今回は「ストリップは空蝉(うつせみ)」という話をしたい。久しぶりに私のストリップ・エッセイとしてストリップ論を展開する。
世の中を 憂しとやさしと 思えども 飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば (万葉集)
万葉集の山上憶良の詩です。「世の中をつらい、肩身が狭いと思うけれども飛んで行くことはできない。鳥ではないのだから。」という意味。まさに読んだままの訳で、難しい言葉もなく、あえて言えば「憂し」はつらい、「やさし」は肩身が狭い・恥ずかしいと解します。
山上憶良には庶民の側に立った、優しい歌がたくさんあります。この歌も私が諳んじられる好きな歌です。(山上憶良については事後録としてゆっくり語りたいと思います。)
さて、確かに、この世の中は、生きていく上でつらいことがたくさんあります。そのつらさに耐えて私たちは生きていかなければなりません。
しかし、私は、ことストリップに出会ったお蔭で、毎日楽しく生きていけるようになりました。十日刻みのストリップ・カレンダーで、今週はどこに行こうかな!?とウキウキ気分。ストリップは死ぬまでの大切な趣味になりそう。
先日、ある劇場で早朝の順番待ちをしていたら、顔馴染みの方が来られ、いろいろ世間話をした。彼は54歳で早期退職をして今は平日ストリップ三昧しているとのこと。彼曰く、五年後の東京オリンピックの頃にはストリップが無くなっているかもしれない。だから、今のうち目いっぱい観ておきたいんだ!と話す。
彼も以前からストリップを生活のリズムにしている。大好きなストリップで人生の最後を飾りたいのか。それにしても、54歳でストリップ隠居とは早すぎる。いくら退職金があっても働かなくてはどんどん減っていくだろう。よく老後に不安を感じないなぁ~と他人事ながら思ってしまう。ふつうの人は一気にそこまで踏み切れないことだろう。
ともあれ、ストリップという趣味を見つけて、毎日を楽しく過ごしている男性はたくさんいる。平和な日本を象徴するストリップ通い、ささやかな庶民の幸せ。そう思えば、ストリップは決して悪いこととは思えない。
ときに、ストリップは蜃気楼だなと感ずることがある。
ストリップは男を竜宮城に連れていく。そこには絶世の美女である乙姫様が舞い踊る。舞台を見ながら酒を呑むこともできる。まさに酒池肉林の桃源郷。ふだん全く女性と縁がない男性が、絶世の美女と仲良くできる。しかし、これが現実であるはずがない。劇場から一歩外に出ると厳しい現実が待っている。
それでも、一時でもいいから夢をみれたわけだから、ストリップは安い遊びである。
ストリップは空蝉(うつせみ)。うつせみとは、古語の「現人(うつしおみ)」が訛ったもので、転じて生きている人間の世界、現世を意味する。また、字のとおり、セミの抜け殻をしめす夏の季語でもある。
空蝉というと源氏物語に登場する女性を思い浮かべる人が多いと思うが、私の場合は、さだまさし27歳の誕生日(1979年4月10日)にリリースされた名アルバム「夢供養」(1979年の第21回日本レコード大賞ベスト・アルバム賞受賞)に収録されている曲「空蝉」を思い出す。この曲は、地方の小駅の待合室で、都会から迎えに来るはずの息子を待つ老夫婦と、それを待ち受ける非情な結末、胸を締め付けられる内容である。ちなみに、このアルバムには名曲「まほろば」も収録されている。万葉集を題材としており、先の山上憶良に通じる。この曲は、さだお気に入りで現在でも頻繁にコンサートで採りあげている。さだが師と仰いでいた詩人でもある宮崎康平は、この曲をして「さだは自分を超えた」と賞賛した。と同時に「聴き手がついてこれないから、これ以上難しい曲は書くな」と忠告したらしい。
