今回は、中条彩乃さん(ロック所属)について、H30年11月中の京都DX東寺での公演模様を、一周年作「トレジャーアイランド」を題材に語りたい。周年作は二つあるが、長くなるので、もうひとつの作品「中条サンバ」は別レポートにさせてもらう。

 

 

H30年11月14日(水)に京都DX東寺に顔を出す。そのままずっと残留中(笑)。今週は中条weekにするつもり。

今週の香盤は次の通り。①望月きらら(晃生)、②左野しおん(道後ミュージック)、③中条彩乃(ロック)、④浅葱アゲハ(フリー)、⑤小宮山せりな(ロック)〔敬称略〕。

 

今年5月中以来、二度目のDX東寺出演になる。また大阪東洋には既に今年四回出演している。関西のストリップファンにとって中条彩乃は既にお馴染みの踊り子となっている。新人でこれだけの頻度をこなしたのはまさに異例中の異例。それだけ関西のストファンに受けたということ。関西出身という親しみやすさもあったろうが、なにより彼女の明るく気さくな人柄が関西ストファンの心を掴んだということだろう。

そのことは一周年記念の葉書にある「心から感謝を込めて」という文章によく表れている。自筆でとても丁寧に書かれている。彼女の文章、その言葉がストレートに心に届いてくる。それは、これまでの中条彩乃が我々ファンに対して接してきたそのままである。なぜ彼女がこれだけ人気が出たか、よく分かる。

 

先月10月中の横浜ロックで一周年を迎えている。翌週に新宿ニューアートで、今回のDX東寺で三連投になる。疲れていることだろうが、今は乗りに乗っている感がある。「周年週は横浜で、その後ニューアートで、今。東寺の広さに戸惑いながらも、照明のキレイさに感動しつつ踊っています。」

驚いたのが、周年作が二つ、さらにデビュー作がリメイクされていること。「周年作は二つと、デビュー作はリメイクで出しています。そして好評だった『蝶と花』も持ってきて、毎日ランダムに四つ出しています。」「さっきのはデビュー作。衣装を全部変えていて、振り付けもちょこちょこ変えてて、まだちょっとしっくりきてないけど・・・大切にしてる演目なので、もっともっと進化するよ!」

まさしく、意欲満々。一周年で、これだけ成長した踊り子はなかなかいないだろう。ファンの後押しも凄い。

デビュー翌週のDX歌舞伎で初めて出会い、私を夢中にさせた踊り子の、まさに一周年の晴れ姿である。初めて出会ったときは「この子は踊り子の仕事を続けられるだろうか。応援してくれるファンがつくだろうか。」と心配したが、そんな懸念を吹き飛ばすようなこの一年間の快進撃であった。私としては応援した甲斐があったというか、まさしくファン冥利に尽きる気がしている。

彩乃さんの人柄や魅力は、我々お客に受けただけでなく、周りのお姐さん方にも好印象を与えているようだ。演目の振付をしてくれている、現ロックの女王ともいえるMIKAさんに「この子は将来のストリップ界を担っていく資質を持っている」と言わしめていたし、バレエの超スーパーダンサー・みおり舞さんが今回の周年作二つも提供してくれたことに私自身も驚き、かつ感激している。

 

この状況を一年前に想像できただろうか。普通の女の子であったのに、ストリップデビューを契機にしてシンデレラストーリーを駆け上がってきた感がある。「(本人曰く)デラカブで震えていたとき」が嘘のように堂々とした踊り子に成長してきている。

それは、もちろん本人の努力の賜物であると同時に、周りのお姐さんとお客さんの後押しという幸運に恵まれた成果でもある。その点は、彼女からの感謝の気持ちがよく伝わる。

そして、今回の周年作でとても意欲的な挑戦をしている。特に、演目「中条サンバ」の冒頭部分が印象的。中条新聞№3によると、「冒頭の雰囲気で『えっ?』って思う人、多いだろうな・・(笑) この作品のモチーフは、メキシコのお祭り『死者の日』。本名が死んだ日って意味で、最初にお葬式をしてるんです。」「本名としての私が死んで、中条彩乃としての私が生きて、一年が経った今、最高にハッピーだよって事をとにかく伝えたかった。」本名である昔の自分を捨て去り、今は中条彩乃という踊り子として生きていきたい、と明言している。

