土日に仙台ロックに行くと、関東の常連客がたくさん押しかけているのに驚く。いつもはまったりした仙台ロックの雰囲気が一変している。一瞬別の劇場に来たような錯覚まで感じしまう。
仙台なんて東京からは近いほうなんだな。それにしても、感心するというか、踊り子さんもこれだけ思われたら幸せですよね。
踊り子さんのファンの中には熱狂的な方がいる。踊り子さんを追っかけて北は北海道から南は九州まで追っかける。特にリボンさんが多いが一種の義務感というか自分の務めと認識しているのだろう。一応仕事をしているから移動は休日を利用してということになる。その旅費たるや大変な金額だと思う。時間と金額を好きなだけ費やせるということは独身貴族しかできないこと。まぁ、他にすることがなければ、好きなことに没頭できるということは幸せなことだ。
問題は、狂信的になりすぎること。
先日、関東の劇場である踊り子さんAさんの追っかけの方から声をかけられた。私もAさんのファンなので彼とはよくいろんな劇場で会いAさんの話題で花が咲く。その日は、今度Aさんの周年をやるので参加してほしいというのだ。私は仙台にいるので参加は無理といったら、お金だけ参加してくれないかと云うのだ。私は丁重に断った。
彼は独身で好きなだけお金を投じられるだろうが、私は小遣いの範囲でストリップを楽しんでいる。特定の踊り子さんだけにのめり込んでもいない。Aさんのためとはいえ、また彼のAさんを思う熱い気持ちも伝わるが、私と彼とは立場が違う。
応援には、彼のような「熱狂的な応援」と「静かな応援」がある。野球やサッカーなども同じだ。球場に足を運び組織だって応援する人も多い。球場全体のウェーブなんかは見ていて気持ちがいい。しかし、大半の人はテレビなどで応援している。応援したいときはテレビをつければいいし、忙しかったり、その気がないときにはテレビを点けなければいい。非常に気楽な応援と云えよう。
ストリップ仲間というのは、行きたい時にたまたま会って雑談できるところがいい。そこには強制がない。来ても来なくてもいい。そういう義務感のない、まさに気楽なところが「癒し」なんだと私は考えている。
応援というのは、少なくとも他人の迷惑にならない程度に配慮して、自分の範囲内で一生懸命にやるべきでしょう。