今回は「こだわりと納得」という話をします。
8月結の川崎ロックで、灘ジュンさんが新作「魔法にかけられて」を披露した。
私は、新作披露から三日目の日曜日に初めてステージを拝見した。
新作は、衣装から見て次の四つの構成からなる。①ウェデング・ドレスのように華やかな白いドレスで踊る、②白地の上に緑地を羽織ったようなドレスで踊る、③コウモリをイメージする黒地の衣装を着た魔女が登場、④パープル・シュミーズのベッド着で演じる。
ジュンさんの美しさは折り紙つきなので、①と②のドレスが綺麗に映えるのは言うまでもないが、流石と思ったのは③。魔女になりきっている真剣な表情、これだけきりっとした美しさが冴える魔女を演じられるのはジュンさんしかいないと感心させられた。それだけ③が本作品のポイントにもなっている。
翌週また観劇したとき、構成が変わっているのに驚いた。②と③を入れ替えているのだ。
ポラ撮影のときに、お客との会話が耳に入った。どうしても気になっていたので、中日から変えたとのこと。
この変更は、作品の構成に更にメリハリを付けた、と感じた。最初のドレスの白に対して、魔女の黒、次が緑と白へと続き、色彩の変化による残像イメージがいい。
これまでジュンさんの作品はデビュー以来ほとんど全て拝見しているが、途中で構成を変えたのは初めて見た。ジュンさんの作品はいつも完成度が高いので、途中から内容を変えることなんて無いと思っていた。だから今回の変更は、私には意外な驚きであり、また新鮮でもあった。そのことをジュンさんに話したら「今日は作品の変更点に気づいてくれましたね。今回は分かりやすく変えましたが、新作を徐々に仕上げていくのは私もそうです。最初から完成されているなんて全然そんなことないですヨ~。」
新作のイメージをたくさん抱えていて、それを早く形にしたいと思っている踊り子さんにとっては、ひとつひとつの完成度を求めていたら、なかなか実現しなくなる。だから、ある程度の形ができた段階で発表して、後は演じながら変えていくというパターンがある。特にお客さんの反応を見ながら変えていくと、お客と一緒になって作品を仕上げたという気分になるもの。
それに対して、ジュンさんの場合は、ひとつの作品をじっくりと仕上げていき、完成していなければ発表しないという完璧主義パターンかなと思っていた。だから、さきほどの話になったわけだが、実はそうでもないと聞いて、逆にジュンさんに人間味を感じてしまった。(笑)
表現者(アーティスト)にとって、ひとつの作品を創り上げることは、こだわりと納得の連続なのだと思う。表現者は自分なりに納得できる作品にするために、ずーっと頭の中で考え続けている。こだわればこだわるほど、間違いなくいい作品になっていく。こだわりこそが創造力であり、表現者の実力なのである。天才はこだわりに天才ならではの閃(ひらめ)きがあるが、凡人は時間や他人のアドバイスをもとにこだわりの幅を広げていく。こだわりが外れるまで頭から離れないし、自分なりに納得した時点で、ようやく頭から外れる。こだわりは苦悩でもあり、また楽しみでもある。納得の瞬間が作品からの開放感であり、作品が完成できた達成感を味わえる。表現者はこの快感が忘れられず、また新しい作品に取り組んでいくことになる。
納得というのは表現者の実力の限界でもある。どれだけこだわれるかが表現者の実力ではあるが、やはりどこかで割り切る。これが納得。納得しないと作品をいつまでも発表できないわけだから仕方ない。そして、自分から外れた瞬間から、ひとつの作品として、他人の評価にさらされる。踊り子さんの場合は、それがステージでの披露となり、お客さんの反応につながっていく。その評価が良ければ最高であろう。踊り子さんの場合、たくさんの客がステージを拝見してくれる分、やり甲斐は大きい。
