ロックの踊り子・楓彩さんについて、2020年3月中の大阪東洋ショー劇場での公演模様を、一周年作「シャイニングスター」を題材に、「踊り子になったタカラジェンヌ」という題名で語ります。
2020年3月中の大阪東洋ショー劇場に顔を出す。
今週の香盤は次の通り。①桜庭うれあ(ロック)、②浜野蘭(ロック)、③伊東紅蘭(東洋)、④楓彩(ロック)、⑤大見はるか(ロック) 〔敬称略〕。
楓彩さんとは2月中の東洋以来なので二か月ぶりの再会。早めにお会いできて心から嬉しかった。しかも仲良しの伊東紅蘭さんと一緒というのも私を喜ばせた♪ これからも伊東紅蘭さん共々、東洋の準専属タレントとしてたくさん乗ってほしいな。
今週は、1,3回目は一周年作「シャイニングスター」、2,4回目は前回の東洋で拝見した演目「I HATE YOU」、という二個出し。
一周年作は、先週3月頭の横浜ロックで初出ししたばかり。
内容は、デビュー作と同じく宝塚もの。
全体を通して宝塚歌劇団の歌声が響く。
華やかな赤い上下セパレートの衣装で登場。赤い中に白がポイントとして混じる。
髪はピンクの入った金髪。長い髪を白い髪飾りで後ろにひとつ結び。
赤い首輪で赤いブラを吊るしている。短い赤いスカート。スカートの裾から白いフリルが見える。両腕に長い白の手かせ布。赤い首輪とブラ上部とスカートのベルト部に真っ赤なバラの花が据え付けられている。すらりとした脚の先に銀のハイヒールを履く。とても鮮やかな衣装である。
1,2曲と音楽に合わせ、華麗に踊る。
音楽が変わったところで、赤いミニスカートを脱ぐと、下には白いフリル状のスカートが現れる。スカートのベルト部はキラキラした赤いラメが輝く。
大きな白い羽扇子を二つ持って舞い踊る。
インスト曲になって、羽扇子をもったまま盆に移動し、ベッドショーへ。
楓彩さんが団員の名前を全て知っているほどに大の宝塚ファンと聞いているが、私にはまるでタカラジェンヌが踊り子になって一人タカラジェンヌを演じているような感覚になる。これまでは娘役を演じているが、彩さんは男役もかっこよく演じられそうだな。
ところで本作で歌っているのは誰だろう? 気になって彩さんに確認したら、次のコメントが返ってきた。「周年作は星組の紅ゆずるさんの曲を使っています!! いろんなショーや、演目の曲です。」
私は宝塚に関しては全く無知なので、すぐにネットで調べた。
紅ゆずるさんの画像を見た瞬間、「あれっ! 紅ゆずるさんって、なんか楓彩さんに似ている!?」と思ってしまった。やはり憧れの人の作品を演じているんだから、どこか似てくるのも分かる。と同時に、タカラジェンヌがストリッパーになってヌードを披露してくれると思っただけで私は興奮のるつぼ。
無性に「踊り子になったタカラジェンヌ」という童話を書きたくなったよ。すぐに着手した。
2020年3月 大阪東洋ショーにて
【参考】出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
■タカラジェンヌは、宝塚歌劇団の団員に対する愛称である。
宝塚と「パリジェンヌ(フランス語: Parisienne)」を合成した言葉であり、おしゃれな団員をパリジェンヌのイメージに連想したものである(和製の合成語であって、フランス語としては正しくない)。
単に「ジェンヌ」と略されるときもある。ファンが団員を指すときには「ジェンヌさん」などのように呼ぶ。
<語誌>
小林一三は宝塚音楽学校の生徒が「ヅカガール」をはじめとする様々な名称で呼ばれることを嫌い、タカラジェンヌと呼ぶことを発案した。最初にこの言葉が公式に登場したのは、1937年の「たからじぇんぬ」(白井鐵造作)においてである。以来タカラジェンヌをモチーフにしたショーや楽曲が多数制作されている。
しかし、宝塚歌劇団および運営する阪急電鉄の外部ではタカラジェンヌの愛称はなかなか普及しなかった。『大宅壮一文庫雑誌記事索引総目録』・宝塚歌劇団の項によると、1970年代前半まで週刊誌・月刊誌などの見出しはヅカガールがまだ一般的であった。タカラジェンヌの呼称が一般雑誌などで普通に使われるようになるのは『ベルサイユのばら』大ヒットを経た1970年代後半以降のことである。
2020.3
ストリップ童話『踊り子になったタカラジェンヌ』
~楓彩さん(ロック所属)の1周年作「シャイニングスター」を記念して~
