さて今回は、ちょっとまじめなストリップ論を語ります。
私は四十歳を越えてからストリップにはまりましたが、ときに「なぜ自分はストリップにはまったのだろう」とか「自分にとってストリップって何なんだろう」と自問自答することがあります。
スケベだから(笑)と言ってしまえばそれまでですが、もう少し自分なりに納得いく理屈はないものだろうかと、ストリップを見ながら考えたりします。
ストリップの常連さんたちは、無意識のうちに劇場に足が向かっているのでしょう。なにが彼らをそうさせるのか。ストリップの魅力とは何なのか。。。
私はストリップを見ながら、「あぁ、ここに居ると心が休まるなぁ。居心地がいいからずっとここに居たいなぁ」と思うことがよくあります。
心を安らげたり癒したりする場・・
男というのは常に「男の居場所」を求めているところがあります。
仕事でもそうです。私は全国を転勤で回っており、前の職場で転勤命令を受けた瞬間から自分のディスクは自分の居場所ではなくなります。周りの雰囲気もそうさせます。いままで部下だった人が自分の命令に従わなくなったりもします。そして、次の事務所に自分用のディスクが用意され、部下も気を遣ってくれるようになり、ようやく自分の居場所ができたとホッとします。
ようするに、自分の存在を認めてくれる場を欲しがるわけです。
家庭的な人にとってはそれはマイホームということになるでしょう。安らぎを求めるという目的ではそうでしょうが、困ったことに男は安らぎだけでは満足しません。
仕事場、行きつけのスナック、ギャンブル場、・・。それは、自己実現する達成感、ちやほやされる自己満足感、刺激、快感、・・などを求めようとします。
さて、ストリップというのはどういう「男の居場所」と云えるのか?
性的欲望を満たす快楽、刺激という点もあるでしょう。ただ私には、母の胸に抱かれるような安らぎを感じます。きっと、見ているものが見ているものであるからか、「母なるふるさと」的な郷愁を感じるのではないかと思います(^0^)
ましてや、家族や愛犬が私の顔を見て喜ぶのと同じように、踊り子さんが私の顔を見つけて喜んでくれるとたまりません。自分の存在を認めてくれるわけですから。
また、ストリップ劇場にはストリップを愛する仲間が集まります。そういう同じ趣味を持つ者が集い、親しくなる場でもあります。
いいかえれば、ストリップ劇場にはストリップを通して踊り子やストリップファンが集うコミュニティとしての機能があります。これは地域の老人たちが趣味や憩いで集うコミュニティセンターと同じです。私は個人的には、ストリップ劇場はこういうコミュニティとしての意義を持つものとして社会的に認知されて発展していってほしいと願っています。
ともあれ、私にとって、ストリップというのは自分の居場所を求め続けた、「自分探し」のひとつの帰結点ともいえそうです。
あえて最後に一言。
「安らぎ」という漢字は、家の中に女が居る、と書きます。男にとっての安らぎは女なくして語れません。私にとって、踊り子さんも女性としての対象ですが、やはり最終的には家の中にいる女房こそが安らぎの対象であると自覚しています。ストリップにはまっている私ですが、もっと女房を愛し大切にしなければ、と今さらながら感じます。