今回は「幸せと不幸」について考えてみます。
私はこうやってお手紙というかストリップ・エッセイを書いているが、自分以外の踊り子さんの話をした時に、他の踊り子さんの話が聞けて参考になったわと言ってくれる方もいれば、如実に嫌な顔をされる方もいる。中には他の踊り子さんを褒めることで自分が馬鹿にされたと怒り出す方もいて、さすがにこれには私自身反省もさせられたが、逆になぜ彼女はそういう捉え方をしてしまうんだろうと驚かされた。
例えば、ポラが一枚売れたとする。ある踊り子さんは「一枚でも売れて幸せだわ」と思う。別の踊り子さんは「たった一枚しか売れなかったわ。わたしはなんて不幸なのかしら」と思う。前者は、ポラを買ってくれたお客に感謝する。後者は、ポラを買ってくれなかったお客を恨む。ひどい劇場だと嘆く。おそらく、そのぐらい捉え方が違ってくる。
どちらが幸せかは言わずもがな。幸か不幸かは紙一重といえる。
「幸せな人は幸せの数を数えようとするが、不幸な人は不幸の数を数えたがる」。幸・不幸論というのは結局こういうことではないのかな。
仲良くしてもらっている東洋の踊り子Åさんがお手紙の中で次のような言葉を書いてくれた。「悲しいことや辛いことは、すぐに気づけるのに、楽しいことや幸せなことは、自分でしっかり気づこうとしないと気づけないですよね。幸せと不幸っていつも隣り合わせなんですよね。」全くその通りだと思った。
ダンスが下手だとする。それを嘆くより、まだまだ上達できる可能性を喜び、練習に励めばいい。上手くなれば自己満足できるし、他人が褒めてくれれば更に幸せになれる。
容姿に自信がなくても、嘆かずに、自分の個性ととらえ、自分のいいところを伸ばすことを考える。人間なんて完璧な人がいるわけがなく、7割方欠点だらけ。3割いいところがある人だって珍しい。会社で仕事をしているときも部下の育て方は短所是正よりも長所伸長の方が本人も周りも会社もハッピーになるのは経験済みのこと。
人間というのは自信を持つといい顔になっていく。笑顔が多くなる。
踊り子さんもいっぱい練習して自信がつけば自ずといい顔になって、いいファンがついてくる。
以上、気持ちの持ちようが大切だということを話しているのだが、ではすべてが自分だけの問題かというとそうとも限らない。
ダンスが下手なら練習すればいい、これは自分の問題。ところが、ポラが売れない、これについては相手がある。先ほど述べたように、自分の受け止め方の問題はあるものの、相手を自分の方に振り向けさせるにはどうしたらいいのだろうか? いいファンに出会い、いいファンを得る、まさに踊り子さんが幸せな状態になるためにはどうすればいいのか?
そのためには「縁を大事にする」ことに尽きると私は思う。幸運というが、「運が向く」ためには周りのひとつひとつの縁を大切にした結果が運につながるものだと私は感じている。親子・親戚縁者、結婚縁、職縁、すべてが自分を幸せにする大切な縁である。ストリップを趣味としている私には踊り子さんとの縁を大事にするのが幸せの秘訣となる。そのためにお手紙を書いているのであって、お手紙で相手をけなすなんてことは絶対に考えていない。
前にも書いたと思うが、「ポラ一枚が縁の始まり」。自分に関心をもって、お金を出してポラを買ってくれたわけだ。この縁を生かすかどうかが、踊り子として幸せになれるかどうかの分水嶺なのかもしれない。
最後に長くなって恐縮だが、「縁は風」という話をしたい。あるお坊さんのお話。
われわれは大きな樹の一枚の葉っぱにすぎない。一枚の葉として生まれ、成人すると枝から離れていく。ふつうは重力により、そのまま真っ直ぐ下の地面に落ちていく。ところが人の一生というのは真っ直ぐ下に落ちずにいろんなところに流されていく。なぜに? 風が葉をいろんなところに運んでいく。ときには鳥が葉をくわえてどこかへ持っていくかもしれない。つまり、風や鳥こそが縁なのである。
あなたはさわやかな風に髪をなびかせ、そして、いつかすてきな鳥があなたを伴侶として連れていくのである。
私も秋田の田舎に生まれたが、仙台の大学に入り、会社に入ったら最初は九州からスタートした。それ以降、日本全国まわっている。そして今こうして仙台にいるが、まさに縁によって人生が運ばれている実感がある。家族や仕事にめぐまれ、そのうえストリップという楽しみを得、自分は本当に幸せだと思っている。
平成21年10月 仙台ロックにて
