最近のポラ考です。聞いてください。

 

次の文章は、仙台ロックで、ある踊り子さんからお返事を頂いたことに対する私のお礼の手紙の書き出しです。

『昨日は素敵なお返事に感激しました。嬉しくて手紙を抱きしめて寝たほどです(笑)

なんか、××さんとゆっくりお話ができた感じで嬉しくて・・・××さんが私だけのために大切な時間を費やしてくれた・・・憧れの××さんの長い時間を独り占めできたような嬉しさ・優越感・・・

昨夜はプラトニックな幸福感を一人で味わっていました。ありがとうございます。』

自分でいうのもおかしいが、そこにはすごく喜んでいる自分がいる。

仙台ロックでは客が少なく時間的に余裕があることもあり、時に踊り子さんから丁寧なお返事を頂けることがある。私にとってはストリップの醍醐味のひとつである。

 

ポラを買いながら、このようにすごく嬉しかったりもするが、時になんか虚しさを感じることもある。

一生懸命書いてきて何も反応がないことは多い。ただこれは私が勝手に手紙を渡したのであって、踊り子さんには読んだり返事を書く義務はない。こちらもそれを強いる気持ちもない。また土日のように忙しくて読む暇もないことも十分理解できるし、わざわざその旨を詫びてくれる踊り子さんまでいるくらいだ。ともあれ、読んでもらえたら嬉しいし、読んでくれる方を選んで渡そうと心がけている。だからこそ、先ほどのように反応してくれる方がいると天に昇るように嬉しくなってしまう。

 

 

あらためて、ポラとは自分にとって何なのか。

私は実用的な目的(夜のおかず、コレクション等)としてポラを買っていないから、物理的な満足ではなく、極めてメンタルな話になる。

私がポラを買うのは、「応援にやってきたよ」という証し、いやもっと「おはよう」という挨拶みたいなもの。私の顔をみつけて喜んでくれる踊り子さんには挨拶代わりに必ずポラを撮ることにしている。

 

まず最初に云えるのは、ポラを買うというのは、ポラを通して大好きな踊り子さんの笑顔を一瞬とはいえ一人で独占することを意味する。一瞬ではあるが、それは自分にだけ向けられた貴重な時間である。中には、気さくに話しかけてくれる方もいれば、ただフィルター越しの笑顔だけのこともある。もちろん回数を重ねることで顔見知りになり内容の濃いものにはなっていく。

 

ただ中には、何度ポラを買っても自分に関心を示してくれない方もいる。例えば、口頭でも手紙でも「仙台に転勤した」ことを話しているにもかかわらず、仙台の「せ」の字も出ない。ポラにはつねに「ポラを買ってくれてありがとう」しかない。私に関心がない方にはこれ以上お付合いしても無駄になる。

ヌードに魅力があるからといえ、それだけで応援は長続きしない。踊り子さんとファンとはいえ、人と人であるからには、気持ちが伝わるものがないと付き合いは続かない。

私は手紙を書く意欲がなくなった踊り子さんには、途中でポラを買わなくなる。なぜ買ってくれなくなったのですかと尋ねられても困ってしまう。答えようがない。

私は、ポラ代は踊り子さんとの交際費だと思っている。たくさんの方と仲良くなりたいとすれば当然お金がかかる。しかし、それには限界がある。

 

私はまた、ポラ代は踊り子さんに手紙を届ける切手代とも考えている。踊り子さんは職業柄足は開いてくれるかもしれないが、簡単には心を開いてくれない (笑) 。手紙は踊り子さんの心に直接伝える伝承鳩になる。ちょっと言い方を代えると、ポラそのものが便箋代わりになり、そこに彼女の言葉を期待していると云えるかもしれない。実際ほとんどのお客はコメントを期待してポラサインを頼んでいるのも事実。しかし、それに全て応えられないのも踊り子さん側の現実・・・。

 

ポラにコメントを書いてくれるということは、先ほどの撮影の一瞬にプラスして貴重な時間を割いてくれたことになる。サービスとはいえ有難いことだ。

ましてや、私の手紙を読んでくれたり返事を書いてくれる踊り子さんは、私のためにたくさんの貴重な時間を費やしてくれたことになる。なんて有難いことだと思う。感謝するとともに、そういう踊り子さんと大事にお付合いしていきたい(一生懸命応援してあげたい)と常々考えている。

 

最近そんなことを考えながら、ポラを買っている。

最後に自分勝手なことを述べましたことをお詫びします。

 

平成19年3月                          仙台ロックにて