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【「ジブリにおける龍」の考察】

 

 ジブリと龍の関わりが気になって、いろいろ調べてみました。

 

■トトロが中国では「龍猫」と言われていることについて。

 

 龍そのそのではないのですが、トトロが中国では『龍猫(ロンマオ)』と呼ばれることを見つけました。(出典 : Yahoo!知恵袋)

 その話に入る前に、以前、アゲハさんにお渡ししたレポートの中で、トトロのモチーフは、北欧伝承に登場するトロルとも言われていることをお話しました。その後、トトロの名前については、宮崎監督の知人の娘が、「所沢のオバケ」を「ととろのざわのオバケ」と言ったことが由来にあるという説を見つけました。『となりのトトロ』は当初『所沢にいるとなりのおばけ』というタイトルだったこと、また実際に所沢には「トトロの森」があることを考えると、名前の由来はその辺にありそうですね。

 

 さて、本題に戻ります。

スタジオジブリ制作の『となりのトトロ』は、1988年公開の宮崎駿監督作長編アニメーション映画です。その『となりのトトロ』が、2018年、ジブリ作品として初めて中国で劇場公開されました。中国では、これまで外国の映画上映本数が厳しく制限され、ジブリ作品は過去一度も公開されませんでした。ただ、多くの中国人はDVDや違法ダウンロードで幼い頃に視聴し、ジブリ映画や宮崎駿監督は中国でも人気です。

その『となりのトトロ』の中国版タイトルは『龍猫(龙猫)』、読み方は「ロンマオ」と言います。

一体なぜトトロが「龍猫」なのでしょうか。由来としては、二つの説があるようです。

①「龍猫」はネコバス

龍猫とはトトロのことではなくネコバスを指し、トトロは、「多多洛(たたら)」と言うそうです。タイトルは『龍猫」となっていますが、龍猫とは猫バスのこと。(出典 : となりのトトロで中国語講座)

確かに、トトロ自身が「トトロ」と言ったことが本来の名前の由来なので、音を変えるわけにはいかないでしょうから、トトロが龍猫(ロンマオ)というのは違うかもしれません。

②龍猫はチンチラ

中国語で龍猫はチンチラを意味します。チンチラとは南米のネズミの一種で、その姿がトトロと似ていることから、題名も『龍猫』になった、という説もあります。

龙猫はもともとチンチラ(chinchilla)という南米のネズミの中国語名ですが、その姿がトトロと酷似していることから香港でトトロが「龙猫」と訳されたのがきっかけだそうです。

(出典 : Yahoo!知恵袋)

以上の二つが『となりのトトロ』の中国版タイトル『龍猫』の由来です。

 

  私はこの記事を読んで、なんか腑に落ちませんでした。

 単純に考えて、トトロを「龍のような猫」に見えたというのがいいと思えました。

 まず<猫>ですが、私にはトトロは体型的に狸に近いと思えます。しかし、狸は人間を化かす動物なのでイメージが悪い。だから人間にかわいがられる猫に見立てた。猫と言われれば、そう見えなくもない。(笑)

 中国ではパンダのことを熊猫(ションマオ)と呼ぶ。パンダは熊そのものであり猫には見えないが、親しみを込めて猫の字を付けているのだと思う。

 次に<龍>ですが、龍というのは中国では神獣です。トトロは子供にしか見えない=心の清らかな人間でないと見えない神聖な生き物、まさしくファンタジーな生き物です。しかも、空を飛べます。大きくて、子供たちを包み込み、しかも子供たちを乗せて空を飛びます。映画の中でも、最後の方でサツキとメイをお腹に乗せて空を飛ぶトトロのシーンは名場面です。こうしたイメージから<龍>という形容詞が付けられたのではないでしょうか。

 

■ジブリ作品に龍って出てきますか?  (My知恵袋を参照)

 

◇平成狸合戦ぽんぽこでは、狸が化けたものではありますが緑色の竜が少しだけ出てきます(おそらく名前はありません)。

 

千と千尋の神隠しでは、ハク(本当の名前はニギハヤミコハクヌシで、埋め立てられた川の神様)が白い竜に変身します。

ちなみにハク竜は竜としては小柄で、顔は犬っぽい(もののけ姫の山犬モロがデザインイメージだから)です。

龍のくねくねした形は河川がイメージのようです。時に河川は濁流となって流域を壊滅させる。その破壊的な力を龍に重ねているわけです。宮崎監督は感心するほどよく勉強されていますね。

