川越ゆいさん(東洋所属)の、大阪東洋ショー劇場の令和2(2020)年10月頭におけるステージ模様を、6周年作を題材に、「ステキな大人の女」という題名で語りたい。
2020年10月頭の東洋ショーに2日目から顔を出す。
今週の香盤は次の通り。①上野綾(東洋)、②宇野莉緒(ロック)、③小春(ロック)、④涼宮ましろ(ロック)、⑤川越ゆい(東洋) 〔敬称略〕。
川越ゆいさんは、コロナ明けの8月頭以来、今年二度目の東洋出演である。コロナのせいでなかなか会えず、憎っくきコロナである。そういえば、観に行けなかったが、今年2月1~20日に浅草ロックに初乗りしている。スト仲間からそのときの写真を見せてもらった。すごく華やかなステージ写真。
今週、我らが‘ごえちゃんが’無事6周年を迎えた。正確にいえば、10月11日デビューなので一週前倒しの周年週となる。
さっそく6周年作を拝見した。演目名がないこともあり、はて、どういうテーマなのか見当がつかなかった。緑を基調色にしたステキな衣装で、おそらく衣装にはお金をかけていそう。なんといってもダンスがいい。浅草ロックを経験して、華やかな踊りを見せたいのかなと感じた。「6周年作のテーマは特にないよ!ストーリーでもないし。ただ六年経ったし、大人っぽくて綺麗な女性を見せたかったんだよね」というポラコメを頂く。納得!
では、私なりに6周年作を記録しておきたい。
最初に、椅子に座ってスタート。
相変わらず華やかなドレスである。
頭は髪を後ろに結び、華やかな白いリボンを付けている。白いリボンの中にキラキラとした宝石が散在。右サイドには金のフレンジが垂れている。豪華な髪飾りである。
胸から下に流れる大きな白いドレスで、白の中に黒と緑が混じる。左肩は紐で吊るし、右肩から斜め下に黒いフリルが流れる。右の腰に黒い花がいくつか付いている。両手には黒い刺繍の手袋。スカートの裾は前が割れていて、緑色が見える。黒いハイヒールを履いて、音楽に合わせ踊る。
一曲目は、Maury Yeston(モーリー・イェストン)のインスト曲「Finale(フィナーレ)」。卓越して美しい楽曲である。イタリア映画界の名匠フェデリコ・フェリーニの自伝的作品「8 1/2(はっかにぶんのいち)」を原作に、アーサー・コピットやモーリー・イェストンといったブロードウェイの巨匠たちにより生み出されたミュージカル『NINE』の中の一曲である。
二曲目は一転ハイテンポな音楽に変わる。2 Fabiola (トゥー ファビオラ) feat. Loredanaの「She's After My Piano」。
ロレダーナ・ベルテ(Loredana Berté、1950年9月20日生まれ)は、イタリアの歌手。ロックからレゲエ、ファンクからポップまで、さまざまなジャンルの歌を奇抜な衣装で歌うスタイルを持つ。姉は歌手のミア・マルティーニ。過去、テニス選手のビョルン・ボルグと結婚していたことでも知られる。
白いドレスを脱ぐと、緑を基調としたドレスが下に現れる。肩から下に緑のフリルが流れる。ときに椅子の上に立って踊る。
ここで一旦、暗転。黒い幕が閉じる。
衣装を着替えて登場。またしも椅子に座ってスタート。
上半身は裸で緑の首飾りのみ。ベルト部は銀色の模様で、透け透けの白いスカートが足元まで流れる。白い羽扇子を持って音楽に合わせ踊る。
三曲目は、Zedd & Kehlaniの「Good Thing」。ロシアとドイツの音楽プロデューサーであるZedd (ゼッド)とアメリカのシンガー・ソングライターKehlani(ケラーニ)によって2019年9月27日にリリース。Zeddは知っていたが、Kehlaniは初めて聞くアーティスト。
ケラーニ・アシュリー・パリッシュ(Kehlani Ashley Parrish, 1995年4月24日 - )は、アメリカ合衆国のシンガーソングライター。2017年に、ラッパーのジー・イージーとコラボレーションした曲「Good Life」が映画『ワイルド・スピード ICE BREAK』の主題歌に起用され、注目を集めた。同年のサマーソニックにも出演し、共演したジー・イージーとともに初来日を果たした。全身にTATOOを入れている。
1995年にアメリカのカリフォルニア州オークランドで出生。母親は麻薬中毒で苦しみ、刑務所で暮らしていた。父親も幼いころに麻薬中毒で亡くなったため、祖母に育てられた。
10代の頃にダンスを覚え、地元のグループ・ポップライフに加入していた。ジュリアード音楽院に入っていたころに膝を負傷し、本格的に歌手を目指した。
白い羽扇子を持ち、銀のハイヒールを履いたまま、ベッドへ移動。
