東京オリンピックとパラリンピックが終わった。ふと、以前「オリンピックよりストリップ!?」というエッセイを書いていたことを思いだした。オリンピック期間中に、こんな話をしたら不謹慎とお叱りを受けるだろう。もう終わったから、記事を載せてみる。昔のストリップ日記を辿ってみた。
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今回は「オリンピックよりストリップ!?」」という話。
2008年8月上旬、北京オリンピックが開催されていて、世間はその話題にもちきりになっていた。なのに私はせっせとストリップ劇場通いをしていた。応援している踊り子さんが出演していたので仙台ロック皆勤中。
そのときの踊り子さんの言葉。「オリンピックやってるのにウチラを観に来てくれるのが嬉しいよね。オリンピックに勝った気分です。」
オリンピックよりストリップか・・・なんか語呂がいいなぁ~
オリンピックとストリップの共通点を考えてみた。
● どちらにもドラマがある。
勝者だけが五輪のプレーヤーではない。無念の欠場。意外な敗退。こうした不完全な姿もまた我々の心を揺さぶるのは、メダルの有無や色にかかわらず、五輪という舞台に掛ける気持ちは等しく本物だったと知っているからだ。
裾の広い数あるドラマの頂点にあるドラマがオリンピックの舞台である。そこには大きなドラマを演じるために多くの人たちの気持ちが集約されている。だから、我々は感動するのだ。
ストリップは単にヌードを披露する場ではない。ひとりの踊り子さんをデビューさせるためにたくさんの関係者が苦労している。それは所属事務所、劇場関係者、振付師、照明さん等々。また踊り子さん自身の生活、人生を反映している。そうした全ての思いがひとつのステージに集約されている。だから、我々はステージにドラマを感じる。
●人を真に感動させるものは本物だけ。
二大会連続二冠達成の水泳の北島康介さんの話。水着問題が騒がれていた6月、「泳ぐのは僕だ」と印字したTシャツを皆の前で着てみせた。結果がどうあれ、すべては自分。そうタンカを切り、きっちり結果を出した。彼の格好よさは本物。
ストリップというのは、裸であり、そこにはウソ・偽りはない。たまに付き合いでキャバクラなんかに行くと、ホステスが口八丁・手八丁で客にお金を落とさせようと必死になっているのが分かるときがある。せっかく話が弾んでいると思っても、すぐにテーブルをチェンジされるので遊んでいて虚しさを感じることが多い。その点、踊り子さんは生の姿でぶつかってくる。裏・表を感じない。だから我々は感動するのだ。
平成20年8月