今日は「私のノーベル賞の思い出」をお話しします。もちろん私がノーベル賞を取ったわけではありません。言わなくてもわかるか・・・(笑)
2010年度のノーベル化学賞に根岸英一さん(75歳)と鈴木章さん(80歳)が輝いた。ノーベル化学賞受賞者3人のうち日本人二人が同時受賞したのだから快挙である。
その根岸さんが母校である神奈川県大和市の小中学校を訪問したというニュースが報道された。
私は大和市と聞いて驚いた。なぜなら、最近、私は大和市にある大和ミュージックに行くようになったからだ。根岸さんのアカデミックな話題と私のストリップ観劇という相反するものが大和市で結びついたのだから面白い。
ふと、2002年にノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんのことを思い出した。
田中さんが受賞したのは43歳のときで、当時全く無名だったので世間も本人も驚いた。偉そうな大学教授ではなく、普通のサラリーマン研究者であったことが大きな話題となった。受賞のコメントで、飾らない朴訥とした話しぶりに好感を抱いた方も多いと思う。
実は、私と田中さんは同じ大学の同期。もちろん私は学部が違うので面識はないが、私の大学時代の親友(同じ同好会の仲間で、しかも同じアパートに住んでいた)は同じ工学部電気工学科だったので田中さんの顔は知っていた。田中さんは大学時代には目立って優秀な学生ではなかったらしい。むしろ私の親友の方が、当時ノーベル賞最有力候補と云われていた西澤潤一教授の半導体研究所でドクターにまでなったのだからはるかに優秀であった。私の親友はホンダ技研に入ってロボットの研究などをやっていると聞くから、私はひそかに彼にノーベル賞を期待している。受賞したら友人として報道されるかな(笑)。
田中さんのノーベル賞受賞の報道があった時、私は家でのんびりと晩酌をしていた。
報道される内容に驚き、自分のことのように喜んだ。田中さんとはやけに共通点が多いのだ。先ほど話したように、1978年に一緒に仙台の同じ大学に入る。私は一年就職留年したが、田中さんも一年留年しているので卒業年は同じになった。留年の理由がドイツ語の単位を落としたためと云うから、たしかに優秀とは思われない。ともあれ当時5年間、私と田中さんは仙台で一緒の空気を吸っていたことになる。
田中さんは8月3日生まれ。なんと私と2週間違いの誕生日。富山中央高校という地方の優秀校から東北大学に現役入学。一年留年したものの、島津製作所に入社。生まれた日も近いし、経歴が私によく似ている。私は聞けば聞くほど他人事のように思えず、晩酌の酒がすすんだ。
そのとき、隣で一緒にテレビを見ていた女房が強烈な言葉を放った。
「田中さんって、お父さんと経歴がよく似ているのに、なんでこんなに違ったのかしら。私もノーベル賞受賞者の奥さんになりたかったわ。」
気持よく酒を飲んでいたのに、酔いが一気に冷めた。
“おれはノーベル賞ではなく、酒がノーメル賞だ!”
冗談はともあれ、同い年の田中さんはノーベル賞で、かたや私はせっせとストリップ通いする中年親父。たしかにずいぶん違ったものだ。女房がくどきたくなるのはよく理解できる。(笑)
でも、そんなのは全く気にしない。私はストリップ・エッセイを書き続けてノーベル文学賞を狙うぞー(笑)。
平成22年10月