浅葱アゲハさんについて、2019年5月頭の渋谷道頓堀劇場での15周年公演模様を、周年作「ダンボ」を題材にして、「ダンボは翼であり、本作は我々への応援歌だ!」という題名で語りたい。
2019年5月頭の渋谷道頓堀劇場に顔を出す。
今週の香盤は次の通り。①翔田真央(道劇)、②楠かほ(道劇)、③美月春(道劇)、④KAERA(TS)、⑤六花ましろ(道劇)、⑥浅葱アゲハ(フリー)〔敬称略〕。
今週は、浅葱アゲハさんの15周年週。
当然ながら「15周年作は何か?」がすごく気になっていた。早朝に劇場前に並んでいたら、昨日もここ渋谷道劇に来ていたという顔見知りがいた。彼から「15周年作がダンボである」ことを聞く。私は思わずニヤリとした。というのは事前にアゲハさんからダンボの絵を二度も頂いていたから。一度目は4月頭のシアター上野で、虹歩さんから渡された。たまたま遊びに来ていたというアゲハさんから預かった絵にはダンボが描かれてあった。そのときには、きっとアゲハさんは今上映中のディズニー映画実写版「ダンボ」を観て印象に残ったのだろうなと思った。この映画は1941年に公開されたアニメーション映画をティム・バートンが実写化したもの。日本でも 3/29 より公開されている。アゲハさんは私がディズニー好きなのを知っているので、私の童話のネタにとわざわざ描いてくれたのだろうと感謝した。そして二度目に、翌週の京都DX東寺に会いに行ったときも、またまたダンボの絵を頂いた。「私、ダンボが大好きなの。YouTubeで昔の映画が観れるから是非観てね。」とのアゲハさんの弁。そのときに「こりゃ、ひょっとして・・・」と感じた次第。
私はすぐにディズニー映画のアニメ版「ダンボ」を観てみた。1941年制作の古い映画だが古さを全く感じない。簡単にあらすじを紹介する。・・・
サーカスに、愛らしい子象が誕生した。“大きすぎる耳”をもった子象は“ダンボ”と呼ばれ、ショーに出演しても観客から笑いものに。子象が虐められたと勘違いした母親象が暴れ、その結果、ダンボと母親は別れ別れになる。かわいそうなダンボ。失意の底に落ちてしまうも、勇気と心の開放によって、その耳で空を飛ぶことに成功しサーカスの花形スターへとなっていく物語・・・
観た瞬間、ダンボがアゲハさんに重なった。大きな耳で空を飛べるダンボはまさしく空中ショーのアゲハさん。アゲハさんがSMパフォーマンス系の空中ショーから現在のストリップ界に入ってきたときに激しい葛藤があったことは知っている。思い起こせばH27(2015)年4月25日(土)、渋谷道頓堀劇場で浅葱アゲハさんの11周年記念イベントにて、アゲハさん本人の口から直接そのことを切々と語ってくれた。アゲハさんのアクロバティックな空中ショーは観客の度肝を抜くが、「それはサーカスみたいなものでストリップではない」と陰口を言われた。たしかに以前は今のように華麗に踊れなかった。空中ショーという最強の武器を持っていたが、それはダンボの耳のごとくコンプレックスのもとになっていた。それが今や、ダンスの習得とともに、空中ショーが最大の武器と化した。しかも今やストリップ界は空前の空中ショー・ブームとなっており、アゲハさんはその第一人者として空中ショーの女王に君臨した。たくさんの踊り子の憧れであり、かつ彼女の性格の良さも相まってアゲハさんを慕う踊り子は数多い。
こうした背景を鑑みれば、当然のごとくアゲハさんはダンボと重なる。
素晴らしい作品に仕上がっていた。
新作につき、当日は一個出し。一日のうちに続けて三度この15周年作のステージを拝見できてラッキーだった。さっそく内容を紹介する。
私は実写版の映画は観ていないが、事前にアニメ版を観ていたので作品の内容はすーっと理解できた。また実写版については事後的にネットで調べて内容を確認済み。
最初にダンボの誕生シーン。輪になっている白く丸い布が舞台の中央に現れる。その真ん中が割けてダンボが出てくる。白く丸い布はテントにも見えるが、見ようによっては女性の性器にも見え、生々しい出産シーンにも見える。(いやらしいイメージではなく、むしろ神々しい)
ちなみに、アニメ版映画では、コウノトリが白い布にダンボを包んで、母親のジャンボのところに届けるように描かれている。
ダンボが現れた瞬間、白い布の輪は後ろに倒れる。ダンボがちょこんと座っている。アニメでお馴染みの水色の小象である。
衣装を詳しく述べる。長い水色の鼻を付けている。そして大きな水色の耳。頭には黄色い帽子をかぶる。ぬいぐるみのような衣装は水色だが、裏はピンク色。足には水色の脚絆を付けている。
一曲目は、映画『ダンボ』のサントラ収録曲「Baby Mine」。Arcade Fire (アーケイド・ファイア) が制作している。
お母さんと離ればなれになってしまったダンボが、ほんの少しだけお母さんと再会できる、あの感動のシーンで流れる曲だ!
