今回は、春野いちじくさん(TS所属)について、H30年10月頭の大和ミュージックでの公演模様を、新作「純残暑」を題材に、「赤い縄の正体は!? それは女の情念だ!!」という題名で語りたい。
H30年10月頭の大和ミュージックに顔を出す。
今週の香盤は次の通り。①悠木美雪(TS)、②橋口美奈(タッチ、元TS)、③玉(TS)、④春野いちじく(TS)、⑤神坂ひなの(TS)、⑥時咲さくら(TS)〔敬称略〕。今週はTSメンバー勢揃いで、話題がたくさん。まずは神坂ひなのさんの初大和(10/6-10後半五日間のみ出演)。今週は悠木美雪さんが1周年週で、10/6(土)に1周年イベントが催された。時咲さくらさんが見事な司会ぶりを発揮して本イベントを盛り上げてくれたが、その時咲さくらさん自身が今年いっぱいで引退すると先週表明したばかりで、今週は過去の演目を次から次へと演じていた。神香盤と呼びたいほどのいいメンバーがそろい、今週の大和は異様な盛り上がりを見せている。
春野いちじくさんは二個出し。1,2回目は演目「ファンタジー・ソープ」、2,4回目は今週初出しの新作「純残暑」。
今年の夏は命に関わるほどの猛暑が続き、また激しい台風が頻発し、こうした異常気象の中、漸く涼しくなってきて残暑を迎えられた感じがしていた。
だから、いちじくちゃんの可愛い浴衣姿を見て一瞬ホッとした気分にさせられるも、・・おやおや赤い縄が登場し、タダならぬ妖しい気配が流れる。いちじくワールドと云われる、特異のオリジナリティが顔をのぞかせている。この演目も一筋縄ではいかないようだ。
まずは、「純残暑」の内容を簡単に観てみよう。
ちなみに、純残暑という日本語はない。いちじくさんが感覚(フィーリング)で付けたようだが、ネーミングにもいちじくオリジナルが強く感じられるね。
最初の音楽は、多くの演目で使っているお気に入りのミュージシャン‘水曜日のカンパネラ’の曲「竹久夢二」(アルバム『ジパング』M-10に収録。発売日:2015.11.11)。歌詞を聴くも竹久夢二のこととは全く気付かなかったよー(笑)。
赤い和傘をさした浴衣姿で登場。和傘には赤地の中に白い渦巻模様がある。
浴衣は白っぽく見えるが、黒地の中にたくさんの白い花柄がある。帯は赤く、後部にリボン結びをしている。髪は後ろにひとつ結び。足元は黒い下駄を履く。白と黒というモノトーンの中に、帯と和傘の赤色が鮮やかに映える。まさしく夢二式美人画といったところか。
二曲目は、一青窈の「金魚すくい」(2003)。浴衣がお祭りの雰囲気を醸す。
ここで袖の近くで帯を解く。下駄を脱ぐ。和傘の影に隠れるようにエッチをしている。昔、祭りのときに性が開放されたという話はよく聞く。お祭りとはそういう気分にさせられるよね。
祭り囃子の音とともに暗転する。
三曲目は、後藤まりこの曲「大人の夏休み」。♪「やばいの やばいの 誘惑が・・」というフレーズが繰り返される。
今度は、赤い着物姿で登場。赤の中に青い花柄等がプリントされている。青い帯を巻く。
帯を解いて着物をはだけると、白い肌が赤い縄で縛られているのに驚く★
縄を解き、首に巻きつけたまま縄紐を垂らし、なんとウエディング用の白いベールを頭から羽織って、盆に移動。
ベッド曲は、また一青窈の曲「ぱぱへ」。亡き父への想いを歌った曲。ウエディング・パーティで父に自分の姿を見て泣いてほしいという歌詞だ。娘の白い裸体が赤い縄で縛られていたら、お父さんは卒倒しちゃうよね。(笑)
「純残暑」という粋な題名だが、これでは「不純ざんしょ!?」とおそ松くんに登場するイヤミ風に言いたくなる。(笑)
ふと、いちじくさんの赤い縄を見ていたら、「クリスマス ろうそく消したら 縄のあと」という句を思い出す。学生時代に、刑法の岡本助教授(当時)が作った句だった。こんな句しか記憶に残っていないほどなので、私は刑法の単位を取り損ねた(笑)。
さて、本題に戻り、どうして可憐な浴衣姿がSMちっくな赤い縄に展開していくのだろうか。今回のレポートでは、その一点に絞って考えてみたい。それが、いちじくワールドを探る鍵だと信じて。