ご存知、宝塚歌劇団は、兵庫県宝塚市に本拠地を置く歌劇団である。阪急電鉄創始者の小林一三が、三越少年音楽隊や白木屋少女音楽隊に想を得て、1913年(大正2年)に結成した宝塚唱歌隊を前身とする。そうした沿革から、歌劇団員はすべて阪急電鉄の社員として雇用契約されている。大正3年(1914年)に初の公演がなされ、そのときの演目は桃太郎を題材とした歌劇『ドンブラコ』だった。
舞台に出演するのは宝塚音楽学校の卒業生であり、全員が未婚女性である。団員は、歌劇団付属の宝塚音楽学校で予科1年・本科1年のあわせて2年間の教育を受ける。その宝塚音楽学校の2年課程を終えて、卒業認定されたのちに入団式を経て、正式に宝塚歌劇団の研究科1年生(研1生)となる。本人の技量や容姿などの理由で歌劇団から入団を認められないこともある。
入団した研1生は、初舞台公演を経て、組の所属が決定する。これを「組配属」と呼ぶ。現在は花(はな)・月(つき)・雪(ゆき)・星(ほし)・宙(そら)の5組と、いずれの組にも所属しない専科に分かれている。
なお、生徒は未婚でなければならないため結婚、健康、経済など諸事情で今後の活動が困難となった場合は、歌劇団を退団する。退団と同時に阪急電鉄との雇用契約も消滅する。
創設の当初から「老若男女誰もが楽しめる国民劇」を目指し、日本で初めてレヴューを上演した劇団として、一躍有名になった。現在も、健全かつどの世代の人が見ても楽しめる演目を中心に、芝居(ミュージカル)やレヴューを上演し続けている。ジャンルは古今東西を問わず、歴史劇、ファンタジー、SFなど多岐にわたる。
現在は、兵庫県宝塚市にある宝塚大劇場と、東京都千代田区にある東京宝塚劇場を中心に公演している。
団員たちは「タカラジェンヌ」の愛称で親しまれている。これは小林一三が名付け親で、彼は宝塚音楽学校の生徒が「ヅカガール」をはじめとする様々な名称で呼ばれることを嫌い、タカラジェンヌと呼ぶことを発案した。宝塚と「パリジェンヌ(フランス語: Parisienne)」を合成した言葉であり、おしゃれな団員をパリジェンヌのイメージに連想したものである。
さて、これから話すのは、ある演出家とそれに同調した一人のタカラジェンヌの物語である。
宝塚歌劇団は今でも人気が高いが、人気のある今だからこそ、新しい変革を試みるべきだとの意見が内部から出ていた。団員たちは、容姿端麗なうえ、歌唱力、演技、ダンスを徹底的に鍛えられる。更に、これに加味すべき味付けとして‘エロス美’があるのではないかと議論された。もともと創業当時から、宝塚歌劇団は従来の芸者や舞妓とは一線を画するとして、上流階級の子女のみを採用してきた。そのため、エロスをあえて忌み嫌ってきたところである。しかし、人間による本物の演技をするからにはエロスを避けて通れないのではないかとの意見があった。
そこで、同じ関西地区にあるストリップの名門・東洋ショー劇場に相談した。そこで、企画演出のできるサワティ王子が指導役「先生」として推薦された。
さっそく、サワティ王子は宝塚歌劇団の変革に着手した。
変革の前提を考えるにあたって、サワティ王子は、宝塚歌劇団とストリップ劇場との違いと共通点を整理した。
一つ目の違いは、歌唱にある。表現の方法はいくつもあるが、宝塚歌劇団の場合は歌に主軸を置いている。そのため宝塚音楽学校で徹底的に歌唱の勉強をさせられる。その点、ストリップでは自分で歌うことはない。しかし、踊るために音楽は重要で、その選曲センスがステージを左右するといっても過言ではない。
二番目の違いは、ステージの演じ方。ストリップは基本的に一人でステージを任されて演じる。その点、宝塚歌劇団は目玉になる人物はいても一人で演ずることはなく必ず集団で演じる。
そして、決定的に違うのが三つ目のエロス度。ストリップは‘エロスの殿堂’と云われ、ヌードを披露するのが特徴。その点、宝塚歌劇団ではヌードを披露することはない。この点について、サワティ王子はこう感じた。ストリップはお客が男性であることを前提に、男性が興奮しやすいように演じる。当然、男女としての性的な意識は強い。その点、宝塚歌劇団はお客が男性女性を区別せず、かつ女性である団員が「男役」も「娘役」もこなす。そこには性的に男女を意識させないものがある。男性を締め出した女性だけの独特の世界がある。いずれにせよ、エロスを抜きにして普遍的な楽しみを追求しているのである。
以上のような違いはあるものの、ステージで演ずること自体は非常に共通している。どちらも音響・照明など設備的な技術を備え、ダンス・演技・ファッションが融合した総合芸術である。ジャンルは古今東西を問わず、古典的なダンスに始まり、歴史劇、ファンタジー、SFなど多岐にわたる。
