『矢島愛美メモリアル』 ~仙台でのデート(2008.7.31)~
● デートの誘い
私にとっては愛美さんとのメール交換は最高に楽しい。異性とのメール交換は会社関係以外では初めてだし、これだけ続けていられるのも驚きでもある。
これは毎日ブログで彼女の私生活を知れるため、話題に事欠かないためであろう。メールでも話が弾んでくる。
そんな中、7月8日、愛美さんから、ついに仙台ロックに出演が決まったとの連絡があった。
「昨日のブログを見ていただいていればもうご存知かと思いますが。。
仙台ロック、決まりました!!
8月1日~10日です。
私たちの強い想いが重なったという感じでしょうか・・・
まさか、こんなに早くそちらに行けるとは。
驚き!!!!!!!!
そして嬉しいっ!!!!!!!!!!!!
太郎さんからのメールで、
『近いうちに仙台ロックにものってくれそうな予感がします。』
という予言があった通りでしたね(^-^)
予言はすることで早く叶うものだと実証しましたね♪ 」
愛美さんの喜んでいる気持ちが伝わってきた。もちろん私も大感激していた。
そのときのメールは「相談です☆」というタイトルだったので、「最後に、そちらへ行く際のご相談があります。」とのこと。
「相談に入ります!!
仙台ロックに前のりしたいので、30日の夜行バスでそちらへ向かいます。
31日の早朝に着くため、劇場に入れるまで、1日観光しようかと思うんですが。。
お勧めの場所を教えてもらえたら・・と思います。
よろしくお願いします♪ 」
すぐに、メールを返信した。
「メールありがとうございます。
まず、なにはともあれ 仙台ロック初乗り決定 おめでとう!!!
そして、ありがとう!!!
ブログ見ていなかったので、メールを拝見し朝から嬉しくて小躍り状態です。
ルンルン♪
(中略)
まずブログの話。
仙台ロックが決まって、愛美さんの喜びようが手に取るように伝わってきました。
中に『会いたい方々もいるし』・・・きっと私のことかなぁと嬉しくなり、
デビュー楽日の花束まで撮ってくれてて、見た瞬間感極まりました。
私の名前は載ってませんが、
私を意識したブログの内容に感激していまいました。(嬉し涙)
私も仙台ロックのリクエストカードに毎回、愛美さんの名前を記入しているので
いずれ願いが叶うと思っていました。
ナポレオン・ヒルの成功哲学に<願えば叶う>という大原則があります。
ほんとうに願いが叶いましたね。 」
その後で、お勧めの観光場所をかなり詳しく紹介し、最後にこう付け加えた。
「私でよかったら車で案内しますよ。
松島と仙台市内なら一日で回れます。
デートしていただけるのでしたら、喜んでご案内します。」
さりげなく書いたつもりだが、私的にはかなり勇気の一文だった。ダメもとだ。断られてもこれまで通り愛美さんのファンであることに変わりはない。また「相談します」の言外に「案内してほしい」という勝手な解釈もできる(笑)。
31日は平日の木曜日。仕事的にはなんとか休める。ちょっと早めの夏休みということで。すぐに有給休暇の手続きをした。
4日ほどして返信があった。
「仙台ですが、案内してもらうのお願いしようかな。
せっかくだし、仙台を知りたい、太郎さんとも色々話せるし♪
ただ、仕事は大丈夫ですか?
無理はしないで下さいね! 」
この返事は嬉しかったなぁ~ あぁ青春時代のときめき!