仮にその反応が悪ければ、多少の微調整は入ったとしても抜本的には変えられない。なぜなら、既に自分なりにこだわりと納得を繰り返しているため、再度それを繰り返すことができないからだ。従って、反応が悪ければ、結局その作品をやらなくなり、次の作品への挑戦に気持ちは切り替わっていく。
ときに、自分が表現したいものと客が求めているものとギャップがあることもあろう。ただ、踊り子さんとしては、その作品を作る過程で、自分のこだわりに対する発散ができており、自己満足を得ている。少なくとも自分なりの納得感は持っている。あとは客とのギャップを埋めていけばいい。自分が表現したいものと客が求めているものとが一致したときの陶酔感・一体感は最高。これを味わったら、ストリップの仕事は止められないだろう。
思えば、人生というのも、こだわりと納得の連続なのかもしれない。
入試、職業選択、結婚など人生の大きな選択に、最初から正解が決まっているものはない。決める前にいろいろ悩み、決めた後もいろいろ悩む。結婚前は理想の異性像があり、そういう人が現れるまで結婚したくないと思う。ところが、ひょんなことから理想とかけはなれている異性と出会い結婚してしまう。少しは自分のこだわりを気にすることもあろうが大抵の人は納得してしまう。理想ばかり追っかけていても、いたずらに歳を重ねるだけで、逆に結婚適齢期を逃してしまう。今の自分という現実を冷静に見つめると、理想にこだわれるほど贅沢もいえないと気づく。周りにはさまざまな納得材料がある。さらに家族、友人などの指摘、意見、アドバイスなども追い討ちをかける。
ただ、選択したものが理想ではなくても、現実の中には納得できることがたくさんある。もっといい結婚相手がいたのに、もっといい会社に就職できたのに・・と最初のうちは思うかもしれないが、年月を重ねると、伴侶にはこんな自分と一緒になってくれて本当に感謝していると思えるし、会社に対してもこんな無能な自分にいい仕事を与えてくれて感謝にたえなく思う。すべてが素晴らしい縁であることに気づかされる。これまでの人生で、失敗や無駄なことなんて何もなかったようにも思える。
もう一度、自分のこだわりって何だったかなと考える。今のこの現実を肯定しつつ、新たにこだわりを発見していくことだってできる。だから人生は面白いのだと思う。
今回の新作「魔法にかけられて」を、楽しく、かつ、うっとりしながら観劇でき、改めてジュンさんのこだわりを感じた次第である。
私もこうやって、ストリップ・エッセイや童話を書きながら、自分なりのこだわりを追い求めている。ジュンさんのステージから「こだわりと納得」というキーワードを思いついてから、このことをずっと考え続けた。ストリップの話から芸術論、さらに人生論まで展開させたつもり。突き詰めると物事はすべて哲学になる。
童話を書いているとき、ストーリーやコンセプトを思いついて、骨子を作っても、枝葉の部分が気になってずーっと頭の中に残っていることがある。そして時間と手間をかければかけるほど良くなることが多い。まさに手塩にかけた作品になる。そのときの自己満足がたまらなくて書き続けている。私の場合、披露する対象は踊り子さんだけ。踊り子さんの反応を見て、その作品は終了する。
今回のエッセイも、ジュンさんのステージを拝見してから書き始めて、いろいろ手直ししながらもう10日間費やした。川崎ロックから一ヵ月後(9月結)の若松劇場で、ジュンさんに渡したくて書いている。若松で渡したら、もう手をかけることはない。こだわりは有限にしないと収拾がつかない。なぜなら、新しいこだわりがどんどん発生していくのだから。
私は、新しいこだわりを求めて、ストリップ通いをしているのかもしれない。なんのこだわりも感じなくなったらストリップ通いは止めるだろう。というか、なにもこだわるものが無くなった時点で私の人生は終わるのだと感じている。
「こだわりと納得」・・・重い話に付き合ってくれてありがとうございました。
平成21年9月 仙台ロックにて