今回は「オリンピックよりストリップ!?(その2)」という話。
単身赴任が終わって最初の関東の冬。何度か雪がちらついているので今年の冬は寒い方だろう。しかし、東北の仙台の寒さに比べればまだかわいい。そういう仙台も、日本海側に比べれば雪は少なく凌ぎやすく、またここ三年ほど暖冬が続いている。
関東の場合、雪がひどいとアクアラインが通行止めになる可能性がある。アクアラインは傾斜になっているらしく、路面が凍結するようになれば危ないようだ。今のところ、それほどひどい大雪はないのでよかったが、アクアラインが通行止めになれば私のストリップ・ドライブはできない。そうなれば、船橋の若松劇場にするか、さもなくば当日はストリップ通いをあきらめるかということになる。
さて、2010年冬季バンクーバー・オリンピックが始まるのを前にして、ちょうど四年前のトリノ・オリンピックの頃を思い出した。
単身赴任を始めて最初の仙台の冬。ここ最近は暖冬が続いている仙台だが、四年前の冬は厳しい寒さだった。朝起きると、アパートの外に駐車しているマイカーに雪が積もり窓ガラスがガチガチに凍っていた。寒さに震えながら、すぐに外に出て車のエンジンをかける。車の暖房を入れっ放しにしておき、部屋に戻って朝の支度をするのが日課。そして、車にかかった雪を払い、道路までの雪かきをして出発。近道にしている山道は通行止めになるため、ぐるっと迂回して会社に向かった。いつもなら片道40分かからない通勤が一時間以上かかる。渋滞するのもしばしば。
冬になるとスタッドレス・タイヤに履き替える。しかし凍結した道路ではよくスリップした。最初の頃、カーブを曲がりきれずにガードレールにぶつかったり、ブレーキが利かず電柱にぶつかり、ひやりとした。いずれもコツンという軽い程度で幸いしたが、それ以後、スピードを出さないこと、車間距離をしっかりとることに注力し、急ブレーキは絶対にかけないようにした。
大雪には何度も閉口させられた。マイカー通勤はつらいものがあった。
そんな中、唯一の慰みがストリップだった。雪道の中を日夜仙台ロックに通った。踊り子さんが温かく迎えてくれてどんなに救われたことだろう。
平日は仙台ロックに通い、土日は仙台の寒さを避けるように東京に遠征した。バスは雪に強く、大雪でも欠便になることはなかった。
ある日の夜、仙台ロックを見終わってから、深夜24時に出発する夜行バスに乗るため、雪の街をとぼとぼバス営業所に向かっていた。途中、スポーツ用品店の店先に「祝、金メダル!! 荒川静香さん、おめでとう!!」の大きな垂れ幕が下がっていた。私はオリンピックよりストリップに目がいっていたので、その日、荒川さんが金メダルを取ったのを初めて知った。荒川さんはオリンピックで頑張った・・・寒い中、熱い思いを感じて、ほのぼのしたのを鮮明に記憶している。
ちなみに、トリノ・オリンピックでは期待されたメダルが全く取れず、荒川さんが唯一のメダルとなった。フィギュア・スケートがオリンピック終盤であったこともあり、当時「荒川さんが日本を救った!」と言われたほど。仙台出身でもある荒川さんはその金メダルで仙台名誉市民の称号を贈られた。
さてさて、思い出を振り返ってるうちに、バンクーバー・オリンピックが始まった。
二日目に四年連続オリンピック出場の女子モーグルの上村愛子選手が登場。メダルを期待されたが残念ながら四位。でも競技を終えたばかりの彼女の第一声が良かった。「今もっている自分の力をしっかり発揮できたので満足している。」 転倒する選手もいる中、これまで練習してきた成果を発揮できるだけでも立派なもの。メダルを取れなかったのは、たまたま自分より優れた選手がいただけのこと。メダルを云々する前に、自分の力を発揮できることの方がはるかに大事。だからこそ彼女の発言にスポーツマン精神の爽やかな風を感じた。
本大会ではどんなドラマがあるのだろうか。そして上村選手に続く日本人選手の活躍を期待したい。
と言いながら、実際の私は「オリンピックよりストリップ!?」ということになるだろう(笑)。
踊り子さんも上村選手と同じように、これまでダンス練習した成果や今のままの自分を素直に表現できれば、それで十分なのだと思う。
私が応援している踊り子さん全員に金メダルをあげたい!
平成22年2月