● 初めてのデート
栗橋では、仙台でのデートの打ち合わせはやらなかった。後でゆっくりメールでやろうと愛美さんにも話した。
単なる観光案内に過ぎないかもしれないが、私としてはあえてデートと書きたいし、そういう気持ちになっていた。
7月20日の栗橋から、7月31日のデートまで、それほど日がない。
仕事が一段落したところで、7月26日に細かいスケジュールの擦り合わせをメールで連絡した。しかし、すぐに愛美さんから返信が来ず、7月28日にメールで催促。
正直、愛美さんからの返信が来なくて、結局デートはお流れかなという不安が過ぎっていた。それならそれで仕方ないとも腹を決めていた。仙台ロックでは必ず会えるのだから。
とは言いながら、その間、デート用の洋服と愛美さんへのプレゼントを探して歩いた。まぁ、その間仙台ロックにもまめに通っていたが・・。
7月29日に、ようやく愛美さんから返信。インターネットがつかえなくなっていて返信が遅くなった模様。今回は携帯からのログインで、今後は携帯へメールを送ることで連絡を取り合うことにした。
私は、そのメールを受けて、すぐに詳細スケジュールを流した。
「朝はAM11時に泉中央駅でお願いします。
中央口の出口はひとつなので改札口で待ってます。
万一、行き違った場合は携帯にTEL下さい。
荷物はトランクに入れば大丈夫ですね。
それ以上大きい荷物は持ち運べないですよね。(笑)
泉中央から松島まで車で30~40分。
お昼は松島でとりましょう。
一番景色のいいレストランを考えています。
食事後、遊覧船で松島湾一周。30分ほど。
国宝「瑞巌寺」がすぐ近くにあります。伊達政宗の菩提寺です。
このふたつがメイン。あとは時間と疲れ具合をみて、廻りましょう。
15時くらいを目処にして松島を後に、仙台へ向かう。
車で約一時間。
仙台に着いたら、早めに呑もうか?
私が何度か使った居酒屋ですが、牛タンとか色々食べれます。
平日で早い時間なら空いていますからね。
適当にお腹を充たしたら、絶対にカラオケに行きたい!!
こちらも早い時間は空いているし。
是非、愛美さんの歌、聴かせてください。
もちろんデュエットOKですよ。「愛が生まれた日」もちろんOKです。
いくらノリ×2でも23時までには歌い終わるでしょう(ヘ0ヘ)
というスケジュールを考えていますが、いかがでしょうか?
来仙、楽しみに待っています! 」
最後に、私の車がボロであることと、足が悪いことを付け加えた。
「ひとつ断っておくと、
私は小さい頃に小児麻痺にかかり左足が不自由です。
歩くのに全く支障はありませんが、少し足をひきずります。
劇場内では気づかなかったと思いますが・・
気に障ったら申し訳ないので予め話しておきます。 」
● 楽しかったデート
久々のデートということで興奮気味の私。会社の女性同僚とは仕事帰りにマンツーマンで飲みに行ったりしたこともあるが、日中二人っきりでデートするのはなんと今の女房以来のこと。年甲斐もなく青春が戻った錯覚(笑)。
前日、深夜バスにのっている愛美さんからメールが入る。
「バス、結構大変ですね(>_<)
あまり眠れなそう~。。
太郎さんが東京へ来てくれた時の大変さを身を持って感じます。
今度はあいみがそちらへ行く番ですから!
明日、待ち合わせで困ったらお電話します。
順調に向かえれば時間通り待ち合わせで、お会いしましょう! 」
うれしいメール。私自身も、いよいよ待ちに待ったデートに向けて緊張感が高まっていくのが分かった。
早朝目が覚めたら、外はどんよりとした曇り空。むしろこのくらいの方が観光には向いているかもしれないと思いながらデートの準備を始めた。
11時に泉中央駅で待ち合わせすることになっていたので時間的には余裕がある。
部屋のお片づけ、掃除などして、朝シャンして、それから車で出かけて、ガソリンを入れ、カーサワデーや簡単な飲み物・菓子類を買う。
11時前に泉中央駅に着く。11時少し前に愛美さんから携帯が入る。11時7分着になりそうとの連絡。これが初めての愛美さんからの電話! 携帯の電話帳に名前を登録しながら待つ。
その間、松島の大観荘に電話して屋上のレストランの予約をとる。
予定通り、愛美さんが現れる。大きなトランクバックを引きずりながら。実際、このトランクを持って階段を上り車まで運ぶのが大変だった。
