「ときめき」と「やすらぎ」のどちらに幸せなイメージを抱きますか?
今回は、ストリップの魅力を「ときめき」と「やすらぎ」という観念から考えてみました。
人間が感じる幸福感には「ときめき」と「やすらぎ」がある。
一般的には、「ときめき」は夢に通じ、「やすらぎ」は愛を覚える。
たとえば、恋愛中は「ときめき」だし、結婚すると「やすらぎ」になる。恋愛中はその恋を成就する夢に向かい「ときめき」を感じるのに対し、結婚すればその恋が成就したという安心感「やすらぎ」に満たされる。
会社生活でも、会社の成長期に新しい事業を起こし「夢」を追いかけているときは「ときめき」を感じるし、一方、激務の報酬として高い年収が得られ、充実した社会保障などが整備されていれば、家族共々「愛」に満ちた「やすらぎ」が保証される。夢と愛がバランスしていれば幸福感を得られる。ところが大企業などで年収が安定しているものの今の安泰に胡坐をかいて新規事業もなにもやらないと、愛はあるが夢がない状態で、いずれ大企業病になり衰退していく。一方、新興企業で夢を追いかけて成長している会社でも激務ばかりで収入が見合わなければ社員はついていかなくなる。経営者というのはDREAMとLOVEの両輪をいかにバランスよく舵取りするかがとても大切になる。
また、社員は会社生活と家庭生活にて「夢」と「愛」のバランスを保ってもいる。会社で出世を求めて仕事をしているときは「ときめき」であり、仕事の疲れを癒すために家庭に「やすらぎ」を求める。
また家庭の中でも、男が「夢」を担い、女が「愛」を担う。夫は仕事の出世、マイホーム取得、子供の成長など「夢」の実現のために頑張る。一方、妻は家族の健康・安定を願い家事全般や子育て、すなわち「愛」の部分を担うことが多い。最近は共働きも多いのでこういう考え方は古いと言う方もおるだろうが、長い歴史の中で、男性が狩りを担い、女性が家庭を守ってきたのは男女のこうした性差によるところ大といえる。こうやって家庭のバランスが保たれてきた。
つまり、人間は自然のうちに「夢」と「愛」をバランスよく享受することによって幸福感を味わっている。
さて、男女の違いを、「ときめき」と「やすらぎ」という観念からみてみよう。
女性は「やすらぎ」に至高の幸福感を感じやすく、結婚して家庭に収まることに最高の満足を得られる。おそらく男性以上に結婚に人生のゴールを感じるのではないかな。ところが、男性は結婚してもなかなか家庭に収まりきれない。どうも「やすらぎ」だけでは物足りなくなる。男性がまっすぐ家庭に帰らず寄り道して飲んだり遊んだり、ギャンブルしたり、ストリップを含めて風俗遊びをしたり、中には浮気したりすることが多いのは「ときめき」を欲しがるからだ。「やすらぎ」だけに満足しておればいいものをなぜか「ときめき」が欲しくなる困った生き物が男である。私自身、ほんとに困ったものと自覚している。
結婚していてストリップ通いしている男性は間違いなくこの「ときめき」を求めている。家庭に愛が足りないからではない。愛がたくさんあっても「やすらぎ」に物足りなさを感じてしまうからだ。本当に贅沢な悩みである。
たしかに男性はいくつになっても女体に興味・関心があるが、ストリップは単にヌードだけでなく、非常に華やかで「ときめき」に満ち満ちている。ストリップの魅力とは男性の「ときめき」願望なのである。
従って、踊り子さんの仕事というのは、お客に一時の「ときめき」をいかに感じさせるかに尽きると云えよう。
男の身勝手な考えであるが、私は女房を心から愛しているがゆえに、ストリップ通いにまったく悪気を感じていない。むしろ健康的であるとさえ思っている。借金などして迷惑をかけたらまずいが、小遣いの範囲で遊ぶならいいのでないかと割り切っている。それは単に一過性の「ときめき」願望を満たすだけだから。
女房に感じる「やすらぎ」は崇高なものであり、またストリップには女房にない(いや、少なくなった)「ときめき」を感じる。このふたつの魅力は全く別次元のもの。だからこそ、ストリップに通いながら、女房の魅力を再認識させられることがある。
しかし、ストリップのお陰で、私は「ときめき」と「やすらぎ」というふたつの幸福を満喫しているわけだが、あまりにも幸せ過ぎて、この先もこのふたつの幸福を両立できるのかな、という不安が正直ときおり頭を過ぎる。
平成19年1月 仙台ロックにて