このシリーズを何度も止めようと思いつつ、どうしても書きたい話題が出てきた。ついに、このシリーズも「さよなら、仙台ロック(その13)」になってしまった。
今回の話題は、奥菜つばささんの引退。
仙台ロックに出演する踊り子さんの中から、もし‘ミス仙台ロック’を選ぶとすれば誰になるだろうか?
最近、一番多く出演する方といえば、筆頭は雪見ほのかさん、次に木村彩さんあたりがすぐ浮かぶ。二人とも自称「仙台ロック専属」と言っているほど、仙台ロックを愛し、また仙台ロックにたくさんの常連ファンをもつ。私がいたこの四年間に限定すれば、この二人は出演回数で群を抜いている。
しかし、通算の出演回数で考えた場合、お二人より奥菜つばささんが間違いなく上になる。つばささんのデビューは2000年5月(ナニワ)というから、もう10年目になる。私もストリップ歴10年になるのでほぼ同期。私がストリップにはまりかけた初期の頃からお会いしている。そのころから仙台ロックにのっているとすれば出演回数は今のロックの10年選手たちと肩を並べるだろう。
問題は出演回数だけではない。どれだけ仙台ロックの常連さんたちに愛されているか。この点、つばささんがいかに凄いかを、仙台ロックの主と自称してきた私が保証する。つばささんが出演するときには、仙台ロック名物のコスプレ衆が集い、とても華やかで賑やかな劇場に一変する。もちろん、他の踊り子さんも、他の常連さんたちも大いに盛り上がる。まさに劇場が祭りと化す。私は仙台ロック常連として、その雰囲気が大好きだった。
つばささんは仙台ロックを心から愛していた。その愛イオンを、ファンの全員が感じ、増幅しスパイラル状に飛ばしあい、そして皆が嬉々として全身で浴びている。そんな光景だった。
いま私に‘ミス仙台ロック’を選べと言われれば、間違いなく奥菜つばささんである。
つばささんの引退を聞いて、仙台ロック常連が続々と関東の劇場に集まってきている。H21.12.1~15が川崎ロックで、次のH21.12.16~30がSNAで最後となる。彼らは‘ミス仙台ロック’の引退を心から涙している。
私もその一人である。私はつばささんのことを心から愛していた。そして、つばささんも私のことを愛してくれていた。少なくとも私はそう感じている。いつも私の文章を喜んで読んでくれ、いっぱいお手紙交換してくれた、かけがえのない踊り子さん。また一人、大切な人が去っていく淋しさに涙せずにいられない。
いくつか思い出に残っていることをあげたい。
初めて仙台ロックでお会いした時のつばささんからの手紙(H17.10.13)。「こんにちは-っっ! わ-いっ×2、太郎さんだぁ。太郎さんが仙台にいる-っっ!、と、フィナーレ後に、そでで、みんなと、喜んでいました! 私の方こそ、太郎さんをお待ちしてましたよぉ!! 私たちも、みんな、今日も、太郎さんにお会いできてハッピーです。みんな、太郎さんがいらっしゃった途端に、ニコ×2してて、ステージ、さらに頑張るぞ-っっって言ってます。」「そうなんです、平日は、ほんとに、まったりです。でも、私、けっこう仙台ロックは好きなんです。なんだろう・・なんか、落ち着くというか、何というか。以前は、客入りが悪すぎで大きな赤字で、仙台ロックがなくなってしまう、という話もあったのですが、何とか、もちこたえてくれたみたいです。私も仙台ロックがなくなるのは非常に困ります。なので、私も、他の子も、できるだけのことは精一杯やろうっ!って気持ちでいます。」「本当に、太郎さんがいてくれる、それだけで、私たちニコ×2しちゃうし、いやされるし、もっともっと、すてきなステージにしよう!と思います。私たちも、太郎さんや、他のお客様にも、来てよかった、楽しかった、また見に来たい、そう思っていただけるよう、1ステージごとに大切にしていきたいと思ってます。まだまだ、はじまったばかりの仙台、私は後悔のないよう、一生懸命、そして楽しく踊っていきたいと思ってます。」 私が仙台に単身赴任して二週目、つばささんがトリでのってくれました。文面通り、私の存在をいつもストレートに喜んでくれました。手紙を読み返していたら涙が出てきました。
H18年3月後半に仙台ロックで初出しした桜澤まみ姐さんとのチーム・ショーCherry Pieは本当に楽しかった。幼稚園児姿がこれだけ似合うのはつばささんだけです。ロリコン・ファンには堪りません(笑) 「イヤ×2! 幼稚園児はやっぱり・・・はずかしいです・・でも自信もってやります!!」(H18.3.28)
