今回の題名は「さよなら、仙台ロック(その8)」です。

 

 10月下旬、仙台ロックの最終週には、なるべく多く通いたかったこともあり、引っ越しの準備が進まなかった。また、実際、切羽詰まらないと引っ越しの準備になかなか手が付かなかった。

 転勤はだいぶ前に予想していたので、不要な物品を廃棄することは実施していた。四年間使用しなかったものはどんどん捨てていった。整理のポイントは捨てることかな。だから、いざ段ボール詰めしても荷物はさほど多くなかった。

 引っ越し前日の夜に、トイレのウォシュレットの取り外しを行った。取り付けは一人でできたはずなのに、取り外しがなかなかうまくいかない。時間もなく、結局最後は諦めて翌日水道業者に依頼した。5000円超かかった。

 今回の引っ越しで改めて感じたのが、廃棄費用。冷蔵庫、洗濯機、電子レンジ、布団、ファンシー・ケースを捨てていくつもりだったが、すべて廃棄費用がかかり、特に冷蔵庫、洗濯機はリサイクル券が必要なのを初めて知った。郵便局にリサイクル券を買いに行ったら冷蔵庫だけで3700円ほど掛った。費用を抑えるために、洗濯機とファンシー・ケースは自宅に持ち帰ることにして、電子レンジはたまたま通りかかった廃品回収車に渡し、残った冷蔵庫と布団だけでも廃棄費用として引っ越し業者に6000円ほど支払った。これは会社が負担してくれず自己負担になる。

 単身赴任が決まった四年前、電化製品をインターネットの中古品販売で買い凄く安く揃えることができた。お陰で浮いた赴任手当をストリップ費用にまわせた(笑)。ところが、テレビ、洗濯機、セラミック・ファンヒーターは使用できたものの、冷蔵庫と掃除機は不良品で使用できなかった。自宅から持ってきた電子レンジも一度も使わなかった。それなのに廃棄費用がかかるのだから堪らない。また、こたつと掃除機を新品購入したが全く使わないまま持ち帰ることになった。一人で生活するとなると色々家具をそろえたくなるが、実際なければないでそれほど困らず、むしろ廃棄費用を考えたら、できるだけ物を持たない方がよかったと後悔させられた。エアコンが備え付けだったのがまだ救いか。永住しない限り、家電製品はなるべく備え付けの方が安上がりというのが今回の単身赴任で得た結論というところ。

 

 さて、引っ越しの当日10/30(金)、朝早く起床して、最後の仕上げを行った。

 蛍光灯の上に四年間積み上がった埃を拭いながら、四年間の年月の重みを感じた。私はいろんな家具や雑貨に囲まれて四年間を過ごした。懐かしさから、すべての家具がとても愛おしく、かつ有り難く感じた。

‘立つ鳥跡を濁さず’、これまでお世話になったこの部屋をできるだけ綺麗にして去りたいと思い、けっこう頑張って掃除をした。特に、浴槽、トイレ、洗面所などは丁寧に掃除した。

 午後からの引っ越しは、業者の二名だけで手際よく行い、ものの30分程度で済んだ。

私は最後に部屋の掃除を済ませる。手荷物のバックだけが部屋の隅に置いてある。

やっと引っ越しが済んだという虚脱感で、フローリングの上にごろんと横になった。ガランとした部屋の中で、初めてこの部屋に来たときもこんな状態だったなぁと思い出していた。あの時はこれから始まる単身赴任に心をときめかせていたなぁ。引っ越しの荷物の整理もそこそこに仙台ロックに足を運んだのを思い出す。淋しさなんて全くなかった・・・なのに、去るときはこんなにも虚しさを感じるとは・・・。

 

少ししてガス業者が来て、メーターを計り集金を行った。

その後、自動車の運送業者が来た。これで全て引っ越しは完了。

運送業者の方にお願いして、近くの地下鉄駅(泉中央)まで乗せてもらった。

 私はそこから会社の送別会に向かった。50名近く集まっていただき盛大な送別をしてもらった。その晩、深夜バスで東京に帰省した。

 毎週金曜日の夜に仙台ロックを観終わった後に乗っていた深夜バスだが、これで最後になる。バス営業所の方に、「単身赴任が終わって今回が最後になります。これまで四年間、毎週バスを使わせていただき、お世話になりました。」と挨拶をした。「単身赴任、お疲れ様でした。」と顔見知りの担当者が神妙な顔で言葉を返してくれた。