近くに来たのでアクセサリーを目で追う。左手首にガラスのブレスレット二本。右手の人差し指に赤いリング、中指にリング。指先は銀のマニキュア。
ベッド曲は、Sanna Nielsen の「You First Loved Me」。しっとりした大人の女性の歌声。
サンナ・ニールセン(Sanna Nielsen、本名:Sanna Viktoria Nielsen(サンナ・ヴィクトーリア・ニールセン)。1984年11月27日 - 現在35歳)は、スコーネ県のブロメッラ (Bromölla) 出身のスウェーデンの歌手。
立ち上がり曲は、Britney Spears (ブリトニー・スピアーズ)の「Now That I Found You(ナウ・ザット・アイ・ファウンド・ユー)」で締める。
ブリトニー・ジーン・スピアーズ(Britney Jean Spears , 1981年12月2日 - 現在38歳)は、アメリカ合衆国のポップ歌手。日本での愛称はブリちゃん。1990年代末から00年代半ばにかけて、アメリカのポップシーンを代表する女性シンガーとして活躍した。現在は二児の母。身長163cm。
2020年10月 大阪東洋ショー劇場にて
『踊り子の宅急便 ―踊り子になったキキ―』
~ジブリの好きな川越ゆいさんに捧げる~
昔は宅急便なんて無かった。ちなみに、宅急便という言葉は‘クロネコヤマトの宅急便’という愛称で有名なヤマト運輸の登録商標。だから一般的には「宅配便」という言葉が正しい。ヤマト運輸でも小型サイズ以外は宅急便ではなくヤマト便と呼ばれる。
映画『魔女の宅急便』が公開される時、ヤマト運輸は商標権に抵触するとクレームを出したらしい。原作のときは児童文学ということもあって目に留まらなかったが映画となると無視できなかった。そこでジブリはヤマト運輸にスポンサーになってほしいとお願いした。最初は渋っていた会社側も、映画に実際にクロネコが登場することで受諾したというエピソードがある。
今では、ストリップの踊り子さんは10日毎に公演先が変わるため、たくさんの衣装等の配達に頻繁に宅急便を使う。宅急便が無かったら仕事にならないだろう。
では昔の踊り子さんはどうしていたのか? もちろん人が運んだ。しかし、荷物が多くて重いために女一人の力では無理だった。そのため、どうしても男の人の力を借りざるを得なかった。昔の踊り子さんには必ずと言っていいほどヒモと呼ばれる男が付いていた。彼らは踊り子さんからお金や身体を求めていただけではなく、荷物運搬の肉体労働者としての役割を果たしていたのである。
当時、そうしたヒモになる男たちはチンピラと言われる社会的に底辺の男たちであった。チンピラというのは普通のサラリーマンにもなれず、かといって完璧なやくざにもなれない、中途半端な男たちであった。昔はそういう男たちがたくさんいて、全国各地にたくさんあった劇場にたむろして踊り子のヒモになることを狙っていたのだ。宅急便代わりという需要と供給の一致もあったので、すんなり彼女の懐に入り込み同棲するようになる。所詮、踊り子家業という風俗の世界、そしてチンピラという、同じ匂いのする者同士は、お互いの淋しさを紛らわす如くくっついた。だから、当時のストリップは「チンピラ・ストリップ」と呼ばれていた。
それに対して、今のストリップは「サラリーマン・ストリップ」となる。お客の大半は普通のサラリーマンである。また、踊り子も賢くなり、ヒモのような男性に稼いだ金を貢ぐようなことはしない。
宅急便は、そうした「チンピラ・ストリップ」から「サラリーマン・ストリップ」への変遷の、象徴的なシンボルなのである。
さて、前置きはこのぐらいにして。
ここでキキという踊り子が登場する。キキは現代っ子。いま流行りのスト女として劇場に入り、ストリップの魅力にはまった。そして、すぐに自分から劇場に申し込み、踊り子として劇場デビューすることになった。
トレードマークは大きな赤いリボン。そして、衣装は黒しか着ない。「黒は女を美しくする」という強いこだわりがあった。
また、ジジという黒猫を飼っている。彼女の周りのもの一切合切が黒いのである。そのためか彼女の正式の芸名は「黒井キキ」と言ったが、みんなは彼女のことをキキちゃんと呼んだ。
そうそう、一番大切なことは、キキがとても礼儀正しいこと。必ず笑顔で挨拶する。そのときに、ちょこんと腰をかがめる仕草が人々の好感度をあげていた。
彼女に一早く目を付けたのは、劇場の常連客であるトンボと呼ばれる青年であった。彼は黒い大きな眼鏡をしていた。「君、かわいいね。いつも黒い衣装ばかり着ているんだね。黒が好きなんだ。ボクの眼鏡も黒いから、きっと僕らは相性がいいよ。」と話しかけた。
