豊田愛菜さん(ロック所属)の、大阪東洋ショー劇場のH31(2019)年4月結におけるステージ模様を、演目「マナデレラ」を題材に、「ストリップ界のシンデレラ・ストーリーを歩む」という題名で語りたい。

 

 

H31年4月結の東洋ショーに顔を出す。今週の香盤は次の通り。①浜野蘭、②桜庭うれあ、③大見はるか、④赤西涼、⑤豊田愛菜〔敬称略〕。今週はALLロック大会。

 

愛菜さんとは、前回の東洋H31年1月結では随分お久しぶりだったが、今回はわずか三か月ぶりの再会。嬉しい限りである。この調子でどんどん東洋にのってほしい。

 

さて、今週の出し物は、1,3回目は新作「マナデレラ」、2,4回目は演目「出逢い」。

初めて新作を拝見し、最初に随分ステキなドレス姿だなと感じたものの何をイメージしているのかは分からず、三曲目「世界に一人のシンデレラ feat. U」の歌詞で漸くシンデレラだと分かった。その後は定番とも云える召使姿で登場したので間違いないと確信した。

すぐポラタイムで「これ、シンデレラという演目なの?」と愛菜さんに尋ねたら、「マナデレラというの!」との返答。「愛菜+シンデレラ=マナデレラ」とはシャレてるね。曲名を教えて欲しいと頼んだらすぐに対応してくれた。お陰ですぐに内容を確認できた。

ディズニー映画『シンデレラ』(原題: Cinderella)がモチーフなんだね。ラストに使っている主題歌を始め、何曲かこの映画から使用されている。ケネス・ブラナー監督のこの映画は、2015年3月13日公開(日本公開は4月25日)のディズニーによる実写映画である。原作は、シャルル・ペローの童話『シンデレラ』。同作は1950年の同名映画の実写化である。短編アニメーション映画『アナと雪の女王 エルサのサプライズ』が同時上映。

ネットでこの映画を検索していて是非この映画を観たくなった。今回の観劇レポートの後になってしまうけど観てみるね。

なにより素晴らしいのは主役のリリー・ジェームズの美しさ。あれっ!? 彼女のことをつい最近他の映画で目にしたばかりなのに気づく。DVD試写室で観た映画『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』とミュージカル映画『マンマ・ミーア! ヒア・ウィー・ゴー』に出演していた!!! 超売れっ子女優なのにびっくりしちゃった。リリー・ジェームズ(Lily James、1989年4月5日 – 現在30歳)は、イギリスの女優。意外にベテランなんだね。ますます映画『シンデレラ』を観たくなっちゃう。

 

さて、まだ一回しかステージを拝見していないが内容を確認してみる。

最初に、鮮やかなブルーのドレス姿で登場。このシンデレラのドレスは「ロイヤルブルー」って言うんだね。誰もがその美しさに目を奪われたシンデレラが、舞踏会で王子と踊ったときのドレスだ。

頭には銀の王冠。イヤリングと銀のネックレスがきらきら輝く。肩出しで、胸から下に海が広がるような裾広がりにドレスが流れる。上半身にはまるで海のしぶきのように白い花模様が点在している。

足元には黒い靴が見える。音楽にのって踊る。愛菜さんの美しさはシンデレラに負けていない。まさしくストリップ界のシンデレラだね。うっとりしゃう♡

一曲目は、Ayasaの曲「千年ワルツ」。きれいなヴァイオリンの曲だ。Ayasa本人が「さびしい曲なんですよ。ワルツの3拍子でリズム的にもノリやすい曲でもありますが、構成だったりメロディーの構築とかがすごい切ない感じの曲で。」と語っている。

 Ayasaさんに興味をもってネットで調べる。すごい美人さんだぁ~♡ この人をストリッパーにしたい♡ と不謹慎にも思っちゃう(笑)

Ayasa(あやさ、本名・島村 絢沙(しまむら あやさ)、1991年10月19日 - 現在27歳)は、日本のロックバイオリニスト。東京都出身。JUGGLER所属。YouTubeのAyasa channelにて、「ヲタリスト Ayasa」として初音ミクやアニソンをヴァイオリンでカバーした動画を公開している。これまでにカバーした楽曲は「千本桜」、「レット・イット・ゴー」など。

 思わずテンションが上がったところで、一旦暗転。

 音楽が変わり、着替える。

 一転して、定番の召使女の服でお掃除をしている場面。白い衣装の上に薄いベージュ色のエプロンをしている。頭には手ぬぐい。黒い靴を履く。最初に床拭き、そしてピンクのはたきを使う。