 

 

さて、まずは演目の内容を私なりに紹介しよう。

鳥の鳴き声や獣の吠える声など、ジャングルの中にいるような音色が聞こえてくる。「SE」(サウンド・エフェクトの略。音響効果の意。一般に、映画やテレビなどの画像に合わせて付加する効果音や短い音楽のこと)が多用されている。

少女がモスグリーンの探検着を着て、遺跡を探している。半袖、襟付きのワンピース服でネクタイをしている。スカートは短い。帽子をかぶる。水筒を小脇に抱える。黒いブーツを履く。小粋な探検着である。

首から大きなエメラルドのネックレスをしている。どうも、そのペアのネックレスの入った宝箱を探している模様。

音楽がショーン・メンデス(Shawn Mendes)の歌う「アンダー・プレッシャー (Under Pressure)」になる。軽快な音楽に合わせ踊る。この曲は、元々イギリスのロック・バンドであるクイーンと、イギリスのミュージシャンであるデヴィッド・ボウイの共作による大ヒット楽曲。これをカナダトロント出身の新進のシンガーソングライター、ファッションモデルである、ショーン・メンデス(Shawn Mendes、1998年8月8日 – 現在20歳)がカバーしている。

少女はピッケルを持ってせっせと穴を掘っている。目的のものはなかなか見つからない。汗をぬぐい、水筒を取り出すも、もう水は入っていない。

疲れて途方に暮れているところに、一匹の蝶が現れ、少女を誘う。蝶の導くままについていくと緑の葉に埋もれた宝箱が見つかった。蓋を開けると中から探していたペアのネックレスが出てきた。

そこで一旦、暗転。

そのジャングルに住んでいる、黄色の上下セパレートの民族衣装を着た女性が現れる。

肩には宝石の付いている肩掛けを首の周りに巻く。胸の周りの布。両腕に布を巻く。黄色の腰巻の上に薄い金色の飾り布を巻く。頭にも黄色の髪飾りで、青い紐がフリンジしている。

女性の胸には、ペアのペンダントが二つぶら下がっている。中条さんの解説によると、女性はその一つを想い人に渡したかったようだが、それは叶わなかった。

音楽が、宇多田ヒカルの「FINAL DISTANCE(ファイナル・ディスタンス)」になる。2001年7月25日にリリースされた、宇多田ヒカルの8枚目のシングル。作詞作曲: 宇多田ヒカル。

バラード調のメロディに合わせて、彼女の切ない想いを舞い踊り、そのまま、ベッドショーに移る。

ここで一旦、暗転。

映画『ジュラシック・パーク(Jurassic Park)』のサントラ音楽が流れる。未知の世界に入ったことを醸すにはいい選曲だね。

宝箱にうつ伏せて眠っていた少女が目を覚ます。民族衣装の女性のことは夢の中の話だったことに気づく。少女は、その女性の切ない想いを汲んで、取り出したペンダントを元の宝箱に返し、ジャングルを立ち去る。

 

以上の内容である。

一回観ただけですーっと内容が理解できたわけではなかったが、中条さんが云うように「トレジャーアイランドは、二回以上見ると、ストーリーが分かってくる人が多いみたいで、もう一回観たいと思わせたい演目です。」

 手紙とポラコメでのやり取りと中条新聞№3で段々内容が分かってきた。三回観たらほぼストーリーは理解できた。 

「脚本、構成、振付、そして選曲もみおり舞姐さんです。舞姐さんが実際に、発掘氏の方と出逢ったときに思いついた物語だとおっしゃっていました。」 

「ベッドの振付は私で、おそらく感情移入しやすいように、日本語曲を入れてくれたのだと思います。夢の中での彼女が、何を想っていたのか・・・正解は特に無くて、観た人の感じたままでいいと思っています。」

 

