たくさんの踊り子さんのダンスを拝見することで、私はダンスに興味を持ち、いろいろと調べた。その結果を、アラビアンダンサーであるちから姫一行が世界中のダンス冒険をして歩く、という内容の長編童話「新ちから姫」にまとめてみた。今回は、その中から、ダンスについて語っている個所をピックアップしてみる。
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童話『新ちから姫』
第21話 バレエ劇団との交流
新たにユイリィが加入し、ちから姫を先頭に新生TS劇団は旅を続けた。
そして、更に新たな劇団と出会うことになる。すでに時間軸が歪んでいるため、時代錯誤的な出会いになるかもしれないが…。
次に出会ったのは、バレエ劇団であった。
バレエといえば、まさしくダンスの王道である。‘ダンスの王様’と言いたいところだが、たしかに昔はルイ14世のように男性のダンスであったが、いまや女性の代表的なダンスなので‘ダンスの女王’とでも言うのが正しいのかな。
ユイリィがバレエについて詳しく説明してくれた。ユイリィは過去のことも未来のことも知っているのですごく頼もしい存在だ。
まず、バレエの定義・特徴から。(ネットのフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』を参照した)
辞書によると、<バレエ(仏: ballet)は、西ヨーロッパで発生し広まった、歌詞・台詞を伴わない舞台舞踊。及びその作品を構成する個々のダンス。音楽伴奏・舞台芸術を伴いダンスによって表現する舞台である。物語性をもち、複数の幕をもつ舞踊劇が多い(「くるみ割り人形」「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「ドン・キホーテ」など)。しかし20世紀以降には物語性を否定する作品も生まれている。>とある。
分かりやすく言えば、バレエは基本的には、劇のセリフを踊りや身振りで代用したものです。そういう意味ではパントマイムと親戚関係にあるともいえます。しかしパントマイムが純粋に身振りに集中しているのに対して、バレエでは音楽が重要な要素であり、合わせて舞台・照明・効果などもあわせた総合芸術としての方向性を持っています。
バレエを「パ(振り)、音(音楽)、色彩(衣装)、形態(装置)」の複合芸術であると定義すると、あっ、こりゃストリップと同じだ!と思えます。ストリップはヌードによってエロスを表現することが主たる目的ですが、ルーツはバレエに近いと気づかされます。
バレエには、言葉を用いずに感情等を表現するという側面と、音楽に合わせて美しく動くという側面があります。双方が、バレエの魅了ですが、ルーツは、それぞれに存在すると考えられています。表現という側面については、古代ギリシャ時代の言葉を使わない演劇がルーツだと言われています。音楽に合わせ美しく動くという側面のルーツは、中世ヨーロッパの舞踏会にありました。はじめて「バレエ」という名称が使われたのは、美しく動くという側面からです。ルネッサンス期のイタリアの宮廷内で、貴族たちが美しく踊る舞踏会で、Ballo(バロ)と呼ばれるダンスが生まれます。そこに歌が加わったものがBalletto(バレ)で、音楽が選定されるようになるとBalletti(バレッティ)になります。そして、このBallettiがあのメディチ家のカトリーヌ・ド・メディシスによってフランスに持ち込まれ、Ballet(バレエ)と呼ばれるようになったのです。
次に、バレエの歴史について述べます。
一言でいえば「イタリアで生まれ、フランスで育ち、ロシアで発展した」と記憶するのが一番分かりやすい。
バレエのルーツは古代ギリシャ時代の無言劇(シャレード)まで辿る考え方もありますが、通常「バレエ」と呼ばれるダンスの起源は、ルネサンス期(14〜16世紀)のイタリアと言われています。当時、宮廷では余興として詩の朗読、演劇などが演じられていたが、その一部としてバロ(Ballo)と呼ばれるダンスが生まれました。宮廷の広間で貴族たちが歩きながら床に図形を描いていくもので、それをバルコニーから眺めるのが当時の楽しみ方であったようです。音楽に合わせてゆっくりとステップを踏むダンス「バロ(Ballo)」が、現在の「クラシック・バレエ」の原型とされ、貴族たちが舞踏会で踊ったのがはじまりです。
