今回は、H31年3月頭のミカド劇場における、箱館エリィさんの新作「ふるさとは遠きにありて」について語ります。

 

 

H31年3月頭のミカドに顔を出す。今週のメンバーは次の通り。①アキラ(道劇)、②三枝美憂(TS)、③箱館エリィ(TS)、④神崎雪乃(晃生)、⑤望月きらら(晃生)、⑥中谷ののか(TS)〔敬称略〕。

 

箱館エリィさんの新作「ふるさとは遠きにありて」が初披露された。観た瞬間に、あぁ~これはすごくいい作品だ!と感じた。私はエリィさんに、すぐ演目名と曲名を教えてほしいとお願いした。

「新作よかったって言ってくれて嬉しいです。ATSUSHI、いい声だよね。『ふるさとは遠きにありて』てタイトル付けました。室生犀星の詩が好きで、タイトルにもらったよー。天羽夏月姐さんに振り付けて頂きました♪ 」

ちなみに、私のスト仲間の一人がこの作品を観て、箱館エリィさんに興味をもって初めてポラも買ったらしい。それを聞いて私も驚いたが、それくらい本作品は強いインパクトを与えるもののようだ。

以下に、できる限り詳しく本作品の魅力を述べていきたい。(まだ一回しか観てないが)

 

髪を後ろにひとつ結びし、浴衣姿で登場。花柄の茶系の着物。帯も濃い茶系。

童謡に合わせて、裸足で踊る。

一曲目は、童謡「あんたがたどこさ」で毬をつく。「あんたがたどこさ」は、童歌(わらべうた)の中の手鞠歌のひとつ。熊本県熊本市(異説: 埼玉県川越市)が舞台。正式な題名は肥後手まり唄。

二曲目は、童謡「とおりゃんせ(通りゃんせ)」。これは、江戸時代から伝わるわらべうた。埼玉県川越市の三芳野神社での七五三参りが歌われている。作詞者不明、本居長世編・作曲、あるいは、野口雨情作とも伝えられる。

一二曲とも日本人なら誰でも知っている曲だが、これを華風月という人気バンドが歌う。

華風月(はなふうげつ)は、尺八・神永大輔(リーダー)、詩吟&歌&ピアノ・鈴華ゆう子、二十五絃箏・いぶくろ聖志の3人で編成された和風ユニット。詩吟などの古典音楽はもちろんのこと、オリジナルのポップス曲また著名楽曲のカバーを「和」のテイストを取り入れて演奏する。オリジナル曲の作詞作曲は、鈴華ゆう子といぶくろ聖志が担当。

華風月メンバー3人とも、重複して和楽器バンドのメンバーでもある。2012年10月、3人に津軽三味線、和太鼓、ギター、ベース、ドラムを加えた編成によるボカロ曲「月・影・舞・華」の演奏を動画サイトに投稿し、これが後の和楽器バンドに発展するきっかけとなった。2013年4月、和楽器バンドへ参加。2014年4月に和楽器バンドがデビューした後も、3人は華風月として並行した演奏活動を行っている。 両バンドの関係について鈴華ゆう子は、「『和楽器バンド』は大きな会場で盛り上がるロックテイストの曲で、『華風月』は生音で年配の方にも響くような曲をと、全く違う音楽性を持っています。」とし、「しばらくは『和楽器バンド』『華風月』の二本立てでいきたいです。」と語っている。

三曲目は、二階堂和美の「わらべ唄」。流れた瞬間、ジブリ好きの私の血が騒ぐ。ジブリ映画「かぐや姫の物語」の中の曲。収録アルバム『ジブリと私とかぐや姫』。作詞:高畑勲/坂口理子、作曲: 高畑勲。作詞作曲が高畑勲監督なのにびっくり☆