個人的には、H18年お正月、新宿ニューアートで新庄愛さんが企画・演出したアメリカンスタイルのチーム・ショーA Happy 乳 Year in SNA (Bust of Dancing Night)の思い出が衝撃的だった。なんと、おっぱいで顔を挟むパフパフがあったのだ。そんなことがあろうとは知らずに入場したので驚いた! 驚いた! 出演者全員がステージから降りてきて客にパフパフを始めたとき、つばささんが迷わず私のところに来てくれました。そして、あのステキなおっぱいでパフパフをしてくれました。私はこのまま死んでもいいと思いました(笑)。なお、頭の中が真っ白になって、残念ながら、そのときの触感が全く記憶に残っていませんが・・(笑)。「アハハ、パフパフは、後半はなくなったので、太郎さんラッキー!? でも、かなり恥ずかしいのと、勇気がいりました。でも、来てよかったと思っていただけてうれしいです。」 私は一瞬は嬉しかったものの、夢から醒めると、つばささんにパフパフなんかさせるのはどうかと思いました。自分はいいが、他の客にするのはファンとして許せない(苦笑)。さすがに「そんなことはしないで!」とのファンの声が出てパフパフは後半なくなった。ともあれ、これは貴重な体験でした。もう一度できたら死んでもいい~ははは(^0^)
つばささんのヌードは本当に魅力的。ロリちっくな外見と一緒で、ヌードもデビューからずっとキレイ。私はつばささんのヌードが大好き。いつだったか、あまりかぶりつきで見ているのは失礼かなと思って、つばささんに話したことがありました。そのときの返事がよかったなぁ~「質問ですが、私は太郎さんがかぶりつきにいると嬉しいです。私も癒されます。むしろ、かぶりつきにいて下さい!って思ってまーす。」「・・・ここはストリップ劇場。ぶっちゃけて言うと・・・私は、はだか、下の部分を見てくれるのは嬉し~んだ。太郎さん、私のもいっぱい見てね♪」 はい、遠慮なく見させて頂きます(笑)。
つばささんにプレゼントした童話“冬の贈り物”も思い出深いなぁ。「童話♪すてきっっ 心があたたかくなりました♪私に子供ができたら(できるのか・・?) 読ませてあげたいナー♪」 気に入ってもらえて本当に嬉しかった。この童話は私にとっても宝物です♪
まだまだ思い出はたくさんある・・・
つばささんの外見はデビュー当時とまったく変わっていない。何年たっても幼いぐらいに可愛らしい容姿。ヌードもとてもキレイ。笑顔もステキ。これまで何度癒されたことだろう。つばささんは間違いなくストリップ界の永遠のアイドルだと私は思っている。
つばささんと一緒に、10年間ストリップを楽しんでこれた我々ファンは本当に幸せだった。また、人柄の良さから、周りのお姐さん達からもすごく慕われていた。傍から見ていても、そのことがよく分かった。
SNAでの引退週(H21.12.16~30)、つばささんはトリを飾った。出し物は引退作品に相応しく随分涙を誘うような曲が並んでいた。つばささんは「今回の作品は私が選曲したわけじゃないの。先生がすべて考えて作ってくれたんです。」と話してくれた。そう聞いてしまったせいか、私としても簡単には涙を催さなかった。
その週、私は3日SNAへ会いに行った。いつ行っても、つばささんのファンがたくさん来ていた。案の定、楽日30日の終演は深夜AM1時半になったらしい。
私はその前日の29日に最後のお別れを言いに行った。もう別れの手紙は前の川崎ロックで渡しているし、引退週はとても手紙なんか読む暇がない感じ。私はただ顔を出してあげたかった。そして、つばささんの姿を少しでも目に焼き付けたかった。つばささんからの最後のポラ・コメント「太郎さん、・・・いつも×2優しさをありがとう」 それだけで十分気持ちが伝わった。
29日は三回公演になったが、そのラスト・ステージに私は感極まった。つばささんからこれまで頂いた優しさが大きな波のように押し寄せてきた。その波は私の涙となって溢れ出した。つばささんが盆に移りベッドが始まった時、ステージの最前席、盆の後方から一人ぽつんと観ていた私はつばささんと目が合った。私が目を腫らして涙しているのを見て、つばささんは驚き、そしてコクンと頷いてくれた。私は恥ずかしさも何も感じなかった。涙こそが私のサヨナラの手紙だった。そして、つばささんがしっかり受け止めてくれたことが何より嬉しい。
長い間ほんとうにお疲れ様でした。そして、つばささんに、心から「ありがとう」とお礼が述べたい。つばささんのことは一生忘れません。私のストリップ・メモリーにたくさん記憶されています。
これから先もステキな人生を歩まれることを心からお祈りしています。
平成21年12月