『事前に劇場に荷物を送っているとは思いましたが、でもきっと手荷物はけっこうあるだろうと思っていましたが、さすが踊り子さん! すごい重さでした(笑)』(翌日の私の手紙から)
愛美さんが初日から身体が筋肉痛になっていたと言うから、きっとこのトランクを運んできたせいだろうと思った。
車で、すぐに松島に向かった。松島に向かうルートはいくつかあるが、泉中央からは私がふだん通勤で使うルートが早い。山道だが私としては運転が慣れている。私の運転はけっこうスピードを出すと事前に話していた。しかし、車好きの彼女は「安全運転ならスピードが出ても平気」と言っていたし、「実際これで70Km出てるんだよ」と話したら、「山道だからスピードを出している感じがしないのね」と返ってきた。
途中、支倉常長メモリアルパークに寄った。毎朝通勤で通っているが、実際に立ち寄ったのは初めて。仙台ロックでおやつとして支倉焼きを差入れようと思っていたので、事前に知識として支倉常長の話をしておきたかった。あまり興味はなかったかな。。
お昼過ぎに松島の大観荘に到着。すぐに最上階のレストランに入り、夏ランチを注文。一人2500円だったから美味しかったし、デザートがすごくたくさん出て、喜んでくれた。
そのレストランからの眺めが松島湾を一望できる最高の場所。愛美さんも喜んでシャッターを押していた。
これまで手紙でいろいろ話しているが、実際にゆっくりお喋りするのはもちろん初めて。
すごく話しやすかった。
ひとつアクシデント発生。会社の同僚がレストランに入ってきた。製造部長と総務課長が新入社員との懇談で食事をしていた。気づいた私は一瞬固まった。愛美さんにそのことを話したが、もう腹をすえた。翌日、隣の総務課長に会っても何も話しかけてこなかったが、実際私たちを見つけたようだ。そのことを一ヵ月後に上司の部長から何気に尋ねられた。びっくりしたが「親戚の娘です」と笑ってごまかした。
そのレストランで1時間半ほどゆっくりした後、遊覧船に乗った。最初に船内で案内を聞いていたが、すぐに看板に出て、かもめさんとご対面。カッパえびせんをやりながら、かもめさんと戯れる。愛美さんが大喜び。これが当日一番の観光だったかな。
遊覧船の後で、松島の景観を代表する史跡のひとつである五大堂に立ち寄った。ここも瑞巌寺と同じく桃山建築で有名なお堂で、国の重要文化財となっている。陸から突き出たような小島に建てたお堂なので、小さな橋を渡って行く。その途中でお土産を売っている小店とおみくじがあった。「変なのが出ると気になるので、あまりおみくじはひかないの」と言いながらひいたおみくじはなんと「大吉」。喜ぶ愛美さん。それを見て喜ぶ私。
その後すぐに瑞巌寺に向かう。五大堂から徒歩5分くらいと近い。ゆっくり中を拝観して、出てから近くの茶屋で抹茶アイス。なかなか雰囲気がいい。ブログに載せるつもりで愛美さんはデジカメを撮っていた。
松島観光はこれで終了。4時に仙台に向かって出発。
デートそのものは事前の準備がよかったのもあり大成功と言えた。ちょうど、興奮冷めやらぬ翌日に、劇場で愛美さんに渡そうと思ってワードで書いた手紙の文面が残っているので、もう一度記憶を辿ってみる。
『 改めて、昨日はありがとうございました。
憧れの愛美さんとドキドキ・デートできました。私も気分は「大吉」でした (ヘ0ヘ)
感謝・感激・雨あられ! 晴れ女なので雨はなかったですね(笑)』
『観光はほぼスケジュール通り進めたのでよかったです。満足していただけましたかな。
遊覧船のかもめはよかったね。愛美さんが喜んでくれているのを見て凄くハッピーな気分になりました。
私としての想定外は、大観荘のレストランで会社の人に会ったこと、でも今日会社で会いましたが気づいてなかったようです(ホッ)。もうひとつの想定外は、仙台国分町で車を止めたところで行きつけのスナックのママさん(韓国人)に見つかったこと。私が客として来てくれたと思ったようですが、違うとゼスチャーしたので特に問題なし。自分の知っているコースを選んでしまったので、こういうアクシデントは仕方ないね。』
5時頃、仙台に到着。
国分町に車を止めて、愛美さんは着替えタイム。ホテル・リッチフィールドのトイレを借りた。