最初のうち、キキはトンボのことをずいぶん馴れ馴れしい客だなと不愉快に感じた。しかし、毎日のように自分に会いに通ってくれる。ストリップとしては先輩に当たるトンボの方が、いろいろと劇場や客の事情を知っていてアドバイスしてくれた。差し入れも気が利いていた。初めの差し入れは劇場内で生活するためのパジャマやスリッパなどの生活用品だった。また、ステージで汗をかくため水分補給用の水を頻繁に持ってきた。時に、キキが風邪をひいたりすると風邪薬、膝を擦りむくとオロナイン軟膏や絆創膏を買って来た。こうした気遣いが次第にキキの心の扉を開かせ、二人は打ち解けていく。
「よかったら、オレが荷物を運んでやろうか?」トンボはキキに言った。ふつう、踊り子と客の間には一定のルールがあって、適正な距離を保たなくてはならない。トンボもストリップ客として、そうした常識は弁(わきま)えていた。しかし、連投で疲れていたキキの顔色を見て、ついつい言葉が出てしまった形。それに対して、既にトンボに警戒心が薄れていたキキは黙って頷いた。
そうして、トンボはキキのアッシー君になっていった。黒猫のジジもトンボに懐いていた。トンボとキキ、そしてジジの二人一匹はトンボの車で送り迎え、地方遠征をするようになる。
雨の日も風の日も、暑い夏も、寒い冬もトンボの車はキキを乗せて走り続けた。
ある日、久しぶりに新人が劇場デビューした。漸くキキはお姐さんになるわけで、彼女のことをお世話して可愛がってあげなければならない立場にあった。
ところが、キキは単純にかわいい後輩ができたと手放しで喜べなかった。というのも、彼女はトンボの女友達の一人だった。そして、黒い衣装しか着ないキキに対して、カラフルな派手な衣装を着て、客の目を引いた。
彼女は、劇場常連でしかも幼馴染のトンボがキキのことばかり構っているのを目にして、トンボにモーションをかけ始めた。
「トンボさん、お腹空いたわ。パイが食べたいので買ってきてくれない?」
気のいいトンボは断れず、近くのパイ店に買いにいく。パイ店の店員が「いま、このニシンのパイがすごい人気なんですよ。」と勧めてくれた。トンボがそれを買って持ち帰ると、彼女は「わたし、このパイ、好きじゃないんだけど・・・」と言いながら受け取った。
そのやりとりを横目で見ていたキキは「わたし、あの子、きらい!」とトンボに囁いた。
「まぁ、そう言わないで、彼女の面倒を見てやってくれよ。」とトンボは苦笑いしながら言った。
その彼女は可愛いものの性格が悪いため人気が出ず、少しして辞めてしまった。
ある時期、キキはスランプに陥って大変なときがあった。踊り子を辞めてしまおうかと思い詰めるほどのキキの危機だった。(いつもの親父ギャグですみません)
どうしてもうまく踊れないのだ。そんな調子だから劇場側から要求されている新作も全く手に付かなかった。いらいらして落ち着かないキキを見ていて、心配するトンボだったが、キキはそんなトンボに当たりちらした。
絵の上手な先輩のお姐さんが、そんなキキの様子を見かねて、アドバイスしてくれた。名前はウルスラと言うが、みんなは「お絵描きさん」と呼んでいる。
「そういうときはジタバタすること。下手でもいいから踊って踊って踊りまくるの。それでも何も浮かばなかったら、何もしないこと。ぼけーっとしているの。そうしているうちに無性に踊りたくなる。そうしたら新作のアイデアも閃くわよ。」
このアドバイスは的を得ていた。お陰でようやくスランプから抜け出すことができた。
いろんなことを経験しながら、キキは踊り子として一歩一歩成長していった。そしてキキの側にはいつもトンボがいた。
送り迎えの車の中で、キキとトンボはお互いの夢を語り始めた。
キキは若いうちは踊り子の仕事をやって、ある程度お金を貯めたら、パン屋をやりたいと思っていた。一方のトンボは、若いうちにストリップにはまってしまったので気に入った踊り子の応援以外にこれといって夢はなかった。今は大好きなキキが立派な踊り子になってくれることが夢だった。
ある日のこと、キキは車の中でトンボに言った。「今まで私の宅急便になってくれてありがとうね。よかったら今度は私と一緒にパン屋をやってくれない?」キキからトンボへのプロポーズであった。トンボは迷うことなく頷いた。
二人は、グーチョキパン店(or大阪東洋の前だとジャンケンパン屋)を開店した。しはらくして男女の双子ニニとトトが産まれた。もちろん黒猫のジジも一緒。今でも家族みんなで仲良くパン屋をやっているようだ。
めでたしめでたし