平成24年10月10日(水)、平成の伝説的ストリッパー篠崎ひめさんが引退した。
長い引退興行だった。8月結の大和ミュージック→9月頭のTSミュージック→9月中のDX歌舞伎→9月結の大阪東洋→そして最後は10月頭の川崎ロック。ひめさんは51日間の連続興行を駆け抜けた。
さすがに51日間を皆勤したファンはいないと思うが、大阪東洋を除いた関東公演をほぼ皆勤した方はいるだろう。私はTS10日間を皆勤したが、そのときに前の週の大和が大変な状況だったという話を聞いていた。いつもならPM23時前には終演する大和が連日深夜24時を回ったと云う。まさに引退興行の皮切りに相応しい話だ。
大阪東洋では、ポラの行列が「の」の字を描いたらしい。コの字という話はたまに聞くが、「の」の字というのは横→後ろ→横から盆周りの方に回って並ぶ。純名ももさんの引退でも「の」の字になったらしいが、ひめさんの場合はもっと長い。東洋のポラ行列数新記録という。
そして、いよいよ川崎ロックでの最終公演。そもそもロック館でラストいうのも意外。本来なら大阪東洋を最後にするものだけどね。ともあれ、このお陰で川崎ロックは大変な収益を上げる。トリのひめさんのポラを1000円にし、ポラ売り上げの新記録を樹立したのだから、ひめ様様だよね。
その週の川崎ロック香盤は次のとおり。①夏木りりか(ロック)、②香山蘭(ロック)、③黒崎優(ロック)、④川村あいね(東洋)、⑤水元ゆうな(東洋)、⑥篠崎ひめ(東洋)〔敬称略〕。ラスト三人を東洋勢にしたのは粋な計らい。なにはともあれ、メインはひめさんの引退!
ひめさんに引きづられ、全員がポラが売れに売れ、ずっとトリプル・トリプルが続いた。
10/6(土)~8(月、体育の日)の三連休も凄い混雑だったが、平日の残り二日間がまた凄かった。ひめファンの多くがこの二日間を仕事を休んで応援に来ていた。
引退日前日の公演が終わるやいなや、ファン五人が劇場前に並び出す。そのまま夜通し。夜中の三時頃にひめさんが様子を見に来たという。さぞかし有難かったんだろうな。
始発が走り出してから客(ファン)が集まり出す。早朝五時半の時点で50人くらいいた。開場時点で120人並んでいたというから、ひめさんは最後の最後まで伝説を作った。最後は入場制限したから前代未聞の話。今後こういうことは絶対に起こらないと思う。
この辺の話は、一緒に出演していた黒崎優さんが自身のブロクに書き込み、それがスト・ファンに広まっているようだ。「川崎で他の踊り子さんの引退楽日に入場制限があったので、こりゃきっと10月10日もやばいーとなって、早朝に並んだ人数が余計に増えたのかと思います。」 (ひめさんと大の仲良しのTS早瀬みなさん情報)
当日は、立ち見でごった返しているから、ポラの行列は入り口の外の方に並んだ。
実際に入場制限を始めたのは一回目の篠崎ひめさんのポラから。その後は、客が三人帰ったら三人入れるという具合。夕方から会社帰りの客がどんどん劇場前に集まり、並んで入場の順番を待っていた。
ともあれ、TSのように客を押し込めて鮨詰め状態にしなかったのはよかった。「TSや渋谷だと、鮨詰めみたくなるけど、川崎はしないんだね。安全第一? なので意外に、ゆったりしてました。」 (早瀬みなさん情報)
楽日のひめさんは所々で感極まって涙したが、最後は泣かないでステージを立派に努めた。逆に、大の男たちが大泣きするという異様な情景。「涙涙・・は前日までに終了したのか、笑顔で元気なひめちゃんで終了しました。お客さんの目はもちろん真剣でしたけどね。」 (早瀬みなさん情報)
また、当日たくさんの踊り子が駆けつけた。「東洋&ロックの子以外は入場料とったので・・・他劇の子で駆け付けたのは早瀬+2人でした。」(早瀬みなさん情報) 2人とは、京はるなさんと浅葱アゲハさん。三人とも普通のお客さんと同様の扱いで、入場順番を待って並んで、しっかり入場料をとられたようだ。ロックの従業員は踊り子と普通の女性客の区分がつかないからね。
終わったのは深夜一時半頃。
ひめさんの引退とともにストリップ熱を燃え尽きたファンがたくさんいるだろう。ひめさん無き後、彼らの去就が気になる。
ともあれ、彼らの心の中に、ひめさんはずっと生き続けることだろう。
伝説のストリッパーひめさん、これまでたくさんの思い出をありがとう。そして、長い間お疲れさま、そして、さようなら。
平成24年10月