『矢島愛美メモリアル』 ~SNAへ帰ってきたよ~
<新宿ニューアート(2009.4.21~4.30)>
● 矢島愛美という顔 ~二つの顔~
実質的な1周年となった川崎ロックでの41連投が終わり、ようやく10日間(4.11~4.20)のオフ。リフレッシュ旅行に出かけるとは言っていたが、ブログを見ていたら、花見を兼ねて東北を北上し、なんと仙台に来ていた。
仙台ロックに出演中の西園寺瞳さんと大友輝さんを誘って食事に行ったことがブログに掲載。その週、私は仙台ロックに平日皆勤中。二人に愛美さんとの食事の話をふったら、かわいいコメントが返ってきた。瞳さんは「昨日はちょこっとお酒飲みました☆」、輝さんからは「昨日は瞳姐さんと愛美ちゃんとご飯でちたぁ☆でも始めましてだったのでキンチョーしたにゅ。」。
せっかく仙台に来ているので一応メールを入れた。ただ、せっかく休養を兼ねて自由時間を楽しんでいることだろうから最初から邪魔するつもりはなかった。
「あ、そういえば仙台にいる時のメール、返してなくてゴメンなさい。今は基本的にオフはブログはやっても、プライベートの友達以外はメールもしてないんです。周年のこととか必要があれば連絡してますが、なるべくオフは‘愛美’から離れています。そうじゃないと、連投でずっとずっと閉まっていた自分が分からなくなって混乱してしまうからです・・。ここ最近、愛美じゃない自分って何だろう?と思う時があって。愛美じゃなかったら何ができて、何がしたいのか・・そこが分からなくなって・・。焦らず、自分と向き合いたいと思います。いい意味で。」
愛美さんの気持ち、よく分かるなぁ。芸名を持っているがゆえに、二人の人間を演じる必要がある。たまに、どちらの自分が本当の自分か区別がつかなくなることもある・・・。
人の顔には、4つの顔があると云います。
① 自分も他人も知っている顔
② 自分は知っているが他人は知らない顔
③ 自分は知らないが他人が知っている顔
④ 自分も他人も知らない顔
二重人格といわれるのは②が誇張されるのであり、もともと持っている自分の顔であることに変わりはありません。本名も、矢島愛美という芸名も、自分が演じている限り、自分であることに変わりはありません。単に違う面を見せているに過ぎず、間違いなく一人の人間そのものです。
今は矢島愛美がストリッパーとして華を咲かせました。運もあるでしょうが、愛美さんの努力の賜物です。今はこれを大切にして得るべきものを得る時期だと思います。お金も大切なひとつ。この仕事での人間関係も宝になります。人の温かさなど素晴らしい面を知ると同時に嫌な面もたくさん見えてくるはず。でも、その全てが人間として必ず成長させます。人生に無駄なものはひとつもありませんから。
愛美さんがデビューした週、愛美さんから福祉関係の仕事がしたいという手紙を頂きましたね。私はそれがずっと気になっていました。一時、踊り子を辞めるという話があった時に、その夢を実現しようとしているのかなと頭を過ぎりました。その時は私自身も踊り子としての愛美さんを手放したくないと必死で思いました。その点、Pさんは冷静だなぁと思いましたよ。私よりはるかに器が大きいと。
踊り子という仕事は一生の仕事ではありません。矢島愛美を常に客観的に見れる自分を持つことはとても大切なことです。本当の自分を見失わないために。
さて、そういう私もストリップに出会い、同じ悩みを持っています。会社では真面目な顔をして、ストリップでにやけ顔をしているのも、どちらも本当の自分であるわけです。会社の同僚や家族は前者を本来の顔と思っているわけですが、踊り子さんは後者まで知っているわけですから、より多くの私の顔を知っていることになります。つまり踊り子さんには本来見せてはいけない本性面を隠す必要がないので、すごく気楽に「裸のつきあい」ができるわけですね。だからこそ、こうして楽しくやれるわけです。
しかし、だからと言って、踊り子さんとファンはお互い全てを知る必要はありません。私はステージを通して踊り子さんを知ります。それ以上にプライベートな面を知りすぎるとストリップを楽しめない可能性があります。踊り子とファンという関係にはある一定の距離が必要。そういう弁(わきま)えは持っているつもりです。
● デビューしたSNAへ帰ってきたよ
4月25日(土)、新宿ニューアートに応援に行った。雨が降っていたせいか、土曜日というのに客入りは少なかった。
その日の出し物は「Heart」と「魔法にかけられて」の二作。
事前にブログで確かめていた通り。
「ニューアート前のりとか、デビューを思い出す。
思ってたよりステージ広い!