⇒ハクはジブリに登場する男性キャラクターの中で一番人気があります。またハクが登場した映画「千と千尋の神隠し」がジブリで最も観客動員数が高く(私も映画館で観たジブリ作品はこれだけ)、最も評価が高い。それはハクという龍が登場したからではないかと不思議に感じられる。

 

◇ゲド戦記の登場人物テルーも竜に変身します。上記二作品の竜は身体が細長く、翼のない東洋的デザインですが、こちらは翼のある西洋的なものです。身体の色は黒く、金属のような鱗で全身がおおわれています。

⇒東洋の龍は翼がなくても空を飛べます。一方、西洋ではドラゴンと呼ばれ、翼を持ちます。東洋の龍は蛇のように細いので、くねくねと空を飛べます。ところが西洋のドラゴンは肥満体なので翼がないと飛べる気がしませんね(笑)。

 

 以上、三つ紹介されていましたが、もう一つありますね。

◇天空の城ラピュタに出てくる「龍の巣」です。

「龍の巣」はラピュタを覆っている巨大な低気圧の渦です。 風向きが逆である為、侵入しようとしても風の壁に粉砕されてしまう。ラピュタ人が地上に降りた際に、ラピュタに再び人が近づくことの無いように作られ、進入する事を困難にしました。

パズーの父が偶然この中に入り込み、ラピュタの撮影に成功している。

飛行石の首飾りを持つ者が望んで近づくと消滅し、白日の下に姿を現すようになっている。

イメージ的には巨大な入道雲(積乱雲)または竜巻。そのため、それらに対しても使われることがある。

 

そういえば「龍神雲」という言葉がありますね。その名の通り、龍の形をした雲のことです。空に細くたなびく雲が、まるで龍が空を飛んでいるように見えることから、龍神雲と呼ばれています。

龍が持つイメージは国によって違いますが、日本では古来から雨乞いの神として崇められたり、畏怖の対象とされたりしてきました。龍神を祀った神社も全国各地にあり、古くから人々の暮らしと密接に関わっていることがうかがえます。

龍が雲に姿を変えたような龍神雲は、龍神からのメッセージであると言われています。

滅多に現れない龍神雲を見たら、これからあなたに幸運が訪れるというお知らせかもしれません。

 

 

■   映画『千と千尋の神隠し』のハクを紐解く

 

ジブリ作品に登場する男性キャラクターの中でも1、2を争う人気キャラクターのハク。

映画『千と千尋の神隠し』は日本歴代興行収入第1位という人気作で、世界中にもファンがいます。私には、この映画が人気の高い理由は、このハクの存在があるような気がしてなりません。ハクの正体は龍です。龍の力が、この映画を頂点に押し上げたのです。

 

ハクは神様専用湯屋「油屋」の強欲な主人・湯婆婆の下で働く謎の美少年です。見た目の年齢は12歳ぐらいで髪型はおかっぱ、純白の上着に水色の下袴の童形「水干(すいかん)」を着ています。

いつの頃からか突然油屋にやってきて、魔女でもある湯婆婆の弟子になりたいと申し出たため、湯婆婆の手駒にされています。魔法か神通力(じんずうりき)らしきものを使うことができるようで、油屋に迷い込んだ千尋が見つからないように“人払い”をかけています。

その後ハクは千尋を元の世界へ返すため、陰ながら尽力しました。

 

ハクの普段の姿は平安時代の衣装・童形水干を着た美少年です。しかし、その本来の姿は純白の龍。湯婆婆がハクに、銭婆が持つ契約印を盗み出すよう命じた際は、銭婆に追われて重傷を負い、龍の姿に戻っています。昔から対立していた姉妹、銭婆と湯婆婆の争いに巻き込まれてしまったわけです。

そして、ハクの正体は千尋が以前住んでいた町に流れていた川「琥珀川(こはくがわ)」の主の龍神で、本名は「ニギハヤミコハクヌシ(饒速水小白主)」です。幼い千尋が川に落ちた際に、彼女の命を助けていました。千尋はその時にハクの本当の名前を知りますが、成長してハクと出会った時には、彼の名前を忘れてしまっています。その原因は諸説あり、現実世界で川が埋め立てられてしまったため名前を忘れた、父の仕事で転校を繰り返していため忘れた、など様々です。

