浅葱アゲハさんについて、令和元(2019)年11月頭の京都DX東寺の公演模様を、演目「it」を題材に、「表現者は感動を自分の形にする」と題して語る。
当日の出し物、1回目は新作「ゴジラ」、2回目は演目「it」、3作目は和物「kyoto」。
ちょうど2ステージ目が始まる直前に、MINAMIさんから「今週はアゲハ姐さんと『IT』ミッドナイト上映に行ってきたよ。」のポラコメをもらったばかり。2019年映画「IT イット THE END “それ”が見えたら、終わり。」が現在上映されているのは私も知っていた。前作の2017年映画「IT/イット “それ”が見えたら、終わり。」を私も観ていたので興味があった。そうしたら、アゲハさんのステージに赤い風船が登場している。ステージ内容は映画「IT」ではないものの、赤い風船のイメージが重なった。
すぐにアゲハさんに演目名と曲名を確認。「今公開してる映画『IT2』の(あくまでイメージな)出し物です。ほんとは怖いホラー映画だよ。ちょうど11/1に映画『IT2』が公開されたので久しぶりにやってます!」との返答に、思わずニヤリ。さっそく観劇レポートを書く気満々になる。(笑)
演目「it」は二年前、ちょうど2017年映画「IT/イット “それ”が見えたら、終わり。」が封切られてから作った作品のようだ。もしかしたらステージを拝見しているかもしれないが、正直云って、私はこの作品のステージを観た記憶がない。私は2017年映画も今年ビデオで観たばかりなので、当時は全く知らなかった。知らないために心が動かされず記憶にないのかもしれない。
アゲハさんは、2017年映画「IT」を観て、それをステージ作品に取り込んだ。自分が得た「感動」や「こだわり」を作品に昇華させるのは表現者の本能である。感動というのは読んで字のごとく「或る心が動かされた」と書く。心が動かされたり、ある事象にこだわらないと、表現する対象にはならない。アゲハさんが映画「IT」でどれだけ感動したかは分からないが、少なくとも‘赤い風船’が印象に残り、それを作品に取り入れた。(正直、私は2017年映画「IT」を観たけど、それほど感動はしなかった。でも、知識として得られたので、アゲハさんのステージを観て心が動かされた。)
心が動かされるためには、人は体験したり、知識を得なければならない。勉強はそのために必要だ。たくさん勉強する人はそれだけ感動が広くかつ大きい。私は自論として、子供には「感動学習」が大切だと思っている。人生の豊かさは感動の多さで決まるから。
そして、その感動を自分の形に表現できるのが表現者(アーティスト)なのだ。自分の形とは、文章でも、音楽でも、絵画でも、踊りでも、なんでもいい。表現者にとっては、それこそが生きた証になる。踊り子にとってはステージであり、私にとっては文章になる。
ステージ内容を書く前に、2017年映画「IT/イット “それ”が見えたら、終わり。」について簡単に触れておく。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
『IT』(イット)は、1990年のアメリカ合衆国のホラー映画。米国ではテレビミニシリーズとして2回に分けて放送された。物語前半は幼少時代、後半は大人になった現代のパートに分かれている。原作は1986年に発表されたスティーヴン・キングのホラー小説『IT-イット-(英語版)』。
2017年にリメイク。邦題は『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』。これは小説の前半に当たる。そして、小説の後半が、2019年映画「IT イット THE END “それ”が見えたら、終わり。」として公開中。