まずは、選曲の歌詞を調べて紐解いていこう。ステージを拝見しながら、歌詞のフレーズを片言メモってネット検索した。ようやく曲名と歌詞に辿り着く。
一曲目が大正ロマンを代表する画家「竹久夢二」のことを歌っていることに驚いた。以前、いちじくさんに時咲さくらさんの演目「お葉」の観劇レポートをあげたね。興味深く読んでもらった記憶がある。私はモデルのお葉を巡る画家の二人、竹久夢二と伊藤晴雨の三角関係について興味をもって、かなり長いレポートをまとめていた。先にお渡したもの以外にもたくさんのレポートを書いているので、今回参考まで竹久夢二と伊藤晴雨について纏めたレポート二部をお渡ししますね。
竹久夢二は、モデルのお葉をめぐり伊藤晴雨と争った。お葉は元々、画家の伊藤晴雨のモデル兼愛人であった。その伊藤晴雨は当時‘責め絵’といわれる妖しい陰画を描いていた。今でいうSM画である。当然に縄による緊縛場面が多い。最終的に、お葉は竹久夢二を選び彼の元に走ることになる。こうした経緯から、赤い縄が出現したのかと思った。
ちなみに‘水曜日のカンパネラ’には竹久夢二の他にも、歴史上の有名人の曲がたくさんあるよね。千利休、空海、小野妹子、マリー・アントワネット、ジャンヌダルク等々・・これを作詞して歌っているコムアイさんの知識のスパンには驚く。まさにインテリっぽい。慶応義塾大学出身の才女だ。と同時に、恋愛歌を唄う今どきの歌手が多い中で彼女は異彩を放つ。
次に、今回の演目では、一青窈さんの曲が二つ使われている。私は代表曲「ハナミズキ」くらいしか知らないのだが、今回の二曲はハナミズキとは全く趣の違う一面を見せてくれた。いちじくさんは一青窈さんの魅力にも惹かれているのだろうから、一青窈さんのことを知らないと本演目を語れないことに気づく。
最初の曲「金魚すくい」は、単に浴衣にマッチした祭りの話ではない。歌詞をよく読みこむと「金魚すくい」ではなく「男すくい」なのが分かる。この曲は「毒と妖艶さを持ったR&B」なのだ。
♪【さらさ らいや 手のなるほうへ さらさ らいや おいでおいで】
「さらさら嫌」を「さらさ」「らいや」に分ける、その独特の言語感覚には脱帽する。
さっそく手を叩いて、男を自分の方に呼び寄せてみるが、相手は水中を頼りなく泳ぐ金魚のように、えっちらおっちらしていてなかなか彼女の思うようにはならないようだ。
♪【どちらとやったんしょ こちらとやったんしょ】♪【さらさ らいや どっちの水が さらさ らいや 甘い甘い】かなり意味深なフレームだ。
一青窈さんの歌詞は実体験に基づいたものとされ高評価されているので、この歌詞もそういうことだろう。実際、一青窈さんは音楽プロデューサー小林武史との不倫騒動で有名。<一青の不倫相手が音楽プロデューサーの小林武史だったことは周知の事実。小林は女優の松下由樹と長く交際した後、当時自らが所属していた「My Little Lover」のakkoと1999年に結婚。2人の子どもをもうけたが、05年ごろに一青と知り合い、07年に不倫交際が発覚した。妻との関係がおかしくなった小林は「My Little Lover」を脱退し、その後に離婚。晴れて一青と同棲していたため「略奪愛」といわれてきた。> しかし現在の一青窈さんはギタリストの山口周平と結婚し、二児の母親でもある。彼女は恋愛に関してかなりしたたかなものを持っているようだ。これは彼女の壮絶な生い立ちが影響していると言われる。調べてみて驚いた。
<一青 窈(ひとと よう、1976年9月20日 - 現在42歳)は、女性歌手・作詞家・俳優。
姉は、歯科医師・舞台女優・エッセイストの一青妙(ひとと たえ)。
父は台湾人、母は日本人。父は九份の金鉱経営で成功し、台湾の5大財閥に数えられた顔一族の長男・顔恵民。戦前から戦後にかけて日本に長く滞在していた父と母が出会い、台湾で妙と窈が生まれた。窈さんが 6歳の時、父を台湾に残し、母は姉妹を連れて日本に帰る。8歳の時、父は癌で他界。その後、窈さんが16歳のとき、母も闘病の末、癌で亡くなるという壮絶な生い立ちをしている。> 愛に飢え、子供を欲しがった窈さんは、前妻akkoとの間に子供のいた小林に見切りをつけて、別の男性に走ったのだろう。