会いにきたダンボに歌っていた、お母さんの愛情が涙をそそるシーンで使われていた"Baby Mine"という歌の歌詞が素晴らしい。思わず書いちゃう♪
私の坊や 泣かないで 涙を拭いて
私の胸に抱かれて
もうずっと一緒にいるから
小さい坊や あなたが遊んでいるとき
みんなに何を言われても 気にしちゃだめ
その目をいつも輝かせて
もう泣かないで
意地悪な人たちもいるけれど
みんなあなたをよく知れば
あなたのことが大好きになるはず
ママはいつもあなたの味方
頭からつま先まで
あなたはまだまだ完璧ではないけれど
私には一番かわいい宝物
二曲目が、日本のJ-POPグループFUNKY MONKEY BABYSの「希望の唄」。この曲はいい。アゲハさん自身も「この曲いいよねー」とポラコメしているほどお気に入りで最後の立ち上がりにもう一度かかる。本作品のテーマソングともいえる位置づけである。
この曲は2008年11月5日リリース、ファンモン9枚目のシングル。この曲が主題歌として使われている映画『ラブファイト』の主演の北乃きいがジャケットに起用され、PVでは落合扶樹と共演している。
この曲にのって軽快に踊る。
次に、映画「ダンボ」のサントラ盤から、汽車とサーカスの曲が続けて流れる。映画の場面が思い出される。ダンボたちサーカス団は長い列車の旅を続ける。そして、興行のためサーカス興行用のテントをはる。
ステージでは、天井からレインボー色の布を垂らし、それを広げてテント小屋の形に見立てる。
小さなピンクの象の玩具が登場。サーカスで丸いボールに乗って演じている姿。これは‘起き上がりこぼし’だ。ダンボが、長い鼻で象を突っつく。倒れては起き上がる。
観衆がダンボの耳が異様に大きいと笑う。その声を聞いて恥ずかしそうに隠れるダンボ。
この‘起き上がりこぼし’はダンボそのもの。倒れても起き上がる。アニメ映画では仲良しのネズミに励まされ、高いところから勇気をもって飛び降りて、空を飛ぶシーンを思い出す。ダンボは大きな耳を使って空を飛び一躍サーカス団のスターになる。
ステージでは、ここで得意の吊りの演技となる。音楽に合わせ七色のティシューが翻る。
音楽は映画「ダンボ」からPink Elephants On Parade (Remix)。映画では、ピンクの象の行進があるところで、当時としては斬新なアイディアの絵柄に満ちている。ただ、おどろおどろしい画面が多く、小さい子供たちのトラウマになったという話も聞く。ともかく、この音楽をバックにしてティシューの演技をするなんて最高だね。
最後に、ベッドショーへ移る。
ベッド曲は、セカオワの「サザンカ」。セカオワにはこんな名曲もあるのかと感動した。平昌オリンピックのシンボルマークがサザンカであることは知っていたが、情けないことにこの曲は知らなかった。セカオワはアゲハさんのお気に入りであり、この曲をかけてもらっただけで私は幸せになった。
歌詞を味わっていた。♪「いつだって物語の主人公は笑われる方だ 人を笑う方じゃないと僕は思うんだよ」というフレームはダンボのことを意味しているのだろう。ところが私は「これは自分のことだ!」と思えた。そう思ったら胸が熱くなって泣けてきた。
そうなんだ。この作品「ダンボ」は、私自身に対する応援歌だと感じてきた。初めて観た時に、そう感想をアゲハさんに伝えたら、すぐに「さっそくのご感想ありがとうございます。応援歌みたいだよね!! きっとお客さんもひとりひとりダンボだなーって思って作りました。」とのお返事を頂いた。
ダンボの大きな耳が‘翼’なんだと思えた。大きな巨体のゾウが空を飛べるのだから奇想天外な凄い翼だ。最初は醜さの象徴とされた大きな耳が、実は空を飛べる道具になり、ダンボをサーカス団の人気者に押し上げていく。まさしくコンプレックスは欠点ではなく個性であることを分かりやすく教えてくれる。それが大きな耳としてのダンボの‘翼’となる。