 以下に、本作を観た私の感想をいろいろ書き綴ってみたい。

 

■自分探しの旅

 

私には、今回の周年作二つのテーマは‘新しい自分探し’ではないかと感じられた。

彩乃さん自身も言っているように、デビュー前の自分と踊り子になった今の自分とは隔世の感があり、ある意味「周年作はどちらも過去との決別」であり「本名捨てて、戻るつもりもなく、中条として生きていきます」との決意表明。そして、今回の周年作が、これまでの路線を超えた、ストーリーものへの挑戦であり、サンバという踊りへの挑戦である。そのためにも、「死者の日」が示すように、今までの自分を壊し(心理学で言われる「親殺し」に近い一種の「自分殺し」)、新たな自分を発見していく‘自分探しの旅’を示唆しているように感じられた。

演目名「トレジャーアイランド」は宝島という意味である。今回はペアである片方のペンダントを探す冒険譚ではあるが、それはもう一人の別の自分を探す旅を意味する。ストリップのステージという新たな舞台を見つけたからには、今までの(本名の)自分は捨て去ることになるわけだ。

 

私はペンダントの数の推移が気になった。

中条新聞№3によると、「とある少女Aが主人公。彼女Aは、自分の持っているネックレスのペアを探しているようだ。ある日彼女Aは、きれいな蝶々に誘われて宝箱を見つける。」その中に探していたネックレスのペアを見つける。そのまま持ち帰るのかと思い気や、彼女Aはそのペンダントを元の宝物の中に戻して、去っていく。なぜか。彼女Aはその場で夢をみた。夢の中に、一人の女性Bが出てきた。彩乃さんの説明によると「夢の中でみた女性Bは過去の人。女性Bは2つのネックレスのうち、ひとつを渡したい相手がいたけれど叶わず、宝箱にしまう。現在、少女Aが遺跡を探し宝箱を見つける。けど大事な想いを感じて、取らずに、しまってあげる。」ということらしい。だから、夢の中の女性Bは最初に二つのペアのペンダントを持っていて、それを想い人に渡したかったけど渡せず、その渡せなかったペンダントを宝箱にしまう。元々彼女Bが持っていたペンダントは巡り巡って、とある少女Aの元へいった、という時系列の流れになる。彼女Aは、夢を見ることでそんな女性Bの気持ちが分かり、せっかく見つけたペアのペンダントではあるが取らずに元の宝箱に戻すことにする。

ふと、少女Aとしては、自分の持っているペンダントも合わせて宝箱に入れて、完全なるペアにしてあげるという選択肢もあったのではないかと思えた。本当にBのことを考えたら、その方が、女性Bとその想い人は一緒になれるからね。(元々ペンダントが三個あって、宝箱に二個入っていたとしたら別ですが)

 

だから、今回の演目が‘自分探しの旅’であるならば、(中条さんが踊り子という新しい自分を発見できたんだから)、私はラストシーンで全てのペンダントを置き去る方がしっくりすると感じた。私としては、今までの自分に一切のこだわりを残さないためにも、ペンダントのような物欲には目もくれないとしたかったところ。女の子は光りものが好きなので持っていたものを失うのは嫌なのかも。まぁ、そのへんは男と女とでは発想が違うかな(笑)。

 

■本当の自分とは

 

今回の話の中に、蝶が目的のペンダントの在り処に導き、それを発見した途端に夢に陥るところを観て、私は「胡蝶の夢」という有名な中国の故事を思い浮かべた。有名な話なので知っていると思うが・・・夢の中で胡蝶(蝶のこと)としてひらひらと飛んでいた所、目が覚めたが、はたして自分は蝶になった夢をみていたのか、それとも今の自分は蝶が見ている夢なのか、という説話である。

中条さんは今の踊り子の自分は夢のような気分なのかもしれない。本名の自分は別にいる。一体どちらが本当の自分か、分からなくなる。

これからは中条彩乃という踊り子として生きていくと決意表明したわけだが、本当の自分はどちらなのかは判断が難しいのかもしれない。

 

