今回の題名は「さよなら、仙台ロック(その3)」です。
H17年10月に仙台に単身赴任してきて、このH21年9年で丸4年になりました。仕事の引継ぎもありもう一ヶ月仙台にいますが、最後に仙台ロックの最後を完全燃焼させていただきます。
仙台はもともと学生時代を過ごした土地。私の第二の故郷です。まさかまた戻ってくるとは夢にも思いませんでした。
関連会社があって、そこに出向という形でした。初めての単身赴任で不安もありましたが、勝手知ったる仙台の街に喜びの方がはるかに大きかった。しかも、ストリップを趣味にしている私にとって仙台ロックの存在は極めて大きかった。ここは大学生になり18歳で初めて入ったストリップ劇場(当時は東洋ショー劇場だった)ということで、いまさらながら縁があったんだなぁと思う。
この四年間は仙台ロック抜きにして語れない。平日は会社帰りに毎日寄った。「平日の王子様」と呼んでくれる踊り子さんもいたほど(笑)。
私の10年間のストリップ歴において、4年間を過ごしたこの仙台ロックの功罪を改めて振り返ってみたい。
いうまでもないことだが、毎日通うことで踊り子さんと非常に親しくなれた。前から関東でも私の顔は踊り子さんの間で知られてはいた。しかし、10日の興行中せいぜい1回程度しか劇場に行かなかったのが、仙台では毎日通ってくるわけだから会う頻度が全く違う。踊り子さんと親しくなる一番のポイントは間違いなく劇場に通う頻度にある。仙台ロックに行けば必ず太郎さんと会える、と踊り子さんは思ってくれる。しかも仙台ロックの平日は客入りが少ないこともあって私の存在感は際立っていた。
最初のうちは全員のポラを撮っていた。すでに関東で顔を知られていることもあって、客入りの少ない仙台ロックでは挨拶代わりにポラを撮った。そのせいか、今までポラを撮らずに親しくしていなかった踊り子さんと急激に親しくなるという嬉しいケースもあった。私は手紙の反応がない方は私に関心がないものと諦めて応援しないことにしていたが、関東では実は忙しくて対応できなかっただけで、本当は手紙好きな方もいた。その一人が成瀬美穂さん。仙台ロックで美穂さんから丁寧なお返事を頂いたときは目が点になった。私は面食いなのだが、若い頃に失恋が多すぎたせいか強い「美人コンプレックス」を持っていた。だから美穂さんと仲良くなれたときは本当に有頂天になった。これは最高に嬉しい誤算だったなぁ。灘ジュンさんとも仙台ロックから本当に仲良くなれた。美人コンプレックスに負けずに、美人ストリッパーとお近づきになれたのも仙台ロックのお陰である。そういえば、仙台出身のため矢崎茜さんが仙台ロックにのれなかったのは今さらながら残念だったなぁ。
そうそう、なんと言っても、仙台ロックの最大の楽しみは、新人さんとすぐに仲良くなれること。関東でデビューして2、3週目で仙台ロックにのる新人さんが多い。私はデビュー週に関東で顔を売っておき、更に仙台ロックで毎日通うことで、急激に親しくなることができた。「関東で種をまき、仙台で花開く」といった感じかな。私がファン1号になるパターンも多い。私が誰よりも早く新人さんと仲良くなれるのは仙台ロックがあってこそのこと。
私は特定の踊り子さんオンリーの追っかけをやってはいない。ストリップを趣味として楽しんでいるので、「みんなの太郎さん」として親しくさせてもらっている。
一見いいことだらけの仙台ロックであるが、いいこともあれば悪いこともある。
踊り子さんとの手紙交換は楽しいが、ときに深入りし過ぎて楽しい関係を壊したこともある。結果的に相性が合わなかったと割り切ることもできるだろうが、まるでひとつの恋が終わったような淋しさが伴った。また、私が書いていることを全く受け入れず、手紙を破って突き返されたこともあった。他の踊り子さんを褒めたことが気に入らなかったようだが、これこそ全く相性が合わないと感じたこともある。
やはり一番つらいのは踊り子さんとの関係を絶つとき。
仙台ロックは関東の劇場に比べて割高。入場料もそうだが、なにより一枚1000円のポラが負担になる。毎日通うとなると経済的に窮する。しかし単身赴任の淋しさを紛らわせるため毎日通いたくて、次第にポラ購入を減らし応援する踊り子さんを限定していった。また昨年暮れからの世界的大不況から給与が大幅カットされ、更に応援する踊り子さんを絞らざるをえなくなった。それでも応援している数の方がはるかに多いが。
ポラを買わないと気まずさからステージを見れなくなるという弊害が出てくる。仙台ロックでは席を外すことが多くなった。そんな中、応援しなくなった踊り子さんから嫌がらせを受けたりもした。すごくショックを受けた。ストリップというのは人間対人間の遊びなので、やはり人間関係というのは簡単に割り切れるものではない。かなり悩まされた。
それでも、総じて見れば、仙台ロックは私のパラダイスであった。関東のストリップ仲間からは、私は仙台ロックの主のように見えていたようだ。私としても、仙台ロックにわざわざ来てくれる踊り子さんにはホスト役として「おもてなしの心」で接してきたつもり。
以前は、踊り子さんには一切贈り物をしない主義であったが、いつのころからか「今日のおやつ」と称して日替わりの仙台銘菓、仙台名物を持参した。みなさん、かなり喜んでくれた。今では関東にも持参するようになったので、私が仙台から離れると聞いて、もう私から仙台銘菓をもらえなくなると残念がっている踊り子さんもいる。
いろんな意味で、私の存在は仙台ロックそのものとして自他共に認めてきた。
くしくも仙台への単身赴任生活は4年間になり、ちょうど大学生活と同じになった。
神様が私に二度目の青春を与えてくれたのだと思います。最初の多感な4年間はいくつかの恋をして全て失恋ばかりでした。神様があまりにかわいそうと同情して、二度目のチャンスをくれたのでしょう。私にとって、仙台ロックの踊り子さんは恋愛の対象でした。私はたくさんの踊り子さんを愛し、そしてたくさんの踊り子さんに愛されてきました。
いまさらながら悔いのない青春でした。
これも全て、踊り子さん始め、親切にして頂いた劇場スタッフ、仲良くして頂いた常連の仲間たちのお陰です。心よりお礼申し上げます。
平成21年10月 仙台ロックにて
