今日は「ストリップ貧乏」という話をしてみたい。
少し前のベストセラーに「金持ち父さん貧乏父さん」(ロバート・キヨサキ、シャロン・レクター共著)という本があった。「お金のために働くのではなく、お金に働いてもらう」という考えは面白いと記憶に残っている。
さて、私の場合、ストリップ貧乏であることは間違いない。
ストリップというのは小遣いの範囲内で遊べる手頃な風俗というのが一般的な認識だろう。実は私も若い頃ソープなどの直接的な風俗にずいぶん金をつぎ込んだ。おそらく風俗に使ったお金を貯めていたらもう一軒や二軒の家を購入できていたんだろうな。でも全く後悔はしていない。その時点では風俗が衣食住と同じくらいに生活必需なものだったからだ(男性の身勝手な考え方ではあるが)。健康な男性が、性犯罪など罪を犯さずに、平和な日常を送れるのも、実は風俗産業のお陰だと感謝している。風俗で働く女性たちは立派に社会貢献しているわけだ。
私がストリップにはまり始めたのは、バブルで年収が大幅に下がって、安く遊べる風俗としてストリップを見直してからだった。最初の頃は若松劇場だけでせいぜい10日に1回のペースで通っていたし、ポラも撮っていなかったから、それほどお金もかからなかった。
それが、毎日のように、かつ、いろんな劇場を回り始めると、小遣いの範囲を大幅に越えてしまう。エンゲル係数ではないが、生活費に占める私のストリップ係数は極めて高い。単身赴任の生活費の大半はストリップに費やしている。
では、ストリップにはまらなかったら金持ちになっていたかというと決してそうではない。先に話したようにストリップにはまる前は別の風俗でたくさんお金を使っていたし、仮に風俗でなくても競馬・パチンコなどのギャンブルとか他の趣味にお金をつぎ込んでいたと思う。実際、マージャンに嵌って毎日のようにしていた時期もある。
私のストリップ仲間の一人で、1回目のステージでそそくさと帰ってしまう方がいる。他の劇場をはしごしているのかと聞いたら、これからパチンコに行くと言う。彼は、ストリップとパチンコの両方をしないと1日遊んだ気にならないと言うのだ。彼は土日の早朝、開場三時間くらい前から並んでいるのに、一回目だけ観て帰るなんて、ずいぶんもったいない気がするが、これだけは本人のポリシーだからね。彼と開場前にストリップ談義していると本当に楽しい。
浜劇なんかでは、近くに馬券売り場があるので、両方楽しんでいるファンも多い。
このように違う遊びをはしごする方もいれば、劇場を一つ二つとはしごする人もいる。
私はストリップを楽しむ日はそれ一本。はしごすることもあるけど、最近はできるだけ一劇場で終日楽しむようにしている。その方がお金もかからないし、なによりも楽でいい。
人それぞれの楽しみ方だよね。
ストリップというのは、独身貴族にとっては、十分小遣いの範囲内で遊べるものだと思う。ただ、お気に入りの踊り子さんを追っかけ出すと、遠征費用に結構かかる。しかも、お花やプレゼントなどにもかなりの出費になってくる。
ある踊り子さんが仙台ロックに出演中、平日なのに関東で見かける追っかけさんによく会う。土日に遠征するのは納得できるが、平日にいつも居るのが不思議でならなかった。仕事はどうしているのか、と心配になる。その方に直接話して尋ねたら「仕事が終わって、すぐに東京駅から新幹線で仙台に向かう。二時間くらいで着くので仙台ロックの3回目ラストには間に合う。四回目ラストまで2ステージを応援して、カプセル・ホテルに泊まって、翌朝一番の新幹線でまた東京に帰る。それを毎日繰り返している」との返答。そこまでしているのかと驚いてしまった。これほど応援してくれるファンがいるというのは踊り子さん冥利ですなぁ~(一歩間違うとストーカーになりそうだが・・)。
ある踊り子さんから、「太郎さんは今のストリップの楽しみ方がいいと思うよ」と言われたことがある。私は踊り子さんにお花やプレゼントをあげたことがない。渡すのはお手紙だけ。私の場合は手広くファンになっているので、特定の踊り子さんにプレゼントを渡し出したら収拾が尽かないし、そもそもそんな余裕がない。彼女が言うには「物を頂くとありがたいけど、たくさんもらうと、いったい誰からもらったか分からなくなる。その点、手紙の場合は名前が書いてあるから分からなくなることはないからね」。そう言って貰うと私としては嬉しい。
特定の踊り子さんを追っかけてポラは十枚単位で撮るし高価なプレゼントをするなど湯水の如くお金を注いでいるファンの方もいるし、またロック系劇場でたくさんの踊り子さんにお金をばらまく老人Aさんのような方もいる。なににお金をつぎ込むかがその人の生き方そのものであり、人がとやかく云う話ではない。ストーカーになったり、借金して人に迷惑をかけることは慎まなければいけないが、自分の責任範囲を守っているうちはいい。
逆に、お金がないと愚痴ばかり言っているストリップ仲間もいる。お金がないときには、劇場に来るのもポラを買うのも我慢しなければならない。ストリップに来ておいて、愚痴をこぼすのは他の仲間に迷惑だし楽しむ資格がない。
夢中になれるものがあることは幸せなことだ。踊り子さんに恋をしたって構わない。本人がそれに満足して日々を生き生きと送れることが大切なのだと思う。
シェークスピアにこんな台詞がある。「貧乏人でも満足している人間は金持ち、それも非常な金持ちだ。だが、大金持ちでも、いつ貧乏になるかとびくついている人間は、冬枯れのようなものだ」。
私はストリップと出会ったお陰で、いつも心が満たされ、生きる活力を頂いている。実際のところは貧乏ではあるが、気持ちとしてはストリップ・リッチを味わっている。