今回は「踊り子は私の太陽である」という話をしてみたい。

 

  ステージを観ながら「踊り子は太陽だ」と感じ、この言葉にこだわって考えてみた。

  おそらく、このキーワードは有名な女性運動家である平塚らいてう((明治19年)1886.2.10 ~ (昭和46年)1971.5.24)の「元始女性は太陽であった」から無意識に思い浮かんだものだろう。歴史の教科書で記憶していたものだろうが、もう一度原典を見てみたくなった。

「元始、女性は実に太陽であつた。真正の人であつた。今、女性は月である。他に依つて生き、他の光によつて輝く、病人のやうな蒼白い顔の月である。・・・」

  これは、明治44年(1911)9月、女性達の手で編集された日本初の文藝誌「青鞜」の創刊号に掲げられた男女平等を謳う歴史的宣言であり、時にらいてうは26歳であった。

  らいてうは本名を奥村明(はる)といい、ペンネームの「らいてう(ちょう)」は雷鳥をかなにしたもの。東京生まれで女性運動の先駆者としてあまりにも有名だが、スキャンダラスな事件もいろいろ起こしている。日本女子大学卒業後、文学会に入り、与謝野晶子や作家の森田草平らに教えを受けるが、らいてう22歳の時にその森田草平と塩原で心中未遂事件を起こす(塩原事件)。後には、年下の画家奥村博史(ひろし)と、あえて家族制度の下での婚姻手続きを踏まない共同生活(同棲)を実行したりと、スキャンダラスな話題に事欠かない「新しい女」であった。彼女の人生を眺めると、多くの人とぶつかり、時代とも対立しながらも、常にチャレンジブルに生きる強い女性であったことがよく分かる。映画にもなっているので興味のある人はどうぞ。

 若い時の彼女の写真を見ると、すごく綺麗な方だと思う。彼女には不思議とストリッパーの匂いがする。ともあれ、らいてうのような方がいたからこそ、今ストリッパーという立派な職業が成り立つのかなとつい感謝したくなる私でした。(笑)

 

 話をストリップに戻しましょう。

 暗いステージにスポット・ライトを浴びて、踊り子さんが登場する。

  あらためて考えると、ステージというのは暗い闇というベースがあるからこそ、踊り子さんが光輝くことができる。真っ暗い宇宙空間であるからこそ太陽が光輝くごとく。

  また、お客は踊り子さんの華やかな面を見て感激しているわけだが、踊り子さんの影の部分は見えない。ステージというのは見えない光と影のコントラスなのか。

 

  踊り子は明るく光輝くが、遠く手の届かないところにあるもの。まさに太陽のごとく。

  らいてうは女性を太陽と月にたとえているが、私には踊り子が太陽なら女房が月かなと思う。前に、潮の満ち干きの原因となる地球の起潮力というのは太陽よりも月の方が影響大、という話をした。これは、月は太陽よりも大きさではかなわないが太陽よりはるかに地球に近いから。まさに遠くの美人より近くの女房の方が影響力が大きいということか。当然のことである。月はいつも地球に付き従って、地球によって光輝く。地球にとって月がかわいい存在、かけがえのない存在であることに疑いはない。

 でも、たまには明るい太陽を仰ぎ見たくなるんだよなぁ~

 夜になったら月のもとにちゃんと帰っていくからね。

 

 空に太陽があるかぎり~♪