二曲目は、パトリック・ドイルのインスト曲「ゴールデン・チャイルドフッド」。パトリック・ドイルは映画『シンデレラ』のサウンドトラックを担当した人。

パトリック・ドイル(Patrick Doyle, 1953年4月6日 - 現在66歳)は、スコットランド、サウス・ラナークシャー出身の作曲家。映画音楽の作曲家として知られ、とりわけケネス・ブラナーとのコンビによる作品が有名であるが、劇音楽、放送音楽なども手掛けている。略歴によると、1974年にグラスゴーにある王立スコットランド音楽演劇アカデミー(Royal Scottish Academy of Music and Drama)を卒業。ラジオ、テレビ、映画など幅広い分野で音楽を手がけるようになる。1987年にはルネッサンス・シアター・カンパニー(Renaissance Theatre Company)の音楽監督に就任し、ケネス・ブラナー主演の『十二夜』などの音楽を手がけた。その後もジュディ・デンチやデレク・ジャコビ演出の舞台にもかかわった。1995年の『いつか晴れた日に』と『ハムレット』でアカデミー賞にノミネートされた。

 三曲目は、PENGINの「世界に一人のシンデレラ feat. U」。PENGINとUのコラボ曲なので、思わず私の中のカラオケの虫が騒ぎ出す♪

「世界に一人のシンデレラ feat. U」は、2010年5月19日に発売されたPENGINの5枚目シングル。前作「世界に一人のシンデレラ」から8ヶ月でのリリースとなるシングル。

タイトル曲は、前作の「世界に一人のシンデレラ」に「U」をフィーチャリングボーカルとして加えてリアレンジしたバージョンとなる。「U」の正体はボーカルのXICOの沖縄アクターズスクール時代からの友人で山田優である。山田優にとって自身初のフィーチャリングとして参加している。ミュージックビデオでは、PENGIN、ウェディングドレス姿の新婦役としての山田優、新郎役としてのオードリーの春日俊彰が出演。

PENGIN(ペンギン)は、沖縄県出身の日本の男性3人組音楽グループ。そしてUこと山田優は、本名小栗優、なんと夫は俳優の小栗旬なのにびっくり。

突然、舞踏会を知らせる鐘が鳴る。(コロンビアミュージックスタジオグループの「効果音いろいろ」から教会の鐘。)

鐘の音と同時に一旦暗転。

音楽が変わり、エプロンを取ると、白い上下の衣装になる。

四曲目は、またしもパトリック・ドイルのインスト曲「オーファンド」(「シンデレラ オリジナル・サウンドトラック」より)。

裸足のまま、盆に移動してベッドショーへ。

盆の上で白い衣装を脱ぐ。上下の白い下着姿になる。すぐにブラをとる。眩しいほどの形のいい乳房が現る。白いパンティも脱いで、盆の横の花道のところに置く。盆の上にはキラキラした花柄の白い布が敷かれてある。盆の上に置いてあった銀のハイヒールを取って履く。これがガラスの靴のイメージなのだろう。

あえて言うが、一切のアクセサリーを付けていない。マニキュアもしていない。そう、若くて色白の素肌こそが最大の美しさ。余計なものは一切必要ないと思える。

ベッド曲は、CHIHIROの「君がいない世界は切なくて feat. KEN THE 390」。

CHIHIRO(チヒロ)って初めて知ったよ。福岡県出身のR&Bシンガーソングライター。作詞・作曲家として音楽活動を始め、数々のアーティストに楽曲提供を行う。2006年よりシンガーとしてのキャリアをスタートさせ、2007年春にアナログ盤の限定シングル『In the FLOOR』でデビュー。

心に沁みる歌だ。ネットにCHIHIROのこの歌に込めた想いが語られていた。

< 今回の曲もラブソング。別れを選んでしまった2人。もう二度と会えない。あの日の思い出に前を向いて歩いていこうとするそんな楽曲です。

この曲を作る中でこんな背景がありました。ある日をきっかけで書き始めました。

私の音楽の道をサポートしてくれた人でもあり、そして家族のようなお兄ちゃんのような存在だったDJDECKSTREMこと、DECKさんが空へ行ってしまった1年半前のあの日。

突然の出来事を受け入れられずにどうしようもない気持ちがずっと消えなくて、音楽に対しても、自分に対しても前を向けない時期がありました。

大切な人が目の前からいなくなる事の切なさ、儚さ、悲しみ。でも乗り越えていかなきゃいけない現実。何を抱えて生きていけばいいんだろうって悩んでもがきながも歌を書く事で、意味を持てるかなと思い少しづつ書き直しながら作っていました。

