最近のジャニーズ騒動を見ながら、既に四年前に、ジャニー喜多川氏の訃報に接して私のストリップ日記に書いていたものを思い出した。以下に掲載しておきます。

 

 

 

2019年7月9日にジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川さんが亡くなるという報道が飛び込んできた。私は名前くらいしか知らないが、世間は大騒ぎになってる。

7月11日の新聞には、こんな記事が載っていた。ジャニー喜多川さんのトピックスだ。

<毎日新聞の「余禄」から抜粋>

「今日のオーディションは、終わり」。

宣言したのは先ほどから書類選考を通った数十人の少年に「飲み物は要らないか」とカップを配っていた中年男である。審査員席らしき正面の席は空席のままだった。

むろん男はジャニー喜多川さんだった。

黙ったまま受け取るもの、声掛けを無視する者、無駄話をやめない者、開始時間が話と違うのに文句をいう者は、その時点で失格になった(小菅宏著「アイドル帝国ジャニーズ 50年の光芒」)

写真撮影を拒み、公に姿を見せぬジャニーさんの素顔をどの少年も知らなかったころの話である。オーディションの合否は飲み物を受け渡す時のやりとりの印象で決まった。ご当人は「ぼくは素を見て判断する」と語っていたという。

歌って踊る男性グループのショーは米国で過ごした高校時代、バイト先の劇場でよく見た。最も人気だったのは50代のグループだが、ショービジネスが未開拓な日本では少年が一生懸命に歌い、踊る姿が共感を得られると考えたのだ。

最初は東京・代々木公園の少年野球に参集した4人――元祖ジャニーズから始まった男性アイドルのプロデュースだった。高度成長期から昭和バブル期、そして平成・令和へ、時代の波動とみごとに共鳴したアイドルの育成術である。

「ユー、やっちゃいなよ」。

日本のジャニーズ系に発した男性アイドルグループは今やアジアのポップスの象徴的存在である。底知れぬエンターテイメントの鉱脈を掘り起こした87年間の旅が今終わった。

 

<朝日新聞の「天声人語」から抜粋>

これほど名を知られていながら、これほど素顔を知られぬまま旅立った人も珍しいのではないか。訃報の写真のジャニー喜多川さんは、帽子をかぶり、サングラスをかけている。表情も年齢も読み取りがたい。

素顔や肉声をさらさない主義で知られた。同僚記者によると、取材には毎回、撮影不可と言う条件が付された。「劇場の客席で観衆の反応をつかむため、顔は公開したくない」などの理由が挙げられた。

「ユー、やっちゃいなよ」。そんな言い回しで知られたが、取材には折り目正しい日本語をゆっくり話し、敬語も丁寧だった。ジャニーズらしさとは何かと尋ねると、「品の良さ」と答えたという。

1931年、米ロサンゼルスに生まれた。幼くして、真言宗の僧である父の故郷・和歌山県へ移る。米軍の空襲下、紀ノ川に飛び込んで生き延びた。朝鮮戦争の際は、米軍側の一員として半島に滞在。戦災孤児らに米兵の衣類を洗う仕事を与え、自立を助けている。

ショービジネスの基本は、朝鮮戦争の前に暮らしたロサンゼルスで学んだ。高校や大学に通うかたわら、美空ひばりさんら日本から訪米する歌手の公演を手伝う。東京に移り、30歳でジャニーズ事務所を設立する。

フォーリーブス、シブがき隊、少年隊、SMAP、嵐、関ジャニ∞・・・。ジャニーズの誰が好きかを問えば、容易に世代を言い当てられる。人前では素顔を見せず、裏方に徹し、日本の大衆文化に新風を吹き込み続けた稀代のプロデューサーだった。

 

たしかに美談である。さらにネットで彼のことを調べてみた。

すると、数々の大物タレントやアイドルを輩出してきた偉人の訃報に、こうした多くの労いの言葉や功績を称えるコメントが報じられる中、ジャニー喜多川社長のタレントやジャニーズジュニアに対する性的虐待が一切報じられないことに対する疑問の声も挙がっていた。これには驚いた。詳しくこの事件を検索した。

 

