今回は「観客を酔わせるステージ 目黒あいら」という題名で、レポートを書いてみた。
H24年のGW、大阪に遠征。
5月3日、目黒あいらさんのホームである大阪晃生劇場で、彼女のステージに鳥肌が立つほどの感動を覚えた。彼女のステージは今やストリップ界の頂点に立ったと率直に感じた。
今回の二つの作品を通して、以下に彼女のステージ感想をまとめてみた。
あいらさんは先週4周年を迎えていた。H20(2008)年4月21日、ここ晃生でデビュー。私が仙台の単身赴任から戻って初めてステージを拝見したのはデビューから二年後のH22年6月3日で、ステージを観るのは今回で23日目と数少ないため、もう四周年になるのかという感じ。
1984年11月11日生まれなので、もう27歳か。若く見えるがまさに女盛りの年齢。
あいらさんと云えば、ストリップ界有数のスーパーダンサー。ダンスの上手さで観客をぐいぐい押していくタイプと思い込んでいた。
ところが今回拝見した演目『色情』は私の想像を超えていた。彼女は単なるナイス・ダンサーの域をすでに超越し、進化していた。
まず最初のダンスが私を唸らせた。ジャズ系かな。従来のぐいぐい押す感じではなく、さり気なく踊っているのであるが、滅茶苦茶かっこいい。一生懸命に踊っていると感じさせずに、さらりといい踊りを見せる。ある域を超えたダンスレベルであり、他の踊り子さんには絶対に真似できない。
そして、そのダンスの後がまた凄い。観ているとステージに酔いしれる。
良い女というのは自分の持っている雰囲気(オーラ)に男を酔わせる。その雰囲気とは外見の容姿だけでなく、彼女の性格、生い立ち、生活環境、知性・教養などまさに全人格から醸し出される。他人が真似ようとしても真似できないもの。あいらさんは、ステージでもって自分の雰囲気に観客を酔わせている。表情、仕草、振り、そのひとつひとつがあいららしさを持っている。ステージの内側からあいららしさが滲み出ている感じ。
ストリップの本質は美とエロスにある。そして、美とエロスはコインのごとく裏表一体。あいらさんはそれを雰囲気として表現できるようになった。
ふつうの踊り子さんは、ダンスを習得することで頭がいっぱいになる。それに対し、あいらさんの場合、既にダンスはハイレベルに達している。だからこそ余裕をもって、その先の美とエロスに挑戦できる。またダンスそのものも、美とエロスに絡み合ってより高度に総合的に洗練されていく。
ベッドショーでは、彼女の美しい裸体が妖しいまでに艶めかしくセクシーに表現される。
この演目『色情』を観て、私は、あいらさんが今のストリップ界で踊り子としての頂点に立ったことを確信した。
今週は二個出しで、もうひとつが周年作『時』。
最初に観たときに、ひとつの童話を観ているような気分になった。しかし、どういう内容なのか理解できなかった。顔見知りのあいらファンがいたので、この作品のタイトルを尋ねたら「時」がテーマとのこと。正直、ますます内容が分からなくなった。この作品は、ある童話かなにかをベースに作られたものではないかと思い、更にあいらファンに聞いてみたが「あいらさん自身が自分で創ったものじゃないかな」と言う。
恥ずかしながら、私はそのときに、あいらさんの作品は内容・構成・選曲・衣装・振付の全てを自分で手掛けていることを知った。逆にそうでなければ、あれだけ自分らしさを表現できない。あいらさんは本物のアーティスト(表現者)なんだ。
この作品『時』を私なりに解読してみる。
ストーリーはこんな感じか。――― 妖精が現れ、自由に舞い踊る。ある時、妖精は美しくなりたいと思い、花になる。ところが、花には命があり、時間に拘束される。美しいのはある一時期だけで、残りのほとんどの時間は、冬の厳しい寒さに耐え、漸く芽を出し、葉を茂らせ養分を蓄えることに費やす。そうして初めて花を咲かせることができる。花は、いつも多くのものに束縛された状態で、身体中が蔓で雁字搦め。妖精は、以前のように時間に束縛されない自由な世界に戻りたかった。妖精は必死で蔓を切り、元の世界に戻ることができた。そして自由に舞い踊る。―――
時間からの解放・・・