ふと、ペンダントって魂かなと思った。女性Bは想い人とペンダントを揃えることで魂を重ね合いたかった。本名の自分、踊り子の自分、どちらの自分を選ぶかは、自分の魂をどちらに重ねたいのか、ということではないのかと。

 

■宇多田ヒカルの曲「FINAL DISTANCE」について

 

 私は、本作品を理解するとっかかりとして最初に、夢の中で女性が現れたときに使用されている宇多田ヒカルの曲「FINAL DISTANCE」にこだわった。ネットで調べて、次の事実が分かった。

< 2001年にリリースされた「FINAL DISTANCE」は、宇多田ヒカルがある少女に贈った曲なんです。その事件とは、「池田小児童殺傷事件」であり、その事件の被害者で、宇多田ヒカルのファンである、女の子に捧げられた曲なんです。実際に最初の曲「DISTANCE」をレコーディングしてる最中に事件が起こり、被害者が宇多田ヒカルのファンだという事を、父(宇多田照實)から聞いたことがきっかけとなり、急遽、距離の意味を表す「DISTANCE」に、究極・最後などの意味を表す「FINAL」を付けた「FINAL DISTANCE」をリリースした。もとの曲「DISTANCE」はテンポのいいメロディだったのを、曲調もわざとバラード調に、変えて歌っている。

附属池田小事件は、2001年(平成13年)6月8日に大阪府池田市の大阪教育大学附属池田小学校で発生した小学生無差別殺傷事件である。 本事件の犯人は宅間 守(たくま まもる)死刑囚である。> 「Yahoo!知恵袋」より抜粋

 

元々の曲「DISTANCE」を聴いてみた。とてもいい曲である。こちらの方が好きという人もたくさんいる。

歌詞の中には、DISTANCE=距離について意味深なフレーズがたくさん並んでいる。「二人でdistance 縮めて」「ひとつにはなれない」「いつの日かdistanceも抱きしめられるようになれるよ」など・・

驚いたことに「FINAL DISTANCE」も歌詞は全く同じである。ヒカルとしては池田小事件を知った時に歌詞を変える選択肢もあっただろうに、歌詞を変えずにメロディだけ変えた。そして全く別の雰囲気の曲にしている。

この「FINAL DISTANCE」を聴いているだけで二時間ドラマを観ている気分になってくる。宇多田ヒカルは歌手界のトップと言われている事がよく分かる気がしてきた。

 

池田小事件そのものはヒカルとは全く関係ない事件である。なのに、殺された少女が自分のファンであったことを知り、やるせなくてたまらなくなったのだろう。少女には普通の人生があったはずなのに、なんの罪もないのに運悪く宅間犯人から命を奪われた。たまたまそこに居合わせただけで、なぜ彼女は死ななければいけなかったのか。ヒカルはいたたまれない気持ちに襲われたことだろう。

その死んだ少女が自分と関わる人ととらえた瞬間に、その少女の存在に自分の魂を重ねたのである。一瞬にしてDISTANCE=距離はなくなった。

宇多田ヒカルのいう「FINAL DISTANCE」とは何を意味するのか? DISTANCEというのは人との距離を意味する。今の自分と昔の自分に一体どれだけの距離があるのだろう。ましてや、自分と他人との距離はどうか。

この曲は、今の自分ではない別の自分、また自分と関わっている全ての人に対して、魂を重ねることで、自分と同じ気持ちで接したいという想いが込められているように思えてならない。

 

今の自分はたまたまここにいる。しかし、別の自分はここじゃないところに生きているのかもしれない。その別の自分からペンダントを奪うことはできない。自分には今あるペンダントで満足しなければならない。別の自分の分まで奪うことはできない。だから、元の場所に返した。

 この点に関して、中条さんから次のコメントをもらう。

私は『FINAL DISTANCE』の曲の中で、『もう会えない人』をイメージしています。池田小事件のこともそうだし、ネックレスは渡したい人に渡せなかった。だから二つ持ってベッドして、一つは大事なキモチとともに箱にしまう・・そんなキモチです。 