二曲目の「ぱぱへ」は、会いたくても会えなかった父親への想いを綴ったものである。彼女がいかに家庭の愛に飢えていたか窺える曲でもある。
ふと、この赤い縄が、ぱぱと自分を因縁づける‘赤い糸’ではないかとさえ感じた。
一青窈さんもコムアイさんと同じく慶応義塾大学卒の才女であり、ある意味、変わり者と思えるが、とても芯の強い女性である。いちじくさんには、こうした一青窈さんの生きざまに惹かれるものがあるのだろう。
もう一人、「大人の夏休み」を歌う後藤まりこ。初めて聞く名前だ。ネットで調べると、歌の歌詞の如く、この娘もかなり「やばい」(笑)ことが分かった。
<後藤 まりこ(年齢非公開、2月22日 - )は、日本のミュージシャン、俳優。ロックバンド「ミドリ」(2003年〜2010年)の元ボーカル、ギター担当。バンド解散後はソロでの音楽活動の他、舞台、映画、テレビドラマで女優としても活動。大阪府出身。>
次のような人物像が語られていて驚く。< ライブでの過激なパフォーマンスを特徴としている。裸足でステージ上を駆け回り、跳躍し、マイクを自分の額に叩きつけ流血させるなど、縦横無尽に暴れ回る。さらにテンションが高まると客席に小柄な身体をダイブさせ、受け止めた聴衆の上を「歩きながら」歌う。必然的に聴衆の目に触れることとなるパンツは黄金色であることから「シューティングスター」(流れ星)と呼ばれている。2012年8月に行われた9mm Parabellum Bulletとのツーマンライブでのラストソング『あたしの衝動』の際、テンションが上がった後藤はスピーカーによじ登り、天井照明懸架用の梁にぶら下がった後、客席に落下。それでもなお、平然と歌う姿にスタッフ皆が顔面蒼白だったという。>
他の踊り子さんでは想像もつかない選曲だ。一見風変りと思える歌手たちの生きざまとバイタリティ。いちじくオリジナリティは、歌から影響されるところが極めて大きいと改めて感じられた。
最後にもう一度、あの赤い縄とは何かを問う。赤い縄とは、女性の心の奥底にある血の色‘情念’ではないだろうか。SMを含めエロスというのは情念の発露でもある。お気に入りの歌手たちが持つパワフルさがいちじくさんの心に情念を植え付け、それをいちじくさんがステージで発現させているのである。
女の曲だけではない、演目「ファンタジー・ソープ」のラスト曲である、銀杏BOYZ の「エンジェルベイビー」もそうだ。ふつうのアイドルなら、「おええええ くそみたいに君が好きー」というフレーズが繰り返される曲は使わない。きれいなイメージが汚される。しかし、いちじくさんはそれに女の情念を強く揺さぶられる。かわいらしい顔で「この曲が好きなんです」という言葉の裏に、強い女の情念が見える。
これまでの演目を振り返って考えても、演目「真夏☆侵食」のタコは今回の赤い縄と同じだし、また「東電OL殺人事件」をモチーフにした作品はまさしく女の情念の塊りだ。
いちじくさんがアイドルのように可愛い顔をしているのでついつい見過ごしてしまうが、この若さでもって女の情念を演じようとする試みがいちじくオリジナルの正体なのだと確信した。
そんなことを言ったら、いちじくさんに「私にとって、あの赤い縄はオシャレ感覚なのよ」と一笑に付されそうな気がするが・・・。とにかく、いちじくワールドは奥が深い。
平成30年10月 大和ミュージックにて
『思い出のマーニーがやってきた ―うさかめver―』
<春野いちじくさん(TS所属) の作品「純残暑」を記念して>
~映画「思い出のマーニー」のキャッチコピー「あなたのことが大すき」、
「あの入江で、わたしはあなたを待っている。永久に――。」~
森のストリップ劇場に、映画「思い出のマーニー」の主人公杏奈がやってきました。手にはスケッチブックを持っています。そして友達の彩香も一緒です。