『衣裳も2種類観賞できました。日中は清楚、次は夜に合せてセクシーな感じでした。』
着替え中に、次の居酒屋を予約。国分町通りの裏路地である稲荷小路の「○△□」にした。個室を予約したので、居酒屋といえども高級感が味わえた。女将さんやまかないさんがいろいろ料理を説明してくれたのが特に良かった。愛美さんは好き嫌いがなく、よく食べ、よく飲んでくれた。浦霞など日本酒もすすみ、愛美さんが喜んでくれているのがわかった。一緒に居てすごく気持ちよかった。
次に、カラオケに誘った。
『ゆっくり観光したつもりですが、さすがに夜行バスで来たので疲れたかな。ちょっとだけ車の中で眠っていましたね。
その分、夜のパワーは凄かったね。ブログで見ていたけど、ほんとにお酒強いね。ペースに全然ついていけなかったよ。でも居酒屋のお酒と料理はたしかに美味しかったな~
カラオケも楽しかった。初めて愛美さんの生歌を聴いたけど、これもパワーあるねぇ~
かなりノドが強いんだね。あれだけ高い声を出していたら普通声が枯れちゃうよ。でも平気なんだから地声がしっかりしているんだね。歌手になれる地声だよ。いい曲、いっぱい知っていて、すごく良かった。CDに録っておきたいと思ったよ。
私もカラオケには自信があったけど、こちらもついていくのがやっとだったかな。
でも、楽しかった・・
もっと、ずっと歌っていたかった・・
新しいお嬢さんを連れてきてくれたしね(笑) ほんと誰とでも直ぐにお友達になれるんだね、感心! 』
カラオケボックスで、愛美さんがトイレに行っている時に、17歳の女の子と仲良くなったといって、私たちのボックスに連れてきた。最後に三人で盛り上がったのはおまけ。
11時半には仙台ロックの門限があると聞いていたので、別れた。私は代行タクシーで泉中央に帰った。
翌日、愛美さんの手紙によると「昨日はありがとうございました!! もう本当に楽しくって思わず最後はすごい飲んでしまって・・。実はあの後、ナンパした女の子と遊んで・・さらに歌って飲んでの騒ぎで、ちょっと、だいぶ!?飲みすぎてましたね(笑) 16,17歳の女の子だけにカラオケも選曲が違う!! 少しだけ20代でも年を感じてしまった・・。」
「太郎さんの声、良かったですよ☆ デュエットも楽しかったですね!!」
「(私も気分が大吉だと言ったので)気分大吉でよかったです。スケジュール、バッチリでした。素敵なプランでしたよ!! アクシデントもまたドキドキして楽しかったりしますね。」
「(本当にお酒が強いなと感じましたよ。私はついていくのがやっとでしたと言ったので)
お酒は、はい、もっとあれから飲んでいたくらいですので(笑) 」
本当に楽しい1日でした。私にとってステキな思い出になりました。
ストリップ歴10年目にして、ついに踊り子さんとデートしてしまいました♪
● 初めてのプレゼント
長い間ストリップを楽しんできて、そしてこれからも楽しむ上で、私には、踊り子さんとの関係において自分なりの不問律をいくつか持ってきた。そのひとつが花やプレゼントを贈らないこと。たくさんの応援する子をもっているため、一人に贈れば切りがなくなる。それに妻へのケジメからしっかり一線を引いておこうという気持ちかな。
それが愛美さんと出会ってから自分の中で全てが崩れ去っている。それだけ彼女の魅力にのめり込んでいるのと、初デートのインパクトが強い。
初デートが決まってプレゼントしたい気持ちになっていたので、実際に栗橋の劇場で何がいいかなと思いながら愛美さんのステージを見ていた。
その時アクセサリーならブレスレットがいいかなと決めた。他の踊り子さんは凄く派手なブレスレットをしているが、愛美さんは水玉のブレスレットをしていた。だから、光物ならブレスレットかなと思った。
仙台に帰ってから、自分の洋服と一緒にプレゼントを選んでおいた。ピンクの宝石がついた可愛いデザインで私的にも気に入った。
松島から仙台に向かう帰りに、車の中で少しだけ愛美さんが居眠りし、目が覚めたときに、さりげなくプレゼントを渡した。ファンが好きな踊り子さんにプレゼントを渡すのは日常茶飯事のこと。とくに抵抗なく、すっと渡せた。
愛身さんも喜んでくれ、すぐに身に付けてくれた。
翌日からのステージでも身に付けてくれていたので凄く嬉しかった。