ハクは湯婆婆の弟子になって魔女の契約をしたため、千尋と同じく名前を湯婆婆に奪われています。ハク自身も名前を奪われたことによって、自分の本当の名前を思い出せなくなっていました。

しかし物語の終盤、銭婆の家から油屋へ戻る際に、千尋は白龍姿のハクの背中でハクが「琥珀川」の主だったことを思い出します。千尋が琥珀川を思い出したことによって、ハクも本当の名前を取り戻したのです。

 

もう一度、千尋とハクの関係をおさらいしましょう。

幼い頃に千尋は琥珀川で溺れかけ、琥珀川の化身であるニギハヤミコハクヌシ(=ハク)に命を助けられています。そのためハクは以前から千尋を知っており、千尋が見知らぬ異世界に迷い込んだ時も、彼女が人間であることを隠したり、千尋が消えそうになった際も存在が消えないように手助けしたり、湯婆婆の元で働くためのアドバイスをしたりと陰ながら支えています。

千尋もそんなハクに対して、湯婆婆の支配の呪縛から解放させるためにニガダンゴを食べさせたり、ハクが銭婆から魔女の契約印を奪ったことを銭婆のところまで謝罪しに行ったりと尽力しています。さらに終盤では忘れていたハクの名前を思い出し、ハクが自分の本名を取り戻すきっかけを作りました。

これらのエピソードから、お互いに助け合いながら惹かれ合う関係がうかがえます。親しい友人以上恋人未満、厳しい世界を生き抜く同志といったところでしょうか。

 

ハクが千尋を元の世界に戻すために湯婆婆に交換条件を願い出た時、「八つ裂きにされてもいいのか」と脅されていました。湯婆婆は自分に反抗するのであれば、魔女の契約に従い罰を与えることを警告したわけです。

しかし、物語の終盤にハクが本当の名前を取り戻したことで、魔女の契約は効力を失って、湯婆婆の呪縛から解放されました。契約が消失したのならハクは千尋と同じく自由になり、八つ裂きにされる心配もないと考えられます。

ハクは千尋を元の世界への道まで送り届けた別れ際、「私は湯婆婆と話をつけて弟子をやめる。平気さ、ほんとの名を取り戻したから。元の世界に私も戻るよ」というセリフを残しています。しかしその後、ハクが人間界に戻れたのかどうかは全く描かれておらず、不明です。ファンの間では、ハクは湯婆婆に八つ裂きにされる運命を受け入れたのではないかという説もあるので、ハクが千尋の背中を押すために嘘をついたとも考えられます。そう見ると非常に切ないセリフにもとれます。であればこそ、ハクは女性ファンの心を鷲掴みにします。

 

ハクは外見が白面の美少年の上、こうした千尋とのやりとりを見ていると、女性ファンの心をつかむのは当然のことでしょうね。

フィギュアスケート界のスーパースターである羽生弓弦選手が、右足首の怪我が心配されたにもかかわらず平昌オリンピックに出場し見事にソチに続きオリンピック二連覇を果たしました。その時に着ていた衣装によく似ているため、ハクは羽生選手とイメージがダブルと噂されることがあります。

羽生弓弦選手はまさしく金の龍なのだと思う。彼のジャンプは龍の如く高く舞い上がる。だから金の龍としてオリンピック二連覇という偉業を成し得たのだ。しかも、フィギュアスケートは冬季オリンピックの花形競技である。この競技での金メダルは他の競技と比べものにならないほど輝きが違う。羽生弓弦選手はまさに別格の金の龍なのだと思う。

一方、映画『千と千尋の神隠し』は日本アニメを代表とする作品であり、宮崎駿監督を世界に知らしめた。宮崎駿監督も金の龍なのだ。そして、監督を世界に押し上げたのは、映画『千と千尋の神隠し』に登場するハク、白い龍なのだと感ずる。

私は自分の童話の中で、一般の龍は「黒い龍」で、稀に「金の龍」と「銀の龍」がいると話した。そのとき「白い龍」という概念はなかった。あえて、白い龍を登場させてきたところにも宮崎駿監督の凄さを感じた。もちろんハクには白い龍が似合う。