我々は生きることそのものが時間を抜きにして語れない。生と死もひとつの時間の区切り。また、ある時期になれば、学校に行き、就職し、結婚し、と既に時間スケジュールは決まっている。日日の仕事でも、いつまでにノルマを達成しなければならない、いつまでに資料を作らなければならない、等と時間に制約される。時間があるために人間は多くの束縛をもって生きている。時間を守れない人間は社会で生活することを許されない。
しかし、人間ならば誰しも、時間を気にせずに、好きなことに没頭したり、心を癒したりしたい。そのためには時間から解放されなくてはならない。
私にとって、ストリップは竜宮城だと思っている。厳しい現実生活からの避難場所であり、そこは美女たちが舞い踊る桃源郷。劇場に入ったら、浦島太郎になりきって楽しみ、時間を忘れる。まさに、時間からの解放の場なのである。また、ストリップがあるから、自由に文章や童話を創作することもできる。
以上のことを手書きであいらさんに渡したら凄く喜んでくれた。「太郎さんのお手紙を見て、作品をちゃんと理解してくれる人がいるんだあ~と思ったら、すんごくテンションがあがりました。本当にありがとうございました。」
これだけの素晴らしい作品を演じてくれる踊り子さんに出会えただけでストリップ・ファンとして本望です。あいらさんは、いつも‘愛裸’とプリントしたジーンズ生地のジャケットを着たあいら隊に囲まれている。彼らがあいらさんに夢中になるのがよく分かる。ステージだけでなく人柄もいい。私もあいら隊に入りたくなったよ~。
平成24年5月 大阪晃生にて
『時の妖精アイーラ』
時間の隙間から、かわいらしい妖精アイーラが顔を出しました。
アイーラは、好奇心旺盛で、いつも楽しいことはないかと大きな瞳をキラキラ輝かせていました。また、心優しく、ピュアな妖精でした。
アイーラは時の妖精で、時間の間を自由に行き来することができます。瞬間移動やタイム・トラベルが得意です。
ある日のこと、アイーラは一輪の花が目にとまりました。
「なんてキレイなのかしら。私も花のようになりたいわ。」と、心を奪われました。
アイーラは、知っている魔女にお願いして、花になる方法を教えてもらいました。
「何かを得るためには、それに見合う大きな犠牲を払う必要があります。あなたは時の妖精ではなくなります。いいのですね?」と魔女は念を押しました。
アイーラは、花のように綺麗になれればそれでいいと安易に考えていました。
実際に花になってみると、きれいに花が咲くのはほんのひとときだけ。花を咲かせるための準備期間が延々と続きます。春になって芽が出て、夏に葉が茂り、光合成で養分をたくさん蓄えることによって、ようやく秋に花が咲きました。アイーラが一番耐えられなかったのは長い冬でした。ただじっと寒さに耐えることに我慢ができなくなってしまいました。
「こんなことだったら、時の妖精でいたかったわぁ~」と泣きじゃくりました。
アイーラの様子を、時の神様がじっと見守っていました。神様は時間の隙間から、まるでペンライトの光のように花を照らしました。そしてアイーラに近づき言いました。
「花には命という有限の時間がある。だから花は美しいんだ。そして、美しくなるために努力をしている。その努力が花の輝きなのだ。その努力を嫌がっていたら、本当の美しさなんて得られない。」
「これでよく分かったろ。自分にないものを安易に望んではいけません。あなたにはあなたの役目があります。まずは、それをしっかり果たすことを考えなさい。」
時の神様は、アイーラを元の妖精に戻してくれました。
アイーラには、人間のもつ時間を管理するという仕事がありました。
アイーラの目には、一人一人の人間に無数の時間の輪が付いているのが見えました。手にも足にも、身体中に、無数の時間の輪が掛けられているのです。そして、首輪のひとつには大きな札が付いていて、その人の生きるべき時代が明記されていました。
アイーラは、一人一人の人間にしっかり時間の輪が付いていることを確認して回りました。
二人の恋人が街角にいました。ところが、二人は時間を間違えて会えないまま。そこでアイーラは、二人の時間の輪をそっと合わせてあげました。喜ぶ二人の笑顔を見てアイーラも幸せになりました。
