最近、なんのために連日のようにストリップ通いしているのかなと自問自答する。

その答えが自分の内側から返ってくる。

「愛」を感じたいからなんだよ!

 

男が女を求めて連日ストリップに通うというのは(単に観るだけというのではなく)、異性と仲良くなれるという実感があるからなんだと思う。その点は、お気に入りの娘目当てでキャバクラ通いするのとなんら変わらない気がする。たまたま、それがストリップであったに過ぎない。

仙台ロックなんかで平日仕事帰りに寄る。「お仕事おつかれさま!今日は遅かったのね。待ってたのよ」なんて声をかけられると、単身赴任の身にじわっと嬉しさが広がっていく。今週はAさんが現地妻の代わりをしてくれ、そして翌週は別のBさんへと変わっていく。それがうまく循環していくと毎日楽しい日々が続く。仙台という遠隔地で勤務していても淋しさは紛れる。ところが、そういう親しくしてくれる踊り子さんがいない場合、その週は無性に淋しいものになる。逆に「愛」を感じさせてくれる踊り子さんがいる週は最高にハッピーな時間が過ぎていく。

 

その「愛」とは何か?

心のときめきは、顔なじみのベテランさんに対する懐かしさ/やすらぎのときもあれば、初々しい新人さんと仲良くなれるときめきの瞬間のときもある。

私の顔を見つけて喜んでくれるその笑顔に接したくて劇場に足を入れる。ベテランの方でも、単に私が劇場に来てポラを買ってくれる存在としか考えてくれないと、それは接していて段々感じるものが薄れてくる。人間だからそういうのは敏感なもの。自分に対する関心、つまり「愛」が薄れているなと思うと冷めてくるものがある。

新人さんは、応援してほしいという一生懸命さがある分、好感度が大きい。親しくなっていく過程、可能性というのが楽しい。「愛」の可能性を楽しむとでも言うのかな。

 

ストリップにおける愛・・・

ストリップというのはお気に入りの踊り子さんが輝くように一生懸命応援する場である。ファンは、自分たちのような女性に縁薄い男性のために、裸で接してくれる踊り子さんに対して感謝を込めて応援する。なんの見返りを求めてもいけない。踊り子さんが気持ちよく踊れるようにGive & Giveの気持ちで踊り子さんに接していかなければならない。

ストリップというのは「見守る愛」である。どんなに踊り子さんを好きになっても自分のものにはできない。踊り子さんはみんなのもの。みんなで踊り子さんを盛り上げていかなければならない。これが大切なこと。「見守る愛」には直接的なSEXなどない。むしろ、娘を想う親心に近い。だからこそ、「見守る愛」とはピュアで崇高なもの。少なくとも私はそういう気持ちで踊り子さんと接している。

 

それに対して、踊り子さんはファンの「愛」をステージで返す義務がある。

愛をもってステージを表現しなければならない。踊り子さんはヌードや性器を見せるのを仕事と考えてはいけない。もちろん、自分を愛してくれるファンの目を楽しませることで、自分も楽しむことは当然だが、それだけではない。踊り子というのはステージの上で全身をさらけ出すことで、まさに全身を使った愛を伝えているのである。

愛を伝えられてこそ本物の踊り子なのだ。ファンはその愛を感じる限り応援し続ける。

ただ、すべてのファンがその愛を感じとれるわけではない。要は感受性の問題。

先日、ある踊り子さんとファンの方のポラ時の会話を耳にした。「いつもポラ買ってくれるのに、今日はどうして買ってくれないの」と踊り子さんが尋ねる。「××ちゃん、最近、

ぼくに冷たいよね」とファンが答えていた。聞く方も聞く方だが答える方も答える方だ。そこには愛のかけらもない。ポラは踊り子さんの魅力が買わせるものであって、客に押し売りするものであってはいけない。ファンの方も、踊り子さんは自分のものではないのだから、自分に対してだけ優しくできるわけがない。なにを勘違いしているのか。そんなんではポラを買う価値も、応援する資格もない。

 

手紙を始め、私のストリップに対する思いをどう感じるかは踊り子さん次第。

私の感情を何も感じてくれない方もいれば、すごく敏感に反応してくれる方もいる。最後は「心の問題」だと思う。心で感じなければ何も始まらないし、何も残らない。

踊り子さんと私は、おそらく凄い偶然でいま目の前にいる。私がたまたまストリップにはまり、そして踊り子さんがデビューしてきた。私がストリップにはまらなかったら出会えなかったし、ストリップを観ている時期にほんの少し時間差があったら一生会えなかった。すごい縁を感じる。だからこそ、縁のきっかけにポラを買い、お手紙を渡してみる。しかし、すべての踊り子さんと仲良くなれて、その縁が続くわけではない。

 

愛がなくなれば、その踊り子さんとの縁は切れる。

縁を大切にすることはとても大切なこと。でも無理に縁を保つことは悪縁になる。ポラを買うための交際費も馬鹿にならない。だから良縁を求めるために愛の薄れた縁は切ろうと思っている。縁の取捨選択とでもいうのかな。これは仕方ないことだと思う。

踊り子さんは少しでもたくさんポラを売るために大変だと思うが、無理に愛をつなぐ必要はない。商売とはいえ、しょせん男と女の世界。好き嫌いや相性は当然ある。一人のファンを失っても次の新しいファンを得られればそれでいいと割り切ったらいい。

 

踊り子とファン・・・

しょせん男と女の世界。たまたまストリップという縁で知り合った関係。でも、出会ったからにはそこにドラマが生まれる。狭いストリップ劇場という時空、その中での擬似恋愛とはいえ相思相愛であることもあれば、私の愛だけが一方的に大きいこともあれば、その逆もあろう。そのドラマをどう演じるか、それもまた踊り子とファンの間で自然に決まっていくものなのだろう。

ただ一般の恋愛と違いドロッとしたものではなく、あくまで擬似恋愛というサラッとしたゆるい関係ではある。ではあるが、せっかくの縁である。私は「心で観て、心で感じるから、心を伝えたい」そうでなかったら出会った意味がないような気がする。それができる踊り子さんと出会い親しくしたいと思っている。

踊り子さんもこう考えてほしいな。

「心でステージを演じ、心でお客と接すれば、必ず心が伝わる」と。

 

 

平成21年7月                           仙台ロックにて