浅葱アゲハさんにとっての‘翼’は空中ショーだった。誰もができないアクロバティックな空中演技。ところが、ストリップの世界では異端とされた。確かに、当初はダンスがうまくできなかったので、空中ショーというサーカス的な存在として認識された。しかし、アゲハさんはダンスを習得することで、ストリップ界の中で空中ショーのできる踊り子になった。折から空中ショー花盛りになり、ますます彼女の存在は輝いている。
アゲハさんは、本作品をひとりひとりのお客さんに向けて作ったと言っている。
だから、私自身がこの作品を「私への応援歌」として捉えることができた。
私にとっての‘翼’とは何か。
以下に述べるのは極めて個人的な話になる。観劇レポートというより個人的な感想文になってしまうがご了承いただきたい。
私は生後間もなく小児麻痺を患い足の不自由な身体障害者として育った。笑いものにされたし、よくいじめられてきた。それでもひねくれずにやってこれたのは家族や友人や恩師のお陰だった。家が商売をやっていたので近所のお客からもかわいがられた。こうした周りの愛情に支えられてきたわけであるが、なによりも自分を変えたのは身体が不自由なために運動に注力できず、その分、読書をしたり、勉強に時間を割くことができたことだった。当時、秋田はスポーツ県で、近所では必ず何かしら運動サークルに入るのが当たり前であった。ものごころ付く10歳頃に「おまえは勉強で頑張るしかない」と教えてくれた恩師がいて、それからは勉強の虫になった。お陰で私は中高では常に成績トップだった。身障者というハンデを克服した美談のように評され、私は地元では10年に一人の秀才と呼ばれた。そのままストレートで志望大学に入る。一流の会社に就職し、家族をもち、理想的な人生を送ってきた。
ところが、40歳でストリップに嵌り、自分ではあくまで遊びの領域と考えていたにもかかわらず、60歳を前にして、家庭を壊し、会社を辞めることになった。今ではストリップ漬けになり、ストリップ浪人の生活となる。ハンデを克服した人生の成功者のように見られてきたが、一転、人生の敗北者となる。もうすぐ、還暦祝いということで秋田の田舎に帰省する。田舎には今のストリップ漬けの生活を知る人は誰もいないが、そのことを恥じる気もない。
たまたま見つけたストリップという面白さ、自分はストリップが好きだと分かった。たまたま執筆を趣味にしていたので、ストリップをネタにしてエッセイや童話、観劇レポートを書き続ける。ストリップと執筆が重なったことで、私はストリップからますます離れられなくなってしまった。
家族と仕事を捨てるとき、私にはペンという‘翼’が残された。
ふつうなら65歳までは会社に残り、その後、豊かな余生を送るのだろう。
ところが60歳を前にして私は決断した。これから先は「自分の好きなことだけやっていこう」と。会社では経理の仕事が多く数字ばかり扱った。稟議書にハンコをもらって歩くのが仕事の中心でもあった。でも、そんなことは本来好きじゃない。本当に好きなのは「もの書き」であり、そのネタとしての「ストリップ」なのだ。だから、人生に負けたのではなく、私の中の「ストリップ愛」が勝ったのだと思えばいい。
毎日ストリップに通い、執筆を楽しむ。気の合う踊り子さんもたくさんできて、観劇と執筆で楽しい時間を過ごす。
当然のことながら、私の趣味として書いてきたものがたくさん貯まってきた。自分が書いたものは可愛い。とくに童話は宝物だ。小さい頃から宮沢賢治に憧れてきた。彼のようになりたいと思っていたが、もちろん彼の領域には遠く及ばないが、ただ毎日のように沢山の童話が書ける状態になってきた。昔々、理想としていた姿に今こうしてなっている。
