さいとう真央さんの新作「Love Rock」を観ながら色々想うものがあった。
以下、私なりに新作を解説してみる。
一曲目は、ピンクのフリフリの衣装で、足には白いソックスをはき、水玉模様の傘をもって登場。ブギウギの曲にのり、天真爛漫な少女が愛嬌いっぱいに笑顔を振りまく。観客席に下りて、お客の顔を覗き込み握手を求める仕草はいかにも男を知らない純真無垢な少女のイメージ。
一転、二曲目は、赤のチェック生地のブラとスカートというパンクな衣装に黒皮の上着をはおり、黒いストッキングをはいている。相川七瀬のデビューシングル『夢見る少女じゃいられない』に乗って、少しツッパリ風に格好をつける。時にギターを弾くなどロッカーになりきっている。曲名どおり、「もう夢見る少女ではない、大人なんだ」と自己主張したくなる年頃をイメージ。男の子とバイクをころがして遊びまわっている感じかな。久しぶりに聴いた1995年の曲『夢見る少女じゃいられない』(織田哲郎プロデュース)はビートの利いたインパクトが耳に残った。
その後、ドリカムの曲が続く。全体を通して、恋に恋する時期から、本当の恋を経験していく過程が演じられている。
そして、ラスト(ベッド曲)はまたまた一転、メガネをかけ白いワイシャツにネクタイをした男装で登場。途中でハイヒールを履くので途中から娘役へ変身。一人二役での濡れ場シーンへ・・・というストーリーかな。
今回の出し物のテーマは「夢見る少女から大人の女性への成長」と理解した。
真央さんはいつも作品に自分の想いを込めるところがあるので、きっと自分の成長記録を作品に反映させているのだと思う。あまり詮索するのは失礼な話だが、多かれ少なかれ誰もが同じ成長過程を経て大人になってきている。
少し自分ことを話させてもらう。
私は秋田の田舎育ちなのだが、田舎ほどツッパリが多い。たまに帰省して電車にのると車内に鶏のような鶏冠(トサカ)頭をした男子高生がいっぱい乗っていて思わず笑い出したくなる。勉強やスポーツに縁がなくなると後はツッパルことで自己主張するしかないと考えてしまうのか。まぁ昔からそうだったな。私の近所の幼なじみにもそういう輩がたくさんいた。小さい頃からの遊び仲間なので、彼らがすごく気のいい奴らであることはよく分かっていた。小学・中学の頃は学校の宿題は専ら私のノートを当てにしていた。彼らは成績のいい私に一目置きながら、次第に私とは別の世界を楽しんでいった。大学入試が終わって大学生として仙台に行くまでの春休み期間、何もすることがなかったので、近所の彼らとよく遊んだ。私には凄く新鮮だった。車、酒、女、など私の知らない遊びを彼らは高校時代に謳歌していた。私は手を出さなかったがシンナーなどもやっていた。そんな彼らもいまでは家庭に収まり皆いいお父さんになっている。秋田に帰省するとよく声をかけて呑みにいく。
考えてみたら、一番の優等生だった私がストリップ通いする一番の遊び人になっている事実。とても彼らにストリップ通いを自慢するわけにはいかない。(苦笑い)
あるベテランの踊り子さんが私のことを「ストリップな紳士」と言ってくれた。彼女のコメントをそのまま載せると「タロウさんはステージもきちんと観て下さって、でもちゃんとHな部分もしっかり見てくれて、まさにストリップにぴったりな紳士です。」
また、ある新人の踊り子さんからの手紙に「タロウさんはいろんな面で紳士的で大人って感じています。ステージを見ている時は少し少年の目になっているかもしれませんが(笑)そんなタロウさんもかわいく見えますよ。」と書かれてあった。
私自身、今は「ストリップな紳士」に満足している。と同時に、十分に大人ではあるが「少年の心」をもっていると言われたことが嬉しい。夢中で童話を書いていたときも童心に返っていたが、ストリップを見ているときの私の顔も少年の目に戻っている。(本当はエロ親父の目なのかもしれないけど・・笑)
老けこまないためにも「少年の目、少年の心」というのはとても大切なものだと思う。
話を最初に戻すと、だからこそ「夢見る少女」の心というのは成長して失うべきものではなく、若さを保つために後生大事に持ち続けていかなければならないものだと思う。
真央さんがいつまでも「可愛さ」を持ち続けるためにも・・・。