絵の好きなカメさんがうさぎちゃんと一緒に、杏奈たちに声をかけました。杏奈はとても気さくに応じてくれました。スケッチブックも見せてくれ、その中には映画にもあったように「湿っ地(しめっち)屋敷」や「マーニー」の絵がたくさん描かれています。改めて、カメさんは絵に感動しました。映画の中で、杏奈は絵を通して物語を作ります。その物語の主人公がマーニーでした。
カメさんは映画「思い出のマーニー」のストーリーを思い出す。・・・
杏奈は、最初、すごく嫌な女の子でした。人と交わるのが嫌いで、親切に声をかけてくれる人に対してまで「おせっかい」と言ったり、友達に「ふとっちょ豚」などという酷い言葉を発したりします。
なぜそんな子になったかというと、ひとつは杏奈には外人の血が混ざっていて瞳が少し青く、それがコンプレックスになっていること。そして一番の原因は、杏奈が貰い子であること。杏奈は幼くして両親を自動車事故で亡くし、一人残された杏奈を引き取った祖母も娘の事故死の心労からか一年後に病死する。身内を亡くし施設に預けられた杏奈は五歳で今の両親に引き取られる。優しい今の両親のもと明るく育ったが、ある時、自分は貰い子で役所から養育費が出ている事実を知る。母親の遠慮した態度はそこから出ていると強く感じた。自分には血の繋がっている人は誰もいないことを痛感し、杏奈は自分から殻に閉じこもっていく。「この世には見えない‘魔法の輪’がある。私はその輪の外側にいる人間だ。無理に内側に入らなくてもいい。」と自分から決めつけるようになる。
そんな杏奈が、かかりつけの医者の勧めで、喘息の治療にと、空気のいい海のある村で静養することになる。母親の親戚筋にあたる大岩夫婦のもとに杏奈は預けられる。大岩夫婦は杏奈に優しく接するがなかなか馴染めない杏奈。
そんな杏奈が、広い湿原にある「湿っ地屋敷」を見つけ、不思議な懐かしさを感じる。
夢の中で、杏奈は湿っ地屋敷に住むマーニーという少女に出会う。そして友達になる。マーニーは杏奈に「あなたのことが大好き」「あなたのことをずっと待っていたの」「あなたと友達になりたい」と話す。夢の中で、杏奈はマーニーとの物語を作っていく。しかし、マーニーは途中で杏奈を放ったらかしにするように突然に消えたりする。「どうして私のことを放って消えてしまうの?」とマーニーを問い詰める杏奈。それに対して「許してちょうだい。もう私は遠くにいかなければいけないの。しかし、これからもあなたとはずっと友達でいたいの。」とマーニーは真剣な表情で訴える。そして杏奈はそれを受け入れる。
物語は途中何度も、夢と現実が入り混じる。しかも話が途中でプツンプツンと飛んでしまい、話の流れが見えなくなる。杏奈自身も迷う。映画を観ている方も、どこまでが現実で、どちらが杏奈の夢なのか、だんだん区別がつかなくなり、頭の中が混乱する。
最後に、杏奈は夢の中の少女マーニーが亡くなった祖母である事実を知る。その瞬間にすべての謎が解けていく。祖母が幼い頃の杏奈に語りかけていた話の記憶に基づいて、杏奈が物語を作っていたからだった。だから記憶が薄れてしまったところや杏奈が知らない部分がプツンプツンと物語を飛ばしてしまっていたのだ。
亡くなった祖母が夢の中でマーニーになって杏奈に会いに来たわけだ。「あなたのことが大好き」「あなたのことをずっと待っていたの」などのマーニーの台詞が実感として初めて大きな意味を持ち始める。その瞬間に、孫娘を残して死んでいった祖母の無念さや、今の孫娘の歪んだ心境を救いたい祖母の温かい想いがスクリーン全体をおおう。そう感じたら涙が止まらなくなる。
杏奈は、まさしく「思い出のマーニー」という題名の通り、マーニーを思い出にすることで、人間的に成長する。養ってくれている母親の頼子のことも許せるようになる。「ふとっちょ豚」と呼んでしまった友達の信子にも素直に謝る。そして、何よりも素敵な友達の「彩香さん」ができた。こうして自分で勝手に作っていた魔法の輪を漸く外すことができた。この映画はまさに杏奈の成長物語である。杏奈のように自分を嫌いになり悩んでいる女の子って結構いるんじゃないかな。そういう意味でとても共感を呼ぶステキな映画だと思う。・・・