ならば、童話だけでも公表したい。評価されなくてもかまわない。自分の存在意義がここにあるから。
ストリップがネタになっているので、一般ウケはしないだろう。このまま趣味の領域として公表しないでおく手もある。でも、こんな私ではあるが、自分の存在を形として残したいと思うようになった。
きっと笑われるだろうな。誰もが羨むような人生を棒に振って、ストリップ童話なんか書いている人間をきっと人は馬鹿にするだろう。でも、自分で好きで決めた第二の人生なんだから、もうどう言われようが構わない。そんな気になる。
そう思っているときに、浅葱アゲハさんの作品「ダンボ」を拝見した。
最初に、ガツンときたのがセカオワの曲「サザンカ」の歌詞だった。♪「いつだって物語の主人公は笑われる方だ 人を笑う方じゃないと僕は思うんだよ」そう、笑われるだろう。でも笑われても構わない。人生の主人公なら笑われるんだ。人のことを笑ってばかりで人生を過ごしたくないもの。
次に、じわじわ来たのがダンボの生きる姿だった。大きな耳が翼になった。コンプレックスと思っていたのが彼の個性になり、それが誰にも真似できない武器になった。私も不自由な足がコンプレックスだったが、だからこそ勉強し、今では前からの夢であった、自由に童話を書けるようになった。ペンが翼になり、私に空想の翼をくれた。私がダンボと重なった。
いつも思うんだ。すべてのことは自分に重ねてみないと分からないと。いくら本を読んでも目が文字をなぞっているだけで身に付かない。いくらいい映画を観たって心が観てないと感動しない。自分のこととして捉えられないと何も身に付かないもの。時間の無駄になる。実際の体験だけは身をもって知るから身に付くんだろうね。
アゲハさんからダンボの絵をもらったとき、すてきな童話のネタを頂いたと思った。最初に、どうしてアゲハさんはダンボが好きなんだろうかと思った。でも、それではまだ他人事だ。アゲハさんに勧められ、ディズニーアニメ映画「ダンボ」を観るも、すぐにこの面白さが分からなかった。ディズニーの童話が書きたい。しかし、ダンボになりきれないとダンボの童話は書けない。正直、ダンボの前で悶々と立ち尽くしている自分がいた。
そこに、アゲハさんのステージが登場。アゲハさんのダンボを演ずる姿に自分が見えた。アゲハさんが私を応援してくれているように思えた。その瞬間、悶々としていた壁を乗り越えらえた。そんな気がしている。
ステージにはそういう力がある。それが表現者の力だ。観客が何かを求めてステージを観れば、いいステージは何かを与えてくれる。だからステージは素晴らしいのである。
今のアゲハさんには表現者としての力量がある。だから我々観客は感動する。アゲハさんは我々観客を感動させるべく使命があるようにも感じられる。ステージに命を使わなければならないんだね。それがアゲハさんの宿命なんだよ。そのために空中ショーを演じられる翼を与えられているんだ。きっとね。
ここまでくると、アゲハさんとはストリップという同じ舞台で出会えた縁を感じる。私とアゲハさんは、きっと表現者として同じ血が流れている。だから、アゲハさんのステージに感動し、たくさんのことを感じられるのだと思う。これからもお互い鼓舞しながら人生を高めていきたい。
最後に、アゲハさんがいい曲だよねというファンモンの「希望の唄」の歌詞を書いておきたい。
あなたがいて あなたといて
もしもこの世にあなたが 存在していなかったら
100ある笑顔のうち 少なくとも40はなくなる
もしも地球の裏側 あなたがいるとわかったら
無くなった40の笑顔 取り戻すため海を渡ろう
あなたの涙が雨になる あなたの言葉が風になる
諦めかけて乾いた心に 希望という花が咲いた
ああ気付いてほしい この歌の意味を知ってほしい
僕にとってこんなにも 大事で必要な人