サワティ王子はそれぞれの違いと共通点を喝破したうえで、この世には男と女がいるわけで、エロスを抜きにして演ずることに無理があると感じた。表現者であるならばエロスを抜きにした表現はないのである。
そこで「エロスを表現に組み込むこと」を目標に掲げた。
まず最初の段階として、宝塚歌劇団の生徒たちにヌードに対する抵抗をなくさせないといけないと考えた。
そこで、生徒たちを何人かに分けて、順にストリップ劇場の見学に連れて行った。そして見学後に意見交換をした。生徒たちはステージや踊り子の美しさに感動し、それ以降、ストリップへの偏見はなくなった。ステージで表現する上で‘エロス’というものがとても大切であることが認識された。次の段階として、宝塚歌劇団の生徒たちと踊り子たちとの交流会を催した。みなさん、同じ表現者として意気投合していく。
サワティ王子は、宝塚歌劇団の生徒たちに「ステージに上がることは自分の健康美を見せることだ」と植え付けた。そうすることが観客を元気にすることだと教え込んだ。自分たちがストレスで暗い表情をしていたり、体調が悪く病的な雰囲気を醸してしまっては観客が元気になれるはずがない。そのためにも自分たちが心身ともに健康でいなくてはならないし、いっそう健康管理にも気を配るようになる。彼女たちの意識は次第に「カラダを見せるのが恥ずかしいのではなく、見せるのが恥ずかしいカラダでいることが恥ずかしい」となっていった。
これを踏まえ、サワティ王子は宝塚歌劇団の組織を見直した。
従来の組分けを廃止し、エロス別に新たな組分けにした。
バストに自信のある人を中心に牡丹組。これはボインの音感からイメージした名称。
おしりに自信のある人を中心に桃組。これは瑞々しいお尻を桃に見立てた名称。
女性性器に自信のある人を中心に桜組。これは美しい性器を桜の花びらに例えた名称。
バストやおしりは一目で判断できる。ほとんどの生徒はおのずと牡丹組か桃組のいずれかに峻別される。桜組は中でも選ばれた者だけが対象になる。しかし女性性器は足を開かないと見えないので限定される。しかし女性の本心としては性器を美しいと言われたいところ。サワティ王子は、彼女たちに自らがもつ身体的セックスアピールを意識させたかったのである。
いずれにせよ、この組配属するためには、身体を見せないといけない。当然、身体をじろじろ見られるのは恥ずかしいし、ましてや性器を見られるなんて抵抗があるだろう。しかし意識的にエロスを感じさせる身体にさせるためにも、この組織変更は必要であると考えた。サワティ王子は生徒たちに単に足を開かせるというよりもエロスに心を開かせたかった。ともあれサワティ王子はある程度の抵抗は想定内として、強引にでも対処していこうと思っていた。
ところが、意外にも生徒たちはサワティ王子に積極的に協力した。先のストリップ劇場での学習が功を奏したようだ。
そうそう、今回のサワティ王子の変革の取組において、なんといっても宝塚のトップスターたちが積極的に協力してくれたのが大きい。彼女たちは目的をよく理解していた。
その協力的な生徒の一人に星組トップスターの‘紅ゆずる’さんがいた。実は、サワティ王子は、たまたま彼女の近所に住んでいたため、幼いころから彼女のことを知っていた。彼女の身長は現在173㎝と高いが、小さい頃から背が高くて目立つ子だった。しかも、弟が二人いたこともあり男勝りなやんちゃな女の子。いつも大きな声で挨拶するので、サワティ王子もすれ違う度に「おじさん、おはよう」と元気に声をかけられたものだ。
いつだったか彼女が小学3~4年の頃かな、ミュージカル「ピーターパン」を観劇してはまったらしく、いつも緑色の服を着ては、自分のことをピーターパンだと思いこんでいたのを記憶している。(笑)
サワティ王子は、彼女が宝塚に入ったのを聞いていたので、何度か彼女の舞台を観に行ったことがある。しかも宝塚のトップスターにまで昇りつめていることが心から嬉しかった。まさかこういう形で再会するとは思っていなかった。サワティ王子は彼女のことを最初は本名で「さゆちゃん」と呼んだが、すぐに「べに子」と親し気に呼ぶようになる。
お陰で、彼女は最初からサワティ王子の指導に協力してくれた。
こうしてサワティ王子が目指した意識変革は見事に成功していった。
その後の宝塚公演は大成功を収めた。もちろん公演でヌードを見せることはなかったが見せ方がとてもセクシーになっていった。エロス度の高まりで男性客が爆発的に急増した。
