今回は私のストリップを通じての成長記録を話させていただきます。

 いま振り返ると、ストリップの見方がだんだん変わってきていることに改めて気付きます。

 

 ステップ1としてはこんな具合です。男たるもの誰しも最初にストリップ劇場に入るときは当然興味本位で入ります。性欲のおもむくままに飛び込むわけです。昔は本番まな板ショーなるものがあり、我先とジャンケンしながら舞台に上がった時代もあり、あのころのストリップは今よりもっとギラギラした感じでした。なかには、ストリッパーに憧れてくる人もいますが、いずれにせよ、かぶりつきで見る人は欲望のおもむくままに観ている、と云えるでしょう。 

 私もどうせ見るなら盆廻りで観たいといつも思っています。距離があるとストレスを感じるほどです。私の場合は性欲ギラギラというより、むしろ女性に対する憧れが強く、より近くで女性を感じたいというものです。私は全く女性にもてませんでしたから、その分女性に対しいつも高嶺の花的な憧れを感じています。いつもニコニコ観ていると思いますが、それは素敵な女性を近くに感じられる喜びなのです。

 若いころ初めてストリップに行ったときに凄い刺激を感じたものでしたが、それも最初のうちだけで、しだいに女性という対象はストリッパーからすぐに身近の女性に移りました。ストリッパーに憧れていてもそれ以上の進展はないわけですから、より身近な女性を求めるのも若いから当然のことです。もちろん、ただ見るだけでなく、直接的な関係に入っていきますよね。同じ風俗にしても、ストリップよりソープなど直接的な刺激を求めるため、しだいにストリップから離れていきます。

 最近は、歳もとり、そういう直接的な刺激を卒業し、また手軽で安価な遊びとして、またストリップに戻ってきたわけです。昔嫌だった本番まな板ショーもなくなり、アイドルストリップになっていて凄く気に入りました。そしてストリップにはまっていきました。ただ最初は性欲の捌け口というか「欲望」というものがベースにあったということは疑いないことでした。

 

 それが段段と変化していきます。

 最初のころはあまりポラを撮りませんでした。撮ったとしてもエロポラで、サインを頼むこともしませんでした。

 足繁くストリップ通いしていくと、段段踊り子さんと顔見知りになってきます。ときには盆前で見ていると声をかけてくる踊り子さんもいます。そして、お気に入りの踊り子ができます。顔をおぼえてほしくてポラを買い出し、しかもエロポラは撮らなくなります。 

 最初は、単に「踊り子と観客」の関係だったものが、「踊り子とそのファン」という関係に昇華していきます。そうなると、彼女に顔をおぼえてほしい、気に入ってほしいと思い、せっせとポラを買ったり、贈り物をしたりします。なかには追っかけを始めるファンも出てきます。

 この段階になると、単に性欲の対象ではなく、アイドルに夢中になるファンであり、少しでもファンとしての自分の存在をアピールしようとします。こうして踊り子さんとの間にコミュニケーションが始まります。一般に踊り子さんとコミュニケーションするのは難しい。クラブやスナックでは気に入った女性ができたら話し掛ければいいですが、ストリップの場合、話し掛けるタイミングはポラ撮影のときだけで、長く話すことは不可能。

 憧れが強くなると、ますます相手のことを知りたい。ポラにちょっとしたコメントが入っていると凄く嬉しい。外見は確かに身体の隅々まで見れますが、今度は性格など中身を知りたくなる。そして自分のことも知って欲しくなる。コミュニケーションを図りたいわけです。人というのはもともと淋しがり屋だから、心のふれあいが最高の喜びなんですね。

 いまは引退してしまいましたが大阪東洋ショー所属の黒木純さんがお気に入りでした。彼女はポラにサインを頼むとびっしり書き込みがされてあり、私は「ポラ通信」と勝手に呼んで喜んでいました。そのお返しとして手紙を書き始めました。黒木さんが引退するH15年の春頃でした。

 手紙を書き始めて、踊り子さんとコミュニケーションをとる手段として、「手紙」というのが自分とって最良の手段だと判りました。書くのが好きですから。

 最近は気に入っている踊り子さんには、ポラを撮るついでに手紙を添えるように心掛けています。たいていは喜んでくれます。ただ全く反応してくれない方もいますが・・・きっと私に関心をもたなかったのでしょう。片思いということかな。

 

 さて、次なるステップはどうなるのでしょうか。

 最後は夢中になってリボンを投げてたりして・・・。なんの見返りも求めず、ひたすら好きな女性のために尽くす。「無償の愛」といえますか。神様のレベルです。いまのところ私はこの域には達していませんが。

 

 総じて云うと、われわれストリップファンの進化(成長)として、性欲のおもむくままの「野獣」のレベルから、コミュニケーションを求める「人間」のレベルへ、そして無償の奉仕である「神様」のレベルへと進化していくのかな、と大げさに考えてみました。

いかがでしょうか。ご納得できましたでしょうか。