愛する人、友達、家族、人生において、出会いもあれば別れが来てしまう時が来ます。

別れる事はどうしようもなく切なくて、苦しい。でもそれを胸に抱えて生きるしかなくて。

大切なあの日の空気や、匂い、風、空そんなものを探しながら、言葉とメロディーを見つけて繋げていきました。残してくれた温かさを忘れないように。

日々抱えている切なさや痛みの向こうにある美しさにも気づけるようなそんな曲であれたらいいなと思います。>

そして、立ち上がり曲は、Sonna Rele (ソンナ・レレ)さんが歌う「Strong (ストロング)」で決める。映画『シンデレラ』のエンドソングに流れる主題歌です。

曲中では、女性が憧れるおとぎ話のように上手くいかなくても、強く信じる心があればきっとなんでもうまくいく!というメッセージが込められた歌詞になっている。「We are strong.」というフレーズが何度も出てくるが、女性の真の強さを再認識させてくれる素晴らしい歌詞です。「強くなれ」という命令形ではなく、「すでに私たちは強い」という意味です。「私は弱い」と思っていても、案外ものすごい強さを秘めているのかもしれません。

ちなみに、ソンナ・レレさんは、もともと全く無名のR&Bソウルミュージシャン。その、ソンナ・レレさんが有名になったのはFacebookからで、見出されて一夜のうちにレコードデビューが決まったという彼女もまたシンデレラ・ストーリーの大主役の一人でした。

 

今回の作品「マナデレラ」を拝見して、豊田愛菜さんがストリップ界のシンデレラ・ストーリーを歩み始めたことをしっかり確信しました。

 

 

平成31年4月                         大阪東洋ショー劇場にて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                      H31.4東洋にて

『踊り子になったシンデレラ』  

~豊田愛菜さん(ロック所属)の演目「マナデレラ」を記念して~

 

 

 あの夜のお城の晩餐会の後、シンデレラは王子様がきっと自分のことを迎えに来てくれるものと期待していました。というのは、王子はダンスの最中にシンデレラの耳元で「一目であなたの美しさに魅了されました。今度、お城にご招待してもよろしいでしょうか?」と優しく囁いてくれました。

ところが待てども待てども王子様は現れません。「王子様は社交辞令であんなことを言ったのかしら?」

その間も、シンデレラは継母とその娘たちにいじわるな仕打ちをされ続けました。

 

気の優しいシンデレラも、とうとう我慢ができなくなり家を出ました。

 シンデレラは秋風が吹き抜ける街の中を彷徨いながら、「踊り子、募集! 踊りに興味がある方、容姿に自信のある方は是非!」という張り紙にふと目が留りました。シンデレラは決心して劇場の扉を叩きました。

 そこは、晩餐会とはまた違った華やかな世界が広がっていました。「ここで輝けるのなら本望だわ」

 

 シンデレラは、容姿端麗なうえに愛嬌たっぷりな仕草を振りまき、一躍、劇場の人気者になりました。

 シンデレラは観客を見ながら、あることに気づきました。シンデレラのダンスやヌードにはしゃぐ客が多い中に、静かにしかも真剣にステージを見つめる客がたくさんいました。シンデレラと目が合うと赤くなって俯いてしまう純情な青年もいます。中には、シンデレラが話しかけても何も答えず、黙って手紙を置いていく人もいました。心が淋しかったり、心が病んでいる人たちがたくさんいることを、ストリップを通じて気づいたのです。でも、彼らは単に暗いというのではなく、心はとてもピュアでした。手紙の内容を見てもそう感じましたし、なんと楽日にはいつも涙で字が滲んでいました。単にこれまで女性に縁がなかった人たちなのです。シンデレラはこういう人たちのために自分が少しでも役立っていることに幸せを感じました。そして、彼らのために一生懸命にステージを努めようと決意しました。

 

 ある日、驚くべき人が劇場に現れました。ふつうの庶民の恰好をしていましたが、それは紛れもなく、あのお城の王子様です。

 シンデレラの評判は、評判が評判を呼び、その噂はお城の王子様の耳に入ったのでした。シンデレラのステージを一目観て、王子様は完全にシンデレラの虜になりました。王子様は夜毎お城を抜け出し、お忍びで劇場に通いました。もちろん毎回たくさんの高価なプレゼントを持参しました。

 

 しばらくして、王子様はシンデレラに対して、自分が王子であることを告白し、是非ともお城に入って自分の側に仕えてほしいと懇願しました。

 しかし、シンデレラは首を縦に振りませんでした。

「私は、あなたが王子様であることは最初に来られたときから知っていました。あの晩餐会の夜以降、お迎えに来てくれないかと期待もしましたが、期待は見事に裏切られました。いや、それを期待した私がバカでした。あなたとの縁はそれで断ち切れたのです。もう、あなたのシンデレラにはなれません。