龍というのは黒い鱗におおわれ、自ら光を発しない、「黒い龍」が一般的なのだ。龍は目立たないように漆黒の闇や暗い水の底に潜む。白も同じく、自ら光を発しない。黒と白は同系色なのだ。ハクは琥珀川という名の知られていない小さい河川の龍だ。だから自ら光を発する、大河なる「金の龍」や「銀の龍」とは言えない。

しかし、ハクは「白い龍」を「金の龍」に押し上げた。そのため映画『千と千尋の神隠し』は世界に冠たる日本アニメの金字塔を打ち立てることができたのだ。

 

■ゲド戦記における「まことの名」

 

もうひとつ、私が映画『千と千尋の神隠し』で強く印象に残ったのが「まことの名」という点です。

千尋は油場で働くことになり、湯婆婆と契約書を取り交わします。そのとき、自分の名前を書き間違えます。荻野千尋…と書いてあると思いきや、荻の字が間違っています!本来“火”と書くべきところが“犬”になっています。千尋が単に書き間違えただけなのか、それともわざと間違えたのか…すごく気になりました。結局、このお陰で契約書は無効になりました。

一方、ハクの契約書は名前を間違えていないため有効でした。ただ、契約した時点で、ハクは以前の本当の名前を忘れていました。最後に、千尋のお陰で本当の名前を思い出します。

だからハクは「私は湯婆婆と話をつけて弟子をやめる。平気さ、ほんとの名を取り戻したから。元の世界に私も戻るよ」というセリフを最後に言います。

私は、これらのエピソードを見て、ゲド戦記における「まことの名」を思い出していました。しかし、映画「千と千尋の神隠し」が童話「ゲド戦記」と繋がっていたとは夢にも思いませんでした。

 

 宮崎駿監督が「自分の作品は全て原作の『ゲド戦記』の影響を受けている」と語っているのを後で知り、私はすごく納得がいきました。

 私自身、初めて童話『ゲド戦記』を読んだとき、「まことの名」という点が頭から離れませんでした。

ゲド戦記の世界「アースシー」では神聖文字で表記される「真(まこと)の名前」が存在する。真の名を知る者はそれを従わせることができる。人は己の真の名をみだりに知られぬように、通り名で呼び合う。主人公を例に採ればゲドが真の名で、ハイタカが通り名である。

真の名(まことのな)  by出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

「アースシーにおいて、すべてのものを支配できるもの。砂の一粒、水の一滴まで森羅万象が真の名を持っており、真の名を知っていればそれを操ることができる。学院ではこの全てを覚えることも学業の一環として課される(24時間でページの一覧が消去される魔法仕立ての教科書がある)。魔法使いには真の名を探り出す術をもっているものもおり、ゲドは生まれつき真の名を探り出す術に長けている。

人間の場合、成人の儀式の際に、儀式に立ち会う魔法使いやまじない師の口を借りて洗礼の形で知らされる。通常は一生変わることはないが、強い力を持つ魔法使いであれば、(無理やり)新しくつけかえて相手を生まれ変わらせることもできる。また、自分の真の名を相手に知られると、たとえ魔法使いであってもその相手に対しては完全に無防備になる。そのため一般に、よほど信頼できる相手でない限り、真の名を他人に明かすことはない。」

 

 

■   ジブリ作品の中で、龍のイメージが一番濃いのは「ゲド戦記」である。

 

ジブリ「ゲド戦記」は、宮崎駿氏の息子・宮崎吾郎監督が手掛けた。宮崎駿監督は今回はスタッフに入っていない。鈴木敏夫マネージャーが宮崎駿を口説いて、宮崎吾郎に監督をやらせた作品だ。

この作品はかなり難解だ。原作「ゲド戦記」も難解でしかも長編であり、それを簡単に描くことなんてできない。私自身、若い頃に原作「ゲド戦記」を読み始め、途中でギブアップした思い出がある。そのため、ジブリ映画でどう描いたか、すごく興味があった。

以下、ゲド戦記について詳しく記載したい。

 

<目次>

1 ゲド戦記の原作とは?

