今回は、鈴木ミントさん(ロック所属)について、H31年1月中のDX歌舞伎での公演模様を、演目「炎」を題材に、「赤い炎と縄が表す女の情念」という題名で語りたい。なお、本レポートは鈴木ミントさんの「ストリップの妖精に恋をする」シリーズ(その12)になる。
9周年作「炎」は昨年10月頭の川崎ロックで初披露。
8周年作「明日への手紙」に引き続き、周年作を大好きな和ものにしている。
今回の作品のモチーフは「八百屋お七(やおやおしち)」。彼女は江戸時代前期、江戸本郷の八百屋の娘で、恋人に会いたい一心で放火事件を起こし火刑に処されたとされる少女である。井原西鶴の『好色五人女』に取り上げられたことで広く知られるようになり、文学や歌舞伎、文楽など芸能において多様な趣向の凝らされた諸作品の主人公になっている。
さっそくステージ内容をご紹介する。
舞台後方に黒い器の中から真っ赤な炎が燃え盛る。(本来はその器の左右にも炎が設置されていたが、準備が大変なので今回はひとつにしているらしい。)
白と紫の縦じま模様の着物姿で登場。オレンジ色に黒い模様の入った帯を締める。
髪は長く、後ろにピンクのリボンでひとつ結う。
音楽に合わせて、四角い蝋燭を持って、白足袋を履いて、舞い踊る。
一曲目は、柴田淳の「蝶」。心に沁みる、からみつくような綺麗な声ですね。いい曲です。こんな素敵な歌手がブレイクしていないのは不思議だな。作词:柴田淳 作曲:柴田淳
柴田 淳(しばた じゅん、1976年11月19日 – 42歳)は、日本の女性シンガーソングライター。積極的なインターネット活動から「ブログの歌姫」と呼ばれた。ラジオパーソナリティとしても定評がある。
音楽が変わり、帯を解き、着物を脱ぐ。
黒地に赤い花模様が点在している襦袢を着る。襟と帯は赤い。
音楽に合わせ、裸足で踊る。
二曲目は、天野月の「鳥籠-in this cage-」。
天野月(あまの つき)は、日本の女性シンガーソングライター、イラストレーター。血液型はA型。旧名は天野月子(あまの つきこ)。生年月日:1975年11月7日 (43歳)
帯を解いて、ベッドへ。なんと、白い肌に赤い縄が巻いてある。柔肌に食い込む荒縄はまさしく放火の罪を追求される様。後ろで燃え盛る炎とともに女の情念を表す。
近くでアクセサリーを確認。純金のネックレス。右手中指に純金リング。指先にはピンクと赤のマニキュア。
ベッド曲は、黒崎真音の「比翼-Contract with you-」。作詞:黒崎真音、作曲:出羽良彰 (デワヨシアキ)。アニメ薄桜鬼 雪華録に関連している曲。
黒崎 真音(くろさき まおん、1月13日 - 現在31歳)は、日本の女性歌手である。東京都出身。一二三(事務所)、NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン(レコード会社)に所属。音楽ユニットALTIMAのボーカリストとしても活動していた。血液型はA型。愛称は「ヲ嬢」。
まさしく女の情念を歌い上げられる三人の歌手ですね。これだけ実力がある歌手ばかりで、もっと評価されていいと私も思います。
最後に、炎の器を高く掲げ、場面が閉まる。
平成31年1月 DX歌舞伎にて
今週はずっとジブリの童話を差し入れていたこともあり、あの炎を見た瞬間、映画「ハウルの動く城」の火の悪魔カルシファーが思い出された。ははは
作品「明日への手紙」「BLACK」そして「炎」と、観劇レポートを書くたびに、ジブリめいて嬉しくなる。
【参考】井原西鶴の『好色五人女
お七は、駒込または本郷において八百屋を営んでいた家の娘とされ、天和2年(1683)に発生した「天和の大火」によって被災した一人といわれています。駒込の大円寺から出火したとされるこの大火は、17時間余り燃え続け、死者3000名を超える一大火災となりました。このため、お七は家族とともに、一家とゆかりのある寺に一時避難を余儀なくされました。
この寺は、記録や物語によって諸説ありますが、正仙院(本郷の正泉院のことか)とも、小石川の円乗寺、駒込の吉祥寺などともされています。しかし、このうち少なくとも駒込の吉祥寺であるというのは、井原西鶴の『好色五人女』による創作で、特に舞台としてより知名度の高い寺を選んだようです。現在知られているお七の姿は、ほぼこの作品による影響が大きいようです。
お七はその避難先の寺で小姓をしていた人物と密かな恋仲になります。
この小姓についても、一般的には、井原西鶴『好色五人女』の影響から「吉三郎」が有名です。
その後、駒込または本郷の町が復興し、八百屋が建てなおされたため、避難先の寺を去ることになりました。密かな恋はそのまま、別れ別れになってしまったのです。
元の生活に戻っていくということは、本来なら喜ぶべきことです。しかしお七は、寺の小姓のことが気になってしかたなく、また共に生活したいと日々思い焦がれるようになります。かなわぬ恋とわかるだけに一層その思いは強くなり、苦悶した揚句に一つの閃きがありました。
「もしも、再びこの町を焼け出されたら、この家が焼けてしまったら、また寺に避難して、あの小姓と一緒に生活が出来る」
しかし、この思い付きは大変危険なものでした。もちろん、そううまく火災が起こるはずもなく、思いつめたお七は、遂に自分の家に放火してしまうのです。
幸い、近所の人たちの消火活動によってこの放火はぼやで消し止められ、大事には至りませんでした。
とはいっても、町を焼け野原にしてしまう火事は江戸の脅威。それを引き起こす放火は重罪でした。。
それでもお七は小姓と暮らしたい一心で、この様な行動に出てしまったのです。
お七と小姓の恋はかなうことなく、重い罪に問われたお七は、鈴ヶ森の処刑場にて火あぶりの刑となってしまいました。
その年齢は、わずか15歳であったと言われます。物語によっては、年が若く減刑の可能性があったものの、庄之助に迷惑をかけない様にと、放火の理由を明確にせずに極刑を受けたともされています。
お七の放火に至るいきさつを知った江戸に人々は、この物語に心を打たれることとなりました。行動は恐ろしいものでしたが、お七のまっすぐな気持ちに江戸の人たちは同情したのです。特に、前述の井原西鶴の手により物語となって出版されると、更に広く知られることとなり、歌舞伎や人形浄瑠璃などの芸能の演目として、また近代では映画やドラマとして、数多く描かれるようになりました。