忘れちゃうもんだね。。
とりあえず今日からやる二作を踊ってみてます♪
周年作はもちろん、数日後にやります!
お楽しみに!
あ、Heartは今日から衣装リニューアルしてますよん(^^)」
今週、仙台ロックに居たとき、関東から来た客同士がSNAの初日の模様をラウンジで話していた。耳を欹(そばだ)てて聞いていたら、愛美さんの話が出てきた。その客は愛美さんのステージを初めて見たらしく「トップはロボットのような踊りをしていた。ポラが売れていた」などと話していたよ(笑)。
リニューアルされた衣裳と、演技中に壊れてしまい原宿で買い変えたというヘッドフォンをしっかり見ましたよ。
私としては1周年は前回の川崎ロックという感覚であったし、愛美さんも同じ気持ちをブログに書いている。
「周年イベントですが、
残念ながら周年の週がオフになったため、今回イベントはしません。
あいみの中ではもう、4月に入った時点で一年を感じていました。
周年作も無事出せて♪
イベントをやるのかどうか、よく聞かれている中、楽しみにしていた方々には申し訳ないです。
あいみは特に形にこだらずにいます。
ただただ、、無事一年を迎えられたことに感謝しています。
そして、デビューから応援してくれる方、
まだ知り合ったばかりの方、
今あいみを応援してくれているみんながいることが、嬉しくて、楽しくて、
劇場にのれることも、今とても楽しいです。
本当に幸せいっぱいだよ(^^)」
愛美さんは今週も1周年祝いの花束をたくさん頂いたようだ。
「もう、ほんと毎日お花と仲良しになれて嬉しい♪
それと、、
まさかこんなにもたくさんの方が、お祝いに来てくれるなんて思いもしなくて。
ビックリとハッピーと、
日々感謝の気持ちでいっぱいになります!
なんと、SNA初日からプレゼントしている周年グッズ。。
もうほぼ配りました!
数に限りがあるので、なくなり次第終了です(>_<)
このままだと楽日まで確実にもたなそうなので、、
早くに来ていただいた方優先となることをご理解いただけたら、と思います。
周年グッズ作りに関わってくださった方も改めて、ありがとうございましたm(__)m
実用的なグッズ、かなり好評です☆
そしていよいよ、
明日から周年作も開始♪
3個出しは劇場から許可いただけず、残念だけど「Heart」か「魔法にかけられて」どちらかとの2個出しです。
どちらも、もう関東では踊れなくなりそうなので迷い中(>_<)」
周年グッズは既に川崎のとき、なおなおから携帯でサンプル写真を見せてもらっていた。髪の毛の多い私には貴重なブラシ。使い過ぎて髪の毛が減ったら大変です(笑)。高価なものではありませんが、同じ値段の中から選んだ、なおなおのセンスの良さが出ている。愛美さんのために苦労してくれた彼に感謝です!