 

 実は、私は送別会の席あたりから自分の体調に異変を感じていた。喉が痛く、身体がだるい。引っ越しの疲れがピークにきていた。

私は昔から体調が悪くなると、よく扁桃腺を腫らした。ところが、最近は扁桃腺を腫らすこともなく、特にこの四年間はほとんど風邪もひかなかった。ストリップというのは脳内の快感神経を刺激することで常に心身ともにハイな状態にしてくれていたんだと思う。きっとストリップは私にとって薬代わり。

 

考えてみれば、私のストリップ三昧は身体的にはかなりハードなものだった。

私は単身赴任を始めるにあたり、自分がどれだけストリップにはまれるかを試してみたいと思っていた。平日に毎日仙台ロックに通うだけでなく、土日は毎週関東の劇場に通った。            

金曜の夜、仙台ロックが終わった後に深夜バスで東京に移動。5時半に東京駅八重洲口に着いて、すぐにお目当ての劇場に向かう。早朝六時頃に劇場に着いて場所取りをした。TS以外の劇場はいつも一番乗り。いい席で観たいという私の欲求に、深夜バスは最適だった。

帰りは、関東の劇場でラストまで観劇して、新宿駅南口か東京駅八重洲口から仙台行きの深夜バスに乗り込んだ。いつも夢見心地でぐっすり眠れた。早朝六時に仙台のアパートに帰って、シャワーを浴びて、そのまま会社に向かった。精神的な満足感は高いものの、やはり身体的には無理をしていたと思う。自分のペースで仕事をしている分にはまだいいものの、月曜日に会議などがあると無性にきつかった。でも、アフター5には元気になり、終業とともに仙台ロックに向かった。

三連休があるときは、大阪や京都にも遠征した。例えば、土日月と三連休なら、金曜の夜に深夜バスで仙台から東京に移動し、土曜日は関東の劇場を観て、その夜に深夜バスで東京から大阪に移動。日曜日は大阪で東洋ショーを観劇し、その夜また深夜バスで大阪から東京に移動。そして、月曜日に関東の劇場を観て、その夜深夜バスで東京から仙台に戻る。つまり、四日連続深夜バスの中で夜を過ごすことになる。ところが、深夜バス慣れしていることもあって、全く疲れを感じなかった。

交通費を安くあげるには深夜バスが一番。ホテル代もかからないし、いつも一番乗りでいい席で観劇できるし、私にとって深夜バスは一石三鳥のありがたいもの。深夜バスがなかったらこれだけストリップ三昧はできなかったと思う。ただ、知らず知らずに身体的に負荷がかかっていたのは事実だと思う。かと言って、遠征しないとストレスが溜まるので身体が勝手に動いてしまう。無精者の私だが、これだけ遠征等に向かわせるストリップの魅力というのは凄まじいものがある。

 

私は、どれだけストリップにはまれるかという壮大な実験をしてきたのかもしれない。

あるストリップ仲間から「太郎さんは年間400日劇場に通う男ですね」とからかわれたが、関東に遠征するとよくハシゴもするので決して冗談の数字ではないなと思う。(笑)

これだけストリップ三昧できるというのも並みではない。40代後半ではあるが、スーパーおじさんと言えそうだ。スーパーのスは、ストリップのスである。

また、私はストリップを通して沢山の踊り子さんを愛してきた。ストリップ劇場を自分のパラダイスと感じ、踊り子さんから‘みんなの太郎さん’として親しんでもらえた。これはまるで「一夫多妻の世界」・・・ある意味、異常な世界を楽しんできた。

今回、転勤を機にストリップ三昧にピリオドを打つ。これはスーパーおじさんから、ふつうのおじさんに戻るということを意味するのかなと感じている。もう無茶な遠征や、仕事帰りに毎日劇場に立ち寄ることはできない。でも、ストリップ三昧を極めたストリップ・ファンとして、これからもストリップと踊り子さん達を愛していきたいと思っている。

 

 

平成21年11月                          仙台ロックにて