文化・芸術の再生、大航海時代、宗教改革など、時代の大きなうねりの中で生まれたバレエは、イタリアのフィレンツェやヴェネチアから西ヨーロッパへと広がっていきます。バレエの魅力が他国へ広まるきっかけは、15世紀の終わりにレオナルド・ダ・ヴィンチが開催した大掛かりな舞台の上演でした。ルネサンスを代表する芸術家がバレエの発展にも力を注ぎました。
バレエ文化は、16世紀後半にフランスで大きく花ひらきます。その証拠に、「バレエ(Ballet)」の名称は、フランスにおいて呼ばれるようになった言葉であり、今日まで受け継がれています。
フランスでバレエ文化が発展した背景に、一人の王妃の存在があります。イタリア・フィレンツェのメディチ家に生まれたカトリーヌは、幼い頃からバレエが大好きでした。そんな彼女の嫁ぎ先が、フランス王アンリ2世。カトリーヌ王妃は、宮廷内で舞踏会を何度も開催し、フランス国内にバレエの魅力を広めました。輿入れからの20年間で、約800のバレエ作品が誕生したと言われています。
フランスでバレエの地位を確立したのは、“太陽王”と称されたルイ14世です。ルイ14世は自ら踊るほどバレエを愛し、専属の舞踏教師を雇う熱の入れようでした。1669年、パリに「オペラ座」を建設。1713年には、プロのバレエダンサーを養成する「オペラ座バレエ学校」を開校し、バレエは舞台芸術として体系化されていきました。
18世紀の後半に起こったフランス革命は、バレエ文化にも大きな影響を与えました。それまで王侯貴族を中心に発展してきたバレエでしたが、庶民が主役となる「ロマンティック・バレエ」が登場。バレエの存在はフランスの人々に身近になったものの、1873年のオペラ座の火災によって勢いを失います。
オペラ座が焼失した後、バレエがめざましく発展したのはロシアでした。フランスの宮廷からもたらされたバレエを積極的に庇護した皇帝は、バレエ学校を創設するなどバレエ文化の発展に情熱を注いだのです。
19世紀中頃、バレエはロシアで飛躍的な発展を遂げます。フランスから招いた振付師のマリウス・プティパは、作曲家のチャイコフスキーとコンビを組み、「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」「白鳥の湖」などクラシック・バレエの大作を発表します。
その後、バレエの衣装や技術は時代と共に発展を続け、自由な振り付けや作風もどんどん増えました。
しかし、ロマンティック・バレエやクラシック・バレエの名作は、当時とまったく変わらない音楽・振り付け・世界観をそのままに、今なお人々に愛され続けています。
クラシックバレエは 16 世紀のイタリアで生まれ、フランスで完成し、ロシアに伝えられ、500 余年間に変貌しつつ現在の形になった。そして、ロシア経由で日本にもたらされました。
バレエが日本に伝来した時期そのものは明確ではありませんが、1911年に、帝国劇場で踊られた「フラワー・ダンス」というものが、バレエ的なものだったのではないかと言われています。しかし、その頃はあまり、バレエは日本の人々を魅了しなかったようです。日本人が本格的にバレエに魅了されるのは、1922年に来日した、アンナ・パブロワの「瀕死の白鳥」を見てからです。あの芥川龍之介までもが彼女を絶賛し、あっという間にバレエという芸術は、日本に広まりました。
以上が、ユイリィが説明した内容です。(ネットで調べたバレエの実の歴史です。)
ちから姫たちはこの説明にキョトンとしていました。でも、とにかく奥深い魅力的なダンスであることは感じました。
「太陽王」ルイ14世の話が出たとき、太陽の化身サンが少しもぞもぞしました。どうも気になることがありそうです。「太陽王」という名前は元々、ルイ14世が劇の中で太陽の役を踊っていたから付いたようです。
ともあれ、先にアラビアンダンスやアフリカンダンスが権力・財力のある宮廷により形づくられた話をしましたが、バレエも宮廷で花開くわけですから、全く同じですね。
こうしてバレエの歴史を追ってみると、やはり人間は、バレエというものの魅力から逃れられないのだということがひしひしと伝わりますね。すべてのダンスに言えることでしょうが、何百年、何千年もの昔から、人は、人が身体を動かし何かを表現し踊るということから、目を逸らすことが出来ないようにできているようです。人間は、大地から生まれました。その大地が人間を踊らざるをえないように作り上げました。このことはダンスの根っことして先に話しましたね。人間の遺伝子には踊りのDNAが組み込まれているのです。踊る側も観る側も、本能としてダンスを求めるのです。
