今回は、大ベテランの踊り子である虹歩さんについて、失礼ながら「虹歩さんという新人」という題名で語らせて下さい。

 

 

H30年2月頭の大阪晃生ショー劇場に初日から顔を出す。

今週の香盤は次の通り。①かすみ玲(フリー)、②神崎雪乃(晃生)、③北原杏里(晃生)、④楠かほ(道劇)、⑤橘メアリー(道劇)、⑥虹歩(札幌ニューカジノ)〔敬称略〕。2/1~5はRinさん、2/6~9は橘メアリーさん、2/10は浜崎るりさん。また楠かほさんが晃生初乗り。

今週は二週目の新人が二人ものるので、新人好きの私は初日からルンルン気分♪ ただ今、虹歩さんのレポートを必死で書いているので、きっと虹歩さんは今の私にとって新人さんなんだな(笑)。

 

このレポートを書くきっかけになった出来事も含め、話を進めていく。

最初に話は遡る。私が初めてストリップを観たのは高校卒業してすぐ、かれこれ40年前。しかしその時には運よくストリップに嵌らず普通の人生を歩んできた。40歳のとき自宅近くの若松劇場にふらりと立ち寄ったのを機に、完全にストリップに嵌って毎日ストリップ通いをするようになり、もうすぐ19年が経つ。今年はストリップ歴20年目の節目となる。

20年前から活躍している踊り子さんは現在では数えるしかいなくなった。

ストリップの世界というのは摩訶不思議なところで、絶世の美女はもちろん沢山いるが、その中で歳をとらない美しい精霊がいる。その代表が虹歩さんや御幸奈々さん等。

虹歩さんの公式プロフィールを見ると、1980年2月23日(うお座)生まれ、1998年3月21日札幌ニューカジノでデビューとある。今年の3月で20周年なので、私のストリップデビューより一年先輩になる。

デビュー当時の虹歩さんは人気絶頂で、雲の上の存在(笑)。とても私のようなペイペイが相手にしてもらえる踊り子とは思えなかった。近づいたら跳ね返されそうで、早々に尻尾を巻いて退散。当時は毎週のように新人がデビューしていたので、自分の丈に合いそうな子を探して回った。私にとっては手紙がリトマス試験紙となり、手紙への反応で自分との相性を図っていった。それは今でも続いている。

一方、虹歩さんはこの20年間常に第一線で高い人気を保っている。

 

さて、今更ではあるが、虹歩さんの魅力を考えてみよう。

これだけ心技体バランスのとれた踊り子はなかなかいない。驚くべきはそれを20年間保っていること。そんな踊り子は後にも先にも皆無であろう。

体の面から見ると、虹歩さんのルックス、スタイルは全く非の打ちどころがない。愛らしい笑顔、T154、B.87 W.57 H.83のプロポーションは華奢でかつグラマー、日本男性が最も好む典型的な女性のタイプ。完璧な素材の良さを誇る。

技の面がまた素晴らしい。ステージを拝見していて、卓越した音楽センス、衣装・オシャレのファッションセンス、シャープな動き、どれをとっても超一流。これらは生来の素質もあるだろうが、本人の努力の賜物であることは疑うべくもない。

今回、一番話したいポイントは心の面。

 

話の本題に入る前に、少し触れておきたいことがある。

私の観劇スタイルは良くも悪くも手紙が中心となっている。手紙に反応する踊り子さんを中心に応援するため、手紙好きの踊り子さんにはウケがいい。一方、手紙に反応しない踊り子さんのステージは観ないで、ラウンジで手紙を書いていることが多い。決して嫌いでステージを観ていないのではなく、手紙を書くのにどうしても時間をとりたいため。しかし、そのためステージを観ない踊り子さんからよく嫌われる。踊り子さんはプライドの高い方が多いので当然であろう。

そんな中、Sさんの追っかけでよく虹歩さんと一緒になった。私は虹歩さんのステージも観ないことが多かったのに、いつも会うと「おはよう」「今日も一番に並んだの?」と声を掛けてくれる。なんともいえない違和感とともに、なんて気の優しい人なんだろうと感じていた。

