先日、ある踊り子さんが凹み気味だった。理由はわからないけど・・?

今回は、凹み対策というほどではありませんが、最近自分なりに思っていることを話してみます。

 

 

 踊り子さんが一生懸命踊っている。

 ふと観客の方を見ると、中には居眠りしている人、酒を飲んで酔っ払っている人などステージを見ていない客もいる。ひどいときには、特定の踊り子さん以外は関心がないとラウンジに引き篭もっている方もいる。

 こういう時は踊り子さんも気に障るだろうなと思う。実際ある踊り子Aさんから、仙台ロックの常連さんにもそういう人がいて気に障ると話してもらった。

 しかし、お金を払って観に来ているお客がどのステージを観るかどうかは自由なので文句も言えない。一生懸命踊っている踊り子さんが気の毒になる。

 正直言って、私も人のことをとやかく言う資格はない。今の仙台ロックではお客も少ないので、出演された踊り子さん全員のポラを買うようにしている。しかし、1枚1000円なので、お気に入りの踊り子さん以外は毎日毎回買うわけにはいかない。買ってよと催促されるのも嫌だし、また買わないと悪い気になって、結局ポラを買わない踊り子さんのステージは最初から席を外すようになった。これに関して、いい悪いは一概に言えない。

 

 私は踊り子さんによく手紙を渡すが、私も手紙ひとつに一喜一憂している。

 反応してくれるとすごく嬉しい。踊り子さんによっては、あぁまた読んでくれなかったんだなぁと思うことも度々。読んでもらえなくても仕方ないと思っているものの、やはり無視されるというのは辛いもの。

 いつも私のお手紙に対しお返事を書いてくれる踊り子Aさんが、親切心から、私の手紙を読まずに捨てている踊り子さんもいるよ、と話してくれた。たしかに、私の手紙は特定の踊り子さんに向けたお手紙というよりは、一般的なストリップ・エッセイなので自分のことが書かれていないから面白くないと思われても仕方ない。でも、無造作に捨てられているのかと思うとやはり悲しくなる。

 以前は、子供についての童話エッセイも同封していたが、喜んで読んでもらえたときは凄く嬉しかったものの、無造作に捨てられているのではとふと考えてしまうと自分の子供たちに申し訳ないような気分になり、同封するのは止めてしまった。読みたいと直接言ってくれた方だけ続けて渡している。

 実際、ポラのコメントや相手の表情で、お手紙を読んでくれたかどうかは大体分かる。たまたま忙しくて読む暇がない人でも、いつも後で読んでくれてる方は長いお付き合いの中で分かる。これは全く問題ない。やはり読まずに捨てるような方にはお手紙は渡したくないし、そういう人のファンにはなれないからポラは撮らないようにはしているつもり。

 

 

 話を戻します。

 つまるところ、人に受け入れられ、認められるというのはとても難しいということ。ましてや全員にそれを求めるのは無理。

 分かってくれる人のみ分かってくれればそれでいい、と考えるしかないと思う。

 よく踊り子さんが、たった一人でも自分のステージを応援してくれるファンがいる限り、頑張って踊っていきたい、と言うが、まさにその気持ちが大切なんだと思う。

 また、ファンといえどもいつも受け入れてくれるとは限らない。人は置かれている環境も違えば、その時その場の感情すら違ってくる。人とはそういうものだと意識しておかなければならない。情けないが本当に財布にお金がなくてポラが買えないときもある。

 ブログなんかを見ていると、ほんとうにいろんな人がいろんなことを書いてくるよね。いつも好意的な人もいれば、人の気持ちもなにも考えずに誹謗・中傷を書き込む輩もいる。

 人間はちょっとしたことに一喜一憂してしまうが、そういうときこそ、『「人さまざま人生いろいろ」、まさに人生悲喜こもごも』なんだと割り切るしかない。

 同時に、より多くの人に認めてもらうために、日々精進していかなければならないことも大切。きっとその先に自他共に陶酔できる世界があることを信じて頑張るしかない。

 

 

平成19年12月                          仙台ロックにて