二階堂 和美(1974年2月14日 - 現在45歳)は日本のシンガーソングライター。

広島県大竹市出身。父は僧侶、母は教師。自身も浄土真宗本願寺派僧侶の資格を持つ。広島井口高校~山口大学大学院美術教育修了。1998年から2004年まで東京を拠点に活動したが帰郷し、現在は広島県大竹市に在住している。テニスコーツのさやとのユニット、にかさや(ex.にかスープ&さやソース)としても活動。1999年、初のアルバム『にかたま』発表。2006年、アンジェリーナ・ジョリー出演の資生堂「インテグレイト」のCMソング、2007年、日産・マーチCMソング「ハミング・スイッチ」を担当した。

2012年、NHK『おかあさんといっしょ』に「ショキ ショキ チョン」を提供。同年、小泉今日子からのオファーで、小泉のアルバム『Koizumi Chansonnier』に2曲を楽曲提供。

また高畑勲監督からの強い要望で、2013年11月公開のスタジオジブリ制作映画『かぐや姫の物語』の主題歌を担当することが同年5月に公表された、曲名「いのちの記憶」として2013年7月24日にシングルが発売された。昨年2018年4月5日 に亡くなられた高畑勲監督(82歳)の「お別れの会」で彼女は「いのちの記憶」を独唱し参列者の涙を誘った。

余談だが、広島第一劇場には、彼女と同じ広島県大竹市出身の女性画家「はと」さんが劇場の風景を描いた記念はがきが置いてある。大竹市は芸術家を輩出する所なんだね。

四曲目は聞き覚えのある童謡「七つの子」。七つの子(ななつのこ)とは、野口雨情が作詞、本居長世が作曲した歌である。大正10年(1921年)、児童文学雑誌『金の船』の7月号に発表された。雨情の故郷である茨城県北茨城市の磯原駅では発車メロディに使われている。

はいだ しょうこ(1979年3月25日 - 現在40歳)は、日本の歌手、女優、タレント、声優である。本名、拝田 祥子(はいだ しょうこ)。宝塚歌劇団所属時の芸名は、千琴 ひめか(ちこと ひめか)。歌劇団在団時の愛称は、ショーコ。 東京都出身。宝塚歌劇団84期生。NHK『おかあさんといっしょ』第19代目うたのおねえさん。東宝芸能を経てホリプロ所属。

三曲目から徐々に帯を取っていき、四曲目で最後の帯を取る。そして着物を脱ぎ、花柄のぼかしが入った白い絹のような襦袢姿になる。

ここで少し暗くなる。

そのまま盆へ移動。下着は最初から付けていない。

左手首のガラスのブレスレットが光る。

ベッド曲で、ATSUSHIが歌う「ふるさと」が流れる。素晴らしいの一言だ。

故郷(ふるさと)は、高野辰之作詞・岡野貞一作曲による文部省唱歌。1914年(大正3年)の尋常小学唱歌の第六学年用で発表された。 長らく作詞作曲者不明だったが、昭和40年代に高野、岡野と同定され、1992年(平成4年)からは音楽の教科書に両者の名前が明記されている。 高野の出身地である長野県中野市と、岡野の出身地鳥取県鳥取市に歌碑がある。

日本屈指のヴォーカリストとして、絶大なる評価を得ているEXILE ATSUSHIが、日本を代表する美しいメロディーをもった童謡『ふるさと』をカヴァー。これをカヴァーするきっかけとなったのは、ATSUSHIの古くからの友人に子供が産まれ、自分にできるお祝いとして歌をCDにしてプレゼントしたのがきっかけ。テレビ番組「EXILE魂」で一度だけ『ふるさと』を披露したことがあり、『日本の心をきちんと歌える素晴らしいヴォーカリスト』とATSUSHIが絶賛され、ゲスト出演者の涙を誘う場面もオンエアされ大きな反響を呼んだ。『ふるさと』は今も昔も変わらない日本人の心の素晴らしさが込められた楽曲。日本では今、震災や原発問題などで本当の故郷を失ってしまった方が沢山いる中で、【故郷をあらためて大切に思っている方も沢山おり、そんな方々のために大切に歌っていきたい】という本人のメッセージも込められている。