「ブレスレット、姐さんに『かわい~ね、ソレ! どこの?』と聞かれましたヨ! センス良いですね☆」と手紙にも書いてあった。高価なものではないのに、仙台公演中にずっと身に付けてくれていたので大満足だった。
● 足長おじさんにはなれなくて・・・
先に話したが、7月29日付けの私から愛美さんへのメールで、事前に詳細スケジュールを知らせた時、最後に私が足が不自由なことをさりげなく書いたつもりではあるが、実際はかなりの思いを込めて書いた。
愛美さんはこれまで私が身体障害者だなんて夢にも思っていなかったことだろう。狭い劇場内、そう思って見ないと私が足が悪いのに気づかない。実際、気づいた踊り子さんは急に怪我でもしたのだろうと「足、痛めたんですか?」と必ず尋ねてくるので分かる。その時に、実はもともと足が悪い話をすると一様に皆驚く。だから、殆どの踊り子さんは私が足が悪いことを知らない。
隠すつもりのものではないが、気づかないのだったらあえて話さないつもり。身体障害者か健常者かで対応が違ってくるとは思えないが、私としては対等な健常者同士という気持ちで踊り子さんとは接したい。
東洋の川村あいねさんには脳性まひのファンがいる。彼女の対応を見れば、彼女がいかに優しい女性かよく分かる。彼女は決して身体障害者を哀れみで接しているわけではなく、冗談を飛ばしたりして対等にお付き合いしている。その自然体にとても好感を覚える。
愛美さんが私が身体障害者だと知って、色眼鏡で私のことを見るとは思えない。そうであってほしくないのと、これまでの付き合いでそうでないことも分かる。先の私のメールに対して、愛美さんからの返信メールには「足のことは、了解です。あいみは早足ではないので大丈夫かと思います!」とさらりと書かれてあった。
むしろ私の側の問題だが、私は愛美さんの前では一人の男性として格好良く見せたいと思ってしまう。これは自然な感情。愛美さんの好みの男性像は「紳士的で、尊敬できるところがたくさんある人」であり、私はこれまで手紙でのやり取りで、愛美さんの中にそういうイメージ像を作り上げたと思っている。だから彼女に好感を抱いてもらっていると自負している。ただそれがすぐに恋愛感情につながるものだとは私も思っていない。要するに、愛美さんにとって私は頼りにしたい「足長おじさん」的存在なのだ。なのに、現実の私は「足長おじさん」どころか、足の悪いおじさんであった。彼女の中でそれがどうイメージ転換されたか・・・知る余地もないことだが、実際そんなことを考えることで私自身が不安になったり落ち込んだりする。しかし、そういう私の心持ちは彼女にとって頼り無さに見えるだろう。
実際のところ、全てを知ってもらうことでホッとするところもある。格好良く見せたくても現実それができないのだから、生の自分で接していくしかない。
だから、手紙にも「自分は小さい頃から強いコンプレックスを抱いてきた。しかし、このコンプレックスを克服してきたところに今の自分があると自覚している。だから恥ずかしいとは思わない。ただ、結婚して家族が出来て満足いく人生を歩んでいるにもかかわらず、こうしてストリップにはまってしまったのは自分が身体障害者で異性にもてなかった青春のうずき、それが‘業’となっているのだと思っている。」という話を書いてしまった。それに対して、「太郎さんは今とてもステキな方なので、そんなに苦い思い出があるように見えないですね~!!」「太郎さんも愛美もバックグラウンドや年数は違うけど、色んな経験をしてきて、たくさん辛い思いをし、涙し、そして痛みを知ったからこそ今があるのでしょうね。全てのことに感謝をし、今後の力にしたいです!!」 愛美さんらしい応答だと思った。
私のコンプレックスについては、今更ながら、もうどうしようもない。
仙台ロック公演が終わって、愛美さんのブログを毎日見ながら一喜一憂し、その感想をメールで何度も送っているが、今では全く返信がなくなった。私が身体障害者であることを知り、関心を失ってしまったのかなと頭を過ぎったりもする。としても、どうしようもない話である。
ふと、女房のことを考える。こんな私のことを愛してくれて、結婚してくれ、かわいい子供たちを授けてくれた。なんて有り難いことだろうと、感謝以外の言葉が見つからなくなる。
「これ以上、愛美さんにのめり込むのは止めなさい!」と私のコンプレックスが言っているようだ。