仙台に単身赴任していた頃の私のストリップ日記から。
今日は「夢見心地を求めて」という話をします。
毎週のように土日は仙台から関東に遠征している。しかも、交通費を節約するために夜行バスで移動する。だから、当然身体的には疲れるはず。しかし、それ以上に精神的満足が大きいので止められない。
関東の劇場でラストまで観劇して、夜行バスに乗り込んだ時、まさに夢見心地になっていることがよくある。お気に入りの踊り子さんと楽しいひとときが過ごせた満足感。このままバスの中で夢の続きをみていたい気分。
実は今、夜行バスの中で物思いに耽っている。以前、この夢見心地を味わったことがあるなぁ~。記憶が蘇ってきた。
妻とは見合いで知り合った。一目で気に入って、毎週土日に東京から秋田まで夜行列車で会いに通った。見合いなので、結納まで三ヵ月と早かった。付き合い始めて一番楽しい時期でもある。結納当日の夜、私は夜行列車に乗って東京に戻ることになっていた。プラットフォームまで見送りに来てくれた妻が、私が乗る列車の音が聞こえると涙をこぼした。私は妻がいとおしくて抱きしめて優しくキスをした。
列車に乗り込んで、最後まで手を振ってくれた妻の姿を思い出しながら、寝台に横になった。
今更ながら想うが、あのときの妻の涙が私の人生のクライマックスだった。愛されている実感、愛される喜びを味わった。大げさかもしれないが、生まれてきた良かったと思える瞬間だった。今では妻には笑い話でも言えないが、心からそう思っている。
男と女の本当にいい思い出はプラトニックなもの。真にピュアな心でないと感動は味わえず、いい思い出にはなれない。
私は、あのときと同じ感激を、今ストリップで味わっていることにふと気づいた。
ストリップというのは多くの観客を相手にヌードを披露する場。だから特定の客に対して、特別のサービスをすることはできない。
では、単にステージを観るだけで、こんなに夢見心地になれるかというと、なれない。ストリップを初めて観た頃はそれで十分だったかもしれないが、今のようなストリップ常連になると、視覚による刺激だけでは夢見心地までには至らない。なにがプラスされたかと言うと、仲良くしてもらえたという嬉しさと心が触れ合った喜び。心が触れ合うにはどうしてもコミュニケーションが必要になる。しかし、ストリップでは会話はできない。そのために手紙が有効になる。ときに手紙は会話をはるかに凌ぐ威力をもつ。相手の心にストレートに入っていき、会話以上に熱く語れることもある。
私は手紙だけを目的にストリップ通いしているわけではない。手紙NGの方は応援しないと思われているかもしれないが、そうとも限らない。しかし、ことストリップの場合、手紙によって心のコミュニケーションができていることは事実で、大きな感動はほとんど手紙から得られている。従って、私は手紙抜きにストリップは語れない。手紙こそが心の架け橋なのだ。
お金を払えば、ヌードを観たり、SEXの処理はできるのだろうが、いくらお金を払っても心は買えない。
ストリップというのは本来、心の触れ合いを前提としていない。それなのに、こんなに楽しい心の触れ合いができるなんて、私はすごく贅沢な遊びをしていると実感する。
ある踊り子さんからこう言われた。「たくさん通ってくれるお客さんは電話番号やメール・アドレスなどを聞きたがる。その点、太郎さんはいつも手紙をくれるだけ。不思議だなぁって思っていた。」「太郎さんは踊り子と客とは一定の距離を保って付き合うのがいい関係と言っている。太郎さんはすごくいい遊び方をしているんだなと思う。」
長くお付き合いさせて頂いている踊り子さんとは、会うたびに安心感のようなやすらぎがある。
一方、新人さんとは出会いのときめきがある。デビューしたばかりの新人さんは不安でいっぱいだろう。そういうときに手紙で励ましたりアドバイスすると感激してくれる方が多い。手紙のお陰で、一気に相手との距離が近づく。勇気をもって交際を申し込んでOKしてもらえたような喜び・・・いや、まずは友達レベルかな(笑)。ともかく仲良くなりかけた瞬間というのは激しいときめきを覚える。恋がゲームであるなら、まさにこの瞬間こそがクライマックス! 私が新人好きなのは、この瞬間がたまらなく好きだから。まるでストリップ界のプレイボーイ!ははは、実際は全くモテマセンが(笑)
それでも、夢見心地を求めて、今日も劇場を彷徨っています。