今の人は携帯電話(今はスマホか)があって本当に羨ましい。昔は彼女に電話するだけで、独身寮では長い行列を作って順番待ちしていたし、そもそも電話代も高かったのでよく手紙を書いていた。私がまめに手紙を書けるのは前携帯電話世代だからかもしれないな。

 

 今の携帯電話は相手の顔も見れるので離れている感覚がなくなっている。

 最近、会社でもTV電話が普及している。(コロナ禍の今はもっと進んでいるな!)

最大6拠点を同時につなげられ、TV画像に分割されて表示される。分割画像だと小さすぎて相手の表情が分かりづらいので、ふだんは声を出している所が優先的に画像に映るようにしてある。

 会社にとってはTV電話の導入は画期的で、営業所と製造所が頻繁に打ち合わせが出来、しかも出張旅費がかからないというコスト・メリットが大きい。移動時間がかからないという目に見えないコスト・メリットもある。お陰で出張がだいぶ減っている。

 

 TV画面を見て、最初に違和感があったのは自分の顔だった。「この頭の薄い、しまりのない顔の奴はだれだ」と思ったら、自分だった(笑)

 「こんな顔、おれじゃないよなぁ~」と思いながら、なんか自分の顔を見るのがすごく嫌な感じだった。自分の顔は自分が一番知っていそうで一番知らないのかなと思ってしまう。

 

 さて、踊り子さんは、まさに前後左右から(下からも?)お客さんに見られますよね。

 見られるというのは、恥ずかしい反面、嬉しくもあるでしょう。踊り子さんの場合、どの時点から羞恥から快感に変わっていくのかなぁ。

 写真やポラを撮られて嬉しいというのも同じ感情。お客の中にもよく踊り子さんと一緒にポラに写りたがる人がいますが、やはりナルシストなのでしょう。というより、誰もが自分が一番気になるナルシストなんですね。たとえば大勢で写った写真で一番気になるのはなんといっても自分ですから。 

 

 また、お客を観察していると、恥も外聞もなくエロになりきっている人もいますね。ふだん会社や家庭なんかでは偉ぶっている人が、こういう場になると本性丸出しっていうケースは多々あります。

 

 私はよく踊り子さんに「あなたはニコニコ顔で見てくれるから癒されます」というコメントを頂き、とても嬉しい気分になっていました。

 しかし、TV会議の自分の顔を見ていると、こんな締りのない顔でにやにやしながらステージを見ているのかなと思えてきた。ニコニコ顔とにやけ顔って区別つきませんもんね。ただはっきり言えるのは、ステージを見ている時は心から満足しているので本当に幸せそうな表情をしているはず。これが本当の私の顔であることは否定できない。むしろ、仕事場ではもっとシャキッとした締りのある顔をしなければいけないと反省した。男の顔は履歴書だっていいますからね。いまのままではストリップ履歴書の顔?!

 

 自分の顔には、4つの顔があると云います。

①    自分も他人も知っている顔

②    自分は知っているが他人は知らない顔

③    自分は知らないが他人が知っている顔

④    自分も他人も知らない顔

 

 二重人格といわれるのは②が誇張されるのであり、もともと持っている自分の顔であることに変わりはありません。

 会社では真面目な顔をして、ストリップでにやけ顔をしているのも、どちらも本当の自分であるわけです。会社の同僚や家族は前者を本来の顔と思っているわけですが、踊り子さんは後者まで知っているわけですから、より多くの私の顔を知っていることになります。つまり踊り子さんには本来見せてはいけない本性面を隠す必要がないので、すごく気楽に「裸のつきあい」ができるわけですね。

 

 ただ大切なのは、すべてを知る必要はないこと。以前、ある踊り子さんと話したとき、私が「踊り子さんの楽屋裏って見てみたいな」と言ったら、彼女が「裏を見ると幻滅するかもしれないよ。お客さんは表のステージだけ見ているほうが幸せなのよ」と答えてくれた。実感として理解できた。

 

 私はステージを通して踊り子さんを知ります。それ以上プライベートな面を知りすぎるとストリップを楽しめない可能性があります。先日、ある劇場のお客さんから、「一緒に踊り子さんを食事に誘ってみないか」と声をかけられた。私は即座に断った。もちろん好きな踊り子さんのことは何でも知りたいが、あまり深く知りすぎてもいけないものもある。踊り子とファンにはある一定の距離が必要なのだと思う。

 

 ともあれ、一個人として③や④はどんどん知っておいた方がいい。

 踊り子さんも、この仕事に就き、新しい自分をたくさん発見したと思います。また、お客さんから新しい自分を知らされたこともあるでしょう。日々発見かな。

 人の人生とは新しい自分を探していく旅ともいえそうですね。