ラテンアメリカンダンスとして「レゲエ」を紹介しましたが、ついでながら「サルサ」について語ります。ラテンアメリカンダンスはめちゃくちゃ数が多いのですが、今もっとも人気のダンスのひとつが「サルサ」なのです。ラテンアメリカンダンスが「サルサ」に集約されていると言っても過言ではありません。

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童話『新ちから姫』(アメリカ紀行編)

 

第47話  プエルトリコのダンス(その3) 「サルサ」

 

 ボンバ、レゲトンと続き、次に紹介するプエルトリコのダンスは、「サルサ」です。

 

 ちから姫たちは、サルサ・ダンスを見た瞬間、その情熱的でスピード感あふれるダンスに、一目で魅了されました。

 これが今、世界的に最もポピュラーなダンスになっているのです。

 基本的にペアダンスなので、最初にアゲハッチョとカレンリーナ、ニジッポとキヨハッチョ、カエラッチとサクラッチの新婚三組がハッスルした。しかし、このダンスは既婚組に任せとくわけにはいかず、みんながパートナーを求めて踊り出した。それだけ、人々を惹きつける魅力に満ちた踊りです。実際、サルサダンスを通じて結婚する人もいるほどで、運動量が多いためダイエット効果も大きく、女性には大人気ようです。

 

 このダンスは、もちろんラテンダンスですが、かなりアメリカナイズされています。世界各地で流行し多様性に満ちています。そこで、北アメリカに行ったときに再度扱うことにして、ここでは詳細は省き、簡潔に説明していきたいと思います。

 

 

 まずは、サルサの歴史からスタートします。

  サルサ (Salsa) は1960年代後半にニューヨークのプエルトリコ移民が中心になり作られた比較的新しいペアダンスです。

  サルサ音楽に合わせ、通常二人で踊る。サルサ音楽はキューバやプエルトリコ等カリブ海の音楽がベースとなっている。「クラーベ」という独特のリズムバターンが特徴。サルサはスペイン語で「ソース」という意味。いろいろな素材やスパイスが混ざり合ったソースのように音楽もダンスも土地や時代によって変化し、その多様性がサルサの最大の魅力といえるだろう。

 

もう少し詳しく、サルサの発祥を辿ってみましょう。

サルサ音楽は、20世紀の初め、1930年代頃からその原型が生まれました。もともとは、キューバの酒場で演奏していた音楽でした。その音楽はサルサではなく、「ソン」と呼ばれていました。そのミュージシャン達が、お金稼ぎのためにニューヨークへ行き演奏したところ、大ヒットしました。キューバやプエルトリコの音楽に、アメリカのジャズの要素が加わり、洗練されたものとなったのです。そうして「サルサ」と呼ばれるようになり、その音楽は世界中に発信されるようになりました。それは1970年代のことでした。アメリカや南米を始め、ヨーロッパやニュージーランドにも、世界中に広まりました。日本でも流行し、バーを兼ねたサルサクラブが出来ました。

 

 次に、サルサダンスのルーツです。

  サルサは、黒人が演奏して踊っているイメージがあります。それは、キューバやプエルトリコの歴史に関係があります。キューバとプエルトリコは、長い間スペインの植民地でした。スペインは、西アフリカからたくさんの黒人を労働者として送っていました。その黒人達がもともとアフリカで演奏していた音楽をキューバやプエルトリコに持ち込んだことで、サルサの原型が出来上がりました。

  ダンスは、西アフリカからキューバやプエルトリコに来た人々にとって、唯一の娯楽で、唯一彼らのアイデンティティを守る手段でした。彼らは、奴隷として働かされていて、休みの日にだけ踊ることが出来ました。彼らのダンスは、親から子へ伝えられ、幼い子供たちは、言葉よりも先にステップを覚えると言われています。サルサは、踊ることで辛いことや悲しいことを忘れて、心を癒すものでした。だからこそ、感情を表に出し、力強い生命力を感じられるダンスになっています。サルサダンスの基本のステップは、腰をくねって地面を這うように踏みますが、それは、奴隷たちが足に重い輪をかけられた状態で踊っていた名残とも言われています。

 一見ラテンダンスは陽気な踊りですが、我々は常に過去の黒人奴隷の悲しみを忘れてはいけないと思う。だからこそ、ダンスの歴史を振り返る意義は大きい。

  1960年代に入り、人種差別の撤廃を目指す公民権運動の高まりとともに人種のアイデンティティが意識されるようになる。ブルースやソウルミュージックが黒人音楽のアイデンティティとして、その後ロックに発展したように、ヒスパニック(ニューヨークに移民したキューバ人やプエルトリコ人)としてのアイデンティティを表現した音楽としてサルサが誕生したとも考えられる。

 

 なお、アフリカ音楽の時も必ず踊りがペアになっているが、プエルトリコの踊りはもっと現代に近づいており、アフリカの踊りのような無骨な感じはしない。この点が、ラテンダンスの魅力でもある。

 

 

 次に、サルサダンスの特徴について。

  男女ペアで踊る「サルサダンス」は、男性でも女性でも年齢関係なく楽しめるペアダンスです。ペアダンスのなかでもスピード感のある情熱的なサルサダンスは、ステップが独特であることが魅力です。

  ノリの良いサルサの音楽に合わせて、男女ペアがスピード感のあるステップを繰り広げる。サルサダンスは情熱的なラテンダンスなので、腰使いがポイントになります。

 

