちゃんを幼いハイジとぺーターが助けた記憶がよみがえりますね。

 

さて、ステージにおける二人(いや一人と一匹か)の企画もの「獣姦ショー」は次の通り。

最初に、ハイジはアルプスの赤い衣装を着て、名曲「おしえて」の音楽にのって登場。なんと舞台にブランコが設置しています。ハイジは運動神経が良いので、ブランコを使って空中芸を披露しました。逆さまになって開脚ポーズを決める。やんやの喝采。

次に、衣装を脱いでヌードを披露。アルプスの山々の中で育ったハイジのヌードはビーナスの輝きを放ちます。ストリップファンはそれだけで垂涎の歓びよう。

そこで、ヤギのユキちゃんが登場します。ユキちゃんはたくさんのお客さんを前に少し興奮気味。ハイジはユキちゃんの頭や身体を優しく撫で、気持ちを宥(なだ)めます。ユキちゃんの気持ちが落ち着いた頃を見計らって、戯れ出す。ハイジは両手でユキちゃんの耳を水平にパタパタさせたり、ピンと上向きに立っている尻尾をむんずと掴んでしこしこする。興奮してきたハイジがヤギに抱きついてキスをする。

そしてバターを使ったプレイを始めます。ハイジは盆の上で裸になり、自分のおっぱいにバターを塗ります。それをユキちゃんが舐めます。「ユキちゃん、くすぐったよぉ~」と言いながらハイジは気持ちのいい顔をします。次に、ハイジはバターをお尻に塗ります。それをユキちゃんが大きな舌でぺろぺろ舐めます。「ユキちゃん、そこ、そこ、強く吸って!」ハイジはうっとりした顔をします。次に、ハイジはバターをあそこに塗ります。それをユキちゃんが長い舌を使って舐めます。「ユキちゃん、そんなに奥まで舌を入れないでぇ~」ハイジは悶えます。

最後のクライマックス。ハイジは雄ヤギの股間の白い茂みの中をまさぐります。いちもつを探し当て、それを掴んでしごきます。すると、ユキちゃんのピンクのいちもつがにょきにょきと顔を出し、大きくビーンと立ちました。ハイジはそれを舌でちろちろしながら口に咥えます。そして、頃合いを見て、そのいちもつを掴んで自分の秘部に入れました。バックスタイルのまま腰を動かします。動物とはこのスタイルが自然ですね。ユキちゃんが大きな声で「メエ~」と雄叫びを上げます。(ハイジのテクニックが「うんめぇ~」と褒めたのでしょうか。) 果てたようです。

ハイジとユキちゃんは観客に一礼をして舞台を降ります。観客は初めて観る「獣姦ショー」にやんやの歓声と拍手を送りました。

 

                                     おしまい