カメさんの話は杏奈を喜ばせた。こんなにもしっかり映画を観てくれている方がいて素直に嬉しかったのだ。隣で話を聞いていた彩香も照れるようにはにかんだ。
また、カメさんと一緒にいたうさぎちゃんも話に絡んできた。
「私もね、この映画にとても共感したの。というのは、最近、私もステージの上で‘孤独’を感じるの。カメさんがリボンをしてくれたり、他にもたくさんの方が応援してくれているのは分かっているけど、時に、自信をなくして、たまらなく淋しくなったり、悲しくなったりするの。それは、ステージの上では自分ひとりだからかな。誰も助けてはくれない。
今は、この気持ちをステージで表現したいと思っているの。ところが、これがなかなか思うようにできない。
この映画では、杏奈さんの、独りぼっちで淋しくてたまらないのにみんなの輪に入っていけない葛藤がとてもよく伝わってきたわ。それを解決するために、空想の人物としてマーニーが登場する。マーニーは何の躊躇もなく『あなたのことが大好き』と杏奈さんの全人格を受け入れる。そして杏奈さんも、自分を放ったらかしにしたマーニーを許す。マーニーは杏奈さんの影の存在。杏奈さんはマーニーを許すことで、影の自分を受け入れたんだと思った。
また、マーニーがいつでも自分の中にいることで、自分は愛されているし独りぼっちでないことを知った。こうして孤独から解放された。
この映画では、そうした心の機微がとてもよく表現されていて感心したの。」
カメさんが続けて話をした。
「ボクも絵を描くから分かるんだけど、絵って素晴らしいよね。この映画のポイントは、杏奈さんが描いたスケッチだと感じたんだ。公園や湿っ地屋敷、なによりマーニーの表情や仕草がステキだった。絵があったからこそ、杏奈さんは心の中のモヤモヤを表に出すことができた。
もうひとりの絵描きの久子さん。彼女が本映画の重要人物だったよね。マーニーと幼馴染で、杏奈さんにマーニーのことを詳しく教えてくれたよね。
絵がすべてをとりなす縁になっていたと感じたんだ。」
そして、カメさんはうさぎちゃんの話をフォローする形で付け足した。
「先程うさぎちゃんが話したけど、最近、うさぎちゃんが心の中のことを表現したいって、さかんに言うんだ。特にステージの上で感じる‘孤独’とか、心の奥底にある‘女の情念’とか。踊り子というのは表現者(アーティスト)だから、自分で表現したい対象ができると、とことん追求したくなるんだね。
もちろん踊り子だからダンスで表現しようとする。しかし、考えてみたら表現方法はいろいろある。最初からダンスというのではなく、まずは身近なところで、その心の中のもやもやを言葉や文章にして、そして次にそれを絵で表現してみてはどうかな、とボクは思うんだ。うさぎちゃんと話して、その表現したい心の中にあるもやもやを言葉にし、それをボクなりに絵にしてみる。そうしたら、うさぎちゃんは喜んだ。
うさぎちゃんは、言葉にできたキーワードから、そのテーマに合った選曲を考える。そしてボクの描いた絵からポーズ、振付、場面設定を発想する。そうすると朧げに表現したいものが見えてきたりする。それがすごく楽しい。
最近は、うさぎちゃん自身が自分からどんどん絵を描き始めた。最初は思うように描けなかったが、これも慣れると次第にうまくなっていく。ボクが褒めるとどんどん描いて見せてくれる。絵を通しての、うさぎちゃんとのやり取りはすごく楽しいし、やっぱり絵の上手な踊り子さんは素敵だなぁ~って思う。
ボクは最近、踊り子さんにとっての絵の重要性を強く感じている。ステージには絵心が必要なんだ。‘絵になるステージ’になってこそ、初めて踊り子の想いは観客の心に届くのさ。」
杏奈さんも彩香さんも、そしてうさぎちゃんも、カメさんの話に頷いた。
杏奈さんは、森のストリップ劇場をスケッチし、その一部を記念にカメさんとうさぎちゃんにプレゼントしました。
今でも、森のストリップ劇場の壁には杏奈さんの描いた絵が飾られています。それを見ると、カメさんもうさぎちゃんも杏奈さん達のことを思い出します。その絵はまさしく‘思い出の’一枚です。
おしまい