あなたがいて あなたといて こんなに幸せになれるよ
忘れないで そのぬくもり 他の誰でもないあなた
あの涙も その笑顔も あの涙も その笑顔も
この無数にある出会いの中 偶然あなたと繋がった
もしも出会えてなかったら 夢すら持ててなかった
いつの間にかあなたの笑顔が 変わらない本当の居場所
心から支えられている だから僕は笑っていられる
ともに遠回りとかもしたけど 辿って来た夢の足跡
昔から変わらず今でも 沢山の勇気をありがとう
振り返らずにまた前へと これからも重ねていく年
僕には歌しかないけれど ずっと見守ってほしい
あなたがいて あなたといて こんなに幸せになるよ
忘れないで そのぬくもり 他の誰でもないあなた
この世界で 一人だけの あなたに出会えた奇跡が
こんな僕を 勇気づける 力があなたにはあるの
いつも愛してくれた人よ
僕に今 何か出来るのなら
探していた 未来の灯りを
あなたと分かち合いたい
あなたがいて あなたといて こんなに幸せになるよ
忘れないで そのぬくもり 他の誰でもないあなた
この世界で 一人だけの あなたに出会えた奇跡が
こんな僕を 勇気づける 力があなたにはあるの
あなたがいる あなたといる
あなたがいる あなたといる
La La La La...
2019年5月 渋谷道劇にて
【浅葱アゲハさんからのお返事】
(ポラ) お手紙ありがとうございます。太郎選手がダンボのステージにご自分をかさねて下さって、それを私に教えてくれて、泣いてしまいました。
(ポラ) 楽日ほんとにありがとう。太郎さんに出会えて幸せです。
(手紙) ダンボ気にいってくれて本当にありがとう。気持ちを共有できるストリップって本当にステキです。一緒に居てくれてありがとう。
2019.5
~浅葱アゲハさんの15周年作「ダンボ」を記念して~
あるサーカス団に一匹の象の赤ちゃんが誕生しました。
名前をダンボと言います。ダンボには大きな耳が付いていました。一種の奇形でした。観客はそんなダンボのことを嘲笑いました。
笑われたダンボはサーカスのテント小屋の隅で泣いていました。
そこに、空を飛んでいた魔女っ子アゲハッチョがダンボを見つけました。彼女の背中には天使の羽根が付いています。彼女はお空の高いところからやってきた堕天使でした。
「かわいいゾウさん、どうして泣いているの?」
アゲハッチョは優しく声をかけました。
「みんながボクのことを笑うんだ。こんな大きな耳が付いているからね。」
アゲハッチョはその耳に優しく触れて、「私が魔法で飛べるようにしてあげるね」と言って、魔法のステックを振りました。「ねるねるねるね~♪」と呪文を唱えました。そして「耳を翼のように羽ばたいてごらんなさい。そうすれば身体が空中に浮くはずよ。」と囁きました。
ダンボが耳をバタつかせると、身体が宙に浮きました。みるみる空を自由に飛び回れるようになりました。ダンボは「ありがとう。アゲハッチョのお陰で、ボクはアゲハッチョと同じように空を飛べる翼を持ったよ。」と嬉しそうにお礼を言いました。
空を飛べるようになったダンボは一躍人気者になりました。
ある街に、売れない歌手がいました。
彼は小さい頃から歌が好きで歌手になるのが夢でした。彼は路上で歌を唄っていました。しかし、街の人々は忙しくて路上で立ち止まって彼の歌をじっくり聴いている余裕はありませんでした。だから彼の前に置いてある帽子に誰もお金を投げ込んでくれません。お金がなく、食べることもままならず、彼は次第に元気をなくし落ち込んでいきました。世の中が暗く寒々しいものに見えてきました。
アゲハッチョはそんな彼を見て、彼の帽子にサーカス興行のチケットを投げ込みました。
翌日、彼はサーカスにやってきました。
