日本の風習には「節句」という季節の節目がある。節供(せっく)ともいう。
この日に伝統的な年中行事が行われるが、もともとは日本の風習と、中国大陸から伝わった暦が合わさって誕生した。古くは節日(せちにち)といい、節日には朝廷において節会と呼ばれる宴会が開かれた。日本の生活に合わせてアレンジされていくつもの節日が伝わっていたが、そのうちの5つを江戸時代に幕府が公的な行事・祝日として定めたのが節供である。
五節句とは次の五つ。
七夕(しちせき/たなばた) 7月7日、たなばた、星祭り、竹・笹
さて、もうすぐゴールデンウィークに入るので、端午の節句について少し解説する。
もともと中国を起源としているが、日本では、鎌倉時代ごろから「菖蒲」が「尚武」と同じ読みであること、また菖蒲の葉が剣の形を連想させることなどから、端午は男の子の節句とされ、男の子の成長を祝い健康を祈るようになった。鎧、兜、刀、武者人形や金太郎を模した五月人形などを室内の飾り段に飾り、庭前に鯉幟(こいのぼり)を立てるのが、典型的な祝い方である。鎧兜には男子の身体を守るという意味合いが込められている。こいのぼりをたてる風習は中国の故事にちなんでおり、男子の立身出世を祈願している。典型的なこいのぼりは、5色の吹き流しと3匹(あるいはそれ以上の)鯉のぼりからなる。吹き流しの5色は五行説に由来する。
ちょうど、ゴールデンウィークに向け、仙台の一番町アーケード街にはこいのぼりが飾られていた。
仙台ロックに通うたびに、このこいのぼりを眺めていたら、ひとつ童話が浮かんできた。
踊り子さんへの恋心をエネルギーにして、3月3日と5月5日と7月7日の節句を組み合わせて、こんな内容に仕上げてみました。
題名は『恋のぼり』・・・
昔々、貴族が活躍していた時代の話。
桃の花が咲く京の街。
暖かくなってきた日差しの中、お内裏様が道を歩いていると、向こうから大きな牛車がやって来ました。牛車の中には、お姫様が乗っており、名前をお雛様といいました。お内裏様はお雛様の美しさに見惚(と)れました。
一目惚れしたお内裏様は、従者に頼んで、恋文をお雛様に届けました。
そして二人は人目をはばかって会う仲になりました。というのは、二人が公然とお付き合いするには大きな障害がありました。お内裏様とお雛様は都を代表する名家の子息・子女で、それぞれが右大臣、左大臣をつとめる家柄。激しく権力争いをしていたため、家同士が非常に仲が悪かったのです。二人に恋の自由はありません。
楽しい日々は二ヶ月もたず、二人の交際はばれ、それぞれの家人たちが二人の仲を引き裂こうとしました。
菖蒲が香る大きな池のほとり。
お内裏様とお雛様は、池の鯉を眺めながら、二人の境遇を嘆きました。
すると、池の中の鯉が二人の悲しそうな姿を見て声を掛けました。
「よかったら、私がお二人を現世の悩みから解放してあげます。私と共に、遠い世界に行きましょう!」
鯉は恋に通じます。二人は鯉の言葉に従うことにしました。
鯉はこいのぼりになって天高く舞い上がり、二人を遠くへ連れて行きました。どのくらいの距離を、どのくらいの時間をかけたのか判らないほど遠くへ移動しました。
二人を乗せたこいのぼりは天の川に辿り着きました。
二人を降ろして、こいのぼりは言いました。
「ここは自由なる天空の地。もう追っ手が来ることもありませんからご安心下さい。これからはお二人で自由にお過ごし下さい」
お内裏様とお雛様は喜んで、天の川で水遊びをしました。鯉も楽しげに二人の周りを泳ぎまわりました。
実は、二人と鯉のあげた水しぶきこそが、地上から見ると天の川の星の輝きなのです☆
笹が生い茂る竹やぶ。
お内裏様とお雛様の家人たちは二人がいなくなったことを嘆き悲しみました。そして、二人の交際を反対したことを深く後悔しました。
家人たちは二人の無事と幸せを祈りつつ短冊にしたため、それを笹舟にして川に流しました。家人の願いはきっと天の川まで届くことでしょう。
その後毎年7月7日になると、家人はその行事を行いました。いつの頃からか、二人は天の川の織姫と彦星として噂されるようになりました。
おしまい
平成21年4月