映画「IT」では、人間の弱さに付け込む不気味なピエロ、ペニーワイズに翻弄される人々を描く。ペニーワイズは、ボサボサの赤髪に赤い鼻といった道化師の出で立ちをした悪魔。対象を威嚇・捕食する際は鋭い牙を剥き出す。基本的には多感で夢を持つ子供のみに見え、恐怖を与えるほどに美味になることから様々な幻術(物体を自在に操る、相手の恐怖心を覚える姿に擬態する、血を含んだ風船を飛ばすなど)で対象を追い詰める。
ちなみに、ペニーワイズはトロールが出てくるノルウェーのおとぎ話「三びきのやぎのがらがらどん」をヒントに作られた。この点が私の興味を引いた。実は、この童話はジブリ映画「となりのトトロ」と関係が深い。映画「となりのトトロ」のエンドロールで、サツキとメイがお母さんから絵本『三匹の山羊』を読み聞かせてもらっているシーンがある。その絵本の表紙には、橋の上を渡る三匹のヤギと、それを下から見るトロールの姿が描かれている。ノルウェーでは、トロールはいたずら好きの妖精と認識されていて、物が突然なくなるとトロールのせいだ、と言われることもある。容姿は毛むくじゃらで巨大だそう。なんか大トトロと通じてますね。それに映画「となりのトトロ」に登場するトトロが、大トトロ、中トトロ、小トトロと3体いることも「三びきのやぎのがらがらどん」と共通してます。また、ペニーワイズは特定の子供たちにしか見えないが、トトロも子供にしか見えない点も同じだね。
小説のあらすじは次の通り。1990年のメイン州デリーで、子供だけを狙った連続殺人事件が発生する。デリーに住んでいたマイクは、事件現場近くでそこにあるはずのない男の子の古い写真を発見し子供時代にIT(あいつ)と呼んでいた奇怪なピエロ、ペニーワイズの仕業であると確信する。マイクはかつての仲間との約束を思い出し、30年ぶりに再会することになる。
アゲハさんは、16年目に入っている。これまでの踊り子人生で、たくさんの作品を作り、積み上げてきた。それらひとつひとつがアゲハさんの感動集。
アゲハさんの感動をただステージだけで観てそのまま流してしまうのは本当にもったいない。私なりに、その感動を受け止め、自分の形として文章に表してみたい。
ここ直近二年余りで、アゲハさんの、かなりの作品の観劇レポートを書いてきたが、演目「it」を拝見しながら、まだまだ観てない沢山の作品があるんだなぁ~と改めて感心させられた。これからもストリップを楽しみながら観劇レポートを書かせて頂きたい。
2019年11月 京都DX東寺にて
2019.11
『ピエロと赤い風船』
~浅葱アゲハさんの演目「it」を記念して~
ぼくが小さい頃の話。
ぼくの住んでいる家からは動物園が近かった。そのため両親がよくぼくを動物園に連れて行っていってくれた。ぼくの家は貧しかった。動物園の入場料は安いので、それが家族で楽しめる最大のレジャー。でも、ぼくは動物園があまり好きじゃなかった。
動物園の中は広い。動物園の隅の方に小さい遊園地がある。ただ、遊園地は別途お金がかかるので、ぼくがそこに行きたがっても、両親はいい顔をしなかった。
ある天気のいい夏の日、動物園の中を巡っていて、たまたま遊園地の近くを通った。ぼくが遊園地に入りたがると困ると思ったのか両親の足が速まった。
そこに突然、ピエロが現れる。白粉を塗った顔に赤い団子っ鼻という特徴ある顔。
「ぼうや、赤い風船はいらないかな?」と言って、たくさん持っている風船の中から、ぼくに赤い風船をひとつ差し出した。風船は風で揺れていた。
「ピエロさん、ありがとう」 ぼくはお礼を言って、赤い風船を受け取った。
喜ぶぼくの顔を覗きこむように、ピエロは言った。
「ぼくには、きみが求めているものが分かるよ~。きみは遊園地に行きたいんだね~。ちょうどタイミングよく、ここに遊園地の無料招待券があるんだ。きみにプレゼントしよう。」ピエロは遊園地の招待券をくれた。「今日は無料でなんでも乗り放題だよ。」
