さて、男の人はなぜたくさんの女性を愛せるのですか、という問いを未だに自分なりに考えてます。前回一度答えましたが、今回その続きを話します。
ストリップを観に来ると、なんか癒されるなぁ、という気持ちになる。
そのひとつの要素は女性と接するからだと思う。ストリップに限らず、男性は女性と接したくて、スナックやクラブ、いまはキャバクラか、に通ったりする。真面目な男性はまっすぐ奥さんの所に帰る。いずれにせよ、女性がいる所に向う。
男はなにゆえ女を求めずにをれないのか?
一言で云うと、男にとって女とは「癒しの存在」といえるだろう。
たしかに、ストリップに来るお客というのは、心の病みを癒したり、淋しさを忘れさせてもらうために来ている。
以前、私の弟が我が家に泊まったときに、「兄貴の家は自分の家とどこか雰囲気が違うな。いったいどこが違うのかなぁと思ったら、どうも娘さんの存在と思う」と言っていた。
弟にも二人の子供がいるが、男の子だけ。その点、私のところは男一人に女二人の子供がいる。この二人の女の子が家族の雰囲気を変えている、と言うのだ。
大きな男の子が二人いると、玄関口は大きな男の子のズックや靴が脱ぎ散らかっている。なんか味気ない。その点、女の子がいると可愛い靴がきちっと履き揃えてある。玄関口ひとつとってもこれだけイメージが違う。
男子校・女子校と男女共学の違いを考えてみよう。男子校には特有の「男臭さ」が充満している。女子校も同様だろう。一方に偏ると一種の「におい」が強烈に発せられてくるが、その点、男女共学になると「におい」が中和されて感じなくなる。
これは異性を意識することによって、それぞれが不潔感を消し去る努力をすることにもよるが、もっと根本的に、男がより「男らしさ」、女がより「女らしさ」を出すためだ。男と女は、DNA作用により子孫を残すために相手に好かれようとする。そのことが、男が「男らしさ」で女性の気を引き、女が「女らしさ」で男性の目を惹きつけることになる。
「男らしさ」「女らしさ」というのは単なる中和・消化作用ではなく、より洗練されたものに昇華されている。(消化→昇華の語呂がいいなぁ~)
この「女らしさ」こそが、男性を惹きつけて止まない魅力なのだ。
「女らしさ」というのは一言では云えない。さきほど「癒しの存在」といったがこれもひとつ。また人それぞれによって求めるものが違う。だからこそ、人の数だけラブ・ストーリーが生まれる・・・だからこそ、この世は面白い。
再度問う。この世になぜ男と女が存在するのか?
ひとつの解として、私は以前からこう考えていた。
「女は男がいるからより綺麗になれる。男は女がいるからより(仕事が)頑張れる」
女はいい男に気に入られるために自分を磨く。もちろん男もいい女に気に入られるために自分を磨き、そしてその女や家族を養うために、いい仕事をしようとする。このスパイラル効果が永遠に続くことで人類は発展できたのだ。と、私は以前から考えていた。
そして、ストリップを観ることで、より確信を得た。間違いなく、踊り子さんは男性の視線を感じてより美しくなっていく。まるで花が光を浴びて咲き輝くように。
よくぞ神様は男と女を創りたもうたものだ、と感謝する。
生きるということはそれ自体とてもつらいことである。われわれは自分にムチ打って生きていかねばならない。であるがゆえに、神は一方でアメを与えた。
神は、われわれが人生を楽しめるようにと男と女を創りたもうた、と云えるだろう。
なにはともあれ、男と女がいるだけで、人生というのは面白い。