 いまの私は、みんなのシンデレラになりました。私にとって一人一人のお客様が王子様なのです。私のことを慕って応援してくれるファンのためにこれからも踊り続けるつもりです。」

 王子様はそれ以降劇場には現れなくなりました。

 

 シンデレラはたくさんのファンに囲まれて、ステージの上で、いつまでも華やかに輝き続けました。

 

                                    おしまい   

 

 

 

 

 

【おまけ】

私は童話好きなので、「シンデレラ」の童話について少し調べてみました。ネットで調べたので披露しますね。よくある「本当は怖いシリーズ」です。

 

 

検証1: シンデレラ原作(グリム/ペロー)のルーツはどこに?

 

ヨーロッパに古くから伝わるこの「シンデレラ」のお話、

『ペロー童話』(1695)でも『グリム童話』(1812年初版~1857年第七版)でも語られているわけですが、ディズニー映画や日本の絵本の多くは、だいたい『ペロー』の方に近いお話になっています。つまりカボチャが仙女(魔女)の魔法で馬車にされて……というやつですね。

『グリム』では実はそれがなくて、2羽の白い鳩の導きで木を揺するとドレスや馬車が

現れるんですが、その木というのはシンデレラの死んだ実母の遺言にしたがって植えたものなんです。(『ペロー』にはこの経緯なし)

実はこのお話、『ペロー』以前にもイタリアの『ペンタメローネ』という本に出ているそうですが、「あらすじ」はだいたい同じ。

 

なお主人公の名は「灰かぶり」。「シンデレラ」はもともとそういう意味で、これがフランス語では「サンドリヨン」。

『ペロー』と『グリム』を読み合わせると『グリム』の方がずいぶん怖いというか、悪い継母やお姉さんへの懲罰が厳しいことがわかるんですが、それがいちばん強烈なのが王子のもってきた「ガラスの靴」を姉たちが頑張って穿こうとする場面。

上記「ちくま文庫」(1857年第五版から)池内紀訳で読んでみましょう。

 

母は娘にナイフをわたした。「足の指がなんだね。切っておしまい。お妃になれば、歩かずにすむ」

娘は、つま先を切りおとし、むりやり足をおしこんで、いたみをこらえながら王子の前に出た。

王子はこの娘を馬に乗せて城へ向かうのですが、途中で例の2羽の白い鳩が現れて叫びます。

ごらん 大足の女の靴は血まみれ ほんとうの花嫁は家にいる

王子は家へ引き返し、もうひとりの娘に靴を試させます。

母はこんどは「かかと」を切れといい、娘は言われるとおりにして、その後の展開はまったく同じ。(これが昔話の”リズム”ですね)

そして、その後の成り行きはみなさんご承知のとおり、シンデレラと王子のハッピーエンドというわけです。

 

初版はそれで終わりなんですが、その後の版ではさらに後日談として、結婚式の場面が書き加えられます。そこで彼女らはさらに苛酷な運命に見舞われるのです。

 

 例の2羽の鳩が現れて彼女らの両眼をつつきだしてしまい、第七版の最終行はこのとおり。

「いじわると、いつわりのばちがあたって、二人は生涯、目がみえない。」

いやー、きびしい。もともと道徳的なグリム兄弟、時代とともにさらに厳格になる……。

 

 

検証2: なぜ、シンデレラの靴だけ魔法から解けなかったのか?

 

普通、シンデレラというと、ディズニーのものが浮かび、もとはグリムという人が多いと思います。でもグリムに話を提供した人たちはフランスの人もいたようですし、フランスのお話というより、まとめ方の上手なグリムの話になってしまったのかもしれません。

 

グリムの普通の題名は灰かぶり、フランスの昔話では、サンドリヨン、灰だらけのおしり(キュ・サンドロン)というようです。サンドリヨンが英語読みになってシンデレラなのかもしれません。フランスのお話ということで書きこみます。

 

サンドリヨンが舞踏会に行きたいと知った名付け親の妖精が、ご存じのようにカボチャやネズミを使って馬車や馬や御者に変えます。これは魔法で変えますので、約束通りの時間になると魔法が解けて元の姿に戻ります。きれいなドレスもそうですね。

靴が何故、変わらなかったかと言えば、これは名付け親のプレゼントで、魔法で変えたものではないからです。

フランスのお話とすれば、一般に日本人の私たちより背も高く、大きな足じゃないかと思います。本の中には、グリムもサンドリヨンも靴のサイズは出てきませんので分かりませんが・・。

