今回は「ストリップにおける妄想と現実」という話。
仲良くしてくれる踊り子さんの一人に黒崎優さんがいる。
優さんは私が仙台に単身赴任したH17年10月1日と同じ日にデビュー。SNAで初対面すると、なんと翌週が仙台ロック出演で、それ以来ずっと応援している。
優さんはSNAで同時デビューの吉原ゆかりさん(ゆかりん、H20引退)と大の仲良し。二人を比べると、元気のいいダンスを見せるゆかりんに対して、優しい笑顔が印象的な優さんは落ち着いた清楚なアイドルというのが私の第一印象だった。ゆかりんの持つ‘動’や‘明’に対して‘静’や‘暗’という対照的なイメージを感じていた。ところが、ゆかりんの引退や周年作クレオパトラあたりからアイドルを超越し、まったく違った面を見せ始めた。あらら、優ちゃん、壊れたかな!?と思うほど(笑)。変なおじさんの格好をしたり、奇抜なパフォーマンスでお客の笑いを誘うようになる。
優さんの中に住んでいたもう一人の優さんが現れた。それを二重人格とは言わない。人間誰しも持っている一面である。踊り子として年月を経て、遠慮なくその一面を出せるようになったのである。無理して演じているのであれば衒い(てらい)も出ようが、そんな感じは全くなく、自分自身で楽しんでいる。またお客もそれを見て楽しんでいる。
先日、優さんが手紙の中で、ここだけの話ということで、面白い妄想話をしてくれた。優さんらしいなと思わず笑ってしまった。妄想なら私も負けない。妄想ゲームは楽しい。最後に優さんから「太郎さんも妄想族。似たもの同士ですね。」とあった。
妄想かぁ・・・面白い言葉だなぁ・・・
興味が湧いたので妄想という言葉を少し調べてみた。妄想は仏教用語が語源で「女色ふけり道理が分からなくなる」という意味があるようだ。ストリップ通いの私というのはまさに妄想族にピッタリではないか(笑)。
この「妄」という字は「妄→みだりに」と読む。妄想の「想」は「想(おも)う」と読むから、2つ合わせて「妄りに想うこと」となり、意味として成り立つ。「妄」という字をよく見ると、女を亡くすと書く。女がほしくて「妄りに想う」ことが妄想なのかなぁ~。
私は常々、ストリップというのは疑似恋愛だと考えている。もてない男性が、絶世の美女を相手に恋愛を楽しむバーチャルな世界。彼女のいない事からの現実逃避でも一向に構わない。男たるもの、エッチな妄想で快感を得るのは当たり前のこと。入場券を買って劇場に入れば、この時空間であれば自由に妄想できるのがストリップなのである。
ただ、辞書で調べると「妄想」の意味は「みだりに思う」ではなく、「ありもしない事を現実のように思うこと」とある。
例えば、登山家が頂上寸前で、吹雪に遭い、断念して途中の道で眠ると頂上に到達する夢を見る。また、子供が体調不良で遠足に行けなかったりすると、その晩
遠足に行った夢を見る。など、現実にはできなかった事を夢で実現し、欲求を満足させるのは、悲しくも素敵な妄想だと私には思える。
ちなみにレイプ犯はレイプする夢を正常の人に比べあまり見ないという話を聞くと、正しい妄想ができないからだと思える。妄想で十分脳を満足させることができれば誤った事件は起こらないかもしれない。秋葉原通り魔事件(無差別殺傷事件)のときに、ある踊り子さんが「容疑者の彼がストリップ・ファンだったら、あんな事件は起こさなかったのにねぇ~。かわいそうよね。」と言っていたのを思い出す。「彼女がいない それがすべての元凶」とネットに書きこんだ彼のメッセージが記憶に生々しい。
そう考えれば、上手に妄想することって大事なんじゃないかな。現実には起きそうもない事や、やってはいけない事を妄想で実現し、満足を得る術を知れば、もっと素晴らしい人生が送れるのかもしれない。
もうひとつ、妄想の欠点として認識しておきたいことは、頭の中で終わってしまい現実には何も変わらないこと。仕事などの成功イメージの妄想は、それを妄想することで、あたかも成功している気がして快感が得られる。潜在意識に入力するにはいいが妄想だけで行動しなければ何も変わらない。
前向きの妄想をしたいもの。だからこそ妄想をカタチにできる人は素晴らしい。
優さんがステージで妄想パフォーマンスを演出できるようになり、客にうけているというのは素敵なことだと思う。
また妄想とは現実。あなたの、わたしの頭の中で妄想されているこの現実この時間。これは、まごうことなき現実。
それを他のひとに伝えられるカタチにすること。文章でも音でも絵でもモノでも… 踊り子さんはそれをステージで表現する。それ等はすべて妄想から生み出される。
私は、ときにステージを見ながら童話を創造している。あるインスピレーションが脳の中に飛び込んでくる。そして童話を書けたときにはすごい快感が脳の中を走る。「至高の妄想」。妄想とはいえ、童話は目の前のステージ、今の自分を如実に投影している。まさに現実。結局、人は現実からは逃避できず、妄想といえども全て現実なのです。
妄想をカタチにすることは素晴らしい。
妄想族、バンザイ!!
平成22年1月 浜劇にて