先日、新宿ニューアートでちょっとした「いざこざ」があった。

 いつものように、夕方過ぎに中国人らしい団体客が劇場内にどっと雪崩れこんできた。その中のひとりがステージ前方の壁際の椅子に座ろうとして、リボンさんが椅子に置いていたリボンをひっくり返してしまった。

 そのリボンAさんが怒って、その中国人の胸倉をつかみ「外に出ろ!」といきり立った。

その中国人は驚いて、まずいことをしてしまったと、片言の英語でひたすら謝っていた。通訳の旅行会社の人、他のリボンさんやタンバリンさんが間に割って入った。それでもAさんは別の場所に席を変えた中国人を追っかけ喧嘩腰になっていた。「謝っているんだから許してやれよ」知人が必死でAさんをなだめていた。

 Aさんが怒りたい気持ちは分かる。しかし彼はなにか勘違いしていまいか。リボンさんは一般のお客さんより偉いわけではない。悪気無くリボンを崩してしまったお客に対して、怒鳴りつけ殴る権利なんかあるわけがない。私は舞台を盛り上げてくれるリボンさんに対して好意的に考えている方だが、中にはうるさいと思ったり、頭にリボンをぶつけられたりして「なんだ!」と思っているお客もいるだろう。リボンを投げさせてもらっていることに対して感謝すべきであり、他のお客に横柄な態度は絶対に慎むべきだ。 

大阪東洋ショー劇場ではタンバリンやリボンを禁止している。ロックのある踊り子さんが東洋にのったとき、「関東のようにタンバリンやリボンがなく、拍手と手拍子だけの応援というのもとても良かったわ」と言っていた。タンバリンやリボンができるということはラッキーなことなんだ。

 

感情的になって怒るというのは、逆に怒った人の負けである。大人というのはこういうマインド・コントロールをしっかりできる人のことを言う。

もうひとつ付け加えると、「怒ること」と「叱ること」の違いを考えたことがありますか? 怒ることは自分の感情に負けてしまった状態を意味しますが、叱るというのは冷静に相手のことを想って指導することをいいます。叱ることには相手の成長を期待しようとする「相手への愛」が存在します。

 怒るという字は女の股に心と書きますが、ストリップというのは、踊り子さんのヌードを見て心を無くすことではない、踊り子さんのヌードを見て心を満たすところだ。

 リボンさんこそ、他のお客さんの見本となるよう、ストリップのマナーを守り、エチケットを教えるべき立場、すなわちストリップの秩序を護る「良心」であってほしい。