今回は、ストリップにおける「自由」という話をしてみたい。

 

 

遊びというのは、個人の時間を拘束するものとそうでないものとがある。

 私のストリップ仲間で、休日は草野球かストリップで過ごす方がいる。草野球はチームで楽しむために、草野球が決まっている場合はそちらを優先しなければならない。ただ彼に言わせると、ひいきの踊り子さんが出演したときには土日はストリップに行きたくてたまらなくなるそうだ。

 自由と拘束のどちらを選びますか? と問われれば、人はまちがいなく自由を選ぶ。

 大げさに云えば、自由主義か社会主義かの結論は、ソ連の崩壊とともに自由主義に軍配が上がっている。そういう話を持ち出さなくても、人間にとって拘束されるほど嫌なものはない。ドイツのナチ政策、シベリア抑留、最近では北朝鮮の拉致など悲惨な歴史が物語っている。

 今はまさに自由な世の中。選択の自由がたくさんあるということは豊かさの象徴。

 しかし、あまりに選択の幅が多すぎて選べないで困っている人もいる。こういう人には、こういうふうにしなさいと言ってあげないと先に進まない。そして彼らは言われたことを嬉々としてやっている。これも一種の拘束である。従って、無意識のうちに拘束を好んでいる人たちもたくさんいるという事実。SMの世界でいえば、M嗜好の方になるのかな。拘束プレイなんてのもある。もっと身近な例では、夫婦関係でも妻の言うとおりにやっていた方が楽と言っている旦那も多い。

 そう考えてみると、すべての人に自由という権利が与えられているとはいうものの、この世は自由と拘束の微妙なバランスのうえに成り立っている。

 

 

 ストリップという遊びのひとつのポイントは「自由」であることと言えると思う。

 誰に強制されることもなく、自分の都合のいい時間に、好きな劇場に、一人で勝手気ままに足を運べばいい。いつ行ってもいいし、何時間居てもいい。

この点は、先ほどの草野球のように何人かが集まって行うものとは根本的に違う。集団で遊ぶものはメンバーが欠ければ成立しないがために、集まることを強制される。

 ストリップの場合は、リボンさんでさえも、強制はされない。自分の好きな踊り子さんに、いつでも、どこでも、自分の都合のいいときに投げればいい。(もちろん、他のリボンさんとの兼ね合いはあるが・・)

 おそらく、ストリップが強制的であったり、自由を拘束するものであったなら、一気に魅力薄になってしまう。たとえば、全国どこであろうがある踊り子さんの応援に必ず行かなければならない、また一日中必ずリボンを投げなければならなくなったら、しだいに苦痛になっていく。自由であるからこそ、好きで追っかけて、好きでリボンを投げたり、献身的に応援できるのだと思う。

 

 恋愛でも、相手の自由を奪うことで破綻するケースが多い。

 好きな人から拘束されたいと思うかもしれないが、実際拘束されだしたら窮屈でたまらない。女の人で親しくなると相手にベタベタしたがる方がいるが、そういうのを嫌う男性も多い。嫉妬心から相手を拘束するなんてのは最低である。つまるところ、人間の本質には「相手の拘束から逃れ、自由気ままでいたい」というのがある。

 仕事でも、長く同じ仕事に関わるといろんなシガラミが出来てきて、知らず知らずのうちにプレッシャーがどんどん蓄積されていく。そうしたときに転勤などで、いまの仕事の呪縛から解き放たれるときにはたまらない快感がある。私はだいたい三年おきに職場が変わっているので、この仕事からの開放感というのがよく理解できる。

 

 要は、自分が好きで自由に行動できるWillの状態であれば満足するが、人から強制されて行うMustの状態であれば苦痛になっていく。

 仕事は本来義務的でMustであるのだが、いかに部下をWillの気持ちで仕事に取り組ませるかが人を使う要諦である。

 恋愛も同じ。相手に拘束されるようなMustの状態は長続きしない。いかに気持ちよく相手のために行動できるかというWillの状態がキープできればその関係は長続きする。

 

 ストリップも同じかなと思う。

 昔は劇団のごとく狭い家世界があって大変だったと思うが、今の踊り子さんは拘束されるのを嫌う方が多いと思う。仕事柄、地方公演もあったりで、時間が拘束されることが多いが、連投から開放されたときはホッとするようだ。

 それ以上に人間関係については敏感だと思う。地方公演なんかでは缶詰状態になるから踊り子さん同士でも大変だろうし、ファンとの間でもいろいろあるだろう。

 リボンさんの中には独占欲の強い人が多いと聞く。リボンを投げてもらって嬉しい反面、これも踊り子さんとって心の縛りになっていく。お客というのはリボンさんでも一見客でも皆平等である。同じように踊り子さんを好きになれるし、また踊り子さんもお客みんなから好かれたいと思っている。だからこそ、そういう独占欲の強いリボンさんを嫌う踊り子さんも多い。

 ファンの方も同じかな。「必ず来てね!」というより、「よろしかったらまた観に来て下さいね」と言われる方が気が楽だと思う。一概には言えませんが・・。

ある熱烈なファンがずっと長くある特定の踊り子さんを追いかけていた。彼女の出演する劇場なら全国どこであろうが遠征し、リボンやタンバリンでステージを盛り上げる。彼にとって彼女は完全に生活の一部になっていた。あるとき、その踊り子が突然辞めてしまった。さぞかし彼の心の空隙は酷かろうと想像する。たしかに一時落ち込んでいたが、ある種ホッとしたところがあったという話を聞いた。それは彼女の呪縛からの開放感なのだ。ただ、そういう性格の男性は次の踊り子さんを求めて、そしてまた追っかけを始めることになるだろうが・・。

 

人間の集まるところには必ず人間関係というシガラミが発生する。それは避けられないことである。

しかし、ストリップというものは出来る限り「自由気まま」に楽しめるものであってほしいと思う。