そして、立ち上がり曲は、中島美嘉の『朧月夜〜祈り』。中島美嘉の2枚目のミニアルバムで、葉加瀬太郎とのコラボレーションアルバム。

元々この曲は「ふるさと」と同じく高野辰之と岡野貞一による唱歌「朧月夜」であり、これに中島美嘉の詞と葉加瀬太郎の曲からなる続きを追加した楽曲。日本コカ・コーラ「爽健美茶」CMソング。

 

今回の作品「ふるさとは遠くにありて」は日本の童謡を散りばめた演目になっている。

童話好きの私にとって、童謡も同じくらい興味がある。とくに日本の童謡には「日本人の心」がある。

今回の作品では、今どきの歌手が童謡を唄っていることに感激させられる。誰もが知っている童謡を華風月(めちゃ人気の和楽器バンドのメンバー)が歌っているのもいい。なにより今や日本を代表する歌手であるEXILEのATSUSHIが歌う「ふるさと」は絶品である。私が最初にこの作品に惹かれたのもこの曲であった。ATSUSHIが歌うことにより、今どきの若者も童謡「ふるさと」を見直し「日本人の心」を呼び起こしてくれる。そして、エリィさんがステージを通してストリップ・ファンにまた「日本人の心」を呼び起こしてくれる。

いうまでもなく、日本には「日本の美」とか「日本人の心」と呼ばれるものがある。これは日本人として、どんなに国際化されても無くしてはいけないものだし、2020年の東京オリンピックなどで世界に誇るべき文化遺産としてアピールすべきものだと思う。

改めてエリィさんの作品を眺めると、そういうものが沢山ある。北海道出身者として作ったというアイヌ作品「黒百合の唄」や、作品「荒城の月」もそうだし、今回の作品「ふるさとは遠きにありて」もまさに「日本の美」「日本人の心」そのものだと評したい。他の作品もエリィさんの心に残っている演劇、映画、アニメなどを題材にして自分流に表現しているものが多い。私としてはとても知的刺激になり、かつ大好きなストリップでのエリィさん独自の表現方法に感激させられる。だから無性に観劇レポートを書きたくなる。

エリィさんは表現者として、とてもいい仕事をしているなぁと感じています。

 

 

平成30年3月                            池袋ミカド劇場にて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【閑話休題】

童謡『ふるさと』は同じ作詞作曲者の手による『朧月夜』『春の小川』等と共に、文部省唱歌を代表する曲として今でも歌われている。1998年2月の長野オリンピック閉会式で、杏里をメインボーカルに、開場全体で合唱されたのが記憶に新しい。また、この曲はたくさんの歌手にカバーされている。最近ではサザンの原由子(2011年)、EXILEのATSUSHI(2012年)、薬師丸ひろ子(2013年)など。

 

 

童謡『ふるさと』(作詞:高野辰之 作曲:岡野貞一)

                    <私流の訳詞>

 兎追いしかの山         *  踊り子を追いかけた、あの頃

 小鮒釣りしかの川        *  いい新人を釣り上げた(?)、あの劇場

 夢は今もめぐりて忘れがたき故郷 *   今でも思い出される忘れる事のできないストリップ

                                  *

 如何にいます父母                *    引退された踊り子さん、どうしていますか

 恙なしや友がき         *   すぐに辞めた新人さんも無事に過ごしていますか

 雨に風につけても思いいずる故郷 *    雨が降っても、風が吹いても、ストリップを思い出す

                 

 こころざしをはたして      *    こうやって文筆で自分の夢を果たして

 いつの日にか帰らん       *    いつかきっとストリップ界に貢献したい

 山はあおき故郷 水は清き故郷  *    山のようにふくよかなおっぱいの踊り子さんよ

                    清き水が溢れる故郷のような踊り子さんよ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ストリップ童話『かぐや姫と花咲じいさん』  

~箱館エリィさん(TS所属)の演目「ふるさとは遠きにありて」を記念して~

 

 

春早々の月夜。

空を見上げたら神々しく輝く三日月。その三日月の上の方から、一滴の雫がまるで滑り台を降りるように流れて、それが地球に向かって飛び出しました。

 