 

 追記:

グリムでは、階段に落として行った靴は、ガラスではなく「すっかり金でできていました」と書かれています。また、服や靴は、亡くなったお母さんのお墓に植えたハシバミの木に願い事をし、白い鳥が落としてくれるという形です。また、カボチャの馬車もネズミの馬も出てきません。多くの人が知っているディズニーのようなストーリーは、最初に書きましたようにサンドリヨンのお話の方だと思います。

 

 

検証3: なぜ、シンデレラの靴は小さかったのか、その理由

 

 女性器説、つまり小さい靴に小さい女性器をイメージし、シンデレラに処女性を求めた男性願望という説があります。

シンデレラはいいとこのお嬢さんで処女なので女性器が拡張していない(締まりが良い=穴が小さい)。一方、姉連中は合コンで男食いまくりだったため、女性器がガバガバ(ユルユルで締まりが良くない=穴がデカイ)となる。原典では、先ほど述べたように、義姉たちは、どうしてもガラスの靴を履きたいが為に長女はつま先を、次女は踵をナイフでそぎ落とすという描写が出てくる。

これが女性器であれば、今風なら黒くなったビラビラを切り取ってピンクにする女性器整形手術という事になるが、当時はそんな手術は無い。

また、靴が女性器を表すという事は、しかもそれが王子の手元にあるということは、舞踏会の影で王子と一発やっていた事を暗示し、王子はその夜のことが忘れられなくて、町中の女とヤリまくるという展開になり、これもまた今流行の「本当は○○の~」式の大人向けの本みたいになる。ちょっと無理な説ですね。

 

中国説というのもある。唐代(9世紀)の異聞雑記集『酉陽雑俎』に載っている「葉限(イェ・シエン)」という美少女と小さな金の履(くつ)の物語がシルクロード経由でヨーロッパに伝わったのが『シンデレラ』になったのではないかという説です。

こんなお話です。

葉限は呉という男の第一夫人の子だったが、母と父にあいついで死なれてから、意地悪な継母とその娘と暮らしている。

継母は葉限に辛い労働を強い、可愛がっていた魚も食べて、その骨も隠してしまう。そこへ蓬髪で粗衣を纏った人が天より降りてきて彼女を慰める。「魚を殺したのは継母で、骨は堆肥の下に隠してある。持ち帰って部屋に隠し、欲しいものがあったら、その骨に祈るといい」 葉限が言われた通りにすると、金も宝も衣装も望みのまま。

節句の祭で、継母と妹が葉限に留守番を言いつけて出かけた後、葉限も、翡翠の羽衣と金の履で着飾って出かける。 が、祭りで妹に見とがめられた葉限は慌てて引き返し、その際金の履を片方落としてしまう。

葉限の落とした履は隣国の陀汗国で売られて国主の手に。これを人にはかせると、足の

小さい者でもそれより一寸だけ小さくなり、国中のどの女性の足にも合わない。

やがて葉限が見いだされて御前に進み出ると、国主は天女のようなその美貌に惚れ、葉限と魚の骨を国へ連れ帰り、継母と妹は石打の刑に処す。以上

中国では、美人の条件である纏足(幼少時から足を小さい木靴に入れて足が小さいままになるようにした風習)があるので、これがもとになった話です。中国説の信憑性は明白ではありません。

なお、この「葉限」の物語、明治~昭和の大博物学者 南方熊楠が西洋に報告することで知られるようになったものですが、その後の学者たちの調査で、実はよく似た話がほとんど世界中に分布していることがわかってきた。ともかく、靴に足がぴったりはまるかでお嫁さんさがしをするという物語が、これだけ世界中に広まっているところを見ると、女性の「小足」への男の憧れは普遍的(だった)ということになるんでしょうかね。

 

ヨーロッパでの一般の通説では、継母はやはり下々の出でシンデレラの父親をたらし込んだ(=娼婦系)なので、その娘も労働者階級の種であり、当然踏ん張って働くために足がデカイ遺伝子が引き継がれて足がでかかった。つまり姉たちは下層の労働者階級の血統なので、足がデカい(態度も、悪徳もデカイ)、という解釈です。ヨーロッパの感覚では、上流階級はスマートな上品な靴を履き、大衆はドタ靴をはくというイメージが在るからです。

シンデレラの姉たちの「大足」があざけられることには、かなり深い意味を読むこともできて、彼女らの母親がもともと下層出身で、さらにいえば娼婦であったことへの当てこすり……なのかもしれない。グリムの懲罰が苛酷さを増していったのも、あるいはそういう部分にかかわるのかもしれません。

 

                                      以上