□タレントに対する性的行為についての報道と裁判

(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

ジャニーが同性愛者(ゲイ、少年愛、ペドフィリア)であり、事務所に所属する男性タレントに対して猥褻な行為を行っているとの噂は、1960年代から散発的に報道されていた。

元フォーリーブスの北公次による『光GENJIへ』シリーズ(データハウス、1988年)

元ジューク・ボックスの小谷純とやなせかおるによる『さらば!!光GENJIへ』(データハウス、1989年)

元ジャニーズの中谷良による『ジャニーズの逆襲』(データハウス、1989年)

平本淳也による『ジャニーズのすべて―少年愛の館』(鹿砦社、1996年)

豊川誕による『ひとりぼっちの旅立ち - 元ジャニーズ・アイドル 豊川誕半生記』(鹿砦社、1997年3月)

元光GENJI候補の木山将吾(山崎正人)による『SMAPへ - そして、すべてのジャニーズタレントへ』(鹿砦社、2005年)

など、事務所に所属したタレントらにより事務所の内情を取り上げたいわゆる「暴露本」が出版された。1988年(昭和63年)- 1989年(昭和64年/平成元年)に『噂の眞相』がこの問題を数回取り上げた。なお、自民党衆議院議員(当時)・阪上善秀(元・兵庫県宝塚市長)が2000年(平成12年)4月13日にこの問題を衆議院で取り上げている。

1999年(平成11年)、『週刊文春』がジャニーズ事務所に関する特集記事、「ホモセクハラ追及キャンペーン」を掲載し、喜多川が所属タレントに対して同性愛行為を行い、事務所では未成年所属タレントの喫煙などがあると報道した。これらの記事は衆議院の特別委員会でも取り上げられ、これに対しジャニー側は記事が名誉毀損であるとして、文春に対し1億円あまりの損害賠償を要求する民事訴訟を起こした。

2002年(平成14年)3月27日の一審判決では東京地裁は文春側に880万円の損害賠償を命じた。文春側はこれを不服として東京高裁に控訴した。2003年(平成15年)7月15日の二審判決では、ジャニー側の所属タレントへの同性愛行為を認定した(矢崎秀一裁判長)。このため、同性愛部分の勝訴は取り消され、損害賠償額は120万円に減額された。ジャニー側は損害賠償額を不服として最高裁に上告したが、2004年(平成16年)2月24日に棄却され(藤田宙靖裁判長)、120万円の損害賠償と同性愛行為の認定が確定した。

また、『ニューヨーク・タイムズ』、『オブザーバー』などの世界各国のメディアでも取り上げられ、この問題をタブー視するなどして報道しない日本のマスメディアの姿勢を指摘した。

 

これには驚いた。スターを多数輩出した「偉人伝」やタレントとの「強い絆」など、華々しく美しいストーリーばかりが報道される中で、その背後には一体どんな真実があり、ジャニー喜多川の性犯罪や少年愛の対象となってきたアイドルやタレントは誰なのか気になるところ。

ネットには次のような記載がある。・・・

ジャニー喜多川の性犯罪被害者はメジャーデビューを果たす前の「ジャニーズJr.の少年たち」といわれています。なかでも驚きなのが20歳になる前の未成年の少年たちがジャニー喜多川さんに犯されていたということです。

現在ではジャニー喜多川さんの性犯罪者や少年愛の話題はメディア等でほとんど語られることがありませんが、性的虐待の詳細や被害者が誰なのかについてはこれまでの「裁判」と「暴露本」で明らかにされてきました。

性的虐待の被害者の中には暴露本を出版した元・光GENJIの木山将吾さんのほか、ジャニーズJr.時代のSMAPやTOKIOの候補メンバーも含まれているという噂があります。さらにジャニーさんの後継者として注目されている滝沢秀明さんも被害に遭っていたという説もあり「掘られた」少年たちは1人や2人ではないという可能性も囁かれています。

 

アメリカ帰りのジャニー喜多川さんなら、少年愛に走るのは想定内のことでしょう。

であれば、華やかな夢を追いかけて芸能界を目指した少年たちを食い物にしたジャニー喜多川さんの罪は大きい。個人的には許せないと思った。

まさしく「ジャニーズの光と闇」を垣間見た想いがした。