その雫は、ある家の裏の竹藪に落ちました。

その家のお爺さんが竹を取りに竹藪に入ったところ、一本の竹が神々しく光っていました。お爺さんが丁寧にその竹を切り取ると、中から可愛い女の子が出てきました。お爺さんは驚きましたが、その子を抱いて、家に連れて帰りました。家にいたお婆さんも小さな女の子を見て驚きました。二人の老夫婦は、子宝に恵まれなかった我々夫婦に神様が与えて下さったものと考えて大事に育てることにしました。名前をかぐや姫と付けました。

かぐや姫はどんどん大きくなり、三ヶ月もすると、とても美しいお嬢さんになりました。

 

 その家の隣には大きなさくらの木がありましたが、もう既に枯れていました。

 ところが、かぐや姫が家に来てから、木にたくさんの花が咲くようになりました。しかも、季節限定ではなく、一年中ずっと咲いているのです。いつしか、その家のお爺さんは花咲じいさんと呼ばれるようになった。

 村の人たちは、足繁く花見をしに、その家に集まりました。

 

 その様子を見ていたかぐや姫は、お世話になった花咲のお爺さんとお婆さんに恩返ししようと考え、さくらの木の下に舞台を作って、優雅な舞いを披露することにしました。

 彼女の踊りは、これまで村人が見たことのない幻想的な舞いでした。月が優しく語りかけるような響きがあります。彼女が投げかける妖艶な眼差しに村人はうっとり酔いました。

 次に、かぐや姫は重々しい衣装を脱いで軽装になりました。そして、さくらの木の枝にリングを何個かぶら下げました。彼女はまるで女忍者のように数個のリングに飛び移り、リングの秘技を披露しました。まるで月面での宇宙遊泳のよう。拍手喝采。

最後に、かぐや姫は一糸まとわぬ裸になった。そこには聖なるまで初々しい裸体があった。彼女の素肌はさくらの花のように透き通るピンク色。小柄だが、形のいい胸がふっくら、お尻が桃のように瑞々しい。そして、きれいな花びらを惜しげもなく見せた。かぐや姫の華は周りのどんな花よりも美しく輝いていた。集まった村の人々は盛大な歓声を上げました。彼女の花びらに心が癒やされ、汚れた心が清められる気がした。これが本当の華見であった。

 

 かぐや姫は「枯れ木に花を咲かせましょう」と訴えました。

 村は高齢化で老夫婦がたくさんいました。親切なお爺さんとお婆さんも、意地悪なお爺さんとお婆さんも、みんな、かぐや姫の綺麗な裸体を見て元気をもらいました。お陰で、老夫婦の中にも再び子宝に恵まれた人もいたほどです。子供が増えると、家族も村落も栄えます。

 さらに、かぐや姫の舞台を見ようと、多くの人々がやってくるようになる。人の往来が盛んになれば村は自然と活気づく。

 かぐや姫の「枯れ木に花を咲かせましょう」という合い言葉は村の活性化に通じるスローガンになりました。

 

 さて、かぐや姫の噂を聞いて、さっそく遠方から五人の貴族がやってきました。

 彼らは一目でかぐや姫を見初めました。五人はそれぞれたくさんの豪華な手土産を持参して何度も通ってきては、かぐや姫に求愛しました。しかし、かぐや姫は首を縦に振りませんでした。

 ある日、お殿様がかぐや姫の評判を聞き、その村を通りかかりました。お殿様はかぐや姫の舞台にたいそう感服し、たくさんのご褒美をあげました。そして、お殿様からも城に上がらないかとの誘いがありました。

 花咲のお爺さんとお婆さんの家は、かぐや姫のお陰でたいそうなお金持ちになりました。十分に孝行してもらったと考えたお爺さんとお婆さんは、今後のかぐや姫の幸せを考えて、結婚を勧めました。

 しかし、かぐや姫は誰とも一緒になる気がありませんでした。また、お金や権力に執着しませんでした。あくまで「みんなのかぐや姫」として舞台を観に来てくれた人々に元気を与えられる、そんな踊り子人生を送る決意をしていました。

かぐや姫はいつまでも「枯れ木に花を咲かせましょう」と踊り続けました。

 

                                    おしまい