さて、唐突な話ですが、踊り子さんはどういう恋愛をするのかな?

仕事柄を考えると、踊り子さんは遠征が多いですよね。仕事に夢中になってくると、いつのまにか婚期が遅れていたということもあるのかな。もう男性に興味をなくして独身で通しちゃうとか。

そもそも、一番綺麗な時期を一人の男性のためでなく大勢の男性のために費やします。一見たくさんの男性と出会えるようで、恋愛になるケースはなかなかなさそうだし・・・。(すみません、私の勝手な憶測です)

 

そんなことを考えながら、今日は、恥ずかしながら私の個人的な恋愛話をさせていただきます。

私がここ仙台に初めて来たのは昭和53年、当時駅のホームに下り立ったとき駅構内に「青葉城恋歌」が流れていました。いい歌だなぁと思っていたら、その年全国的に大ヒットして歌手のさとう宗幸さんが新人賞を総なめ。仙台大地震があったのもその年でした。

大学生になって、すぐに卓球同好会に入部。別に中学・高校で卓球をやっていたわけでもなく、同好会という気楽さから入ったわけです。私のような素人もたくさんいたので、居心地のいいサークルでした。卓球自体はあまり上手くないのですが、サークルの行事には積極的に参加していたので、仲間がたくさんできました。私の大学時代はこのサークルを抜きにしては語れません。

このサークルには女性もけっこう在籍していました。同系の女子短大からも入部してましたから。

同期のHさんが可愛いなぁと思っていましたが、彼女はすぐにサークルの一年先輩と公然の仲になっていました。そのため、特別の感情をもつことはありませんでした。

同期の人たちは当然ながら大学4年で卒業。ところが、私は事情があって5年目もいました。同じサークルの仲間がもうひとり、大学院生として残っていました。彼とは大の仲良しで同じアパートの二階に住んでいました。

仲の良かったサークルの仲間も、5年目で仙台に残っていたのは、男性はその大学院生と私の二人。その他に、地元仙台に就職した女性二人。そのひとりがHさんでした。

そのときにはHさんは一年先輩と別れていました。サークル同期の男性の中には、われら同期のマドンナHさんを捨てたその先輩を批判する者もいたくらいです。

仙台に残った4人は一緒に映画や飲みに行ったり、われわれのアパートで鍋を囲んだりして、楽しい日々を過ごしました。あっという間の一年。そして私も就職が決まり仙台を離れました。

 

就職してしばらくして、私はHさんのことが好きだったことが分かりました。

私のアパートで台所に立って料理をしているHさんの後姿が思い出されて、無性に会いたくなってきました。東北育ちの私が遠く離れた福岡に勤務したためホームシックになっていたのかもしれませんね。

秋田に帰省するついでに仙台に寄って彼女に会い、正式にお付合いを申し入れました。

それから福岡と仙台の長距離恋愛が始まりました。早朝五時に起床し朝一番の新幹線に乗り、東京で乗り継ぐ。仙台に到着するのが夕方五時頃。それから勤め帰りの彼女と待ち合わせてデート。プラトニックなお付き合いでした。

何度かそういう遠距離恋愛を繰り返していると、当然のことながらお金に窮してきます。社会人一年目の給料では限界があります。

そういう事情もあり、彼女に正式に結婚を前提にしたお付合いにしてほしいと申し入れました。

次のデートのときに、彼女の口から出た答えは・・・、遠くから会いに来てくれる嬉しさはあったようですが、仕事もあり、両親の住む仙台を離れるつもりはない、との言葉でした。

「私より仙台の街を選んだか・・」この結論は受け止めざるをえませんでした。

帰りの新幹線、ぼぉーっとしながら窓越しに景色を眺めていました。富士山が見えました。いつもは綺麗で雄大だなぁと思える富士山ですが、その日は「なんて淋しい山だろう。ひとりぽつんと立っている・・」 無性に涙があふれてきました。

社会人一年目で、こうして淡い恋が終わりました。

 

社会人三年目に入り、福岡から東京に転勤。

しばらくして、秋田の両親から連絡があり、帰省したときにお見合いしてみないかという話がありました。26歳とまだ若かったのですが、田舎は結婚が早いし、女性にもてない私のことを心配した両親の気遣いというところ。

私は、もう一度Hさんに会いに仙台に行きました。

そこで彼女から近々結婚するという話を聞きました。素直に祝福し、持参したお土産を結婚プレゼントとして贈りました。

それを機に、私は田舎で見合いして今の女房と結婚しました。

私が結婚する少し前、Hさんから一通のお手紙がありました。「早々と離婚した」という内容にはさすがに驚きました。「年頃だからとお見合いを勧められ、人並みに結婚しなきゃと思って結婚してみたものの、考えが甘かったわ」という彼女の言葉に考えさせられるものがありました。動揺しましたが、私ももうすぐ結婚を控えていましたからどうしようもありませんでした。

その後、Hさんは結婚に懲りたと云ってしばらく独身でしたが三十歳を過ぎて再婚し、かわいい娘さんを授かりました。毎年いただく年賀状の写真にはHさんによく似た娘さんが愛らしく写っています。

卓球同好会のメンバーは私がHさんとお付合いしていた事実を知りません。その後、メンバーが集まって、飲んだり旅行したこともありますが、Hさんとは普通に挨拶する間柄です。

今ではHさんとはこれでよかったと思っています。

仙台は素晴らしい街です。しばらく振りで再来し、この街の良さを改めて感じています。

Hさんは仙台によく似合う女性です。私にはそう思えてなりません。

以上が、私の「青葉城恋歌」です。

 

 

これで終わればいいのでしょうが、蛇足ながらストリップの話を付け加えます。

私は、今の女房とも長距離恋愛でした。秋田でお見合いしたので、東京と秋田という長距離恋愛となりました。一目惚れした私はせっせと秋田に通いました。金曜日の夜に夜行列車で秋田に向かい、そして日曜日の夜に夜行列車に乗って月曜の朝東京に着いてはそのまま仕事場に行きました。26歳と若かったのでしょうね、毎週のように通っても全く苦を感じませんでした。結婚前提でしたから、その長距離恋愛もあっという間に終わりました。

今から考えると、こうした長距離恋愛は若かったからこそできたことで、もう二度と出来ないなぁとずっと思っていました。

ところが、仙台に単身赴任し、お気に入りの踊り子さんが関東の劇場に出演している香盤情報を見てしまうと、会いに行きたくてウズウズしてきて、結局土日を利用して上京するようになりました。しかも、金銭的なこともあり、夜行バスを利用することが多く、けっこう肉体的にもきつい。それでもやってきてしまうのです。

これは忘れかけていた長距離恋愛ですね。やれば出来るということか。まだまだ現役ということかな。(笑)

あらためて、「ストリップは若さを保つ秘訣」かなと思います。私にとって、踊り子さんは恋愛の対象なのです。擬似恋愛でもかまいません。恋はエネルギーを与えてくれます。    しかも、ストリップというのは相手に対して自分の好意を伝えやすい。じっと目を見つめることもできるし、こうしてお手紙だって気楽に書ける。ふつうではなかなかできませんものね。

私の愛情、伝わってますよね(^0^)

 

 

平成18年1月                          仙台ロックにて