ロックの踊り子・安田志穂さんのH29(2017)年暮れのライブシアター栗橋の模様を、演目「いつも心に太陽を・・」を題材に、「安田志穂の魅力 哀愁という持ち味」と題して語りたい。
私のストリップ日記を辿ると、安田志穂さんとは丁度一年前のH28(2016)年11月中のここ栗橋ぶりになる。あのときの演目三つ「パパラッチ」「夜蝶恋歌」「my way」も印象的だった。一日だけの観劇でレポートできずに残念だった。
今回どんな演目を観れるか楽しみにしていた。
一回目ステージは演目「狐花」。春歌よさこい♪に合わせて、狐が着物姿で踊る。狐とばれて鉄砲で撃たれるが、狐は白い眼帯をして現れ、一夜をともにする物語。
二回目ステージは演目「おもいでつむぎ」。最初に白髪のおばあさんが赤い糸で編み物をしている。ふと自分の若い頃を思い出す。白いドレスに白い傘をさして舞い踊った。好きな人から恋文をもらう。楽しかったあの日を思い出す、ほのぼのした場面。
三回目ステージは演目「いつも心に太陽を・・」。ピエロが登場。
ひとつひとつの作品の中に、心に残る何かがある。それは何だろう?
三つ目の作品の演目名を尋ねた。「これは‘ピエロ’という演目名でいいのかな?」すると「‘いつも心に太陽を・・’と言うの」と返ってきた。なんとなく想いが伝わってきた。
私なりに、この作品を解釈してみる。
最初にピエロの格好で登場。舞台にリングが吊るされてあり、大きな黄色いボールがある。
上半身は白い水玉模様の入った水色の半袖衣装。両手に白い手袋をする。下半身は水色とピンクのズボンの上に、黄色い模様の入った水色のスカートをはく。足元は赤・青の水玉模様が入った黄色い靴を履く。頭には、先端に赤い玉を付けた、水色と黄色に左右だらりと分かれた帽子をかぶる。
その格好で軽快に踊る。細長い風船で犬などを作り客に配る。またリングにぶら下がる。
衣装を脱ぐと、上着は肩紐で吊るした白いシュミーズ。コルセット状の模様が入っている。下は水色とピンクのズボンになる。裸足。さらに下のズボンを脱いでリング演技をやる。その後、大きな黄色いポールを使って踊り回る。
ピエロになって陽気に踊っているのだが、そこはかとない悲哀感を感じた。
ピエロというのは滑稽な恰好でおどけた仕草をし、人を笑わせる役の人。あくまで道化役者で、主役を盛り立てるための脇役にすぎない。単に、もの笑いの種になるだけの人という意味もある。
人を笑わせるために、いつも人から笑われる存在って、とても悲しいなとふと感じた。だから、ピエロの目にはいつも涙が描かれているのだろう。
人間の根本には淋しさがある。淋しさが怖くて淋しさから逃れるために人は笑いを求める。そこにピエロがいる。人はピエロを見て笑い淋しさや悲しさを紛らわす。でもピエロだって淋しいし悲しいんだよな。そのやるせない真実に、そこはかとない哀愁を覚える。
志穂さんはそれを踏まえ、あえてピエロを演じることで、観客に対し‘いつも心に太陽を・・’と訴えているのである。
ふと、この哀愁こそが安田志穂ワールドの神髄ではないかなと感じた。哀愁をキーワードにして他の作品を鑑賞していくとよく見えてくるものがある。
哀愁を含むと、どんなに明るい作品であろうがある一定の暗さが残る。しかし、その暗さが作品を落ち着かせる。ピエロがまさにそうだし、他の演目「狐花」「おもいでつむぎ」も哀愁に満ち満ちている。それが安田志穂作品の持ち味なのだろう。
この哀愁は安田志穂の人生観そのものの発露である。性格や考え方、体験、育ち、生活環境など諸々のことが反映されている。
哀愁を漂わせるということは、仮に作品は明るくなくても、そこには優しさや癒しなどを人の心に残す。だから沢山のファンが付く。
ファンからこんな話を聞く。志穂さんはいつも三個出しにして自分の多くの作品を味わってもらいたいと考えている。その中で、毎朝とか毎夜とか来てくれるのに一日一回しか観れないファンのため、演目順を変えて演じている。演目順を変える踊り子は見たことがない。確かにそんな気遣いのできる踊り子は彼女だけだ。ファンが自慢するそんなエピソードに彼女の優しさが凝縮されている。
これが安田志穂のカラーであり魅力なのだと思える。
平成29年12月 ライブシアター栗橋にて