ストリップを観ていると、踊り子が空蝉に映ることがある。透き通るほどの白い肌が、セミの抜け殻に見えるのかも。というより、踊り子はいろんな過去や事情を踏まえて、今ステージに立っている。ある日突然、親バレなどで目の前から消えていくことしばしば。いつでも会えると思っていた存在が突然消えていくほど空虚感・虚脱感を覚えるものはない。そうしたことが日常茶飯事なのがストリップの世界でもある。だからこそ「一期一会の気持ち」でステージを眺めるようにしている。
そのためか、ストリップを観ながら、強い無常観に襲われることがある。
所詮は一時の現実逃避かなと思える。しかし、ストレス解消として、こんな素晴らしい時空はない。
男にとって最も興味のある女性の裸を観ることにより、本能の状態⇒無の境地になり、この世のせちがらさを忘れさせてくれる。私の場合は頭が一旦空っぽになるお蔭で、楽しいポエムや童話が浮かんでくる。仕事にずっと囚われていると創作活動なんてできない。いい意味でストリップがリセットのスイッチを押してくれる。
私には、ストリップ観劇は上手に生きるうえでの知恵ではないかと思えてならない。
【参考】源氏物語に登場する空蝉(うつせみ)という女性
源氏物語に登場する空蝉という女性は、あの驕慢な貴公子であった光源氏をぎゃふんと言わせた、印象的な方。
次のようなストーリーである。
光源氏17歳の夏の話。すでに彼は、その美貌と才能で宮中の評判になっていた。
ある夜のこと、その日は方角的にここに泊まるのはよろしくないことが判明した。やむを得ず、方違え(かたたがえ)に知人の紀伊の守(きのかみ)の邸宅を選び、向かうことになる。偶然にも紀伊の守の父である伊予の介(いよのすけ)宅の女性たちも方違えに来ていた。
源氏が通された部屋のそばで女性の話し声がする。源氏は聞き耳を立てた。覗き見したら伊予の介の後妻、空蝉(うつせみ)がいた。決して美女ではないものの、立ち振る舞いが水際立っており趣味が良かった。源氏はたしなみ深い空蝉を魅力的に思えた。
眠れない源氏は、そっと起きだして、先ほどまで女性の声のしていた方へ向かう。うつらうつらしていた空蝉は驚くものの、源氏を受け入れる。
空蝉のことが忘れられない源氏は何度も求愛をこころみる。若く高貴で魅力的な源氏の求愛に心の底では空蝉も惹かれ、悩みながらも、聡明な彼女は釣り合わない立場であることを理解していた。一度は身を許したものの、その後はいくら源氏にかき口説かれても誇り高く拒んで決して靡こうとはしなかった。
空蝉にはつらい境遇があった。元々上流貴族の娘として生まれ育ち、宮仕えを希望したこともあったが、父の死で後ろ盾を失った。そのため心ならずも、伊予の介を務める男の元に後妻として嫁ぐ。伊予の介の前妻の娘(軒端荻、のきばのおぎ)とは殆ど同年輩というから、かなりの年の差結婚であった。伊予の介は空蝉を非常に可愛がったが、当の空蝉は受領の妻という下の身分に零落したことを恥じており、夫への愛も薄かった。
一度、源氏の訪れを察した空蝉は、薄衣一枚を脱ぎ捨てて逃げ去る。源氏はその薄衣を代わりに持ち帰った。源氏は蝉の抜け殻のような衣にことよせて空蝉へ歌を送る。
空蝉の身をかへてける木(こ)のもとに なほ人がらのなつかしきかな
蝉が殻を脱ぎ捨てるように、小袿(こうちぎ・上着)だけを残したあなたが、それでもやはり人柄が懐かしく感じる。ロマンチックな歌である。
空蝉も源氏の愛を受けられない己の境遇のつたなさを密かに嘆いた。しかし返歌はしなかった。
皮肉にも、源氏の求愛を空蝉が拒絶し、その拒絶により彼女のことを忘れられない存在にした。
その後、二人は再会する。間もなく夫を亡くした空蝉は継息子・紀伊の守の懸想を避けるため出家する。源氏は尼になった彼女を二条東院に迎えて住まわせた。
【参考】山上憶良について