2 原作 ゲド戦記のあらすじ

3 ジブリ「ゲド戦記」のあらすじ

4 ゲド戦記のテルーの正体とは?

5 ジブリからのメッセージ

 

ゲド戦記の原作とは?

『ゲド戦記』(ゲドせんき、Earthsea)は、アーシュラ・K・ル=グウィン(1929年10月21日 - 2018年1月22日 88歳没)によって英語で書かれ、1968年から2001年にかけて出版されたファンタジー小説。「戦記」と邦訳されているが戦いが主眼の物語ではなく、ゲドが主人公として行動するのも最初の一巻のみである。原題も作品世界を意味する『Earthsea』(アースシー)となっている。全米図書賞児童文学部門、ネビュラ賞長編小説部門、ニューベリー賞受賞。

英語圏におけるファンタジー作品の古典として、しばしば『指輪物語』『オズの魔法使い』と並び称される。文学者マーガレット・アトウッドは『ハリーポッター』や『氷と炎の歌』など近年流行した幻想小説に影響を与えた作品として、ゲド戦記一巻の『影との戦い』を挙げている。

 

アメリカの女優作家アーシュラ・K・ル=グウィンの同名小説で、「指輪物語」「ナルニア国物語」と並ぶ世界三大ファンタジーとして世界中で愛されています。原作は全6巻。

ジブリ「ゲド戦記」では、第3巻「さいはての島へ」がベースにはなっているが、もう1つの原案になっているのが宮崎駿氏が執筆した絵物語「シュナの旅」。

ジブリ「ゲド戦記」は宮崎吾朗監督・脚本の独自解釈によるストーリーとなっている。しかも、絵物語『シュナの旅』がキャラクターイメージの元となっている。監督の宮崎吾朗は「『シュナの旅』の登場人物に少しずつアレンジを加えていって…『ゲド戦記』の世界に近づいた感じです」と語っている。

 

原作 ゲド戦記のあらすじ 引用元:Wikipedia

この世で最初の言葉を話したセゴイによって海中から持ち上げられ創られたと伝えられる、太古の言葉が魔力を発揮する多島海(アーキペラゴ)、アースシーを舞台とした魔法使いゲドの物語。アースシーのうち、主にハード語圏では森羅万象に、神聖文字で表記される「真(まこと)の名前」が存在し、それを知る者はそれを従わせることができる。人は己の真の名をみだりに知られぬように、通り名のみを名乗る。主人公を例に採ればゲドが真の名で、ハイタカが通り名である。

 

影との戦い

第1巻は、ゲド(ハイタカ)の少年期から青年期の物語。ゲドは才気溢れる少年であったが、ライバルよりも自分が優れていることを証明しようとして、ロークの学院で禁止されていた術を使い、死者の霊と共に「影」をも呼び出してしまう。ゲドはその影に脅かされ続けるが、師アイハル(オジオン)の助言により自ら影と対峙することを選択する。

こわれた腕環

第2巻は、カルガド帝国が舞台。アチュアン神殿の巫女テナー(アルハ)が中心の物語。名前(自己)を奪われ、地下の神殿の闇の中で育てられてきたテナー。しかしそこに、二つに割られ奪われた「エレス・アクベの腕輪」を本来あるべき場所に戻し、世界の均衡を回復しようとする魔法使いゲドが現れる。少女の自己の回復と魂の解放の物語でもあり、ゲドとテナーの信頼、そして愛情の物語としても読める。

さいはての島へ

第3巻では、大賢人となったゲドが登場する。世界の均衡が崩れて魔法使いが次々と力を失う中、エンラッドから急を知らせて来た若き王子レバンネン(アレン)と共にその秩序回復のため、世界の果てまで旅をする。

帰還

第4巻は、ゲド壮年期の物語である。ゲドは先の旅で全ての力を失い、大賢人の地位を自ら降りて故郷の島へ帰ってきた。そこで未亡人となったゴハ(テナー)との生活が始まり、さらに親に焼き殺されかけた所を危うく救われた少女テハヌー(テルー)が加わる。ところがかつて大賢人であったゲドと、元巫女のテナーの2人は故郷の一般の魔法使いにとっては目障りでしかなく、3人の「弱き者」たちを容赦なく悪意に満ちた暴力が襲う。魔法の力を失った後に見えて来るアースシーの世界を覆う価値観とは、一体何なのか。それを作者自らが問いかけている作品とも言える。