さて、話を本筋に戻します。
ちから姫たちが出会ったバレエ団は、フランスから流れてきていました。
先のユイリィが話した歴史にも出ていましたが、ルイ14世の時代の踊り手の主体は貴族たちで、廷臣たちや貴婦人達が、豪華な衣装をつけてバレエを踊っていました。
ところが、ルイ14世がやがて年齢的なものから踊りを引退すると、その後は次第に職業舞踏家たちが現れて来ます。当初は男性の舞踏家ばかりで、女性ダンサーがいなかったため、男性の舞踏家が仮面を付けて踊ったりしていた時期もありますが、まもなく女性の職業舞踏家たちも現れてきます。
こうした女性バレエダンサーは現在と違い地位の低い人が身を立てるためにやっていたため、バレエダンサーは蔑まれていました。主役以外のダンサーは薄給で生活しており、パトロン無しでは生活するのが困難だったとされます。パトロン達は当然男性が多く、女性ダンサーを娼婦の如く扱っていたと言われます。かくして、フランスのバレエ界から男性ダンサーはいなくなり、フランスのバレエは低俗化することになる。バレエダンサーたちはそれに嫌気をさしてフランスから飛び出しました。彼女たちは新天地ロシアに向かっていました。
ちから姫たちが出会ったバレエ団にはそういう背景があったのです。
なにはともあれ、バレエ団のステージを拝見させてもらうことになりました。
ちから姫たちはそのステージに皆が目が点になりました。
ダンサーが宙を舞っているのです。そう見えました。
踊っているのは、一人の天才バレリーナ、マリ・タリオーニです。彼女が演じているのがスコットランドの妖精物語「ラ・シルフィード」で、まさしく宙を舞う妖精のようでした。彼女はトウ(つま先)で立って踊る技法(ポワン)によって、妖精の軽やかさを表現していたのです。
周りを囲む踊り子たちも皆、このつま先立つ踊り方をしていました。天才タリオーニの芸には到底及びませんが。
ちから姫は前に宮廷に招かれたことがあったので、バレエの存在は知っていました。しかし、昔は普通のヒールのある靴を履いて踊っていました。しかも、「ヴェルサイユのバラ」に出てくるような貴婦人風の衣装でした。ところが、今回観たものは、衣装も踊りやすいものに変わっています。標準としては、バレリーナの衣装が裾が長く円錐形に広がる「ロマンティック・チュチュ」です。こうしたバレエの様式を「ロマンティック・バレエ」と呼んでいます。
ちから姫シスターズは、バレエの足さばきに魅了され、そして以前自分たちが夢中になっていたアイリッシュ・ダンスの足さばきに通じている気がしていました。
このバレエ演技に一番魅了されたのは、旧TSメンバーのリーダー格のノノッカでした。彼女は長身で手足が長いこともあり、バレエを踊るには相応しい体つきをしていた。すぐにタリオーニに話しかけて、このつま先立つ踊り方を教えてもらっていました。もともとステージ映えしていたノノッカのステージはますます磨きがかかりました。
こうして新しいダンスと出会うことで、新生TS劇団の個々のメンバーの技能は飛躍的に上達していきました。
最後に余談になりますが、フランスで出来上がったバレエ様式「ロマンティック・バレエ」は、ロシアで別の様式「クラシック・バレエ」となります。現在のバレエの基本的な動き(ダンス・クラシック)が確立されたのです。面白いことに、クラシックというのに「ロマンティック・バレエ」より「クラシック・バレエ」の方が新しいのです。
そして、ロシアで確立したバレリーナの衣装は裾が短く傘のように広がった「クラシック・チュチュ」です。こういう衣装が生まれたのは、ロマンティック・チュチュではよく見えない、バレリーナの足の動きの美しさを見せたいためでした。
また、衣装の変革と足さばきの複雑化があいまって跳躍や回転の見せ場もぐんと増え、ロマンティック・バレエでは1回回るのがやっとでしたが、32回のフェッテ(連続回転)まで演じられるようになりました。
ちから姫たちが観た天才タリオーニのステージは1回回るのがやっとでしたが、将来は32回も回れるようになるのよ!と説明したときには皆が目を回しました。ただひとり、リングの高速回転を得意としていたちから姫だけは、それは可能かな!?と感じていました。そして、ノノッカはいずれ連続回転に挑戦していく。
おしまい