大枠のストーリーはもちろん舞姐さんが決めているけど、そこらへんの感情とかは、細かく指定されなかったんです。私の考えるままに、と。  

最後夢オチで終わる・・そこにゾクッとしたキモチを持っていきたくて。まだまだ表現が難しいけれど、短編映画のようなステキな感動をお届けできたらと思います。」

 

■踊り子との「FINAL DISTANCE」について

 

 私は以前からストリップ・エッセイの中で「踊り子と客は適度の距離感を持たなければならない」と持論のごとく繰り返してきた。踊り子と長く仲良くしていくためには適度な距離感が要るのである。踊り子にあまりのめりこむとろくなことはない。適度な距離感をもって応援し続けるのが長くストリップを愉しめるコツなのである。

 

 ストリップは触れてはいけない。だから目で愛する。ストリップは究極‘見守る愛’という、ひとつの愛の形なのである。

私の踊り子に対する愛し方は、時にステージを観ながら、‘見えない手’になってベッドの上の彼女の身体を抱きしめる。彼女の上に魂を重ねていくのである。

そして、もうひとつがステージを通して感じた踊り子の気持ち=真意を少しでも汲み取っていく作業をする。それが観劇レポートに繋がっていく。これも実は、大好きな踊り子さんの魂に自分の魂を重ねていく同化作業なのかもしれないな。言葉は言霊(ことだま)というからね。

ステージを味わうとは、踊り子さんとのDISTANCE=距離を縮め、魂を同化させ一体化する作業なのである。

 

一方で、中条さんは、本名の自分を捨て去り、踊り子である中条彩乃を本当の自分であると認識しようとする。

私の魂は、おそらくは本名の女の子を好きになったのにもかかわらず、目の前にいる中条彩乃という踊り子を愛そうとする。ときには本当の中条彩乃はどこにいるのか混乱しながらも必死で追いかける。そしてステージを観ては一生懸命に魂を同化しようと試みる。それが私のストリップなのである。

しかし、ある日、突然に大好きな踊り子が目の前から消える。私の魂は悲しく彷徨う。でも、それがストリップなのである。そうした空蝉の世界と分かっていながら、限られた時空間の中で精一杯大好きな踊り子を応援するのがストリップなのである。

 

ストリップが好きだから出会えた。ちょっと時代が違っていたら会えなかった。

でも、こうして出会えた。気に入って応援する。すごい‘縁’である。

先ほどの宇多田ヒカルの「FINAL DISTANCE」におけるヒカルと池田小のファンの少女と同じく、全くの他人が自分と繋がったわけだ。

魂を重ねたい・・・

ストリップという縁を通して出会った踊り子とファンは、適度に距離を保ちながらも、DISTANCE=距離を縮め、魂という深い世界で時空間を愉しんでいきたい。

私は京都にいながら、そんな思索を巡らしていた。

 

 

平成30年11月                             DX東寺にて

 

 

 

 

 

【中条彩乃さんからのお返事】

(1回目ポラ)

レポートありがとうなのです!! すごい感動したぁ・・。

感想については、明日までに渡せるようにするつもり!! お返事も書きたい。

ひとまず、ひとつだけ訂正。トレジャーのラストシーン、発掘氏の少女が宝箱に入れたネックレスは二つ。ペアにしてしまってます!!  

ごめんなさい。私間違って説明したかも。

 

(2回目ポラ)

レポ、演目内容もそうだけど、2週目デラカブから観てもらってる太郎さんに、一年間のこと書いてもらって嬉しかった。

 

(お手紙)

連日DX東寺での観劇、そしてトレジャーアイランドのレポートを本当にありがとうです。そして、お疲れ様です。(笑) たしかに長かったー!!(笑) でも読み応えありました!!

やっぱり私は、太郎さんの文章の構成とか、ワードチョイスが好きだなぁと改めて実感。

内容はないよーなんて言ってたけど(笑) 全然そんなことなくて、私にとっての宝物がまた一つ増えました!!