「グッズ、わりと高級品ですよね!! その分数が少なく、もう半分なくなっていたので、太郎さんに間に合って良かった。」
それはともあれ、今週はデビューした新宿ニューアートに1年ぶりに戻ってきたことに大きな意味がある。
● これまでもずっとそばにいたし、これからもずっとそばにいるよ
忘れもしない昨年の4月13日、デビュー三日目に私はここで愛美さんと出会った。そして、もう1年が経った。いやがうえにも感慨深くなる。
「ついに、出逢った場所、SNAに来ましたね。愛美も1年ぶりでまだ盆に慣れず、ぎこちないです(笑)。ほんと、デビュー週にこのステージに立ったのかな?と思い出せなくて不思議な感じです。やっぱりかなりの緊張で、ステージがどんなんだったのか忘れているようです。」
愛美さんはデビュー時のステージ感覚を思い出せないと言っているが、私は愛美さんとの出会いを鮮明に思い出せる。デビュー週は10日間のうち5日間も仙台から来た。ほんと愛美さんに夢中になりました。運命を感じていたほど。お手紙で交わした一字一句まで全て記憶しています。ほんとですよ。
ステージを見ていたら、愛美さんの心の声が聞こえてきた。
「この劇場、このステージから、矢島愛美というストリッパーが誕生したの。産んでくれて本当にありがとう。1年ぶりに戻ってきたわ。私、こんなに成長したのよ。今の私の姿を見てほしいの。」
新宿ニューアートという湖で産卵され孵化した稚魚は、広い海に出て、たくさんの劇場を回りました。つらいこと、悲しいこと、淋しいこと、悔しいこともたくさんありました。でも、ファンや踊り子さんにたくさんの仲良しができて、楽しいことがそれ以上にありました。そして、これだけ立派な成魚になりました。
ここ新宿ニューアートからスタートして、私はほとんど全ての劇場を共に回り、しっかり成長を確かめてきました。成長記「メモリアル」も残すことができました。私自身もファン1号として大満足しています。
心から1年間お疲れ様、そして一周年おめでとう、と述べさせて頂きます。
ステージ上の愛美さんを見ながら、心の底から次の言葉が自然と浮かび上がってきた。
「これまでもずっとそばにいたし、これからもずっとそばにいるよ」
手紙の最後に、この言葉を添えた。
以上の手書きの手紙に対して、愛美さんから心のこもったお返事を頂いた。
「デビューから三日目の4/13に出逢って、早1年以上が経つんですね。たくさんの悩みを聞いてもらい、たくさんの喜びを共にしてくれました。涙が出るほど感激する言葉も頂いて、お陰で今日があります。元々手紙が好きだった愛美も、こんなにもやりとりするのは久しぶりでした。今も変わらず楽しいです。こちらこそ1年間ありがとうございました。2009年、ロック座2年生もどうか見届けて下さいね☆
メモリアルも楽しみですが、やっぱり手書きの文章が1番好きです。いつも時間を作ってくれてありがとう。最後の言葉、愛を感じましたよ。あるファンの方にも、『愛美ちゃんは一人じゃない。いや、一人にさせないから』と言われ、愛を感じました。たくさんの愛情を受けて、ステージでの笑顔があり、感動があり・・・毎日、踊る作品が同じでも、全く違うステージを作り出しています。
今日は太郎さんを中心に、とても暖かいです。とても踊りやすいし、気持ちが入りやすい。やっぱり太郎さんが居てくれると違いますね☆」
私も愛美さんの側に居ると本当に楽しく幸せになる。
この日は、愛美さんと心の触れ合いができた最高の一日だった。
● ストリップの10年
愛美さんとのこの1年間を振り返るのと同時に、私は自分にとっての「ストリップの10年間」を振り返っていた。
実は二年前に「人生の意味」という重いタイトルで書いていたのが、どうしても最後の結びが付けられず、筆が途中で止まったままになっていた。テーマが大きいのですぐに結論付ける必要もなく、ある意味「自分史」なのだから、じっくり思索したいテーマと考えていた。
愛美さんへのメモリアルをずっと書き続けてきて、ふと、このテーマに触れるものがあった。今の思いをひとつの結論として、もう一度、このテーマをまとめてみたくなった。
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今のようなストリップ漬けの毎日は、私の人生においてどういう意味を持つのだろうか? 私はそのことがずっと気になっている。