私のストリップ人生はSさんの応援を機に大きく変化した。ストリップに夢中になり過ぎて家庭を壊してしまい、Sさんの応援を優先させるため仕事も失った。Sさんからの要望で他のお姐さんの応援を全て止めて自分一人に集中するように言われ、これまで応援していた踊り子さんを止む無く次々と切っていった。ところが肝心のSさんからも切られ、その瞬間に劇場に居場所がなくなった。家庭も職場も趣味の劇場も居場所を失くし、私はストリップ廃人となるところであった。しかし、以前から応援していた踊り子さんの中に私を助けてくれた方がたくさんいた。晃生の青山はるかさんもその一人。以前はるかファンだった私に対して、愚痴ひとつ言わずに「Sさんの応援頑張ってね」と言ってくれた。そして、Sさんから切られたことを話したときも快く迎えてくれた。虹歩さんが私のことを心配して私の手紙が欲しいと話してくれた時、はるかさんが「虹歩姐さんが手紙を欲しがっているから渡してあげてね」と念を押してくれた。私ははるかさんには何でも話せる。これは私のストリップの財産だと感じている。

 

今回、急に虹歩さんにレポートを書きたくなったと話したが、それは今日虹歩さんが「私の萌え萌えシェイクはアイドルとして認めた証し」と言ってくれたのが引き金。そうなのか!踊り子さんはそんな受け止めをしているのか!と知った。それならばと、虹歩さんに向けてたくさん萌え萌えシェイクをする(笑)。虹歩さんが喜んでくれて、これまた楽しい。

虹歩さんはお茶目なところがあるよね。気持ちが若い証拠。虹歩さんが若さを保っている秘訣を垣間見た思いがした。

そして、これは絶対に私のストリップ日記に付けておこうと思ったよ。

 

私は手紙の反応で応援するかどうかを決めると話したけど、一度応援しないと決めた踊り子さんをもう一度応援することはない。次から次へと新人が出てくるので過去を振り返る余裕はない。

ところがこれまで三人だけ例外がある。

一人は、結奈美子さん。最初は興味をもって彼女のポラを買った。ところが人気者で忙しいこともあり、手紙への反応から判断して応援しないことに決めた。それから数年後、彼女が休業に入る少し前、大和で久しぶりに彼女のステージを拝見。すごくいいステージをしているな!と正直感動した。その日、客が少なくポラが全く売れない。困った奈美子さんが盆周りの客に声を掛け始める。もちろん私にも。彼女への手紙を準備していない私は苦笑いしながら断った。しかし、「こんなにいいステージをしているのだから、無下にポラを撮らないと線引きしなくてもいいのではないか!?」という考えが私の頭の中を過ぎった。そして「次に会ったときは、大和のステージ感想を書いた手紙と一緒にポラを買おう」と決めた。次の渋谷でポラを撮った時、奈美子さん自身が驚いていた。それから奈美子さんとは手紙が弾む仲になった。

もう一人はHIKARUさん。私がストリップデビューした頃に手紙なしで一度ポラを撮った記憶が微かにある。この方も桁外れの人気者で私なんか相手にされないと感じ、以後応援しない踊り子に線引きした。それから長い年月が経ち、HIKARUさんが引退する一年程前、仙台ロックにのる。私は他の踊り子目当てで仙台に遠征。ひどい雪の中、仙台ロックの入口で一人順番待ちしていた。別の入口から入ろうとしたHIKARUさんが私を見つけて声をかけた。「寒いでしょ。風邪ひかないようにしてね。」実際、寒くてぶるぶる震えていた私には優しい言葉に聞こえた。その日、私は初めてHIKARUさんのポラを撮る。「よく私が太郎と分かりますね。」と言う私に「太郎さんは有名人だから分かるわよ。」とHIKARUさんは答える。「どう有名なんですか?」と聞くと「とてもストリップのことを愛してくれている客として有名よ。」と嬉しいことを言ってくれた。それから引退まで短い間だが応援させてもらった。

残りの一人は言うまでもなく虹歩さんです。

この御三人に共通しているのは、単にプライドの高いベテランではないこと。だから、これまでポラを撮らない、ステージも観てくれない私に対して、嫌うでもなく、気さくに声を掛けてくれる。お陰で私のストリップ歴の中で貴重な例外となってくれた。

この三人には、しがらみや既成概念にこだわらない、新人のような素直で謙虚な姿勢、思いやりのある心優しさを強く感ずる。だから皆さんいつも若々しく輝いているのだ。

ストリップというのは、ものすごいパワーの感動を与えてくれる。それはエロスも含めた、踊り子が放つ「美」の力である。同時に、もうひとつ感動させてくれるものは、踊り子のもつ美しい「心」なのだと改めて思う。

 

私がここ一年でポラを撮り始め応援し出した新人という意味で、虹歩さんも新人の一人。

私の中に仮に新人レースがあったなら、虹歩さんはぶっちぎりで新人賞を総なめするだろう。イチローが大リーグで新人王になったごとくね。(笑)

 

 

平成30年2月8日                       大阪晃生ショーにて