アゲハッチョはピエロに化けて、彼に近づき、彼をダンボの背中に乗せました。ダンボは彼を乗せて空高く舞い上がりました。
「うわー、高いところから見ると人間は米粒のように見えるね。つまらないことでくよくよしていても仕方ないね。元気を出して、また歌を唄いたい。」
アゲハッチョは魔法のステッキを取り出し、「ねるねるねるね~♪」と呪文を唱えました。そして彼にギターをプレゼントしました。彼の指が勝手に動きギターが自動的にメロディを奏でました。彼はダンボの背に乗り、大空の上で思いっきり声を出して歌いました。
初めてたくさんの人々が彼の歌声に心を止めました。
そうして、彼の歌声はギターという翼を得て世界中に飛び回りました。
アゲハッチョもダンボも彼の活躍を喜びました。
サーカス団は移動しました。
次の街には、交通事故で片足を失った男の子がいました。彼はもともとスポーツの大好きな少年でしたが、もう片足を失ったためにスポーツはできないと、ベッドの上でふさぎ込んでいました。アゲハッチョは彼に元気を与えたくて、サーカス興行のチケットを彼の部屋に投げ込みました。
彼は車椅子でサーカスにやってきました。そして、大きな耳で自由に空を飛ぶダンボをまぶしそうに眺めていました。アゲハッチョはピエロに化けて、彼に近づき、彼をダンボの背中に乗せました。ダンボは彼を乗せて空高く舞い上がりました。彼は「自由に動き回れるって本当に気持ちいいね」としみじみと言いました。
アゲハッチョは魔法のステッキを取り出して、「ねるねるねるね~♪」と呪文を唱えました。そして彼の足に合う義足をプレゼントしました。彼は努力して、以前のようにスポーツができるまでになりました。彼は義足という翼を得たのです。彼はその翼でもって、お世話になった人々に恩返しをしたいと考えました。
彼はパラオリンピックに出場し見事に金メダルを獲得したのです。
アゲハッチョもダンボも彼の活躍を喜びました。
また、ある街にサーカス団は移動しました。
その街には、生まれつき身体の動かない女の子がいて、車椅子の生活をしていました。身体の不自由な少女はいつも読書で気を紛らわせていました。読書に疲れたときにはぼんやりと窓の外を眺めます。
彼女は人生に絶望していました。「私なんかなんのために生まれてきたのでしょ。こんな意味のない毎日を送るのは嫌だわ。もう死んでしまいたい。」彼女が部屋の窓から見える景色はどんよりと暗い灰色の世界でした。
アゲハッチョはそんな彼女の部屋にサーカス興行のチケットを投げ込みました。翌日、彼女は車椅子でサーカスにやってきました。
そして、アゲハッチョはピエロに化けて彼女に近づき、彼女をダンボの背中にのせて空の世界に招待しました。
空の上から眺めると、いつも窓から眺める世界は別世界に見えました。「私の周りの世界は、こんなにも明るくて楽しい世界だったなんて知らなかった。地上で生きている人間はそれだけでとても幸せなんだわ。みんなにそのことを教えてあげなくちゃ。」
これを聞いたアゲハッチョは彼女に一本のペンをプレゼントしました。そして「あなたの思うことをこのペンで書いてみて。そして世界中の人々にあなたの気持ちを届けてあげてほしいの。」とアゲハッチョは言いました。
アゲハッチョはペンという空想の翼を彼女に与えたのでした。お陰で、彼女が書いた童話は夢と希望に満ち溢れていました。そして多くの人々の共感を得ました。彼女の言葉は翼をもって世界を飛び回ったのです。
アゲハッチョもダンボも彼女の活躍を喜びました。
アゲハッチョは思いました。
「私は本当の翼を与えたわけではない。魔法にはそんな力はない。私はきっかけを作っただけ。もともと誰の中にも才能があり、それを自分の気持ちをちょっと変えることで才能を開花させることができただけ。」
今日もアゲハッチョはピエロに化け、ダンボは空を舞いました。
おしまい