ときに堕落への一歩か、ずっと真面目に生きてきたことへの反動か、などとマイナス・イメージで考えてしまうこともある。女房はストリップを容認してはいない。私のストリップ通いが我慢できなくなれば離婚されるだろう。家庭崩壊、ひいては人生の破滅につながりかねない。
一方、私は人生において無意味なものはないと信じている。私は40歳になってからストリップに嵌(はま)ったが、かれこれ10年という年月を費やしている。この10年を自分なりに納得したくて自問自答している。
自分の人生を10年区切りで見てみたい。
誕生から10歳までは『自我の目覚め』。私は一歳半で小児麻痺にかかり左下肢が不自由になったが、実家が商売をやっていたこともあり、環境柄、誰にでも笑顔で対応してきた。お陰でコンプレックスから根暗になることはなかった。しかし、もちろんコンプレックスでずいぶん悩まされたことも事実。身障者という理由でいじめの対象にもなった。ただ私にはいい友達がいたこと、また本も友達にできたことが良かった。そんな中、いい教師と巡り合えたお陰で、私は勉強の面白さを知る。こうしたエッセイを書くベースはその教師からの読書感想文の指導から端を発している。その教師は小学4、5年の担任だった。
次の10歳から20歳までは『人生の準備期間(勉強の10年間)』といえる。その担任と出会うまでは勉強が好きだったわけではなく成績も中ぐらいだったと思う。担任は勉強の面白さを教えてくれたと同時に、身障者の自分が他人に伍していくためには勉強しかないということを私に悟らせてくれた。中学に入ってからは部活にも入らず、ひたすら勉強に励んだ。特に予習に力を入れ、英語の教科書はすべて暗記して授業に臨んでいたほど。授業中は教科書を伏せて、先生に何行目を読みなさいと言われれば全て諳んぜられた。先生は私のような生徒は見たことがないと絶賛してくれた。その英語の先生は私が卒業した後々まで私のことを語り草にしていたようだ。試験では全教科ほぼ満点で他の追随を許さないほどに良い成績をあげていた。こういう性格でかつ勉強ができたから、友達も自然とできた。暗い青春ではなかった。大学進学まではまさに順調だったし、地元では「10年に1人の秀才」と云われ、障害をもっていたがゆえ美談の対象として賞賛されていた。
次の20歳から30歳までの10年は就職・結婚に象徴されるように『人生の基礎固め』。大学に進んでからは周りに秀才がたくさんいて、自分は相対的に普通の人になってしまった。「小さい頃は神童と呼ばれ、そして中学・高校は秀才、しかし大学に入ったら‘ただの人’」というのはよくあること。そこそこの会社に就職し、地元でお見合いし今の女房と結婚した。三人の子宝にも恵まれ、みんな良い子に育ってくれている。なにもかも満足している。
その次の30歳から40歳までの10年は『自分発見の10年(勉強の10年間)』。二十代は無我夢中で仕事をしていた。たまたま配属された部署が会社にとって最も重要でかつ大事な時期であったため、ほとんど休日も取れず、家庭をかえりみない仕事漬けの日々が続いた。そのときの仕事ぶりが高く評価されて今の自分につながっているわけだが、私は決して仕事が好きで家庭を顧みなかったわけではない。その忙しい仕事が一段落した時点で地方に転勤した。本社のころは忙しくて本を読む暇もなかったが、精神的余裕ができてから貪るように勉強し出した。仕事に関係する書物もたくさん読んだ。当時、会社の将来についての論文募集があったので応募したら優秀賞に選ばれ金一封30万円を頂いたこともある。たまたま読書家の上司がいて彼に感化された。仕事関係に限らず、人生を考える書物をたくさん紹介してもらい貪るように読んだ。今の私の物事を考える原点はこのときに培っている。いろいろ物事を頭にインプットすると次はそれをアウトプットしたくなる。私にとって、それは文章表現だった。いろいろ書いては読書家の上司に批評してもらったりした。たまたま子供たちが幼児期だったこともあり、本を読み聞かせるうちに、次第に私自身が児童文学に興味をもった。自分で童話を作り子供たちに寝物語として語ってきかせるようにもなっていった。たくさんの本を読んでは、たくさんのことを書き綴った。この10年は私が‘もの書き’であることを発見した貴重な時期であり、おそらく後半の人生に大きな意味をもつ10年になった。
しかし三十代後半に、地方勤務からまた東京本社勤務に変わり、片道二時間の長距離通勤が始まった。疲れからか、あまり文筆に力が入らなくなっていく。なにも書かない日々が続いた。