周年作をつくるにあたって、本当に色々と悩んだんです。まず、一年続けてこれた喜び、支えてもらった感謝、新しいことへの挑戦、多くのことを表現したくて。みおり舞姐さんは、すごく親身になって相談を受けてくれました。どうしてストリップを始めたのか、なぜ今も続けてるのか、これからどうしていきたいのか・・・そういったことを全部やろうと思ったら、作品が一つに収まらなくて(笑) それで二つ頑張ってみました。

周年週の横浜は、本当に過酷だったー。毎朝7時からスタジオ行って・・夜もレッスンしたり、飲みに行ったり(笑) でも、そのお陰で、自分でも納得のいく周年作になったと思ってます。デビューして一年間で、演目四つ。そして周年作二つと、デビュー作のリメイク。まだまだやりたいこと、使いたい曲、衣装、動き、ポーズ、増えていく一方です。この東寺が終わって、オフになったらまた新作作るよー!!

なんとか頑張って、栗橋に間に合わせたいところ。太郎さん、レポ大変だよー(笑) しっかりついてきて下さい!!♡

2019年はめでたく浅草から始まるので・・・年内ラストの栗橋で、思いっきり楽しもうと思ってます。あ、もちろん東寺の楽日もぬかりなく!!

 

「中条サンバ」のレポートは、太郎さんの言う通り、映画「リメンバーミー」を観てからの方がいいかもです!!

次の栗橋でお会いできるのを楽しみにしてます。

 

 

 

 

【一周年の挨拶状】

心から感謝を込めて

新宿ニューアートにて、ストリップデビューをしてから早1年。中条は一周年を迎えました。

デビュー週の私は、知らない世界が恐ろしくて、ステージは砂浜のように不安定で、手も足も震えて、息の仕方も忘れるくらいに苦しくて、立ってることが精一杯でした。

一年が経った今。

やっぱりこわいし、震えるし、苦しいけど、それでも楽しいんです。

そう思えるようになったのは、デビュー日から今日この日まで、暖かく見守り、支え、励まして下さった皆様がいたからです、今、これを読んでいる貴方のおかげなんです。

本当に、本当に、ありがとうございます。

踊り子、と呼ばれるにはまたまだ踊れぬ子ですが・・・“立ってることが精一杯”だった私の、“今の精一杯”を、日々更新しながらお見せしていけるよう努めます。

いつまでも応援したくなる、と思わせられるような私になります。今後とも、引き続き中条を宜しくお願い致します。

 

【中条新聞№3】

周年作①中条サンバ

冒頭の雰囲気で「えっ?」って思う人、多いだろうな・・(笑)

この作品のモチーフは、メキシコのお祭り「死者の日」。本名が死んだ日って意味で、最初にお葬式をしてるんです。マントを脱いでからのステージはもう見ての通り。私らしさ全開。本名としての私が死んで、中条彩乃としての私が生きて、一年が経った今、最高にハッピーだよって事をとにかく伝えたかった。楽しくて楽しくて仕方ないっていう気持ちを共有してもらえたら幸いです。中条コールは計12回。(笑) 喉つぶれない程度に叫んでください。構成、振付は、みおり舞姐さん。デビューのきっかけや今の気持ちを話したうえで、せっかく10結だし、ハロウィンっぽいこともしたいなとか、中条のいろんな要素を丸っと解決してくれました。周年作に相応しい演目です。

 

周年作②トレジャーアイランド

初のストーリー演目。内容を簡単に説明します。・・・とある少女が主人公。彼女は、自分の持っているネックレスのペアを探しているようだ。ある日彼女は、きれいな蝶々に誘われて宝箱を見つける。・・・夢の中の女性は何を思っていたのか、夢から醒めた彼女は何を考えたのか? そこは皆さんの想像力と私の演技力で結末を感じてほしいです。脚本、構成、振付、全てみおり舞姐さんです。衣装も全部オーダーのこだわりっぷり。この演目をやってみて思ったことは「舞姐さんすげぇ。」です。いやまじで。演目に助けられてる。今はまだ、私がおまけの存在。でも、私の表情、仕草、一つ一つでもっと完成度を上げていきます。これもまた、新しい挑戦。