ストリップという世界は、独特な職業世界だと思います。

私も含めストリップファン仲間では、ストリップなんて健全な遊びだよな、とよく言います。しかし、一部の男性の目からはそう見えても、世間一般には偏見の目で見られます。家族、恋人や会社同僚に自慢できる趣味とは言えません。履歴書の趣味の欄に「音楽鑑賞」とは書けても、間違えても「ヌード観賞」なんて書けませんからね。

踊り子さんの中にも親バレで辞めてしまった方もけっこういます。

そういう職業ではありますが、踊り子さんはそこを「活躍の場」としています。

 

たくさんの踊り子さんを見ていると、ときに、「この人はストリッパーになるべくしてなったんだなぁ」と思わせるほど生き生きと輝いている方がいます。まさにこの仕事が天職というか、神がこの人にこの仕事を与えたんだなぁという感じ。本人もお客もみんなが満足している。

ストリップは歴史が古い。つまり、昔から必要とされずっと継続してきた伝統芸といえます。

こういう仕事に出会いそれを天職にできた女性は「幸せ」なんだと私には思える。

 

人は誰でも「活躍の場」を求めています。学校で勉強ができなくったっていい。そういう人には別のなにかが必ずある。仕事に貴賎はない。社会が求めている仕事があり、そこで認められるということが大切なんだ、と思う。

頭のいい人がけっして偉いわけではない。頭のいいことを真っ当なことに使っていない人がたくさんいることは日夜テレビで報道されていますよね。私の会社にも東大出がたくさんいますが、自分の都合のよいことにだけにその優秀な頭脳を使っている輩がいる。言い訳がうまく、自分では泥をかぶらないように上手に逃げ口上をうてる。もちろん東大出の中には名実ともに優秀な方もいますが・・。

人が求めている仕事を誠実にこなす、ということが素晴らしいことなんだと常々考える。

 

学生時代に、大会社に内定していたにもかかわらず、それを断り、もう一年留年して中学校の先生になった友達がいた。法学部なのに専攻と違う職業を選択したわけだ。彼曰く、「大会社に入ると歯車の一部になってしまうような気がした。それよりは、子供たちを相手にして自分の味を出せる先生という仕事の方が自分には合っている。一国一城の主として仕事ができる感覚かな」。熱血先生で生徒から人気があったようだ。今は県全体の教師人事を司るようなもっと上の仕事をしていると聞く。彼は大学時代に出会った尊敬すべき友人のひとりだ。

ストリップというのも教師に似ている職業かなと思える。生徒であるお客を前に、一人でひとつの場を仕切っている。そこは教室と同じ、自分が自由にできる空間。そこは自分の城。

厳密に云えば、踊り子がステージに立っているということは自分だけの力で成り立っているわけではない。所属事務所から劇場関係者、演出家や照明などの裏方もいて、始めてステージが成り立つ。とはいいながら、なんといっても、実際にその場を仕切っているのは踊り子さん自身である。まさにその場の「主人公」なんです。

自分の活躍の場で輝いている方はステキだなぁと思う。私は踊り子さんのそういうエネルギーを感じ、また明日の仕事を頑張ろうという気持ちにさせてもらっている。

 

 

 平成21年12月                          若松劇場にて