長くストリップを観ていると、いろんな踊り子さんとの出会いと別れがある。

 過去のストリップ日記をながめていると感慨深くなることがある・・・

今回は、H17年にデビューしながらH17年中に辞めてしまった沢山の踊り子さんのうち、辞めてほしくなかった方を何人かピックアップし、私の思いを込めて話してみたい。いずれも、仲良くなれそうな感じがして、一時夢中になり、長く続けてくれそうだったにもかかわらず、突然辞めてしまった、という肩すかしのケースです。

 

1.   ロック所属の水香さん

 

H17年1月に浜劇で初めてステージをみました。楽日前日でした。

綺麗で素敵な踊り子さんだなぁと思い、私は真剣に見ていました。すると彼女はステージ上で、私の真剣な視線に対して、しっかり見つめ返してきました。目が合ったとたん私は釘付けになりました。私は目に魅力を感じるとすぐに虜になってしまうところがあります。しかも彼女は新人なのに素人っぽくない不思議な余裕を持ってます。にこっと微笑む笑顔に艶っぽい色香を感じました。一瞬、この方とはフィーリングが合うという予感がしました。

 ポラを買ってお手紙を渡したら、予想通り反応がありました。「素敵なお手紙ありがとうございます。心がじ~んとしました。優しさの香りがしますね。香水が好きなので水香とつけたのですが、心が優しい人は一番良い匂いがしますよね。」「何だか、太郎さんはとてもいっぱい引き出しを持っていそうな方ですね」 私のもの書きの心をくすぐりました。

 私は完全に水香さんの虜になってしまいました。また水香さんに会いたくなり、翌月のDX歌舞伎に出演されたとき、初日に喜び勇んで行きました。当日は非常に満足して、今週もう1回会いに行こうと思い、中日頃に劇場に行ったところ、前日から水香さんが出演されていないとのこと。えぇ~っ! 従業員が話すところによると、前日は藤堂つかささんも所用があり、四香盤になってしまい大変だったとのこと。そのため三回目からは新宿ニューアートから吉川くららさんが急遽ピンチヒッターに来たらしい。お陰で新宿ニューアートも途中から五香盤になってしまったようだ。

 水香さんの場合、前日一回目は出演していたのだが、外出したまま連絡なく、二回目から出演していないという。まさにドタキャン。都合が悪くなったら電話一本連絡するのが社会人としての最低限のマナー。これが守れないというのでは、仕事をする資格がない、と云われても仕方がない。それにしても残念だ。もう一度会いたいなぁと思う。

 最近も、佐倉愛音さんが川崎ロックでドタキャンがあったようだ。どうして、こうなるのかなぁ・・・

 

 

 

2. ロック所属の桜井結女さん

 

 結女さんはH17年11月に川崎ロックでデビューしました。

 いかにも新人らしい初(うぶ)な雰囲気で、一生懸命踊る姿に好感を覚えました。踊りが好きでこの世界に入ってきたと言っていた。

 彼女にも手紙を渡しましたが、その返事に驚きました。丁寧な字でレポート用紙にびっしり3ページ書かれてありました。内容がまた私の琴線に触れました。最初のさわりはこうです。「お手紙ありがとうございました。今週、初めてこのステージに上がらせてもらい、緊張はもちろん、不安もいっぱいありました。ステージからは、お客様の様子もよく見えます。その中でも太郎さんは手拍子や頭でリズムをとりながらニコニコと視線を送ってくれてますよね。結女はすごく胸がいっぱいで嬉しくなります。あぁ、太郎さんは結女と一緒に踊ってくれているんだな~って思いました。太郎さんが笑顔を送ってくれるから、結女も笑顔になります。楽しい気分になります。本当にありがとうございます。 人はやはり一人ではできないこと、一人では作れないもの、そういうものがたくさんあると思いました。笑顔はまさにそうですよね。人と人とが触れ合って喜びになるのではと思います。」その後、自己紹介など長い文章が続きました。

 結女さんは1日で私のハートをとらえました。私は次の土日も仙台から応援に来たほどです。

 結女さんは踊りが好きなので是非この仕事を続けて生きたいと意欲満々でした。私は次は仙台ロックに来てもらおうとリクエスト・カードにせっせと名前を書いていました。

 次に、結女さんに会ったのがH18年2月の浜劇。「これからも応援するからね。次は仙台ロックにも来てね」と話しましたが、それから会うことはありませんでした。しばらくして、たまたまブログを見て、彼女が辞めてしまったことを知りました。

 あれほどこの仕事を続けたいと言っていたのだから、もっと出演する機会があったら辞めなくてもよかったのではと凄く残念です。なぜ出演機会に恵まれなかったのだろうかと思わずにいられません。

 働く場としての需要と供給のバランスの問題なのだろうか?