田舎にいる親が危篤状態になり、今から飛行機に乗ろうとしている方がいました。ところが暴風雨が近づいていて飛行機が飛ぶかどうか分かりません。アイーラは暴風雨の来る時間を少し遅らせました。お蔭で、親の死に目に会うことができました。二人の顔を見ながらアイーラは心が暖まりました。
また、あるサラリーマンを見たら、時間の輪が多過ぎて絡まっていました。「今週中にノルマを達成しないと首になってしまうよ」「お客さんのところに持っていく資料がまだ出来ない。どうしよう」など多くの時間の輪がかかっています。このままでは彼はノイローゼになってしまいます。アイーラは、時間の輪を整理しきれいに並び替え、急がなくて大切でないものは外してあげました。すると彼は急に元気が出ました。アイーラもそれを見て元気になりました。
ある日、一人の男の子がアイーラの目に止まりました。
彼には普通の人より極端に時間の輪が少なかったので気になりました。その男の子は白血病に罹っていて残された時間が少なかったのでした。
アイーラは、その子が可哀想になり、残された時間だけでも時間の拘束から解放してあげようと思い、時間の輪を外してあげました。
男の子は、時間のタガが外れたのを喜び、時間の空間を飛び回りました。時に昔の時代に遡り、時に未来の時代を楽しみました。
ところが、急に男の子がいなくなったことを、彼のご両親が心配しました。
時間の輪は、見えない蔓によって、他の人の時間の輪につながっているのです。勝手に外すことは、その時代の人間関係や秩序を壊してしまうことになるのです。アイーラは、そんな大切なことを忘れていました。
時の神様が現れ、アイーラに対して、男の子の時間の輪を勝手に外したことを厳しい口調で叱りました。アイーラは自分の非に気づき、急いで男の子を連れ戻そうとしました。
ところが、男の子は既に、タイム・トラベルの操作ミスから時間の歪みに落ちて、時間の海の藻屑になっていました。時間は時に人間に優しく微笑みますが、扱いをひとつ間違うと牙をむいて人間に襲いかかります。人間にとって最も重要で取扱い注意なもの、それが時間なのです。アイーラは深く反省しました。
こんな失敗もありますが、アイーラはみんなから愛されてます。
今日は、時間の輪というストレスから緊急避難してきたおじさん達がストリップ劇場に集まっています。茶目っ気たっぷりなアイーラは、劇場に舞い降りました。そこで愛裸(ヌード)になっておじさん達にたっぷりサービスしました。
おじさん達は時間を忘れて、アイーラと楽しい時間を過ごしました。
おしまい
【あいらさんの手紙から】
晃生観劇の2日目に、あいらレポートと童話をプレゼントしたら、3日目に(2日目には間に合わなかったよう)それに対するお返事を頂いた。今回の4周年作の内容について、童話風に解説してくれた。私の抱いたイメージとはかなり違ったものでした(笑)。
でも、あいらさんのステージから、自分なりのイメージを創造できたことに表現者として自己満足できます。今回の手紙のやり取りで、あいらさんとの距離が縮まり、踊り子と1ファンとして信頼関係ができたことが嬉しくてなりません。
あいらちん物語4周年作『時』
時空を飛び越え、ストリップ劇場にやってきた。
時空がゆがんでいる。
ここにも、後少ししかいられない。
心優しい人を探さなければ・・・
魔法のペンを渡す。
時空にいられなくなった女の子は時空から飛び出して行く。
中世ヨーロッパの国に来てしまった・・・
1人の女性が、花摘みをし、花と戯れている。
その時、時空がゆがんでしまい、時が止まってしまう。
女性はもがき苦しんでいる・・・
そんな中、心優しい勇者達が魔法のペンライトで、女性を助けてくれる。
時から解放された女性は、元の聖霊に戻る事ができる。
勇者達に感謝する。
時の素晴らしさ、人の優しさにすごく嬉しい気持ちになる。
人の優しさに触れた聖霊は、嬉しくて嬉しくてたまらない。
そして、ストリップ劇場を元の世界に戻してあげようと、聖霊は去っていく。
この4周年作は、私は、みなさんに支えられたから、ここまで来れたと思っている。
だから、人と人は素晴らしい。
1人の力よりも、数があった方がすごい威力があると伝えたい。
そして、支えてくれた人に感謝の気持ちをそのまま伝えたかったのです。
太郎さんは、本当にすごいお方です!!