四十代に入って、ストリップに目覚めた。会社の業績が悪化し、リストラから大幅に年収がダウンしたこともあり、手頃な遊びとして会社帰りに近くの若松劇場に立ち寄るようになった。最初は10日に一度のペースであったが、次第に関東地区のいろんな劇場に足が向かい、平日はほとんど毎日のペースになっていく。最初のうちは観ているだけで十分満足していた。ポラも撮らなかった。ところが5年ほどしてから踊り子さんに手紙を渡すようになり、私の‘もの書き’の心に火がついた。今では書くことが楽しくて劇場通いしているところでもある。
四十代に入ってからの10年という年月は間違いなく『ストリップの10年』になっている。それまでの10年刻みは他人にも自慢できるものだが、この「ストリップの10年」は家族にすら言えない。私は、お手紙(実際はストリップ・エッセイ)の中で、ストリップの魅力は何か、自分にとってストリップはどういう意味をもつものなのか、ということを繰り返し自問自答している。私は、この「ストリップの10年」をきっちり意義付けないと自分の人生を語れないと感じている。
身障者であるコンプレックスを最も強く感じるのは異性問題である。私は間違いなく女好きである(笑)が、青春時代にかなり抑圧されたものがあった。失恋を繰り返し、ときに結婚できない不安から人生を失望し、自殺まで頭をかすめたこともある。
男にとって失恋とは大事な意味をもち、失恋する度ごとに自分を反省し、魅力ある男性になるために精進しようとする。当然私もそう考えていたが、私が身障者だからと最初から恋愛の対象にしてくれない場合も多い。自分になにが足りない、なにが彼女に気に入られない、と考えていくと、自分は身障者だからという結論にもっていってしまう。本当はそうじゃないかもしれないが、どうしてもそう考えてしまう。そういうときには落ち込んでどうしようもなくなった。
私が女性に対して高嶺の花的な神聖な憧れを感じるのは、身障者であるがゆえのコンプレックスに他ならない。ストリップを観ながら、にこにこして眺めつつ、かぶりつきで綺麗な女性を身近に感じ嬉しそうにしているのは、こうした反映なのだと思う。仕事も家庭も順調であるが、ストリップにはまり始めた根源はこのコンプレックスの発露なのだとうすうす見当がつく。
私は一年前、ストリップを通して理想の女性と出逢った。そう、それは矢島愛美さん。
ストリップの神様が私のストリップ10年目のお祝いに与えてくれた贈り物だと最初は勝手に思えた。そして私は恋に落ちた。しかし、恋はたくさんの喜びと共に、たくさんの切なさを伴う。このことはメモリアルに正直に記した。と同時に、私は愛美さん以外にも、これまで沢山の踊り子さんに恋をしてきたことを思い知った。
私は、自分は恋少なき青春を送らざるを得なかったというコンプレックスをずっと抱えていた。その青春の残り香を求めてストリップに嵌まったのだ。そしてストリップは私の業を癒してくれた。だからこそ、激しい喜びを感じてストリップ漬けの毎日になったのだ。こんな情けない私であるが、踊り子さんの中には私の相手をしてくれる人が現れる。お金を払った単なる客なのかもしれないが、私はそうではないと思いたい。そのうえ、私は擬似恋愛を求めて手紙を書いては好きな踊り子さんとコミュニケーションを図ろうとする。私は五年目にしてその領域まで求め出した。ストリップなのだから単に観てくれればいいと考える踊り子さんも多いが、その私の欲求に応えてくれる踊り子さんが少なからず居てくれた。お陰で私はストリップに飽きることなく嵌まり続けている。
若かりし頃は、恋心は途中でストップさせられた。告白して失恋してしまえば恋心を継続するわけにはいかない。ところが、ストリップの場合には擬似恋愛であるがゆえ、踊り子さんがステージにのる限りその恋心が継続できる。私はたくさんの踊り子さんに恋をしている。
実は私はそのことに気づいていなかった。ストリップ・エッセイの中でも、いつも自分は恋少なき人生だったように書いてきた。それに対して、ある踊り子さんから「太郎さんは恋少ない人生ではないよ。だって、たくさんの踊り子さんに恋しているもん。」と言われて、ハッと感じた。言われてみれば確かに、この十年間たくさんの恋をしてきている。しかも、ふだんの生活では出逢うことのない絶世の美女に対して。