アースシーの風

第5巻は、かつてゲドと共に旅をし、アースシーの王となったレバンネン(アレン)や、ゲドの妻となったテナー、その二人の養女となったテハヌー(テルー)が物語の核となっていく。竜や異教徒のカルガド人によって、従来の正義であった「真の名」という魔法の原理への批判が行われ、これまで作り上げられてきたアースシーの世界観を根本から壊していくような物語構造となっている。女の大賢人の可能性や世界の果てにある理想郷、また死生観への再考、長年敵対していたカルガド帝国との和解も暗示。テハヌーと竜との関わりも明らかにされ、確実に物語の中心はゲドからレバンネン、テハヌーの世代へと移り変わってきている。

ゲド戦記外伝(ドラゴンフライ) アースシーの五つの物語

 

ジブリ「ゲド戦記」のあらすじ   引用元:金曜ロードSHOW!

「魔法」が日常的に存在する多島海世界「アースシー」。そこでは人間の住む世界に現れるはずのない竜が突然現れて共食いを始め、魔法使いが魔法の力を失うなど、異常事態が次々に起こっていた。その原因を探って旅を続けていた「大賢人」と呼ばれる魔法使い・ゲド、通称ハイタカは、ある日、エンラッドの国王である父を刺し、国から逃げている途中だった王子・アレンと出会う。アレンは、世界を覆いつつある「影」に怯えていた。

ハイタカと共に旅をすることになったアレンは、美しい港町、ホート・タウンに到着。しかしその街もかつての輝きを失い、麻薬や人買いが横行していた。そんな街角で人狩りのウサギの襲撃を受けていた少女・テルーを助けようとしたアレンは、ウサギに襲われ囚われの身に。ハイタカは奴隷として売り払われそうになっていたアレンを救出。そしてハイタカの昔なじみの巫女・テナーの家を訪れたアレンは、テルーと再会する。

テナーの家で畑仕事などを手伝う中で、少しずつ人間らしさを取り戻していくアレン。そんなアレンにテルーも少しずつ心を開き始めるが、アレンが自ら生み出し彼に付きまとう「影」は彼の心をむしばんでいく。そんな中ハイタカは、世界の均衡が崩れかけている元凶が魔法使いの・クモであることを察知。過去のある出来事からハイタカを恨み続けているクモは、アレンの心の中の「影」を利用してハイタカを倒そうと決意するのだが…!?

 

ゲド戦記のテルーの正体とは?

テルーは物語の最後でドラゴンになります。あまりに突然すぎて(いや、途中に伏線はありましたが)なぜ?と疑問に思った方も多いはず。

「人は昔、龍だった」

「かつて人と竜は一つだった」

「龍族の一部が人間になる道を選んだ」

ジブリ版や原作のゲド戦記にも記されていた文言から、テルーは龍族の子孫で人になる道を選んだ種族だったことがうかがえます。

ジブリ版の最後では目を見開いて何かの力に覚醒したように見えるテルー。それまでは自分が人ではない龍族の末裔だなんて知らなかった。だからこそ、それまでは人間界で普通に暮らせていました。クモに捕らえられ、意識を失ってはじめて龍の力に目覚めてしまった。

 

◇ジブリからのメッセージ

子供の頃は、無邪気に好きなことをして、好きなように過ごしていたはずが、大人になって一般社会で長く暮らしていると、好きなことも好きと言えず、イヤなことも断れないようになり、本来自分のしたいことに情熱を注げるはずが気づけば、死んだ魚の目のようなよどんだ瞳で毎日を生活してる。。。

もっと自分の力を信じて前を向いて生きていこうというメッセージにも取れる気がします。

⇒このメッセージは心に刺さる。

 私は60歳にして全てを捨てて、好きなことだけに夢中になりたいと思っている。もう残された時間は限られているから。

 

原作ゲド戦記では、竜のことを「アースシーに住む、人間とは異なる知的生物。人間より賢く、遥かに長命で、多くは人間を見下している。」「全ての竜は魔法を使う。」としている。

人類より遥か昔に、竜という知的生命体が存在していたと考えると面白いな。

 これを是非とも物語にしてみたい!