両親が丁寧にピエロにお礼を言っていた。
「ピエロさん、ありがとう!」 ぼくはお礼もそこそこに、遊園地に向かって駆けだしていた。前から乗りたいと思っていたジェットコースターやメリーゴーランド、そして観覧車など全ての乗り物を堪能した。
こんなに楽しいことはなかった。間違いなく、今まで生きてきて一番楽しかった。
このときの“ときめき”、そう最高に楽しい思い出・・・遊園地とピエロ・・・が、ぼくの脳裏深くに刻み込まれた。
いつしか、ぼくは大人になっていた。
ふつうに就職し、ふつうに結婚し、ふつうに子供を育てあげ、今やふつうの親父になっていた。ふつうに幸せだと思う。
しかし、なんか、ふつう過ぎて、面白くない。小さい頃に味わった、あの特別な“ときめき”が欲しいと思った。
ある夜、夢の中に、小さい頃に出会ったピエロが現れた。そして、「ぼくには、きみが求めているものが分かるよ~」と言う。「きみを“大人の遊園地”に連れて行ってあげよう。」
ぼくは、ある劇場に連れていかれた。そこはストリップ劇場だった。
入場したら、一人の踊り子がステージで踊っていた。その舞台の上に、赤い風船がひとつ置いてある。場内には風がないのになぜか風船は揺れていた。
踊り子の顔を見て驚いた。彼女はピエロのお面を付けていた。白粉顔に真っ赤な団子っ鼻。まさしくぼくを劇場に連れてきたピエロだ。
ピエロの顔をよく見ると、目の周りが青色で、目の下に涙のような銀色の星が並ぶ。金色の唇。ぼさぼさの赤髪。正直、仮面が怖かった。でも、仮面は笑っているようでもあり怒っているようでもあり、それでいて涙顔であることに不思議な感じを覚えた。
派手なお面を外すと、綺麗な女の人の顔が現れる。あまりの美しさに言葉を失う。
改めて、踊り子の名前を確認する。壁紙の香盤表に‘アゲハッチョ’とある。
お面と素顔のアンバランスに、また笑うピエロの涙顔に、ぼくは人生の悲喜こもごもを垣間見たような気分になった。すると、自分のこれまで歩んできた人生の様々な局面が断片ながら走馬灯のように流れた。ふつうの人生と云ったがやけに紆余曲折にも思えた。行き当たりばったりで生きてこなかったか。ぼくはたくさんの人と出会い、そういう人々の間を風船のようにふらふら生きてきただけではないのか。
ふと、揺れる風船の中に、悲喜こもごものエネルギーが充満しているような気がした。「これまでの人生、これでよかったのか」という悶々とした問いが投げかれられる。頑張って生きてきたつもりでいたが、全てが間違いであり、偽りのようにも感ずる。でも、何が正しく、何が間違いなのか、ぼくには分からない。
ピエロの仮面を見ていたら、どれが本当の顔で、どれが偽の顔なのか分からなくなる。仮面夫婦とはよく云うが、人は仮面を付けながら生きているのかな?とふと思った。本当の素顔は夫婦であろうとなかなかさらさないもの。こうやってストリップに来ていること自体、女房にも誰にも話せない。
でも、ストリップを観ていると“ときめき”を感ずる。この感情だけは本物だ。小さい頃に遊園地で感じた懐かしい感情だ。まさにぼくにとってストリップは「大人の遊園地」だった。
ステージの上の踊り子は、新体操のようにリボンをくるくると振り回した。これは遊園地の乗り物をイメージした「くるくる」。楽しく音楽にのって踊っている。赤い風船がリボンの風に合わせて妖しく揺れる。
ぼくにはそれが「くるくる巡る人生」と感じられた。くるくると回りながら、今はストリップ劇場に来たわけだ。風船を揺らすもの、それが縁なのかな。「人生いろいろ、悲喜こもごも」しみじみそう思う。
ぼくはピエロに導かれて、ストリップの魅力にのめり込んでいった。ストリップを観ているときのぼくは偽りのない自分だと思えた。
これから先、ぼくにどんな人生が待ち受けているのか、ぼく自身にも分からない。しかし、今はただ、この甘美な世界に浸っていたい。
おしまい