  昔はストリップは風俗の代名詞のひとつとして劇場数も多かった。今ではずいぶん減ってしまった。当然ストリップ・ファンの人口も減ってしまった。風俗が多様化したからだと思う。

 踊り子さんの数はどうなのかな? 今の劇場数からいったら足りているのかな。

 結女さんのケースを鑑みれば、ストリップがもう少し繁栄して劇場数が増えてくれればいいのに、と思わずにいられない。

 

3.東洋所属のひなた里桜さん

 

 里桜さんはH17年6月に東洋からデビューし、私が始めてステージを拝見したのは8月の浜劇だった。当時は、木更津からアクアラインを渡って観に行っていた。

 一目で気に入って、その週は里桜さん目当てで3回も通った。その週には同じ東洋の川村あいねさんと若葉さくらさんが出演していた。私はお二人も応援しているので関東に出演するときには結構応援に行っている。ところが同じ週に何回も通い込むことはなかった。そのため今回も、最初は「応援に来てくれてありがとう」と言ってくれたのが、次は「同じ週に二度も来てくれるなんて珍しいわね」になり、3回目のときはニヤッと笑いながら「ひなたちゃんを気に入ったのね。いい娘だから応援してあげてね」に変わっていった。ポラにまでそのことがコメントされてあった。ははは、女の勘は鋭いナァ・・・

 里桜さんは私と同じ東北出身のせいか、失礼な言い方ですが田舎者同士に通じる親しみがありました。彼女を見ていると若かりし初恋の懐かしさを覚えるところもありました。

 里桜さんも私の手紙やエッセイを気に入ってくれました。ときに童話のような自分の体験談を話してくれたときは感激しました。

「太郎さんのお話大好きです。感動して泣かなかったお話がありません。今日は里桜の不思議な体験を一つ話します。小学校4年生の時でした。ピアノ教室に通っていた里桜は、いつも通り、ピアノ教室に行く途中、いつもなかった花束を発見しました。自動販売機の横に不自然におかれた花束を見て、パッと事故の様子が見えました。だれか死んだんだって思ったら涙が止まりませんでした。それから毎日そこに手を合わせて、『神様の所に行けますように』ってお願いしていました。何ヶ月か過ぎたある日、喉がかわいたので、100円を入れて、ジュースを押しました。そしたら、千円札がたくさん出てきて、小銭もジャラジャラと音を立てて出てきました。ジュースもつまってしまうくらいに落ちてきたんです。すぐに、きっと亡くなった方がお礼をしてくれたのかなと思ってまた手を合わせて『ありがとう』と言いました。今となったら、故障だったのか、お礼なのかは分かりません。でも、いまだにお礼だと信じてる里桜なのでした」 これを読んだだけで彼女の人柄が分かりますよね。

 結女さんもそうですが、里桜さんのようなタイプは妹みたいで守ってあげたくなるところがあります。

 浜劇の後、里桜さんは9月に仙台ロックにのり、2日間ゆっくりステージが楽しめたのがいい思い出です。その後は関東の出演が予定されていましたが全て流れ、結局仙台ロックが最後になりました。仙台ロックの常連さんと今でも里桜さんのことが話題に上がるほど、今では伝説の踊り子。夏野かをりさんも丁度同じ頃にデビューし、いっしょに仙台ロックにのりましたので、夏野さんに会うと里桜さんのことが思い出されたりします。

 

 せっかくデビューして数回出演して続けてくれるかと思いきや突然の引退。なぜ、辞めてしまうのかな?

  あるストリップ通の方が、そういう踊り子さんの辞める理由には男と親バレがある、と評論家ぽく話していた。いっけんもっともらしいが、そうでないかもしれない。みなさんにいろいろ事情があるのだろう。私はゴシップには興味がない。

 せっかく仲良くなれそうだったのに、その縁がなくなったことが、ただただ残念でたまらない。

 

 

平成19年12月                            SNAにて