ストリップというのは身障者の私に対して、神様が遅ればせながら与えてくれた「恋のプレゼント」なのだ! そう思い至った。その瞬間、長い間抱いていた青春の疼きからようやく開放された気分になった。
愛美さんのお陰で、そしてメモリアルを書くことで、私は自分の十年間という「ストリップ人生の意味」を知ることができた。誠に感謝に絶えない。
私は今年50歳という人生の大きな節目を迎える。四十代の『ストリップの10年』が必ずや私の人生において大きな意味をもつことを信じてやまない。
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こんな個人的な話を愛美さんにしてしまって申し訳ない気持ちもある。しかし、愛美さんさえよければ私の弱いところでも何でも話したい気分になっているのと、またこのメモリアルは自分の心の軌跡なので感じたままを正直に記しておきたいところでもある。
そんな気持ちから、この項も独立した手紙にして今回お渡しした。
● SNA公演を振り返り
今週は一日だけしか会いに行けなかったが、客入りが少なかった分だけ、私としては内容のあるお手紙交換ができて満足した一日だった。
最後になったが、今週の公演メンバーを記しておきたい。
1番目: 矢島愛美さん
2番目: 島谷小百合さん
3番目: 若葉さくらさん
4番目: 林泉水さん
5番目: 吉野サリーさん
6番目: 加瀬あゆむさん
島谷小百合さんは愛美さんデビューのちょうど前の週に、同じ新宿ニューアートでデビューした2008年度の貴重な同期である。今週二人が同時にデビューしたSNAにのるのも
素敵な縁(えにし)である。私の知っている限り、2008年度のロック同期で今も活躍中なのは、松嶋れいなさんと島谷小百合さんの二人しか残っていない。
れいなさんはAVでグラマーなので最初のうち人気を博していたが、クールな性格からか現在ほとんど固定ファンは付いていないようだ。私も応援対象外。その点、島谷小百合さんとは現在仲良くしてもらっている。小百合さんはデビュー当時はよく分からない存在だった。手紙を出しても反応は今ひとつだったし、応援してほしいという気持ちが伝わってこなかった。応援をやめようか迷った。そんな中、仙台ロックに出演しやり取りしているうちに彼女のシャイな性格がだんだん分かってきた。外見は爆乳で太めだが、気持ちは超細め。まっすぐ客の顔が見れないでいつも伏目がち。非常に恥ずかしがりやで警戒心が強い。ストリッパー向きではないかもしれない。すぐには心を開いてくれなかったものの、仙台二度目から私に対して心を開いてコミュニケーションしてくれるようになった。すぐに仲良くなれた愛美さんとは全く対照的(笑)。大きなおっぱい好きのストリップ仲間に、私が小百合さんと仲良くしているよと話したら驚愕していた。彼は、彼女がなかなか心を開いてくれないことをよく知っていたので。いずれにせよ、これだけ仲良くしてくれたら応援せずにはいられない存在になっている。
「今週はおとなしめな楽屋生活(笑) 夜に人と会ったりしていてよく寝てまーすzzz
昨晩はゆかねぇといたんです。プリティからほんとに仲良し♪」
お姐さん方もいろんな人がいるから全ての人と仲良くなれるわけではないと思うけど、その中で本当に気心の分かり合える方が一人でも見つかれば幸せだと思うよ。
今週もお姐さん達のステージのお勉強はしっかりしていたね。
「バタバタしながらのお勉強だったけど、
ものすごく感じたものがあって、
まだまだ踊りを頑張っていきたいって思った。
それから、今の作品もまだ変えられるなぁって。
いつも満足はしていないから、その分完成に近づく工夫をしてきて、
更にお勉強やアドバイスでまた進化してく。
ステージの楽しさを改めて感じた(^O^)
今回かなりステージ熱心なねぇさんたちで、最高でした♪」
最後は、ブログから愛美さんの言葉で締めます。
「ニューアートではお世話になりましたm(__)m
ほんと、たくさんのお祝いがあって、なんかイベントだったかのように感じてます☆
先週はステージのことたくさん考えて、
この先頑張っていこうって思えた。
けど楽日にいろいろあって一気に自信をなくしたの。
それで、訳わかんなくなって、興奮気味でゆかねぇに会った。
優しくしてくれたゆかねぇにとても感謝!
やっぱりあいみは恵まれてる(^_^)
自分信じて頑張っていくよ!!」
次は初の郡山。私も楽しみだ。