宝塚の生徒の中には、エロスに目覚め、ヌードを見せることに快感を覚える子まで出てきた。彼女たちはサワティ王子を頼りストリップ界に転身した。
そう、紅ゆずるも、宝塚歌劇団を退団し、今では‘楓彩’という踊り子としてストリップ劇場のステージに立っている。
サワティ王子が全面的に企画・演出等をサポートしている。宝塚の特徴を活かし、舞台に歌唱も入れた。選曲はこれまで自分が歌ってきた曲を使用し、それに合わせて口ずさんでいる。なんといっても173㎝の長身はステージ映えした。舞台に立っているだけで神々しいオーラを放った。演技はさすがトップスターの貫禄である。こうして彼女は一躍ストリップ界のトップスターになっていった。
今日も、赤いドレスを華やかに着飾って作品「シャイニングスター」を演じている。まさしく彼女は輝くスターであった。サワティ王子は満足げに彼女のステージを眺めていた。
おしまい
【参考】出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
■紅 ゆずる(くれない ゆずる、8月17日 - )は、日本の女優。元宝塚歌劇団星組トップスター。
大阪府大阪市、東大谷高等学校出身。身長173cm。血液型A型。愛称は「さゆみ」、「さゆちゃん」、「ゆずるん」、「べに子」。
所属事務所は松竹エンタテインメント。
<来歴>
2000年、宝塚音楽学校入学。
2002年、宝塚歌劇団に88期生として入団。入団時の成績は47番。星組公演「プラハの春/LUCKY STAR!」で初舞台。その後、星組に配属。
入団後は役のつかない時期が続いたが、2008年、「THE SCARLET PIMPERNEL」で新人公演初主演。新人公演最終学年となる入団7年目のラストチャンスでの抜擢となった。
2011年、「メイちゃんの執事」(バウホール・日本青年館公演)で、バウホール・東上公演初主演。
2012年、「ジャン・ルイ・ファージョン」(バウホール・日本青年館公演)で、2度目の東上公演主演。
2013年、第一回台湾公演「宝塚ジャポニズム/怪盗楚留香/Étoile de TAKARAZUKA」に、選抜メンバーとして出演。
2014年、星組2番手として、「風と共に去りぬ」で全国ツアー公演初主演。
2015年、「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」(赤坂ACTシアター・ドラマシティ公演)で、3度目の東上公演主演。
2016年11月21日付で、北翔海莉の後任として星組トップスターに就任。相手役に綺咲愛里を迎え、年末の「タカラヅカスペシャル2016」でプレトップお披露目。
2017年、自身の新人公演主演作の再演となる「THE SCARLET PIMPERNEL」で、大劇場トップコンビお披露目を果たす。
2018年、第三回台湾公演「Thunderbolt Fantasy/Killer Rouge」に出演。5年ぶり2度目となる台湾公演で、主演として凱旋を果たした。
2019年10月13日、「GOD OF STARS/エクレールブリアン」東京公演千秋楽をもって、宝塚歌劇団を退団。同年11月1日付で松竹エンタテインメント所属となり、芸能活動を開始。トップスター出身のタレントとしては同社の第一号となる。
<人物>
出生時、身長51cm・体重3520gで、病院内で一番大きな赤ちゃんだった。目の両端に赤い痣があったため、看護婦から「絶対花魁の生まれ変わり」と言われたという。
2歳下と7歳下の弟がいる。子どもの頃はやんちゃな悪ガキで、毎日なにかしらイタズラをしていた。
小学3~4年の頃、ミュージカル「ピーターパン」を観劇してはまり、緑色の服を買ってもらい、1年ほど自分はピーターパンだと思い生活していた。
背が高かったため、近所の人から「宝塚に入れば?」とよく言われていたが、当時は興味がなかった。
小学5年の時、たまたまTVで放映されていた雪組公演「雪之丞変化/サジタリウス」を観て宝塚にはまり、タカラジェンヌになると決意した。宝塚初観劇は、雪組公演「仮面のロマネスク/ゴールデン・デイズ」。
音楽学校受験のためにバレエを習いたいと親に頼むも、それまで剣道や柔道を習い始めても2回と続かず、道具ごと弟におしつけていたため相手にされなかった。そのため録画した宝塚歌劇のビデオを観て、自己練習とイメージトレーニングを繰り返していた。その姿にようやく両親が折れ、受験前の半年弱だけバレエと声楽を習うことを許された。
2次試験の面接では特技の俳句を披露し、1度目の受験で合格した。