  ここで気になるのが、社交ダンスとサルサダンスの違いです。社交ダンスとサルサダンスは、ペアダンスという点においては同じですが、例えばターンについて見ていくと社交ダンスは美しく見せるため膝を伸ばしますが、サルサダンスは速さを重視するため膝を曲げる傾向にあります。しかし、サルサダンスのダンサーは社交ダンス出身者が多いため、サルサダンスと社交ダンスは似たダンスだと思われることが多いようです。サルサダンスと社交ダンスの差別化は、ペアダンス界の今後の課題なのかもしれません。

 

  サルサダンスの基本ステップは、簡単で単純な動きの繰り返しです。基本的には、3回足を交互に踏んで、1拍休むという動きを繰り返します。ふくらはぎやアキレス腱、股関節を使うことでサルサダンス特有の速いスピードについていくことができます。

 

  サルサダンスは、男性が女性をリードするため、女性は男性に合わせるだけでOKです。男性のリード次第で次の動きやステップが決まるサルサダンスは”3分間の疑似恋愛”と例えられることもあります。

 

  サルサには多様性という特徴があると説明しましたが、そのダンスは時代や地域によって様々なスタイルがある。

  というのは、ラテンダンスは音楽のリズムととても深い関係があるが、リズムをどのように解釈して踊りにつなげるか?

  音楽を、ワン、ツー、スリー、フォーと数えながら(カウントしながら)ステップをすると音とステップの関連性が分かりやすくなる。

  サルサダンスの「ベーシックステップ」と呼ばれるステップは、前後に動くことが基本。前に動くときは左足が一歩前へ、後ろには、右足が一歩後ろへ。この前後に一歩ステップすることを「ブレーク」と呼ぶ。このブレークするタイミングを音楽のカウントに合わせ、カウント・ワンでブレークすることを「On1(オンワン)」と呼ぶ。そしてカウント・ツーでブレークすることを「On2(オンツー)」と呼ぶ。

  それぞれのカウントにはいくつかのスタイルがある。代表的なサルサダンススタイルを紹介すると次の通りになる。

 

◆ On1(オンワン)では、LA(エルエー)スタイルCuban(キューバン)スタイル、Colombian(コロンビアン)スタイル等。

→ロススタイル(LAスタイル)は、主にアメリカの西海岸、ロサンゼルスで広まったダンススタイルです。ロススタイルの特徴は、ステップの1拍目にアクセントを置いて踊ることです。音の強弱がはっきりしているため、メリハリのあるダンスが求められます。

→キューバンスタイル(カッシーノスタイル)は、アフリカの「サンテリア」「ルンバ」などの影響を強く受けているため、ロススタイルやニューヨークスタイルに比べると力強いステップが使われます。キューバンスタイルの特徴は、円を描くように踊ることです。基本ステップが多い分、自由度の高いダンススタイルといえるでしょう。

→コロンビアでは、クンビア、バジェナートの要素を融合していく。

 

◆ On2(オンツー)では、NY(ニューヨーク)スタイル、Ballroom(ボールルーム)スタイル、PuertoRican(プエルトリカン)スタイル、Contra tiempo(コントラ ティエンポ)等。

→ニューヨークスタイル(NYスタイル)は、主にニューヨークで広まったダンススタイルです。ニューヨークスタイルの特徴は、ステップの2拍目にアクセントを置いて踊ることです。滑らかに、流れるように踊るダンススタイルから、社交ダンスにより近いサルサダンスといえるでしょう。

  スタイルの名前は上記のように、場所・地域で呼ばれることが多く、それはサルサの多様性や広がりを表しているとも言える。

 

 以下、年代順にトピックスを掲載しておく。

  1980年代、サルサ・ロマンティカの台頭。恋愛のロマンスを扱った歌詞、スムーズなサウンドとメロディーが特徴。ニューヨークやプエルトリコの音楽市場を占める。

  1985年、グロリア・エステファン「コンガ」:ロックやヒップホップ、R&Bとクロスオーバーしたラテン・ポップ

  1980年代後半、ニューヨークやプエルトリコでは、ドミニカ共和国の音楽であるメレンゲがブレイク

  1989年、オルケスタ・デ・ラ・ルス(日本人のラテンバンド)、ファーストアルバムをリリース。ビルボード誌ラテン・チャートで11週間にわたって1位を獲得。

  1980年代、日本でサルサを演奏するグループが生まれました。「オルケスタ・デル・ソル」です。その弟分として「オルケスタ・デ・ラ・ルス」が1984年に結成されました。正統派のサルサを聴かせる日本人オルケスタとして、アメリカと中南米で人気が出ました。シンガーはNORAさんという女性の方です。その後、1994年にサルサブームとなり、30以上のサルサバンドができ、国内初のサルサダンスコンテストが開催されました。

  1990年代に世界各地への拡大。

  サルサの人気はラテンアメリカ諸国だけではなく、ヨーロッパや日本、アフリカにも広がり、世界各地でサルサのシーンが見られるようになった。

  サルサ・ロマンティカの人気に対する揺り戻しで、60年代から70年代の雰囲気を感じさせる「クラシック・サルサ」を演奏するアーティストが世界中に存在するようになった。

  1993年、オルケスタ・デ・ラ・ルス NHK紅白歌合戦に出演。日本人の音楽としては初めて国連平和賞を受賞。

  ハウスミュージック、レゲトン、テクノなど様々な音楽とクロスオーバーを続けて進化。

  2000年代、バチャータのリニューアルと流行。

 

                                    おしまい